第10話 黒咲葉菜「わたくし辞めます! 本気です!」

 地下の秘密基地アジトに足を踏み入れると、マルクがじゃれてきました。




「おぉ、可愛いヤツめ」




 キャバクラで緑埜さんにもお話した、ドイツ原産のドーベルマンです。


 この、上目遣いで見てくる目が、とても可愛いのです。


 じゃれてくる力が強いことに、少々難はございますが。




 緑埜さんのドーベルマンも、きっと力強いのでしょう。




 あひるはピコピコと歩き、ヒョイとマルクの背中に乗りました。




「お嬢様、お帰りなさいませ」




 マルクのあとからゆっくりと歩いて来たラインハルトさんが、わたくしに一礼をしてくださいました。




「外出なさるときは、くれぐれもお気を付けください。『こんな時代』ですから」


「わかっておる。……灰原はもう帰ったのか?」


「はい、先ほどドクターと一緒にお帰りになりました」


「そうか」




 ラインハルトさんは、わたくしの部下ではありません。


 父上の直接の部下です。その上、わたくしより年上です。


 にも拘わらず、わたくしにも敬語をお使いくださいます。




「総帥は、ただいまお話し中です」


「そうか」




 父上はわたくしが幼いころから、総帥室でどなたかとお話なさるのが日課です。


 お相手のお声は聞こえかねるので、きっとお電話か何かなのでしょう。




「総帥! よろしいでしょうか!」




 暫く時を空けたあと、総帥室の前でお声をおかけしました。




「入れ」


「はっ!」




 わたくしは扉横の網膜認証ロックを解除したあと、あひると一緒に総帥室に入りました。




「ただいま戻りました」


「でスワン!」




 総帥は全身、黒い布で覆われ、顔全体を覆う鋼鉄のマスクをしていらっしゃいます。




「明日……、新妖魔獣が完成次第、出動する」


「明日、ですか」




 総帥のこもるような低い、そして威圧感のある声が部屋全体に響きます。


 どこから発せられているのかが判別できないような声が。


 確認したわけではございませんが、きっと口に変声機をつけているのでしょう。




「今回の妖魔獣には期待して良いぞ。これまでの戦いで判明したヤツらの弱点を射抜くことができる、最高の妖魔獣だ」




「総帥、お願いがございます」




 わたくしは頃合いを見計らい、話題を変更いたしました。




「またか」


「またでスワン!」


「どうせまた、【漆黒の亡霊ブラックファントム】を辞めたいと言うのであろう」


「……はい」




 総帥は馬鹿になさるように鼻で笑い、わたくしの心臓を掴むようなお声でお話なさいました。




「諦めろ。悪の組織と歌舞伎は世襲制せしゅうせいと相場が決まっておる」




 伝統芸能と反社会勢力を同列にお並べになるお言葉に違和感を覚えました。


 もし、本当に同列にお考えなのであれば、歌舞伎と同様、悪の組織も男性だけで構成していただきたいものです。


 しかし、勿論そのような進言ができるわけはありません。




「諦めません! 今回は本気です!」




 わたくしとしたことが、大声を出してしまいました。




 これまでは単純に、一般的な女子大生の生活を送ってみたいというだけの理由でしたが、今回は違います。


 緑埜さんという、わたくしの心を動かす殿方が現れてしまったのです。


 もし仮に、彼とお近づきになれたとしても、わたくしの正体を隠し、彼を騙し、後ろめたい思いをすることは耐えられません。


 彼を裏切ることにもなってしまいます。




 わたくしの意志が固いことをわかったいただくため、総帥の顔を見据えました。




「……好きな男でもできたか」


「――!」


「ホントでスワン!?」




 総帥は、すべてをお見通しでした。




「す、好きというほどのものではなく! かと言って嫌いというわけでもなく! 単に気になると申しますか、気にさわると申しますか! ですから、好きなのは異性としてと申しますか、申しませんか」




「情緒不安定か?」




 わたくしは、動揺しているのでしょうか。


 バタバタしてしまいました。普段は冷静に振る舞えるのに。


 情緒不安定と受け取られても仕方ありません。




「では、条件を出そう」


「条件??」


「ああ、もしお前が妖魔獣を使って、ボウエイジャーを倒すことができたら、漆黒の淑女ブラックプリンセスを辞めてよかろう」


「……」




 総帥のおっしゃることはごもっともです。


 妖魔獣の司令官として、ボウエイジャーを倒すという任務を与えられているにも関わらず、まったく遂行できずに「辞めます」では、責任感の欠如と言わざるを得ません。




「かしこまりました」


「下がれ」


「は!」




 地下から出て家に戻り、部屋着に着替えました。


 そして、アセロラドリンクを飲みながら、誓いました。


 ボウエイジャーをぶっ殺して差し上げます!


 そして、正々堂々と緑埜さんと!! ……いえいえ、これ以上は。お恥ずかしい。




「ねえねえ、葉菜チャンの好きな人って、どんな人でスワン?」


「特段、好きというほどのものではないと申し上げたではありませんか」


「あひるも会ってみたいでスワン!」




 地下からの扉が開き、父上が戻っていらっしゃいました。


 既に、普段着にお召し変えになったようです。




 そして父上は、ピョンピョン飛び跳ねながら、わたくしに近づいていらっしゃいました。




「ねえねえ! 好きな人ってどんな人? かっこいい? 教えてよー♪」




 父上は、いつも以上にご陽気なようです。




「で? で? どこまで行ったんだよー」




 そう言いながら、肘でわたくしをツンツンと突いてきました。




「父上! 情緒不安定でございます!!」

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