第6話


 もう勘弁して欲しい。たかが髪色で突っこまれるならそこら辺の動物の血でも被ってくりゃ良かった。

 しかし、そんな冗談を言っている暇はない。


 今この場でアンクテッドを明かすのはマズい。それに安易な嘘を付いたところで……。


 チラリとストラの方を見る。

 ディストがストラに“天致”を頼んで仕舞えばそこでお終いだ。


 俺は一息吸って、できるだけ自然な笑顔を作って言う。


「……秘密、です。もし広まったら仕事にならないので」


 咄嗟に口から出たただの出任せだった。


 しかし決闘場で稼いできたのは事実だ。天性が無いという事を除けば嘘ではない。


 そしてこれが意外にも功を奏し、ディストは納得したように頷く。


「あぁ。これはすまない、確かに二つ返事で明かすようなものではなかったな」


 含ませぶりなディストの言い方に、胸の奥がざわついた。


 俺の嫌な予感は良く当たる。



 瞬間、ゆらりとディストの影が揺れた。

 脳が知覚するよりも先に、俺は一握の砂を本能で抜いていた。


「ーーッ!!?」


 見えない得物の太刀筋に、迫り来る殺意だけを頼りに俺は短剣を振るう。


 その勘は正しく、ディストの槍は首筋すんでの所で大きな不快音と共に弾かれた。


 鼓膜をつんざく金属音に周囲は時が止まった様に静まり返った。その静寂の中、自身の異様な程高い動悸が鳴る。


 お互いに二手目は無い。


 しばしの沈黙、先にそれを破ったのはディストの方だった。


「ーーほう、これを止めるか、生業の者とは嘘では無いみたいだな。疑ってしまうのは我の性分なのだ、重ねて謝ろう」


 そう言いながら大男は快活に笑う。その表情には一切曇りが無かった。


(…十分殺す気だったじゃねーか……!!)


「……いえいえ、信じてくださった様で俺も安心です。…ではこれで」


 俺は焦りが悟られぬ様、なるべく落ち着いた風に格好をつけた、まぁカッコつけた割には全て本心だが。


 この場から一刻も早く抜け出したい一心で、俺は一握の砂を懐に戻した。勿論その間ディストから目線は外さない。


 殺意が本当にあったかは定かでは無いが、今のが全力という事も無いだろう、本気で殺しに来られれば今の俺じゃ到底勝てない。


 今、一撃を弾けたのも奇跡に近い。


「我の厄介になる様な事はくれぐれも無いように頼むぞ」


 そう笑いかけるディストだったが、今はその笑顔にすら恐怖を感じる。俺は短く、はい。とだけ言い残して、逃げる様にマーシィとストラと共に馬車に向かった。



 生きて再びこの馬車に戻れた事を俺は奇跡だと思う。


 極度の緊張から解放されて俺は、馬車の中で小さく伸びをした。

 そんな中で、未だ顔色の優れない奴が一名。


「どうしよう……目、つけられちゃったかな。ミーン」


 口に手を当ててブツブツと思案する彼女は、俺以上に俺を心配してくれているらしい。俺は彼女を励ます様に笑った。


「まぁ、所詮“五狂”、たかがストラの同僚なんだろ?負ける気なんてこれっぽっちも……」


 しかしそれは逆効果だったようで。


 離れて隅の方にいた筈のストラが音も無くいきなり目の前に現れた。


 まるで瞬間移動の様な妙技に、それが“天致”なのか、ただの魔法なのか、俺には判断すらつかない。


 とん。と力無いストラの拳が、俺の脇腹に触れる。


「…目で追えた?…反撃はどうするの?本気だったらもう死んでるんだよ…??」


「…は、はは…」


 何かの冗談だろうと俺は乾いた笑いを漏らすが、彼女の目に一切のふざけた様子は無い。


 返す言葉も無く、俺はただ黙っていた。


「わ、私がいますよ!どんな怪我だってすぐに治してあげますから!!」


 そんな重苦しい空気に耐えかねたのか、マーシィは慌てて割って入ってくれた。


 するとストラは俺から身を少し離し、乾いた笑みを浮かべながら壁にもたれ座った。


「……なら安心だね」


 そのストラの呟きに、誰も返事はしなかった。

 馬車は再び動き出し、誰の声も響かない空間にただ車輪が地面を擦る音だけが響いた。





 ディストが居た場所の少し先、絶壁の真下まで馬車は進んだ。


 そこは陽の光が丁度遮断され少し涼しく、辺りは見たことのない人工の光だけで照らされており、隔世の期待感に胸が踊った。


「通行証を出せ」


 内地の技術に感動していた俺を邪魔するかのように、馬車の後方に回り込んでいた二人組の国警が、顔をのぞかせて横柄に吐き捨てた。


「お兄ちゃんに通っていいって言われたよー」


 ストラはゆっくりと腰を上げて、ゆるい敬礼をしてみせた。

 こんな一般の馬車に五狂がいるとは夢にも思ってなかったのだろう。面白いくらいに、国警の二人組は慌てふためく。


「ス、ストラ様!!?ごご、ご無礼をお許し下さいッ!どうぞお通り下さいッッ!!」


 逃げる様に二人は姿を消し、ドタドタと足音を立てながら前の方に走っていった。運び手に許可を出しに行ったのだろう、間を置かず馬車は動き出した。


 それにしてもあの二人の慌て様、ストラにどんなイメージがあるというのか。

 さっきから流れ続けていた暗い雰囲気を飛ばす様に、俺は大げさな身振りを添えておどけてみせた。


「ストラってそんなに怖がられてんのか…?」


 俺の言葉に彼女はくるりと振り返る。


「ミーンから見たらただの素直で可愛くて賢い完璧美少女かもしれないけど、あの人達にとって私は最高位の上司だからね?」


 胸の王位が見えるように、彼女は胸の前の髪を手で払う。あえて俺は何も言わず冷たい視線をストラに送った。


「わ、すごく可愛い模様ですね」


 マーシィすらも発言にツッコミを入れず、ただ王印にそう感嘆を漏らし、胸の王印をまじまじと見つめた。それが国の最高権力者を表す王印だということは夢にも思わないだろう。


 五角形に近いシンボル。


 右下の角だけがガラス細工のように鉱石が煌びやかに彩られており、鳥をモチーフにしているように見えるそれは、五狂の一角を担う彼女を端的に表した、確かに‘カワイイ’紋章だ。


「でしょ、私も気に入ってるんだー。……ちょっとミーン、変なトコじろじろ見ないでよ」


「は?興味ねーよそっちには、ただの脂肪の固まりじゃねーかデブ」


 自分でもびっくりするくらいに、スラスラと口が勝手に動いていた。

 そして言い終えてすぐ、自分のしでかしてしまったことを悟り、直後の死を覚悟する。


「……ミーン?今何て??」


 眼前、怒りに染まった笑みを浮かべるストラの姿がフッと消えさった。


(…あ、まずい)


 本気で怒らせてしまった事自体そう珍しい事ではない、俺が何か余計な事を口走って、ストラが怒り姿を消して…と、いつもの様式美の様なものだ。


 あのディストの一撃すら流した俺だ。今日こそは何とかして回避してみせる。


 何も高速で動いているわけでは無い。速度を上げる魔法を併用していたとしても俺にだって反応くらいは出来る。ただ相手の姿が見えないだけだ。


(…目の前!)


 姿は見え無いが殺意までは消せないようで、ストラの大体の位置は直感でわかった。


 ディストのそれにすら引けを取らない尋常でない殺意に、俺は情け無い位の速さで真っ向勝負を諦めた。俺だってまだ死にたくない。


 今から謝れば楽に回避出来るのではないか、無理に五狂に真っ向から挑まなくても良い。


 多分、きっと彼女は大きく腕を振りかぶっている、猶予はほとんど無い。


「ごめんっ!いや、ほんと、…えーっと」


 後に続く言葉が浮かばなかった。


 残念な事に嘆くことなかれ、俺はまだ‘ごめんなさい’の仕方を教わっていない。

 しかし今までと新しい動きを見せた俺に対しストラは後に続く俺の言葉を待っているのか、何もしてこなかった。


 好機、無理矢理にでも言葉を紡ぐべきだ。


「ーーほら、着痩せするタイプだろ?ストラってぇッ…!!?」


 そんな努力も虚しく、言葉も言い終わらぬ内に、彼女の透明の拳によって脇腹が抉られる様な鈍痛に見舞われた。


 どこからそんな怪力が生み出せるのか。フリーダ王国随一を誇る魔力の持ち主のくせにどうしてこうも打撃が重いのか。


 しかし、その疑問に答えが出るより先に、俺の精神は激痛によりプツリと途切れる。


 今日はとんだ厄日だ。

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