第2話 皇帝の仕事って派手なのは一部で調整何かの地味な仕事が圧倒的に多い
「何か?火急の用でもあったのか」
会議室内の重っ苦しい空気を表しているかのように、答えた声は苛立ちに満ちていた。
「そのように緊迫した声を出さなくてもいいだろう。それとも、余には聞かせられぬ話でもしていたのか?」
無遠慮に扉を開け放ちながら会議室にずかずかと踏み入ってきた男こそノックの主にてこの国の皇帝ウィルヘルム・イスク・レキ・イスエンド―ウィルヘルム2世その人だった。
突然の登場に慌てた会議中の面々は即座に立ち上がると腰を90度まで曲げて最敬礼を示した。
ウィルヘルム2世がそれを手で制すると、会議参加者たちは言葉もなくその席を移る。会議室の上座にウィルヘルム2世が座れば、その他の参加者たちはゆっくりと腰を落ち着けた。
「失礼致しました、陛下。して、何用でございますか?」
「パウルよ……お前、相変わらずの仏頂面だな。少しはその眉間の皺をどうにかできんものか」
悪びれた様子もなく時の皇帝陛下に用向きを聞いたパウル・レキ・メック元帥は眉間を揉むようにして頭を抱えていた。
見れば周囲の重臣たちはパウルに冷たい視線を送っている。
ウィルヘルム2世とパウルは同い年であり、若い時に知り合って以来、幾多の戦場で
しかし、これは未だ37歳と年若いパウルにしてみればかなりのプレッシャーになった。
なにせ、この場にいる参加者の多くは先代皇帝のころから帝国の重鎮なのだ。パウルは自分がこうして元帥の立場にいることも、会議の進行役を任されていることも自分の実力で勝ち取ってきたものだと自負している。しかし、口さがないものは皇帝の権威を後ろ盾にして今の地位を得ただとか陰口をたたいている。
だからこそ、こうした公式の場では親し気に話しかけてくるのは辞めてほしかったのだが、パウルの密かな願いは叶った試しがない。
「まあ、いい。お前らが頭を悩ませている原因くらいは分かっているつもりだ……今日はその件について余の名案を聞かせようと思ってな」
その一言に議場は一気に色めき立った。
軍の権限だけでは不可能な褒美についても皇帝直々に考えた褒美であると発表されてしまえば誰も文句が言えなくなってしまう。
果たしてどれほどの名案が飛び出してくるのだろうか、とこの場の面々が期待した面持ちでいたところ。
「まずは、グレイブ隊については全員に5年分の給金に相当する報奨金を取らせる。そのうえで、部隊は三分割する」
唐突な宣言に今後は会議の場がさざめき立った。
「その後は人員を増大させて訓練を施しそれぞれを中隊規模で再編成、そのうえで三つの遊撃中隊からなる遊撃大隊を創設する」
おお、と歓声が挙がる。
「では、この遊撃大隊の大隊長にレギン遊撃隊長を充てるわけですか」
そう問いかけたのはこの場で最も若い男。クリストファー・レキ・メティク将軍、アルバートの一番最初の上官だった男だ。
だれもがそれが妥当だと思っていた。
しかし、その予想はたやすく覆される。
「いや、大隊長には別の者を考えてほしい」
その一言に三度、議場が沸いた。
「恐れながら申し上げます。それでは陛下はレギン遊撃隊長にいかに報いるつもりであらせられるのですかな?」
ことさら丁寧に問いかけたのは軍のトップである総司令官ミルトン・レキ・ホーエンハイムだ。
「うむ、レギン隊長については北方、アレス公爵の元に連隊長として派遣することにする」
今度は、議場が静まり返った。
それもそのはず、遊撃隊が中隊規模であるのだから、一気に二段階も上の規模の部隊を指揮することになるのだ。
しかもそれだけではない。
「アレス公爵領は現在、軍事再編中で中隊規模の部隊すらないのではなかったでしょうか……」
苦虫をかみつぶしたような声でパウルが進言する。
「うむ、そのとおりだ。だからこそ意味がある」
「なるほど、経験を積ませる御積もりでございますな」
皇帝の意図をいち早く見抜いたのはミルトン総司令官だ。
「うむ、年若いアレス公爵の補佐をしつつ軍勢を再編成させる……その中で領地運営についても学び、大規模部隊の運用についても習熟させる、あとは……宮廷マナーについても覚えてもらおうか、そうすればあやつが今後どれだけの武勲を立てようと困ることはなくなるだろう」
なるほど、と感心の声はあがるものの、会場の空気は暗いままだった。
たしかに連隊長へと昇進を果たすことが出来たわけだが、実際はそこに至るまでは自分でどうにかしろと言っているようなものだ。
しかも、アレス公爵領は5年前の継承内乱の際、攻め込んできたアルシュバール教国と孤軍奮闘で戦い、領主も主だった家臣も失って保有する両軍そのものが全滅したという苦しい状況にあるのだ。
下手すると僻地への左遷ともとられかねない人事ではあるのだが、ここはどうやって対応するべきか、と多くの人々が頭を悩ませていたのであるが。
「流石は陛下!!われらには考え付くこともできぬ深謀遠慮!このギルバード感服いたしました!!」
拍手をしながら立ち上がったのは南方司令官のギルバート・レキ・オースチンである。まるで揉み手をしながらぺこぺこと頭を下げている幻影が見えそうなまでの、その太鼓持ちの姿勢はあまりにも情けないものに見えるが、みるみるうちに同調するものは増えていき、議場の半数ほどは拍手をしながら立ち上がった。
それを見たクリストファーは美貌をしかめた。自分の実力でのし上がったクリストファーからするとこうして家格によって将軍職、果ては司令官にまでいたった連中が大嫌いだった。
同じく、こうした連中が嫌いなパウルはしかし、処世術を身に着けているのだろうか眉根の一つも動かさずに静かに告げた。
「これは決を採る必要はなさそうですね……それではレギン隊長、ならびにグレイブ隊への褒美についてはこれでよろしいですね」
その発言に誰しも異を唱えなかった。
ただひとり、クリストファーだけが嫌みの一つでも言ってやろうか、と思っていたがその動きはパウルの目で止められた。
『何も言ってくれるな』
と強く訴えかけてきたその目に、クリストファーは素直に従った。その目に宿っていた意志が諦めでもなければ怒りでもない、もっと前向きで希望に満ちたものであったからだ。
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