3 春風 はるかぜ

 春風 はるかぜ


 プロローグ


 春風の吹く場所で。


 本編


 あなたの残していった温もり


 私は、春の嵐の中にいた。

 桜色の嵐の中に、たった一人で立っていた。桜色の花吹雪の中に、咲き乱れる、桜の木々の間に、……あのころの私はいた。

 世界はそのすべてが桜色だった。

 世界はまさに春真っ盛りで、春一番の風が吹いて、空も、地面も、なにもかもが春の色に染まっていた。


 私はそんな夢のような場所に立っていた。

 そこに立って、あなたのことをずっと、ずっと、待っていた。


 私はあなたがこの場所に来てくれるかどうか、すごく心配をしていた。

 でも、それから少しして、あなたは、数人の友達と一緒に黒の学生服を着て、頭に学帽をかぶって、黒い革靴をはいて、……手には(私と同じで)卒業証書の入った円形の筒を持って、私の立っている場所まで、ゆっくりと歩いて近づいてきた。


 私の心臓はすごくどきどきとしていた。

 

 私はあなたに声をかけようとした。「……ずっと好きでした。私と付き合ってください」って、そう恋の告白をしようと思っていたのだ。

 

 でも、臆病者の私は、あなたがやってくると、視線をそらして、桜色の地面を見て、そのまま、あなたがあなたの数人の友達と一緒に私の横を通り過ぎていくのを、ただ、黙って待っていることしかできなかった。

 

 やがて、あなたが私の横を通り過ぎて行って、桜色の向こう側に行ってしまう、と言うそのときになって、私は初めて、ようやくその顔をあげて、あなたの去っていく後ろ姿を見て、「あ、あの!」と声を出すことができるようになった。


 その私の言葉を聞いて、あなたはそっと、その歩く足を止めた。


 あなたはゆっくりと振り返って、私を見た。

 あなたの友達たちは、私がこれからなにをしようとしているのか、感づいたのか、あなたを残して、先に桜色の向こう側にまで、歩いて行ってしまった。(その際、あなたの友達の一人が、あなたに向かって「頑張れよ」と声をかけたのが私の耳にも聞こえてきた。その声を聞いて、私の顔は耳まで真っ赤に染まった)


「なんですか?」

 にっこりと笑って、(でも、ちょっと照れくさそうな顔をして)あなたは言った。


 私は、そっと、一歩だけ、あなたのほうに足を進めて近づいた。


「あの、実は私は、……」

 そう言って、私はあなたに恋の告白をした。(それは私の人生で初めての恋の告白だった)

 そのときのことは、実は緊張で、細かいところはあんまり覚えていないのだけど、でも大切な、本当に大切なことだけは、もちろん今になっても、(きっと、一生)私はきちんと覚えていた。


 あなたは私の恋の告白を「はい。こちらこそ、宜しくお願いします」と言って、受け入れてくれた。

 私は嬉しさのあまり、泣いてしまった。(あなたはちょっと慌てていた)


 そして、そっと、あなたのところに近づいて、あなたの学生服の腕の部分を軽く掴んだ。

「大丈夫?」あなたは言った。

「うん。もう、大丈夫」(だって、あなたがこんなに近くにいてくれるから)と私は言った。


 去年。あなたが亡くなったときに、私はそんな私とあなたの恋の告白をした、あの桜色の世界に染まる、夢のような、春の色に染まった風景を思い出した。


 もう随分と歳をとってしまったけれど、その桜色の世界の中には、当時のままの姿の、あなたと私がちゃんといた。


 春の暖かさ。あなたの面影。温もり。残像。記憶。


 そんなものを私はちゃんと今も思い出すことができた。


 春の色に染まった風景の中で、私はそっと、遠慮がちにあなたのところに近づいた。

 あなたはそんな私の行動に気がついていないようだったけど、……私の手は確かに、あなたの手を春の中で捕まえた。


 それは、ある春の出来事だった。

 私はそんな大切な宝物みたいな思い出を、最後に思い出しながら、そっと、目を閉じて、安らかな眠りについた。


 家の外では、優しい春風が吹いていた。


 春風 はるかぜ 終わり

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