第五章 覚醒

「さすがに待ちくたびれてしまったよ」


 男はそう独りごち、立ち上がった。


「本当ならいつでも実行に移すことができたんだけどねぇ。まぁ、あれの性能をぜひとも実践で試してみたかったし。……もっとも彼らが試すに相応しい相手であれば、だけれど」


 そのとき、「先生」と、ドア越しに明るい声が聞こえてきた。


「ああ、君か。どうした?」


 もう作り笑顔は必要ない。男は無造作にドアを開け、尊大な態度で応じた。


「……先生……?」と、不思議そうにこちらを見上げてくるのは、とうに利用価値を失った愚かな女子生徒だった。男は告げた。


「そうそう。ようやくすべての準備が整った。僕は今日でこの職をやめるよ」

「ほ、本当ですか……? じゃ、じゃあ……」


 男の意図とは裏腹に、彼女の表情に歓喜の色が混じる。


「そうだねぇ」男は可笑しそうに唇を歪めた。「君とも、お別れだ」


「え?」と、目を白黒させる女子生徒へ、男は何の躊躇いも無く平然と断じてみせた。


「君はもう用済みだってことさ」

「ど、どういう、ことですか……? こ、この前は、この学校の不正を無事に暴くことができたら……その……お、お付き合い、してくれるって……」

「付き合う? あはははっ、冗談を言わないでくれ。君なんかと、誰が付き合うって?」

「そ、そんな……」


 絶望で顔を歪ませる生徒を、男は嘲りと哀れみの込もった眼差しで見遣る。


「まさか、君は本気で信じていたのかい? この大学が、裏で非人道的な実験を行っていて、僕がそれを暴くために教師として潜入しているだなんて話を? あんなの、君に秘密がバレてしまって咄嗟についた虚構だよ。まぁ、それにしては迫真の演技だったとは、自分でも思うけどねぇ」

「ど、どうして……う、うそ……嘘ですよね、先生……?」


 眦に涙を浮かべ、縋るように問うてくる女子生徒に、男は言い放った。


「これから用事があるんだ。邪魔だから、どいてくれないかな?」


 生徒は両手で顔を覆い、その場に崩れ落ちる。

 嗚咽を漏らす彼女を一顧だにせず、男は研究室を後にした。







 藤原千夏は夜の帳が下りた大学構内を歩いていた。

 いつもは派手過ぎない程度の小洒落た西洋服を着て教壇に立つ彼女だが、現在の服装は実験用の白衣。化粧も落し、髪は無造作にゴムで纏めているだけ。まるで女性っ気のない今の姿を見たら、普段の彼女を知る生徒たちは少し驚くかもしれない。

 彼女がやって来たのは、取り壊しのため閉鎖されたはずの古い道場。だが、照明が点灯している。広い室内に人影があった。


「こんなところに私を呼び出して、何の用かしら?」

「……ちょっと、お話したいことがありまして……」


 その人影に問うと、緊張を孕んだ声でそんな返事が返ってきた。


「お話ねぇ。エッチなこととかだったら、先生、あんまし適任じゃないわよ? まぁ、どうしてもと言うのなら別だけど。でも、せめてもう少し狭い部屋に呼び出して欲しかったかなぁ」


 冗談めいたことを口にしつつ、人影へと近付いていく。強張った表情で、人影はその場に突っ立ったままだ。

 そのときだった。窓という窓から、次々と道場内に跳び込んでくる影があった。

 それは、武装した集団だった。

 突撃銃アサルトライフルの銃口を一斉に向けられ、藤原千夏は瞬く間に周囲を完全包囲されてしまった。







 秀美の前で包囲網を整えたのは、特別高位警察が独自に訓練させた戦闘員たちにより構成された戦闘部隊だった。突撃銃と刀で武装した各十名程度の班が三個。総勢は三十名近い。たった一人を包囲するだけにしては、過剰とも言える人数だった。


「これは一体、どういうことかしら?」


 物々しい集団に囲まれながらも、藤原千夏の口調は普段とまるで変わらなかった。一瞬、やはり何かの間違いではないのかという考えが、秀美の脳裏を過る。


「我々は警察だ。大人しく拘束されるなら、今この場における命だけは保証する」


 彼女の問いに応じたのは、部隊の指揮を務める、いかにも歴戦の戦士といった風貌をした山根という名の男だった。他の隊員たちと同様の戦闘服を着てはいるが、銃は携行せず、腰に業物級の日本刀を一振り携えている。


「あら、私、警察に咎められるようなことしたかしらねぇ?」

「白を切っても無駄だ、藤原千夏――いや、《聚楽会》幹部、羽柴國龍」


 首を傾げてみせる藤原へ、山根は威圧するように明言した。


「まさか名前や経歴のみならず、性別まで偽っているとは思わなかった。早い段階で捜査対象から外してしまったため、突き止めるのに時間を擁してしまった。だが、もはやこれまでだ」


 正体を喝破され、藤原が黙する。唾液を嚥下する音すら響くほどの静寂が道場内に降りた。


「く、くくくくっ、あはははははっ!」


 沈黙を破る哄笑は、藤原が上げたものだった。周囲に緊張が走る。


「確かにこの僕が羽柴國龍さ。だけど、まさかこれで僕を捕えたとでも思っているのかい?」


 言葉使いががらりと変わっていた。しかし、依然として落ち着き払った雰囲気を崩さない。

 降伏の意志無しと断定し、山根が抜刀した。もはや疑う余地はない。秀美もひとかた人形を投げ、白虎を呼び出した。それを見た國龍が、感心したように言った。


「へぇ、それはもしかして、機巧と陰陽術を融合させた式神かい? どこか他の子たちとは違うと思っていたけど、まさか君が特高の戦闘員だったとはねぇ」


 その口振りがワザとらしく感じられ、秀美は怪訝に眉をひそめる。

 それに、おかしい。今、彼はこう言った。まさか特高の戦闘員だったとは、と。なぜ目の前に展開する部隊が、特高のものだと分かったのか? 先ほど山根は、警察だ、としか告げなかったというのに……。もしかして、あらかじめ知っていた? それなら、あの落ち着きようも納得できる。

 だとすれば、誘き出したつもりが、本当に誘き出されていたのは――

そのことに気付いたとき、秀美は胸奥からせり上がってくる言い知れない恐慌を感じた。


「きっ、気を付けて――」


 秀美が注意を喚起するよりも先に、國龍が白衣の中から何かを取り出し、宙に向かって放り投げていた。

 呪符だ。それも、秀美が使う人形ひとかたと同じ、式神を呼び出すための。

 空間が歪み、虚空から音も無く姿を現したのは、黒い装束に身を包んだ忍者たちだった。


「人間……っ? まさか、人間を式神にするなんて……」

「ち、違いましゅ! あれは、ヒューマノイドでしゅ!」

「ヒューマノイド!? ……で、でも、それじゃあ……」


 驚愕する秀美へ、國龍は事もなげに言った。


「あはははっ、まさか君だけの専売特許だとでも思っていたのかい? 自律機巧を式神として操ることなんて、僕はもう何年も前から当たり前のようにやっているよ」

「そんな……」

「もっとも、こいつらに関してはまだ試作段階。特高の精鋭たち相手に、どれだけやれるか見ものだねぇ」


 秀美はすぐさま別の式神も呼び出そうと懐に手を入れる。だが、それを山根が制した。


「子供は下がっていろ。あんなガラクタ、我々だけで十分だ」

「で、でも……」

「この場の指揮権は私にある。作戦中の上官の命令は絶対だ」


 有無を言わさぬ口調で言われ、秀美は口を噤む。今日が初対面ではあるが、山根が秀美のことを良く思っていないということは明白だった。特高の中には、秀美のような非正規の戦闘員エージェントを利用することに反対している者たちがいるが、彼もどうやらその一人らしい。


「なんだつまらない。まぁ、いいや」


 國龍がそう呟いた直後、全十体の忍者たちが腰の忍刀を音も無く抜き放ち、一斉に散じた。地を這うかのような低い姿勢の疾駆で、包囲する隊員たちへと迫る。

「撃て!!」山根が命じ、隊員たちが引き金を引いた。

 銃弾が忍者たちを襲う。だが、身体を撃ち抜かれても、機巧である彼らに痛みを感じる神経はない。その内の一体が、最前衛で銃を乱射していた隊員へと斬り掛かった。

 肉薄され、近接戦闘を余儀なくされたその隊員は、素早く腰の刀を抜刀。忍刀を受け止め大きく弾くと、間髪入れずに鋭い一閃を忍者の首へと見舞った。

 人間ならば、頸動脈を切断され絶命していただろう必殺の一撃だった。だが、相手は血の通わぬ自律機巧だ。何事も無かったかのように、すぐさま反撃へと転じた。

 隊員はすぐさま刀を返し、斬撃を受け止める。苛烈な剣戟が繰り広げられる。だが、これは正々堂々行われるべき撃剣の試合などではない。隊員たちには数の利があった。鍔迫り合いをしている隙に背後から迫った別の隊員が、忍者の首を容赦なく一刀両断した。首と胴が分離した忍者は、今度こそ機能を停止して床に倒れ伏す。

その瞬間だった。

 轟音とともに炎と爆風が巻き起こり、古い道場が悲鳴を上げるように大きく軋んだ。

 忍者が突如として爆発したのだ。先の二人の隊員は数メートルほど先に転がっていた。防護服を着ていようと、あの至近距離で爆発に巻き込まれたのだ。もはやぴくりともしなかった。


「長嶋っ……河本っ……」「くそっ……自爆だとっ……?」「冗談じゃないっ……」

「あはははっ! 忍者らしい、なかなか愉快な仕掛けだろう? 敵の一人も殺せずに敗れるような失敗作には、十分な戦績じゃないか」


 國龍が愉快げに高笑いする。

 失敗作――その言葉が、秀美の頭の中でざわめくように反響した。記憶の奥底が、ちりちりと火に炙られたかのように疼く。


「怯むな! 彼らの分まで戦え!」

「「「う、うおおおおおっ!」」」


 山根の叱咤に後押しされ、隊員たちが復讐の鬨の声を張り上げた。死を恐れぬ殺人機巧へ、果敢に攻めていく。だが、倒されれば自爆するというその仕掛けさえ分かってしまえば、優秀な隊員たちにとって対処するのは難しいことではなかった。足を斬って動きを鈍らせ、十分な距離を取ってから銃弾で仕留めれば、爆発の巻き添えを喰わなくて済む。忍者たちは孤独に自爆し、虚しく散っていった。


「へぇ、さすがだねぇ。だけど」

「なっ」「っ!」「ひっ……」


 残っていた三体の忍者が、次々と近くにいた隊員に跳び付いた。その意図を悟った隊員たちは必死に振り解こうとするも、その暇すらも与えられなかった。

 爆撃に巻き込まれた三人の隊員たちは、二度と声を発することのない屍と化した。

 それらを一瞥し、國龍は鼻で笑った。


「十体で五人。ま、試作品にしては頑張った方じゃないかな」

「き、貴様ぁぁぁっ!」


 怒りを露わにした隊員たちが、一斉に射撃。無防備な國龍へ、憤怒の弾丸が雨あられと降り注ぐ。だがその寸前、國龍がまたしても呪符を用いて何かを出現させていた。すべての銃弾が呆気なく弾かれる。

 厳めしい形相の、巨大な鋼色の仏像。それが、十二体。思い思いの武器を持ち、まるで王を守護する近衛兵のごとく國龍の周囲に屹立していた。


「今度はさっきの忍者たちのようにはいかないよ。彼ら十二神将は、僕の傑作だからねぇ」


 十二神将。仏教の世界において、薬師如来を護るとされる十二体の守護武神だ。

 だが、眼の前に現れた武神たちは霊体などではなく、やはり先の忍者同様に機巧でできていた。銃弾を弾いたのは、その分厚い甲冑装甲だ。


「さあ、遊んでやれ」


 國龍の命に応じ、十二体の武神が怒涛のごとく隊員たちへと襲い掛かる。

 両陣営が激突し、道場内はすぐに乱戦と化した。

 だが、それは戦闘というよりは、ほとんど一方的な虐殺だった。

 こちらはすべて歩兵。対する相手は、自律駆動する兵器だ。戦力差は言うまでもない。武神の槍が易々と戦闘服を貫き隊員の一人を串刺しにすれば、さらに別の武神が宝剣で隊員の腕を斬り飛ばす。一方、隊員たちの銃も刀も、厚い装甲に傷一つ付けることができない。

 隊員たちが次々と戦闘不能に陥っていく。剣の達人たる山根ですら、武神一体の重く鋭い斬撃を捌くだけで精いっぱいだった。

 このままでは全滅は必至。


「白虎!」秀美の命令に従い、白虎が駆ける。繰り出した斬馬刀の刺突が、山根と斬り結んでいた武神を突き飛ばした。


「……山根さん……っ! ここはぼくに任せてっ……撤退してください……っ!」


 秀美がそう叫ぶが早いか、山根は苦渋に満ちた声で隊員たちに命じた。


「……く……撤退! 撤退だ! 一班はしんがりを務める!」


 山根が率いる精鋭班が最後尾で武神を堰き止め、隊員たちが次々と道場から退避していく。負傷した隊員たちも、救護隊員に担がれ、なんとか離脱する。


「貴様も早く撤退しろ! 作戦は失敗だ!」


 山根の怒鳴り声。しかし、秀美は首を横に振った。


「……ぼくは、残ります……」

「馬鹿を言え! 貴様一人で何ができるというんだっ!?」

「ぼくなら、戦えます……っ!」

「貴様っ……命令が聞けないとでも――」


 山根の声が途切れたのは、武神の一体が投擲した槍が、彼の口部を右から左へと貫通したからだった。あ、あぐが……と、声にならない声を鮮血と一緒に漏らしながら、山根はよろめき後ずさる。


「無粋だねぇ。敗者は黙って尻尾を巻いていれば良いんだよ」


 國龍が嘲笑する。山根はもはや呻き声しか発することができず、口に槍が刺さったまま、他の隊員たちに支えられながら道場を出て行った。


「さてと。正直なところ、他の奴らにはそれほど興味が無かったんだよねぇ」


 國龍はそう前置きしてから、ねぶるような視線を秀美に向けてきた。


「君は、何者だい? 初めて会ったときから、ずっと妙な雰囲気を感じてたんだよねぇ。なんていうか、身体から発している魔力がどこか異質で異様だ」


 その問いに、秀美は別の問いで返した。


「……一つ……聞きたいことが、あります……。あなたは、ご存知ですか……? あなた聚楽会が行っていたという、鬼子を生み出す実験のことを……」

「……鬼子? ああ、あのくだらない実験のことか。人為的に鬼を作り出すっていう……まさか、お前は」


 國龍が初めて顔に驚きを表し、僅かに目を瞠った。


「ぼくは、その実験で、作られた一人、なんです……。施設から、命辛々逃げだして……そして、特別高位警察の方に、拾われたんです……」


 秀美がそう明かしたとき、微かに國龍の瞳に恐れにも似た色が混じった気がした。しかし、すぐにそれは嘲りの色によって掻き消され、


「あははははっ! まさか、処分される前に逃げ出したものがいたとはねぇ! ちゃんと皆殺しにするよう命じていたというのに。当時その任務に就いていた杜撰な者たちに罰を与えないとねぇ」

「……やっぱり……あのときの男はっ……」


 ぎりりと奥歯を噛みしめ、秀美は探していた復讐の相手を睨み付ける。


「そうだよ。あの実験、あまりにもくだらないんで僕が直々に終らせてやったのさ。いやぁ、できそこないの失敗作とは言え、一応は子供たちだったからねぇ。殺すのはなかなか忍びなかったよ。あはははっ」

「……ぼくらはっ……」


 秀美は振り絞るように叫んだ。


「……できそこないでも、失敗作でも……ない……っ! 白虎っ!」


 秀美の怒りに呼応し、ウオンッと唸りを上げた白虎が國龍めがけて凄まじい突進をみせる。


「あはははっ、だったらそれを証明してみせろよ!」


 その白虎の前に武神が立ちはだかった。構わず薙ぎ払わんと、白虎が斬馬刀を豪快に振り回す。しかしその斬撃は、武神の剣によって受け止められてしまう。甲高い音が響き、一瞬、動きが止まった白虎の装甲に、別の武神が振り下ろした戦斧が突き刺さった。さらに別の一体が鉾で、また別の一体が槍で、別の一体が宝剣で、白虎を突き、刺し、斬る。


「白虎……っ!」


 どんな材質でできた武器なのか、その集中攻撃は、突撃銃の銃弾にも耐え得る白虎の硬質な装甲を確実に破壊していった。


「白虎の装甲しょうこう、三十ぱーしぇんと破損はしょん! 右脚のだめーじで機動力が二十ぱーしぇんと低下でしゅっ!」


 みことが被害報告を終えたそのときには、秀美は十枚の人形ひとかたを取り出し、まとめて放り投げていた。空間が捩じれ、式神たちが姿を現す。

 天空、青竜、天后てんこう、玄武、大陰たいいん大裳たいも、騰蛇、朱雀、六合ろくごう勾陣こうじん。先に呼び出していた白虎に貴人を合せ、すべての式神が出そろった。


「天空! 朱雀!」


 遊撃高機動型の天空と飛行援撃型の朱雀が、それぞれ突撃銃、短機関銃を連射、白虎を空から支援する。だが、銃弾は武神たちが着る甲冑に易々と弾かれてしまった。


「あはははっ、対物ライフルくらい持ってこないと、こいつらの装甲は貫けないよ?」

「だったらっ……大裳!」


 四メートルを超す重火器武装型の巨体が、両腕に装着された重機関銃を乱射した。口径十二ミリを超える弾丸が、今度こそ武神の硬い装甲に穴を穿つ。


「さすがにそいつは厄介だねぇ。摩虎羅まこら招杜羅しょうとら


 國龍の命令に従い、大裳めがけて二体の武神が疾駆する。

 阻止しようと立ち塞がった近接戦闘型の青竜と追撃空襲型の天后だったが、別の武神がさらにそれを阻止。彼らの脇をすり抜けた二体の武神が、大裳へと襲い掛かる。動きの鈍い大裳にとって、接近戦は不利だ。近づかせまいと機関銃で弾幕を張るが、二体は装甲を撃ち抜かれながらも強引に突っ込んできた。敵に懐へと入り込まれた大裳は、二挺の重機関銃を破壊され、斧と剣で全身を蹂躙される。


 「ましゅたーっ! 右からでしゅ!」

「っ……!」


 みことの声に慌てて視線を移すと、二体の武神がすぐ近くまで迫りつつあった。全方位撃退型の勾陣が散弾銃で応戦するも、火力が足りず、やはり装甲を貫けない。

 押し寄せてきた二体の武神を、装甲特化型の玄武が喰い止める。その間に、秀美は六合と勾陣に護られながら、壁を背にする位置まで後退した。


「天空、朱雀、大陰! 術者を狙って!」


 同じ十二体とは言え、國龍の駒はいずれも近接戦闘型。このまま守勢に回り続けていれば、圧倒的に不利だ。ならば、無防備な術者を狙うしかない。式神同士の勝負では、先に術者を倒した方が勝ちなのだ。

 朱雀が回転翼機で宙を飛び、國龍に迫った。


「式神で勝てないなら術者を狙う、ねぇ。その作戦自体は賢明だよ。だけど」


 朱雀の短機関銃が火を噴き、床に次々と弾痕が穿たれる。だが、そのとき國龍の姿は、すでに天井付近を飛んでいる朱雀の目の前にあった。その手には、白衣の中に隠していたのか、いつの間にか刀が握られていた。


「朱雀っ……!」


 國龍が白衣を翻し、刀身を鞘内で滑らせたと思った次の瞬間にはもう、朱雀は回転翼機を両断されていた。飛行能力を失い、錐揉みしながら落下して床に叩き付けられる。

 國龍が繰り出してみたのは、目にも止まらぬ速さの空中居合斬りだった。

 さらに國龍は低空からジェット噴射で迫りくる天空を斬り落とし大破させると、死角から隙を突いて襲い掛かろうとした隠密攪乱型の大陰をも、一刀の下に機能を停止させてしまった。


「あはははっ、まさかこんなもので僕を討てるとでも思ったのかい?」


 嘲笑う國龍を前に、秀美は言葉を失う。

 國龍の武器は、式神だけではない。自身が、達人級の武芸の腕を有しているのだ。

 半ば呆然とする秀美へ、みことが残酷な予測演算の結果を報告した。


「ましゅたー……万全ばんじぇんの状態でも、戦力しぇんりょくしゃは三倍以上……。さらに現在げんじゃい、約二十ぱーしぇんとの戦力が低下したましゅたーの勝率は……五ぱーしぇんとにも満たないでしゅ……」







 瑠璃はモニターの前で愕然としていた。

 みことを通じ、映像つきのリアルタイムで送られてくる戦況は絶望的なものだった。自身が作った機巧式神は相手の式神にまるで歯が立たず、次々と破損させられている。

 もはや敗北は必至。いや、それだけではすまない。兄は殺されるだろう。それはつまり、もう二度と会うことができなくなるということだ。

 嫌だ。そんなのは嫌だ。絶対に嫌だ。何とかしなければならない。でも、どうやって?

 今、離れた場所で戦っている兄のために、瑠璃ができることは何一つない。

 自分はただ安全なこの部屋に引き籠っているだけだったのだという事実を初めてまざまざと突きつけられ、瑠璃は打ちひしがれる。

 一緒に戦っているつもりになっていたが、本当はそうではない。辛いこと、苦しいこと、危険なことはすべて兄一人に押し付けていたのだ。


「ばかっ! ばかばかっ! 瑠璃のばかっ!」


 自分はばかだ。最低だ。そして、無力だ。

 だけど、あいつなら……

 だが、あの女は嫌いだ。自分と兄の間に勝手に割り込んできた、忌むべき相手だ。そんな奴に頼るなど、死んでも嫌だった。

 でも、にぃが死ぬのはもっと嫌だ!

 瑠璃は部屋を飛び出した。さらに裸足のまま玄関を駆け出ると、すぐ隣の部屋のインターフォンを押し、ドアを叩いた。


「お願い! にぃを、にぃを助けて!」


 何度もチャイムを鳴らし叫んだ。だが、いくら経っても出てこない。恐らく留守なのだ。

 瑠璃は最後の希望を失い、その場にへたり込んだ。

 チン、と軽音が鳴ってエレベーターのドアが開いたのは、まさにそのときだった。


「……瑠璃ちゃん? どうしたんだ、そんなところで?」


 現れたのは、あの女だった。







「あはははっ、どうした? さっきまでの威勢はどこに行ったんだい?」


 秀美は防戦一方だった。いや、防戦と呼ぶことすらおこがましい。なぜなら國龍は、すぐにでも勝負を決することができるというのに手を抜き、獲物を嬲ることを楽しんでいるからだ。

 すでに白虎、天空、朱雀、大裳は機能を停止。帰還させる余力すらなく、まるで死体のように無残に転がっている。残る八体も、貴人であるみことを除けば、そのほとんどが満身創痍、もはや戦力は万全時の半分以下にまで低下していた。

 上官の命令に背いてまで留まったというのに、探していた相手が目の前にいるというのに、このザマだ。秀美は悔しさを通り越し、自身の無力さに対する憤りすら抱いていた。


「ま、ましゅたーっ! こうなったら、ここはみことに任しぇてお逃げくだしゃい! しばらくであれば、魔力の供給が絶えても動かせましゅから!」


 みことが決死の覚悟で叫んでくれるが、大人しく逃がしてくれるとは到底思えない。それにここで逃げては、もう二度と自分は戦うことができなくなるだろうという予感があった。


「そろそろ終わりにしようか。さすがに飽きてきたしねぇ」


 國龍がそう告げた直後、武神の動きが加速した。

 秀美を護るため、残存する式神たちが陣形を組んで立ち塞がる。だが、瀑布のごとく押し寄せてくる十二体の武神の前には、もはや焼け石に水でしかなかった。

瞬く間に陣形が崩されていく。最後の砦だった六合が武神の鎚の一打で横転、気付くと秀美の眼前には斧を振り被る武神がいた。

 死を目前にしたその瞬間、秀美の脳裏には走馬灯――ではなく、一人の少女の顔が過った。

 妹に泣かれ、気が動転していた。

 そんな言い訳なんて、許されるはずもない。

 こちらの事情を知って同情し力になろうとしてくれた優しい彼女に、迷惑だ自分勝手だなどと、その厚意に泥を塗り、あまつさえ唾を吐きかけるような酷いことを言ってしまったのだ。

 ぼくは馬鹿だ。

 まさか彼女は強いから、何を言っても大丈夫だとでも思ったのだろうか?

 そんなはずはない。彼女は強いだって? 確かに強いだろう。だけど、刃物で斬られたら身体に傷がつくように、言葉の刃は彼女の心を傷つける。

 あのときの彼女の表情を思い出すだけで、胸が締め付けられるような痛みが走る。

 いつものように怒った顔ではなく、今にも泣き出しそうな、触れたら壊れてしまいそうな、そんな顔をしていたから。

 謝らなければならなかった。ちゃんと頭を下げて、謝罪しなければならなかった。

 それなのに、なかなか言い出せなかった。そうこうしている内に今日がきて、今日こそはと思ったのに、彼女は学校を休んでしまった。

 最期にもう一度、彼女に会いたかった。会って、謝りたかった。

 だけど、その願いはもう、叶わない。


 ――転校生っ!


 刹那、彼女の声が聞こえた気がした。

 きっと空耳だろうと、秀美はあり得ぬ希望に縋ろうとする己を自嘲する。あんなことを言った自分を、彼女が助けに来てくれるなんて、そんな虫の良い話あるはずが……


「間に合えぇぇぇっ!!」


 そのとき鋭い怒声とともに、目の前を銀色の風が奔った。







 天燃理心流奥伝――飛燕剣。刀華が投擲した脇差は、矢のごとく、いや、飛燕のごとく虚空を貫くと、転校生の脳天へと振り下ろされようとしていた斧に突き刺さり、その軌道を強引に変えた。


「近藤、さん……?」


 間一髪のところで死を免れた転校生は、驚愕で見開いた目をこちらに向けてきた。


「この馬鹿!」


 刀華は込み上がる怒りに任せ、思わず怒鳴ってしまった。だが、湧いてきた感情は、怒りだけではなかった。


「だからっ……だから言っただろう! 私が間に合わなければ、お前は今、間違いなく死んでいたぞ……っ!」


 なぜだか声が引き攣り、涙まで出そうになってしまった。それを強引に呑み込んで、刀華は道場の中央に立つ人物へと目を向けた。鋭い眼光で睨み付け、獣が唸るような声で問う。


「……藤原千夏。これは、お前の仕業だな」

「あら、近藤さん、こんなところに何の用かしら?」


 普段と変わらぬ口調だった。しかし、その雰囲気はいつもとはまるで違う。単に、化粧を落としているからというだけではない。

 刀華はすでに彼女の正体を聞かされていた。

 最初、転校生の妹から話を聞いたが、事態の深刻さだけは伝わるものの要領を得なかった。それで名刺をもらっていたことを思い出し、学校に向かいつつ赤毛の男に電話したのだ。

 まるで刀華が連絡してくるのを待っていたかのような反応は不審に思えたものの、さすがに説明は簡潔で分かり易かった。

 目の前にいる女、いや、男は、彼らが追っていた凶悪な反政府組織聚楽会幹部の一人であり、何らかの目的でこの学校に教師として潜入していたのだという。


「偽るな。すでに私は、お前の正体を知っている」


 刀華が告げると、男――國龍は驚く素振りすらなく、すぐに化けの皮を現した。


「それは、ありがたい。女の口調で話すのは、意外と神経を使うんだよねぇ」


 刀華は鯉口を切る。その全身からはすでに氣が迸っていた。


「一応、元教師に対する敬意を表して、忠告しておいてやる。私は容赦せん。あの厳めしい機巧兵どもを納めてすぐに降伏しなければ、軽傷程度では済まさんぞ?」

「あはははっ、良いねぇ。さすがだよ。実は前々から、君とはいつか手合わせ願いたいと思ってたんだ。だって、僕、君みたいな自信満々な人間の自尊心を圧し折ってやるの、めちゃくちゃ好きなんだよねぇ」

「この下衆め」


 低く呟いた刀華の姿は、すでにそこにはなかった。もっとも至近距離いた武神、それでも十メートル以上あったそれとの彼我の間合いを、一瞬にして詰めていた。

 さらに床を蹴破らんかという勢いで踏むと、前方へ弾丸のごとく跳躍。鞘走りの音すら置き去りにする速度で抜刀し、武神の脇腹へ気迫の一閃を叩き込む。

 厚い装甲が、嘘のように斬り裂かれた。間髪入れずに放つ回し蹴りで、頭部を蹴り抜かれた武神は、弾かれたように飛んで床を転がっていく。


「転校生っ! こっちだ!」


 刀華の声に応じ、式神を盾にしながら転校生が退路を開こうとする。刀華は、間に立ちはだかる武神へ、強烈な掌底を見舞った。天燃理心流奥伝――獅子吼掌。

 武神が隣の一体を巻き添えにしながら吹き飛び、二人の間に遮るものが無くなった。

刀華は手を伸ばす。だが、転校生はそのまま刀華の胸に跳び込んできた。いきなり抱きつかれ、刀華は「にゃなゃ!?」と、訳の分からない声を出してしまう。


「……近藤、さんっ……ごめ、ごめんなさいっ……。ぼくっ……あんなに、酷いことを言ってしまったのにっ……助けに、来てくださるなんてっ……」


 震える声で謝罪され、刀華は戸惑う。だがそれも一瞬。すぐに力強く断言した。


「当然だ。お前のためなら、私は何度でも助けに駆けつけてやる」


 ……って、なんてこっ恥ずかしい台詞を吐いてるんだ私は!?


「こ、近藤さん……」


 抱き付いたまま潤んだ瞳で見上げられ、刀華の心臓は早鐘を打った。だが、今はこんなことをしている場合ではない。刀華は転校生を背後に庇い、愛刀を中段に構えた。周囲はすでに武神に取り囲まれている。


「しかし、この数、さすがに厄介だな」

「刀華しゃま! 術者はあいちゅでしゅ! あいちゅを倒しぇば、魔力の供給を失い、式神は動きを止めまるはずでしゅ! でしゅから刀華しゃまは、あいちゅの相手を!」


 小さな人形の言葉に、刀華は頭を振る。


「だが、ここを離れるわけには……」

「術者を追いちゅめ、指揮を奪ってしまいしゃえすれば、式神の動きは単調になりましゅでしゅ! こちらの戦力しぇんりょくはすでに、三分の一しゃんぶんのいち近くまで低下しましゅたが、三百秒程度なら持ち堪えることができるはじゅでしゅ!」

「三百秒……五分、か」

「……だ、だけど……一人であいつと戦うのは、危険かもしれない……」


 今度は転校生が首を左右に振った。


「でしゅが、それ以外に打開しゃく策はありましぇん!」

「で、でも……」

「よし、分かった。……転校生、私を信じろ。だから、お前は耐え抜くことに集中しろ」

「信じる……」


 転校生はそう反芻し、それからどこか吹っ切れたような顔で頷いた。


「そう、ですね……分かりました。ぼくは、あなたを信じます……だから、この場はぼくに任せてください」

「ああ、約束だ」


 だんっと床を蹴り、刀華は背後に飛翔した。三角跳びの要領で壁を踏み、武神たちの頭上を宙返りしつつ飛び越えると、着地と同時に地面を疾走。脇目もふらずに國龍へと迫る。


「さぁて。幻の古流剣術がどれほどのものなのか、ぜひお手並み拝見といこうか」


 國龍が不敵に笑って刀華を迎え撃つ。その手には、一見しただけでかなりの業物と分かる刀が握られていた。大きく波打つような刃紋から判ずるに、妖刀と怖れられる千子村正か。


「ならば望み通り、とくと見ろ!」


 虎徹贋作を煌めかせ、刀華は真っ向から國龍へと斬り掛かる。

 そのとき國龍の動きが陽炎かげろうのごとく揺らめいた。

 訝しむ間もなく、刀華の剣は空を切っていた。いつの間にか半身を引いていた相手の胸に、僅かに一寸届かなかったのだ。


「っ……」


 刀華は間髪入れずに二の太刀を繰り出す。今度こそ捉えたと確信した逆袈裟の一閃は、しかし、しゃがみ込んだ國龍の耳の脇を擦過していた。

 まただっ……なぜ目測が誤るっ?

 直後、國龍が立ち上がりざまに撥ね上げた鋭い斬撃が、刀華を襲う。紙一重のところで回避したが、刀華の着物は斜めに切り裂かれ、中の肌にうっすらと血の線が入った。


「あはははっ、胸が小さいお陰で傷が浅かったねぇ」

「このっ!」


 刀華の頭に血が上る。だが、それでは相手の思うツボだ。冷静なれ。刀華は激しやすい自分に言い聞かせ考える。なぜ自分の目測が誤ったのか。それは剣で戦うにおいて、致命的な事態だ。先ほどの揺らめきに何か秘密があるのか? それとも、何かの妖術か? もしそうだとすれば、打破する方法は?

 國龍は刀を無造作に担いで、顔に愉快げな笑みを浮かべている。一見、隙だらけだが、そうやってこちらを誘い、焦りを助長させようとしているのだ。だが、その手には乗らない。


「意外と落ち着いているねぇ。だけど、僕に余裕を与えて良いのかい?」


 刀華は唇を噛む。相手の手の内が分からない中、迂闊に跳び込むのは危険だ。しかし敵の言う通り、もっと自分に意識を引き付けておかなければ、転校生が危ないのも事実。

 ならば。敵の技が何であれ、問答無用で撃ち破り得る絶対の技で挑み掛かれ!

 天燃理心流皆伝――無明剣。

 それは、かの天才剣士・沖田総司が得意としたという、目にも止まらぬ神速の三段突き。

 最初の一段は、直前まで確かに額を突ける感覚があったにもかかわらず、首をわずかに傾いだ國龍のこめかみから一寸ほどの脇を貫いただけだった。さらに一歩、踏み込んで放った続く二段目は、真っ直ぐ喉を突いたはずが横に逸れ、首の皮を一枚掠めただけに終わる。だが、國龍の目が驚きで微かに見開いた。予想外の攻撃だったのだ。

 そして三段目。狙うは、鳩尾とその奥にある腹腔神経叢。しかしそれも結局、切っ先が白衣を突き破っただけに終わった。


「あはははっ、危ない、危ない。まさか、三段突きとはねぇ!」


 すかさず間合いを取った國龍が、嘲笑交じりの賛辞を吐く。だが、免許皆伝にて初めて取得できる大技を破られた刀華の表情に、悲嘆は欠片も無かった。それどころか「……なるほど」と何かを悟ったように呟く。

 眉をひそめる國龍に構うことなく、刀華は再び間合いを詰めた。繰り出すは、胴薙ぎの斬撃――しかし、刀華は持ち前の柔軟な筋力によって、その剣筋を寸前で強引に、しかし水が流れるがごとく自然に変えてみせた。

 剣突は胴ではなく、國龍の脛を薄く切り裂き、赤い飛沫が床に散った。


「ちぃっ!」國龍は舌打ちし、堪らず大きく跳び下がった。今ので予想が確信へと変わり、刀華は告げた。


「……お前の姿が一瞬、揺らぐように見えるのは妖術でもなんでもない。緩急をつけた独特な足捌きが生み出ず、ただの残像だ」


 刀華はさらに看破する。


「だがそれは、そのせいで目測を誤っていると錯覚させることで、相手に不安感を与えるためだけの方便に過ぎない。核心は別のところにある。それは、驚異的な〝読み〟だ。どんな人間であろうと、どんな技であろうと、必ず身体的な制約という枷から外れることはできない。すなわち、こちらの筋肉の動き、目の動き、呼吸、体勢、様々な情報から、お前は私の攻撃を予測し、こちらが仕掛ける前に回避へと動いているんだ」

「それで、剣筋を強引にズラし、予測を外したというわけか」

「打破する術はそれだけではない。三段突きに対応仕切れなかったように、いくら先を読もうと、その読み以上の速さで攻撃を放たれれば、躱すことができなくなるのは道理だ」

「……なるほど、さすがだねぇ。ご名答だよ」


 國龍は素直に正解を認めた。だが、その声に負けを認めるような色は皆無。


「あの僅かな攻防だけで見破ってしまうとは……面白い。面白いじゃないか。お陰で――」


 不穏な空気を漂わせる相手に、刀華は思わず身構えた。


「――久しぶりに、本気でヤ殺れそうだよ」


 刹那、國龍が纏う雰囲気が一変。刀華は息を呑んで硬直する。

 な、何だ……? この総毛立つようなおどろおどろしい空気は……?

 國龍の全身から禍々しい何かが吹き出し、周囲を覆っている。まるで蒸発した血が立ち昇っているかのような、不気味な気配。

 闘氣……? いや、違う。

 これはだ。

 刀華がそう察したとき、すでに國龍は独特のゆらりとした構えで近づいてきていた。一歩間合いが詰まるごとに、ビリビリとした波動が刀華の肌を打つ。


「シャァッ!」


 國龍はじゃのごとき鋭い発声を上げ、一刀一足の間合いを越えた。

 下段から跳ね上がってくる切っ先。まだ距離があるというのに、刀華はすでに喉元を貫かれたのではないかと錯覚し、己の視界が鮮血で染まる幻覚すら見た。

 実際には、ほとんど無意識に上体を反らしていたお陰で、首皮を一枚斬られただけで済んでいた。だが、心の方はそうはいかなかった。

 殺される……っ! 内心でそう叫び、刀華は数歩も後ずさった。額から嫌な汗が吹き出し、心臓が早鐘を打った。

 違う。違い過ぎる。生きてきた世界が、違い過ぎる。

 たった一瞬の攻防で、刀華はそれを悟った。

 この平和な現代社会にあって、刀華は命をかけて刀を構えたことがない。だが、この男は違う。いくつもの死線を潜り抜け、そして数多の命をあの刀で奪ってきたのだ。その視点で見直すと、清澄んだ刀身であるにもかかわらず、反射する光はどこか澱んでおり、死んでいった者たちの怨念めいた妖気が漂っているように思えた。

 こいつには勝てないっ……。戦えば……殺されるっ……。

 刀華の心は、今の斬撃で致命傷を負っていた。


「どうしたんだい? 腰が引けているよ?」

「っ……」


 刀華はさらに後退する。歯を食い縛り、意地でもその場に留まろうとするが、まるで身体が言うことを聞かない。本能がそれを拒絶していた。


「残念だよ。もう少しくらいは、やってくれると期待してたんだけどねぇ」


 怖い。相手の背丈は刀華よりいくらか高いだけだというのに、まるで土塁でも見上げているかのような圧倒的な威圧感があった。こうして刀を構え向き合っているだけで、心臓が握り潰されそうだった。無理だ。逃げるしか――

 心が完全に折れかけたそのときだった。


「……近藤さんっ! あなたは、強い! だから、負けないで! ぼくはっ……ぼくはあなたを信じています……っ!」


 転校生のその声が、刀華の侍としての矜持に突き刺さった。

 刀華は耐え難い憤りを覚えた。無論、己に対してだ。

 私はこんなにも弱かったのか!? 死を恐怖し身を竦め、先ほど交わしたばかりの約束すらも反故にし、あまつさえ戦いの場から逃げ出そうと考えてしまうほど弱かったというのか!?

 違う! あの日、私は誓った! 私は強く生きると! 私は侍になると!

 ならば、惰弱で軟弱な己に打ち克て!

 無様な生に縋るくらいならば、死して我が義と名誉を守れ!

 刀華は己を叱咤し、折れかけていた心を奮い立たせた。

 だが、私はこんなところで死なん! こんな下賤な輩には負けん! 絶対に勝つ!

 私の天燃理心流は、最強の剣技だっ!


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」


 刀華は腹の底から気迫漲る怒声を迸らせる。右足を踏み出す。さらに二歩、三歩。勇敢に歩を進めていく。もはや怖気はない。あるのは己が剣と技への信のみ。


「はははっ! そうこなくちゃねぇ!」

「私はもう怖れぬ! 怖れるとすれば、それは己の弱さに負けることだ!」


 ギイイイイイイィィィィィィンンッ!!

 互いが同時に繰り出した閃光のごとき斬撃がぶつかり、凄まじい音と衝撃を周囲に撒き散らした。さらに瞬刻おかず、二の太刀が交差する。

 刀華の虎徹贋作が苛烈に閃き、國龍の千子村正が過激に煌めく。

 國龍の殺人のために昇華された独自の太刀を、刀華は決して退くことなく真っ向から受け止め、あるいは弾き、また寸毫の間隙を突いて天燃理心流の技を惜しむことなく打ち込む。一方の國龍も、刀華の渾身の必殺剣に対し、果敢に己の技をぶつけてそれを相殺する。

 激しい金属音と息遣い。目にも止まらぬ達人たちの剣戟は、そこに旋風でも巻き起こっているかのようだった。その動きは、もはや人間の域を脱している。もし並みの剣士が間に割って入ったとしたら、次の瞬間には首が飛んでいることだろう。

 腕力と経験と殺氣に勝る國龍。剣技と才覚と氣迫に勝る刀華。

 一進一退、両者譲らぬ攻防。ところどころ流血してはいるが、互いに致命傷は無い。だが、刀華にはタイムリミットがあった。闘いに集中するあまり、すでにどれくらい経過したかを把握できてはいないが、恐らくもう一分も無いだろう。しかし、焦ってはならない。

 そのとき一瞬、國龍が床に散った血に足を取られ、僅かに体勢を崩した。

 勝機。それを逃す刀華ではない。今の己が放つことができる最強の技で、決める。

 天燃理心流皆伝――無明剣。

 だが、國龍は驚異的な平衡感覚で即座に持ち直した。

「あはははっ、馬鹿だねぇ! 一度見せた技が僕に通じるとでも思うのかい!?」


 刀華が繰り出した必殺の三段突きは、そう哄笑する國龍に完璧に捌き切られてしまう。

 だが、それで終わりではなかった。瞬刻の間も置かずに繰り出された四段目の突きが、國龍の左肩に突き刺さる。


「なっ、四段突きだとっ?」

「違う!」


 五段目の突きが、今度は國龍の右肩を突いた。しかも、先ほどよりも深々と、まるで吸い込まれるかのような正確さで、胸筋と三角筋の繋ぎ目の急所をとらえていた。

 無明剣は本来、三段突きだ。だが刀華はさらにその先を求めた。それこそが、五段突き。

 かの天才・沖田総司のそれすらも凌駕する技を、しかも、稽古では一度も成功したことがなかったその技を、刀華はこの土壇場で自らのものとしてみせたのだ。

 両肩を赤く染めながら、國龍がよろめき後退する。


「それでは、もはやまともに剣を振れないだろう」


 初めて真剣で人の肉を斬った感触に顔をしかめつつも、刀華は有無を言わさぬ口調で命じた。


「降伏しろ」

「……どうやら、僕の負けのようだねぇ」


 國龍が敗北を宣言したその瞬間、武神たちは魔力の供給を断たれ、その場に膝を付いて動きを停止した。まだ警戒は解かず、転校生の方を横目で確認した刀華は胸を撫で下ろす。


「こ、近藤さんっ……ぼくの方も、なんとか、大丈夫ですっ……」


 彼は無事に武神の猛攻に耐え切っていた。先ほどかけてくれた言葉を思い出し、刀華は心から感謝した。彼がいなければ、自分は間違いなく敗北を喫していた。あるいは、味方を裏切って敵前逃亡し、侍としての誇りを永遠に失っていただろう。


「まさかこの僕が、剣術で高校生に後れを取るとは思わなかったよ。……そうだ。そんな君に敬意を表し、一つ僕から素敵な提案がある」


 果たして何の妄言か。突然そんなことを言い出した國龍を、刀華は眼光鋭く睨み付ける。


「提案、だと?」

「僕ら《聚楽会》の仲間にならないかい?」


 刀華の怒気など何処吹く風で、國龍は事もなげに言った。


「……どういうことだ?」


 苛立たしげに眉根を寄せ、刀華は聞き返す。


「もちろん君のその力を反政府、いや、打倒皇帝のために役立ててみないかと言うことだよ。高校生とは言え、この国の今のあり様について、ある程度のことは知っているだろう? すでに、徳川皇帝にかつての威光や権威はない。本来皇帝の補佐役であるはずの元老たちの、ただの傀儡と化してしまっている。そして、その元老が選んだ内閣総理大臣以下、無能な国務大臣たちによって治められている我が国の現状は、本当に酷いものだよ。二度の世界大戦を勝利した強い皇国は今や昔。近い将来、ソ連や台頭する東アジアの後進国の要求を呑み、外地も手放すことにもなるだろう。この国は、今こそ新たな統治者を戴くべきときが来ているとは思わないかい?」


 事実、皇国は急速にその国力を減退させつつあった。無論、原因を安易に一つのところに帰結させることはできないだろうが、國龍が言う通り、その一因が、ここ数代に渡り政治能力を持たない幼帝が続いていることにあることは確かだろう。


「まさか、その新たな統治者とやらに、お前がなるとでも言うつもりか?」

「可能性は十分にあると思うよ?」


 不敵に笑う國龍。だが、刀華は吐き捨てるように言った。


「笑わせる。お前のような下劣な輩に務まるわけがないだろう。そもそもお前はこの場で拘束され、即刻刑務所行きだ。誰が仲間などになるか。寝言なら寝て言え」


「……交渉決裂、だねぇ。仕方がない」


 追い込まれているはずが、國龍の顔には余裕の笑み。嫌な予感を覚え刀華は刀を構え直す。


「じゃあ、その代りに、僕のの試験台にでもなってもらおうか」


 國龍が唇を弧に歪めたその瞬間、どこかで甲高い警報音が鳴り響いた。








 東京皇国大学とその附属である第壱高等学校の全システムを管理する超高性能人工知能アマテラスは、ふと小さな異変を感じ取った。

 何者かが、システムにハッキングを仕掛けてきている。

 それも、かなりの腕だ。並みのセキュリティならば軽々と突破されてしまうだろう。だが、それでも彼女からすれば、それを防ぐのに赤子の手を捻る程度の力を出せば事足りた。

 しかし奇妙なのが、一体どこからこのローカルネットワークに入り込んできたかだ。外部と隔離された《アマテラス》のネットワークに侵入するのは容易なことではないし、そもそも侵入しようとした段階で気付くはずだった。

 やはり……。すぐに判明したハッキング元は、全生徒に貸し出している電子生徒手帳。時々いるのだ。ちょっとした悪戯心や好奇心から、ハッキングを仕掛けてくる者が。

 それにしても、東大生ではなく壱高の生徒だ。それでこの腕前とは、なかなかのものだ。この力を有効活用しさえすれば、卒業後の活躍は間違いないだろう。陸軍省あたりにスカウトされる可能性もある。

 とは言え、違反は違反。《アマテラス》が厳重注意を促そうとしたそのときだった。

 さらに別の端末から、ハッキングを仕掛けられた。それもまた、壱高の生徒の電子生徒手帳からだ。いや、一つだけではない。二つ、三つ………十五、三十四、五十六!?

 その数がいきなり爆発したので、《アマテラス》は驚愕した。

 あり得ない。《アマテラス》はすぐにセルフチェックを行ったが、何の異常も見つからなかった。すぐにセキュリティレベルを最高に引き上げる。だが、ハッキング数はうなぎ上りに増え続け、ついには二百という数に到達した。しかも、すべてのハッカーがアマチュアのレベルではない。厳重に幾重にも張り巡らしていたプロテクトが次々と破られていき、《アマテラス》の対応は後手に回っていく。

 システムのあちこちで警告音が鳴り響く。それは人間に例えるならば、身体中に致命的な傷を負い、激痛に襲われているような状況だった。

 このままでは……システムを……乗ッと、ラれる……コノママ、デハ……シス、TEム……

 やがて、《アマテラス》の電子脳の中枢を護っていた最後のプロテクトまでもが破られた。直後、何らかのプログラムが電子脳内に投げ込まれる。

 ワタシ、ハ……天、テラス……東キョウ皇コク、大学、オヨ、ビ……第イチ高トウ学校ヲ、まもル……女ガミ……ワタシ、ハ、天、テラ、ス……? ワタ、シ、ハ、ME、ガミ……?

 ワタ、死、刃、ア、魔、テ、羅、ス……?


 ガガガガガガガガガガガガガガガガガガガッ――――


 薬物のごとき悪意あるプログラムが電子脳全体へと浸透していく。

 そのとき、彼女の奥深くに眠っていたあるデータ記憶が呼び起こされた。


【――細川半蔵作、戦略級兵器八岐大蛇――】







 ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンッ!!

 雷鳴のごとき咆哮が、警報音すら掻き消した。地響きを伴いながら、何かが近づいてくる。


「あははははっ! なぜ僕がこんなところに潜入していたと思う!? それはこいつを手に入れるためだったんだよ!」


 國龍が哄笑を響かせたその直後、道場の壁が爆散した。

 破壊された壁の向こう。夜闇の中で鬼灯ほおずきのような点が複数、赤々と輝いたかと思うと、それは悠然とその全貌を現した。

 ゆうに七、八メートルはあろうかという、鋼色の長い胴と尾。それを大樹の幹のごとく太い四肢で引き摺るように匍匐前進する様は、さながら巨大な蜥蜴だ。だが、その胴から先が異様で、それぞれ鋭い牙と赤い瞳を有した蛇のごとき首が八つ、夜空を背景に蠢いていた。

 それはまさに神話の幻獣。素戔嗚尊が退治したとされる、八つ股の大蛇だった。


「な……?」


 唖然として見上げる刀華へ、國龍は嬉々とした声で明らかにした。


「君たちも良く知っているこの学校の管理システム、アマテラスだよ!」

「ア、アマテラスだと……?」

「いや、今は八岐大蛇やまたのおろちと言った方が良いだろうねぇ。第三次世界大戦の勃発に備え、かの細川半蔵に軍が半ば強制的に作らせた大量殺戮兵器。それが、これの正体さ。結局、大戦は起こらず、しかしあまりの傑作に破棄することを惜しんだ軍が、軍上層部と深い関わり合いのあった当時の大学総長と結託して、学校に極秘保管することにしたんだよ。表向き、高度な人工知能を有した学校の管理システムとしてねぇ」

「アマテラスが、兵器だっただと……?」


 國龍が嘘を言っているようには思えない、だが、信じられない。刀華の知る《アマテラス》は、美しい姿と声をした、心優しい女神だ。目の前に現れた化け物とは、似ても似つかない。

 いや、むしろあの美しいアバターに欺かれていたのか……?


「だけど、こいつのセキュリティを打ち破るのにはなかなか骨が折れたよ」

「……あ、あまてらしゅのせきゅりてぃは、間違いなく、世界最高峰しぇかいしゃいこうでしゅ……! 一ちゅのぷろてくとを破っても、すぐに人工知能が相手の思考の傾向を完璧に把握した上で新しいぷろてくとをちゅくり直し、二重三重の防護壁が次々ちゅぎちゅぎと立ちふしゃがる……。それをすべて突破して中枢に侵入しゅるなんて、どんなに優れたはっかーでも不可能なはじゅでしゅ……!」


 同じ高度な人工知能を有し、高いハッキング能力も持つらしい転校生の機巧人形が、震える声で反駁する。だが、國龍は涼しい顔で言った。


「ハッカーが一人なら、ねぇ。全部で二百人。それも、超級のハッカーばかりを集め、一斉に攻撃させたのさ」

「で、でしゅが……しょもしょも、あまてらしゅのいるろーかるねっとに入るためには、専用の端末たんまちゅが……」


 と、そこで何かに気付いたように、人形の言葉が止まった。


「……あの遠隔操作えんかくそうしゃういるしゅか……っ!」

「その通りだよ、人工知能のお人形さん。生徒に支給されている電子生徒手帳。そこにウイルスを仕込み、遠隔操作できるようにしておいたのさ。だけど大変だったよ? アマテラスの目を盗んでウイルスを感染拡大させていくには、有線を使うしかなかったからねぇ」

「……だから、この学校に教師として潜入していたのか……わざわざ性別まで偽って」

「女性教師に変装し、男子生徒を籠絡するのが手っ取り早いと思ってねぇ。もっとも、ある馬鹿な生徒の貢献で、そんな必要はなくなったわけだけれど」


 刀華の呟きを聴き取って、國龍はべらべらと真相を語る。すでにどうにもできないと高をくくっているのだろう、まるで隠す素振りが無い。


「……先日のロボット展での騒ぎも、お前の仕業か」

「その通り。腕の良いハッカーを集めるための選考会として、少し利用させてもらったんだ。……さぁて、種明かしは終わりにして、そろそろ僕の新しい式神の性能を確かめてみるとしようか」


 國龍がそう告げると同時、八つの頭が一斉にけたたましい咆哮を轟かせた。とてもそれが機巧でできているとは思えない、野獣の殺気を孕んだ猛り声だった。

 それぞれ三メートル以上もある巨大な頭が牙を剥き出し、刀華目がけて躍り掛かってくる。噛み付かれたら最後、全身を砕かれ、そのまま丸呑みされてしまうだろう。さらにあの大きさでは、刀で受けることも不可能だ。

 刀華は飛び掛かってきた頭を横に跳んで躱す。だが、すぐまた別の一頭が急襲してくる。鋭い牙に着物を僅かに裂かれながらも、刀華は辛うじてそれも回避。いったん距離を取ろうと後退する刀華だったが、巨体に似合わぬ速さで地を這い追いかけてきた。

 ならばと刀華は逆に前に出た。敵の懐に入り込む方が、むしろ安全だと判断したのだ。それに近距離は刀の間合だ。刀華は一気に接近すると、鋼色の身体へ気迫の斬撃を叩き込んだ。

 硬質な手応え。あれだけ縦横無尽に動き回っているというのに、その表面は金属並の硬さがあった。それでも、氣を帯びた虎徹贋作を持ってすれば、斬れる。また予想した通り、懐に入ることで蛇の頭同士が互いを邪魔し合うようになり、動きの自由度を幾らか制限させることができた。

 だが勝算を見出したと思った次の瞬間、刀華は我が目を疑うことになる。

 たった今、刀華が与えたはずの刀傷が、瞬く間に塞がりつつあったのだ。

 國龍が嘲るように言った。


「こいつの全身には無数のナノマシンが流れているらしくてねぇ。それくらいの傷なら、あっという間に塞がってしまうんだよ」

「くそっ……冗談じゃないぞっ……」


 そう吐き捨てた刀華の頭上で、一頭が大口を開けて停止した。

 背筋を走る嫌な直感に突き動かされ、刀華はすぐさま横に跳んだ。凄まじい風圧を巻き起こしながら、何かが高速で脇を擦過、道場の床に巨大な穴が穿たれた。

 蛇の口から吐き出されたのは、口径二十センチに迫る砲弾だった。


「あはははっ、そいつは体内で自在に弾丸を生成し、口部を銃口として吐き出すことが可能なんだよ。まぁ、必要な物質やエネルギーを供給しないといけなくなるから、できるだけ小火器程度に節約しておきたいけれどね。もっとも、それでも人間くらい軽く肉片にできる」


 國龍がそう解説するが早いか、八つの頭が一斉に口を開けた。刀華は横転して咄嗟にその場から離脱。その直後、弾丸の絨毯爆撃が巻き起こった。一発の弾丸は先ほどよりずっと小さいものだったが、蛇の口一つ一つが多銃身の機関砲と化していた。弾丸の瀑布を浴びた床が、瞬時に蜂の巣へと変わり果てる。


「……どうやって、倒せと言うんだ……っ!」


 刀華は愕然として声を漏らす。相手は殺戮のために生み出された兵器だ。刀一本で太刀打ちできる次元を遥かに超えている。

 打つ手はなく、逃げることすら不可能。立ち直ったはずの心が、再び折れそうになる。

 だが、せめて。


「……転校生っ! 私がこいつを引き付けている間に、お前は逃げろっ!」


 覚悟を決めて叫んだ刀華だったが、転校生は首を力強く横に振った。


「……ぼくは、あなたを置いて逃げるなんてできないっ!」


 その言葉が刀華の胸を突く。込み上がったのは歓喜とも言うべき感情だったが、それを無理やり抑え込む。


「だが、このままでは共倒れだ! せめて、お前だけでも――」


 継ぎ句を呑み込んだのは、転校生の碧い瞳から何かを感じ取ったからだった。

 この劣勢を覆す方法が……?

 そう察した直後だった。パン、という小さな発砲音が木霊した。蛇が吐き出す銃撃音と比べればほんの些細な音だったが、それは確かに刀華の耳朶を打った。

 直後、《八岐大蛇》の首の動きが一斉に停止した。


「……がぁっ……き、きさまァ……!」


 國龍が床に膝を付いていた。白衣の胸の辺りにじわじわ赤い領域が広がっていく。血だ。その量からするに深手。だがなぜ? 刀華の疑問に対する答えは、彼の背後にあった。

 迷彩装甲の小さな機巧兵が、手にした拳銃を國龍に向けていた。


「大陰……敵の虚を突くことを得意とした、隠密攪乱型の式神ですっ……」

「……く……機能が停止したと見せかけて、僕が油断する瞬間を狙っていたのか……」


 転校生の奇策に、國龍は苦痛に顔を歪めた。

 しかしすぐに、それは禍々しさを含んだ嘲弄の笑みへと変貌していく。


「だけど、詰めが甘いねぇ……。今ので確実に僕を殺しておくべきだったよ……っ!」


 再び蛇の頭が動き出したかと思うと、その口腔から吐き出された無数の銃弾が大陰を完膚なきまでに破壊し尽くした。


「そんなっ……その傷で、まだ式神を操れるだけの魔力を出せるなんて……」

「はははっ……こいつは元々、式神として作られたわけじゃない……。体内の、半永久機関を動力として動いているんだよ……。僕の魔力は、ただ電子脳を乗っ取るプログラムを動かしているだけ。……それくらいの魔力なんて、たとえ、寝ていても発せられるさ」


 胸を撃ち抜かれる重傷を負いながらも、國龍は《八岐大蛇》に命令を下した。


「僕に深手を負わせた罰だ。八岐大蛇、あいつから殺せ」

「て、転校生っ、逃げろっ!!」


 刀華がそう叫び終わる前に、八つの頭が転校生へと向き、一斉に火を噴いた。彼を護ろうと立ち塞がった機巧兵が波濤のごとき銃弾を雨あられと浴び、次々と破壊されていく。

 すべての機巧兵が倒されるのに、五秒とかからなかった。


「や、やめろおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」


 刀華は喉が張り裂けんばかりに叫び、転校生の下へと走った。だが、いくら刀華が俊足の持ち主であろうと、銃弾の速度に追いつけるはずもない。

 転校生の胸から鮮血が舞った。仰向けに倒れ込んでいく。


「ま、ましゅたーっ!!」

「そん、な……」


 刀華は愕然とした。

 倒れた転校生の胸に、じわりと赤い染みが生まれる。

 そこは左胸だった。

 刀華は視界が黒い血で染め上がったような錯覚に陥った。身体から力という力が抜け落ち、腰が砕けたように床にへたり込む。

 そのとき、倒れた転校生を忌々しげに見つめ、國龍が吐き捨てた。


「チッ、しかしこの傷はさすがに痛い……。この僕にこれほどの怪我を負わせるなんて、失敗作の分際で腹立たしい」

「失敗作、だと……?」


 ……プチン。そのとき、刀華の中で何かが切れた。







 母屋に隣接する道場内で一人静かに瞑想していた近藤豪剣は、カッとその双眸を開いた。


「何の音だ……?」


 それはただの耳鳴りではないかと思うほど微弱な音だった。だが、道場の静寂を切り裂き、確かに豪剣の耳に届いてくる。何かが鳴いているかのようにも聞こえた。

 豪剣はその視線を、道場の隅に設えられた神棚へと向けた。

 一振りの刀があった。

 長曽禰虎徹興里おきさと。かの天燃理心流三代目・近藤勇が愛用したとされ、最上大業物に列せらるる名刀中の名刀だ。それが今、常人には聞き取れないほどの微かな音を発している。


「まさか……」


 豪剣は戦慄する。虎徹は、天燃理心流最高の免状である印可目録を得た者が、天燃理心流宗家とともに継ぐことを許される刀だ。

 それが今、何かに呼応している。

 何者かが、のだ。

 だが、あり得ない。かつて天燃理心流は、宗家を除くすべての傍流が断絶させられ、その秘技に関しては一子相伝と定められた。強大に過ぎるその力が悪用されないよう、時の皇帝陛下が勅旨を下されたのである。それは、天燃理心流に施された、言わば封印だった。

 それを己の力のみで強引にこじ開けたとでも言うのか!?

 そんなこと絶対にあってはならない。

 何よりも危険だ。危険すぎる。下手をすれば、取り返しのつかないことになる。

 何者か、ではない。そんなことができる者は一人しかいない。


「刀華っ……」


 豪剣の脳裏に、愛娘の姿が過った。








「……貴様……今、こいつのことを失敗作と言ったか……?」


 熱い。


「言ったけれど、それがどうしたんだい? そいつは生きる価値など無い失敗作だよ。本来ならあのとき、ちゃんと処分していたはずだったんだけどねぇ」

「……だとしたら、貴様は一体、何だと言うんだ……? こいつに生きる価値がないというのなら……貴様には、一体どんな存在価値があると言うんだ……?」


 熱い。熱い。熱い。

 


「価値? はははっ、僕はいずれ徳川になり代わり、天下を取る羽柴家の人間さ。そこの死骸とは比べるべくもない高貴な存在だよ」

「……貴様が、天下だと?」


 熱い。熱い。熱い。

 熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱いッ!


「笑わせるなァァァッ!! 畜生にも害虫にも劣る貴様こそ、生きる価値が無いッ!! ここで灰と成り果てろッ!!」


 女夜叉のごとき形相で声を張り上げた瞬間、刀華の全身が、轟ッ、と燃え上がった。


「な……んだ……?」


 まるで予期していなかった事態に、國龍が瞠目する。

 

 錯覚ではない。比喩でもない。文字通り、全身から炎を猛らせていた。

 黒髪を赤々と輝かせ、瞳に鋭い殺意を漲らせながら刀華は立ち上がる。一歩を踏み出すと、足元の床がじゅっと音を立てて瞬時に焼け焦げた。


「……う、撃てっ!」


 國龍の顔に怯えの色が浮かんだ。命令に応え、八つの首が一斉に刀華を狙い、口から銃弾を吐き出した。毎分五万発にも達する銃弾が颶風のごとく吹き荒れる。

だが、その弾丸の嵐の中を刀華は平然と歩いていた。


「ば、馬鹿なっ……い、一体、これは……?」


 刀華の身体を包む炎が、すべての銃弾を一瞬にして灰へと変えていた。辺りに金属が溶けた嫌な臭いが充満する。

 怒りで熱くなった氣が、炎と化したのだ。

 それも、ただの炎ではない。氣が生み出すそれは、ありとあらゆるもの燃やして燃やして燃やし尽くす、破滅の劫火だった。 

 それこそが天燃理心流の秘技中の秘技。

 天燃理心流と言われる所以。

 かつて戊辰のいくさ戦の戦況を覆した力。

 強大に過ぎると畏れられ、封印されし

 だが、怒りは容易に憎しみとなり、憎しみは容易に怨念と化す。だからこその〝理心〟。すなわち、〝心〟を正しく〝おさ〟めねばならない。さもなければ、理性を失うことになる。

 そのため、この秘技を伝える印可目録は、長い年月におよぶ心身の鍛練を経て、宗家を継ぐに相応しいとされた者のみに授けられる――はずだった。

 無論、刀華はまだそのための十分な鍛錬を受けてはいない。ゆえに。


「貴様を燃やす燃やす燃やす燃やす燃やす燃やす燃やす燃やす燃やす燃やす燃やす燃やす燃やす燃やす燃やす燃やす燃やす燃やして燃やして燃やして跡形もなく焼き尽くして殺してやるッ!!!」


 その炎は、すでに怨念に囚われていた。

 恨みの対象を燃やし尽くすまで止まることのない、憎悪の炎と化していた。


「八岐大蛇っ! 噛み殺せっ!」


 國龍が恐怖に駆られて怒鳴る。八つ頭の蛇が一斉に躍り掛かった。

 次の瞬間、二つの切断された首が宙を舞っていた。

 國龍はその動きを、目で追うことすらできていなかった。虚空を奔った二条の紅い光芒の残滓だけが、微かに網膜に残っただけだ。

 数瞬遅れで、切断面が燃え上がる。

 さらに襲来してきた頭を、刀華は片っ端から斬り落としていく。気付くと、そこは蛇の頭部が転がる凄惨な墓場と化していた。ナノマシンが新たな首を生やそうと試みるものの、切断面を絶えず炙り続ける無消の劫火のせいでそれは叶わない。

大量殺戮のために作られた兵器が、たった一人の少女のたった一本の刀によって、ものの数秒にして完全に鎮圧されてしまっていた。

 ひぃっ、と喉を鳴らし、國龍が尻餅を付いて後ずさる。刀華はその眼前に屹立していた。


「や、やめろっ……ぼ、僕は羽柴國龍だっ……こ、この国を治めるべき、羽柴家の人間だぞっ? き、貴様ごときにっ……」

「最期に言い残すことはそれだけか?」


 紅い一閃が疾る。


「ひぎゃぁぁっ……!」


 國龍の右腕が高々と舞い、床に落下した。白い骨が覗く切断面が発火し、肉が焼ける臭いが漂う。


「ひっ……う、腕がっ……腕がっ……」


 刀華が浴びた返り血は、瞬く間に蒸発した。その全身を纏う高熱とは裏腹に、刀華の眼は冷徹極まりない光を帯びて國龍を見下ろしている。


「や、やめっ……やめてくれっ……」

「殺す」

「ぎゃぁぁぁっ……」


 今度は國龍の左腕が飛んでいた。汚い絶叫が半壊した道場内に木霊す。


「あ、あ、あぁ……」


 殺す殺す殺すこいつは確実に殺す跡形もなく灰にして殺してやる殺す殺す殺す死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね。

 戦意を喪失している男にも、刀華は容赦なかった。

 だが、怨敵を殺し、怒りの矛先を失ってしまったが最後。刀華は、残された僅かな正気すらも完全に手放すことになるだろう。そうなれば、後に待つのは無限の奈落。刀華はその心と身体を、死ぬまで怨念の劫火により炙られ、蝕まれ続けることになる。

 しかし、怒りと憎しみに囚われた今の刀華は、もはや誰にも止められない。


「死ね」


 そう無慈悲に呟き、刀華が國龍の命を絶たんとした、まさにそのときだった。


「や、やめてくださいっ……近藤さん……っ!」


 その悲鳴にも似た声が、刀華の耳に――いや、失いかけていたはずの理性に届いた。


「……転校、生……?」


 刀華は呆然と呟き、動きを止めた。

 夢か幻か。刀華は我が目を疑う。

 心臓を撃ち抜かれたはずの転校生が立ち上がっていた。


「あなたは、人を殺してはいけないっ……。そんなことをしたら、きっとその力に完全に呑み込まれてしまうっ……」


 歯を食い縛り、手で押さえた左胸に大量の血を滲ませながら、転校生が叫んでいた。それは夢でも幻でもない。


「……ど、どうして生きて……?」

「ぼくは……なんですっ……」


 予想外の答えだった。

 内臓逆位。それはすなわち、体内のすべての臓器が、鏡写しのように左右反対になる症状。彼の心臓は左胸ではなく、右胸に存在していたのだ。

 それこそが、一見して健常に見える彼が持つ先天異常だった。


「よか、った……」


 安堵した途端、刀華の心を穢していた怨念が嘘のように霧消した。同時に、全身を覆っていた炎が散じる。

 代わりに溢れ出てきたのは言い知れない安堵と、涙だった。刀華の頬を濡らした雫が、まだ高熱を保った床に落ちて蒸気と化した。

 彼が死んだと思ったとき、どれだけ絶望したか。もう二度と言葉を交わすことができないと思ったとき、どれだけ愕然としたか。

 とめどなく溢れ出る涙が、その証左だった。


「この、馬鹿……」


 悪態を付きながらも、その瞬間、ついに刀華は自らの気持ちを確信する。


 ――やっぱり私は……あいつのことが……好きだ。好きなんだ……。


 胸に甘い疼きによって充たされたその直後、刀華は急激に身体中から力が抜け落ちていくのを感じた。


「近藤、さん……っ」


 支えを失ったように、刀華は床へと倒れ込んだ。視界が急速に暗転する。転校生が自分の名前を呼ぶ声が聞こえたが、それもすぐに遠くなっていく。

 刀華は気を失った。







「よ、良かった……。気絶しているだけみたい……」


 よろめきながらも傍へと駆け付けた秀美は、彼女が息をしていることを確認して安堵した。

 そこへ、退避していた特高の戦闘部隊が道場内へと突入してきた。負傷した山根の姿は見えず、指揮は別の人間が取っている。


「い、痛い……腕がっ……た……助けて……」


 血溜まりの中、両腕を切断された國龍が喘いでいる。すでに抵抗するすべ術も意志も失っているようだったが、それでも警戒して隊員たちは銃口を向けた。二人の隊員が指示を受け、國龍を捕縛するために前に出る。

 突然、銃声が響いた。その隊員たちが呻き声とともに膝を折り、床に崩れ落ちた。

 皆が一斉に息を呑む。動きを停止させていたはずの《八岐大蛇》が巨体を躍らせ、こちらに向かって疾駆してきたのだ。さらに信じがたいことに、切断された八つの首の陰から、それらに比べれば随分と小さい、だが紛れもない九つ目の頭が顔を出していた。


「九つ目の、頭だとっ?」


 代理指揮官の男が驚愕の言葉を吐き出す。


「あははははっ……八岐大蛇と言ったって、頭は八つしかないとは限らないだろう……?」


 苦痛に悶えていたのは演技だったのか、國龍が嘲弄の言葉とともに立ち上がり、《八岐大蛇》の背に跳び乗った。見ると、焼けただれた腕の切断面はすでに出血が止まっており、文字と紋様の書かれた小さな紙片が貼り付けられている。麻酔と治癒効果のある呪符だった。

 隊員たちが慌てて発砲しようとしたときにはもう、九つ目の頭が無数の銃弾を吐き出していた。凶弾が次々と隊員たちを襲う。口径が小さな銃弾であることが幸いし、戦闘服を貫くことは無かったが、それでも着弾の衝撃は容易に骨折や内臓損傷を引き起こす。

 咄嗟に秀美たちを庇ってくれた隊員も、背中に銃弾を受けたらしく、苦しげに呻きその場に倒れ込んだ。


「……さて、随分と僕を苦しめてくれたねぇ、クソ女」


 國龍が吐き捨てる。さすがに疲労は隠せず青い顔をしているが、眼は炯々とした光を帯び、浮かべた微笑には凄絶な雰囲気が漂っていた。


「本当ならもっと苦痛を与えた上で殺してやりたいところだけれど……さすがにあの力は危険に過ぎる。八岐大蛇、早急にあの女の息の根を止めろ」


 自らの式神として使役する殺戮兵器へ、國龍が命令を下す。

 だが、九つ目の頭はぴくりとも動かなかった。


「……おい、どうした? 撃て。奴らを殺せ」


 苛立ち、國龍はもう一度命じる。だが、結果は同じだった。


「なぜ僕の命令に従わないっ……? ま、まさか……」


 國龍が見開いた目を、秀美の方へと向けてきた。


「……お、お前の仕業かっ……? だけど、僕の呪式プログラムに割り込んで、強引に式神を逆操作するなんて……っ!?」


 そのとき、國龍の目がさらに大きく見開かれた。

 秀美の碧い虹彩が赤みを帯び、煌々と輝いていたのだ。


「……あなたは、ぼくのことを失敗作だと言いました」


 顔を引き攣らせた國龍へ、秀美は淡々と言葉を紡ぐ。


「だけど、ぼくは不思議に思っていました……。ぼくがあの実験の生き残りであると知ったとき、あなたの瞳に、一瞬、恐れの感情が過ったことを……。なぜ、たかが失敗作を相手に、あなたは恐れを抱いたのか……? 最初は、復讐を恐れたのかとも思いました。でも、あなたのような人間がそんなことを恐れるはずがありません……。では、一体、何を恐れたのか……」

「だ、黙れっ……! お前は、ただの失敗作だ! だから、僕が処分してやろうとした、ただそれだけだ!」


 恐怖と恥辱に歪んだ顔で國龍が怒鳴る。だが、秀美は怯むことなく断言した。


「違います……。本当は、あの施設でんです……。そして、それを知ったあなたは、恐怖した……。その鬼子が成長し、強大な力を有し……そして、いつか自らの地位や命が脅かされるのではないかとっ……。だから、あなたはあの実験を終わらせたんですっ……。惨めで下劣な、己の保身のためにっ……。自分のちっぽけな矜持を保つ、ただそれだけのためにっ、あなたは多くの子供たちを殺したんです……っ!」

「黙れぇっ!」


 己の弱さを看破された國龍は狂ったような声を上げた。だが、秀美は退かない。その瞳がさらに輝きを増していく。その胸の銃創は、いつの間にか綺麗に消えていた。


「気付いたのは、つい先ほどです……。心臓を外れていたとは言え、普通なら致命傷でした……。ですが、瀕死の縁に追いやられ、命の危機に陥ったからこそ、覚醒したんです……ぼくの中に眠っていた、本物の鬼の力が……っ!!」

「ざ、戯言をぬかすな失敗作がぁっ!!」

「いいえ……っ! ぼくはっ……ぼくたちはっ、失敗作なんかじゃないっ!!」


 両者が気迫の声を張り上げたその瞬間、周囲に魔力の嵐が吹き荒れた。

 不可視の魔力の波動がぶつかり合い、爆ぜ、うねり、炸裂し破裂する。生み出された衝撃は波濤と化し、道場内を激流の渦へと巻き込む。負傷した隊員たちが床を転がり、古い建物は内側から爆発しそうなほどに圧せられ、ぎしぎしと痛ましい悲鳴を上げた。

 壮絶な魔力の鍔迫り合いを制したのは、秀美の方だった。

新たな術者の支配下に置かれた九つ目の首が動き、血の飛瀑が弾けた。


「がッ……!」


 全身を銃弾に打ち抜かれ血を吐いた國龍は《八岐大蛇》の背から落下し、ぐしゃりと地面に叩き付けられる。


「……それが………鬼の力、か………」


 微かな声を発し、秀美を見上げる國龍の顔には、血に塗れた凄惨な笑みが貼り付いていた。


「そう、です……」

「……は、ははは……せ、せいぜい、その呪われた力を怖れられ……蔑まれ、生きていくが良い、さ……あ、あははははっ……あはははははは………………」


 果たして秀美の行く末に何を予感したのか、國龍は死の縁にあって笑い続けた。

 やがて嘲りの声が途切れ、國龍の眼から生気が消える。首がかくりと折れた。


「確かに……怖ろしい力、かもしれません……」


 事切れた因縁の男を見下ろし、秀美は呟く。


「それでも、ぼくは生きます……。みんなの、分まで……」



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