第三章 機巧乱舞

 刀華が小学三年生だったときのことだ。

 当時、すでに父親から天燃理心流の稽古を受け、その類まれな天稟を現していた刀華だったが、今からは考えられないくらいに大人しく、気の弱い子供だった。

 だから、同じクラスの女の子が周りからいじめにあっていることを知っても、刀華には何もできなかった。彼女の味方をすれば自分までいじめの対象となるだろうし、担任に告げ口をしても報復が怖い。

 仕方ないのだ。刀華はそう自分を納得させつつも、彼女の境遇に心を痛めていた。

 だがある日、帰り道で偶然一緒になった当の彼女はあっけらかんと笑い刀華にこう言った。


「あー、大丈夫大丈夫。だって、うち士族やから。こんなんで負けへんよ。そもそも、自分から士族やって宣言したせいで、いじめられるようになったわけやし」


 刀華は目を瞠って驚いた。

 刀華が生まれ育った京都は、かつてのこの国の君主を戴いていたという土地柄ゆえか、徳川天下の江戸の時代にも武士を恐れぬ気風があった。その風潮は未だ根強く残り、士族に対する差別感情を抱く人もいる。そのため、学校で士族の子供がいじめの対象となることも多いことから、普通は刀華のように士族であることを明かさないものだった。


「でも、後悔はしてへんよ。だって、侍ってやっぱ誇りやんか? それをひそひそ隠しとるなんて、うちには余計に辛いわ。もっと堂々としとればええねん」


 刀華は目から鱗が落ちる気分だった。そして、彼女のことをかっこいいと思った。自分の生き方に忠実で、誇りを持っていて、なにより、強い。それに比べて自分は……。

 そんな彼女のようになりたいと、侍のように気高く生きたいと、刀華は心から思った。

 後日、刀華はクラスメイト達の前で、自分が士族であると明言することになる。

 それは、過去の弱い自分との決別宣言だった。





 障子の向こうから差し込んでくる柔らかな朝の陽光で、刀華は目を覚ました。


「ん…………んんっ?」


 普段の朝とは違う光景に、一瞬、自分がどこにいるのか分からなかった。どうやらリビングのテーブルの上に突っ伏して眠ってしまっていたらしい……のだが、そのテーブルが見慣れたそれではない。テーブルの下に敷いてある絨毯の色も違う。

 なにより目の前に、銀色の髪の少女――に見える少年が俯せている。


「ああ。……ここは、こいつの家か」


思い出した。昨晩、刀華は転校生の部屋に押しかけた。そしてこのテーブルで向かい合って座り、一連の出来事について問い詰めていたら、転校生がうつらうつらし始めたのだ。


『すぅすぅ』『おい寝るな』『っ? ……す、すいません、あ、あまりにも、眠く、て……すぅ……』『ほら、また!』『はうっ……ごごご、ごめんなさい……』『さっきはなぜ逃げた? 酷いではないか』『すぅすぅ……』『おい!?』『申し訳ごじゃいましぇん。ましゅたーはちゅかれておられるのでしゅ』『それはそうかもしれんが、一対一で話しているときに寝るにゃどそほそほ………』『近藤しゃま?』『……はっ? ……い、今のは違うぞ!? ちょっと瞼を瞑っていただけだからなっ』『そうでしゅか……?』『だっ、だいたいだな! こんな夜遅くに、人の家に押しかけるというのがそもそも……いや待て、それは私の方か……うむ、いかんな、眠くて頭が……まわ……ZZZ……』


「そして、今に至る、のか……」


 かなり疲れてはいたが、しゃべりながら眠ってしまうとはなんたる不覚だろうか。しかも、クラスメイトの男子の家に泊まってしまうとは。……とは言え、転校生が晒している無防備な寝顔はいっそう幼くて、とても同い年の男子には見えないが。

 しかし、不意に昨晩の光景が刀華の脳裏を過る。目の前の庇護欲すらそそられる顔からは想像もできない戦場に、彼は身を投じていたのだ。

 あのとき、刀華は思った。

 強い、と。

 どき……。不意に刀華は、微かな胸の疼きを覚えた気がした。

 なんだ……今のは……?


「おはようございましゅ、近藤しゃま」

「はふっ!?」


 急に声をかけられて、刀華はなんとも恥ずかしい声を出してしまった。

 おかっぱ髪の機巧人形が、とてとてとこちらに歩いてくる。刀華は自分の肩に掛けられた温かい毛布に気付いた。


「お、おはよう。この毛布、お前が掛けてくれたのか?」

「はい。しゃすがに、みことの力では寝台までお運びしゅることができましぇんでしたので、せめて毛布だけでもと思いましたでしゅ」

よく見ると、転校生の肩にも毛布が掛けてあった。

「優秀だな、お前は」

「い、いえいえ、みことはまだまだ未熟者でしゅ」


 人形はそうやって謙遜し、それから、なぜか小さな身体を深く折り曲げた。


「しょれより、昨晩しゃくばんたしゅけていただき、誠にありがとうごじゃいました。近藤しゃまがいなければ、ましゅたーは傷物きじゅものにしゃれていたかもしれましぇん」

「傷物って……」


 果たして男にも使う言葉なのだろうか? あのパターンならあり得るかもしれないが。

 噂をしたせいか、転校生が「ん……」と声を漏らしてゆっくり瞼を開いた。


「あ、あれ……?」刀華を見るなり、転校生は眠そうな目を瞬かせる。「こ、ここは……?」


 どうやら目の前に刀華がいるので、自宅ではないのかと勘違いしたらしい。


「安心しろ、ここはちゃんとお前の家だ。その……昨晩、問い詰めている最中に、お前が寝てしまったんだ」

「あ……す、すいません、でした……」


 転校生は納得と恐縮を混ぜ合わせた顔で頭を下げる。


「それは別に良い。……それより、昨日のあれは一体何だったんだ?」


 今度こそ誤魔化しは許さないという強い口ぶりで、刀華は訊いた。転校生はしばし迷うような素振りを見せる。だが、やがて観念したようにとつとつと話し出した。


「……ぼ、ぼくも、詳しくは知らないんですけど……その……あそこの研究所で、細胞や体組織を強引に変化させる、違法薬が開発されていたらしくて……」

「それで生み出されたのが、あの鬼のような化け物か。じゃあ、檻の中にいた大量の獣は、そのための実験用動物ということか?」


〝実験用動物〟という言葉に、転校生は一瞬その柳眉をひそめて沈黙したが、すぐに頷いて、


「……はい……いずれは、人間にも応用するつもりだったみたいですけど……」

「人間に……」刀華は思わず顔をしかめた。「しかし、何のためにそんなものを?」

「……協力して……いえ、強制されていたんです……。《明治天誅党》っていう組織に……」

「《明治天誅党》? 聞いたことがあるな……。確か、過激な反政府組織じゃなかったか?」

「は、はい……。ぼ、ぼくは、その証拠となる研究記録を手に入れるために、侵入して……」

「なぜお前が? 先日の《血の救世軍》の件もそうだ。誰に指示されてそんなことを?」

「……えっと……ご、ごめんなさい……それは、話せ、ないんです……」


 刀華の核心を突く質問に、転校生は申し訳なさそうに項垂れた。


「……ま、そうだろうとは思っていた」そう言って、刀華はすぐに引き下がる。「安心しろ。話せないと言うのなら、むやみに詮索するつもりはない」


 刀華が予想するには、転校生の背後にいるのは、過激な反政府組織を相手にし、武力行使も厭わないような組織――恐らくは軍や警察などの公的な機関――だろう。だとすれば、これ以上の情報を聞き出すということは双方にとって好ましいことではない。


「お前の身に危険が及ぶような事態は、私の望むところではないからな」

「あ、ありがとうございます……」


 刀華の配慮に、転校生は安堵したように肩の力を抜いた。


「それにしても、まさか隣の部屋に住んでいたとはな。道理で、二度もすれ違うわけだ。誰かと一緒に住んでいるのか?」

「い、一応……妹が……」

「妹? 一体どんな妹だ? ウィンウィンバリバリと、凄い音だったが……」

「……瑠璃は……妹は、機巧いじりが、趣味で……」


 それを聞いて、刀華は顔に驚きを露わにする。


「機巧いじり? まさか、昨日の機巧兵を作ったのは……」

「は、はい……ぼくは機巧式神って呼んでいるんですけど……妹が、作ってくれました……」

「じゃあ、もしかしてこいつを作ったのも……」

「そうでしゅ。みことは、瑠璃しゃまに作っていただきました」

「今、部屋にいるのか?」


 刀華は思わず立ち上がる。興味があったのだ。これほど高度な機巧を作る天才が一体どういう人物なのか。転校生の妹だということは、まだ年端のいかない少女ということになる。


「あ、待ってくだ……」と転校生が制止しようとしたときには、もう刀華は廊下へと出て、一番手前のドアの取っ手を無造作に掴み、回そうとしていた。

 直後、『――無断侵入、無断侵入、即刻撃退します』と、無感情な機械音声が響いた。

 バヂバヂンッ!

「ギャッ!?」と、刀華は汚い悲鳴を上げてしまう。どうやら取っ手に触れた者に、電気ショックを与えるような仕掛けがなされていたらしい。

 そこへ、転校生が足を引き摺りながらやってきた。


「その……妹は、重度の引き籠りで……」

「どんな引き籠りだ!?」


 刀華はしびれた手をさすりながら思わず突っ込む。


「入ってくるなばかにぃ! あほうんこくそむし!」と、中から罵倒の声が聞こえてきた。


「しかも、気難しくて……」

「大変そうだな……」


 兄に向かって、あほうんこくそむしとは酷い。刀華はドア越しに謝罪する。


「すまない。お兄ちゃんじゃなくて、私が開けようとしてしまったんだ」


 返事の代わりに返ってきたのは、壁ドンだった。


「……そ、それはそうと。お前、足、大丈夫か? かなり痛そうだが」

「は、はい……麻酔が、切れちゃったみたいで……」


 転校生の足には包帯が巻かれて、その上に呪符らしきものが貼りつけられていた。それに麻酔効果があるのか刀華には分からなかったが、とにかく病院に行った方が良いだろう。


「……仕方ないな」と呟き、昨晩と同様、刀華は背中を向けてしゃがみ込んだ。


「その足では一人じゃ病院にも行けないだろう? 連れて行ってやるから、とっとと乗れ。近くにこの時間でも診てもらえるところがある」

「で、でも……近藤さんまで、学校、遅刻しちゃいますよ……?」


 不安気に窺ってくる転校生。すでに時刻は七時半を回っており、そろそろ学校に行かなければ間に合わない時間帯だ。

 しかし刀華は平然と告げた。


「気にするな。困っている者を放っておいて学ぶ学問などに、価値は無い」






 病院に行くと転校生の怪我は脛の亀裂骨折と診断された。全治一か月だそうだが、本人いわく現代医療に呪術療法を併用させれば、一、二週間ほどで完治するという。


「魔術に詳しいんだな」

「あ、はい……一応、ですけど……。そ、それより、本当に、良かったんですか……? もう二時間目も、始まっちゃってる時間ですけど……」


 松葉杖を突いてゆっくり廊下を進みながら、転校生が隣の刀華へ心配そうに訊ねてくる。


「大丈夫だ。一限目の柔術は天燃理心流柔術の皆伝も取得している私とって学ぶことなどほとんど無いし、二限目の理科もすでに教科書は一通り読み終えているから遅れる心配はない」


 胸を張ってそう応じた刀華だったが、実は別の問題が待ち受けていた。


「あら。お二人さん、仲良く一緒に登校だなんて。朝から熱いわ~」


 教室に入るなりクラス中の好奇の視線を浴び、さらには理科担当教師の藤原千夏にそんなふうにからかわれてしまったのである。


「ち、違うぞ! 私はただ、こいつが病院に行くのに付き添ってやっただけで!」


 慌てた刀華は、その発言で墓穴を掘ってしまうこととなった。


「病院に付き添った?」「何で近藤が?」「もしかして、二人ってできてるの?」「できてる!? それってつまり……」「さささ産婦人科!?」「しかも、できたのは転校生の方って!?」「本当は性別、逆なんじゃね!?」「マジで!?」「道理で胸が……」


 などという根も葉もない発言が、そこかしこから。道理で胸がと言ったやつ出てこい!


「あらあら。ダメよ、二人とも。まだ高校生なんだし、もうちょっと我慢しなくちゃ」

「だから違うと言っているだろう!?」


 力強く反論する刀華。一方、転校生はもじもじして頬を赤らめている。勘違いを助長させてしまいそうな恥ずかしがり方はやめてほしい。

 まさに四面楚歌だったが、刀華の味方がいた。


「二人の間にはにゃに何もありましぇんでした!」転校生が背中に負うリュックの中から顔を出した機巧人形が、力強く証言する。「ただ同じ部屋で寝ていただけでしゅら!」


 無論、それは追い打ちをかけただけに過ぎなかったが。






 山本新蔵は恋をしている。

 幼い頃から剣術一筋。一に稽古、二に稽古、三、四が試合で、五に稽古。それほど剣術が好きで、恋愛に現を抜かすなど絶対にあり得なかった。間違いなく自分に惚れていると断言できる幼馴染の少女がいても、まるで興味を持たなかった。

 そんな山本が今、ある人物に身が焦がれるような恋心を抱いていた。

 一年七組、近藤刀華。

 最初の出会いは今年の春。入学式の後、第六撃剣部の勧誘のために声をかけたときだった。


『お前が主将か。どうやら壱高の撃剣部も、思っていたほどではなさそうだな』


 そう言われた山本は当然ながら憤った。生意気な新入生め。ならば見せてやろう。拙者の実力を。

 完敗だった。あまりにもあっさりと、まるで赤子でもあしらうかのように敗北を喫し、山本は周囲の笑いものとなった。

 悔しかった。当然だ。新入生に、しかも女に完膚なきまでに敗れたのだ。

 山本はリベンジを誓った。さらに稽古に打ち込み再び勝負を挑んだ。負けた。また稽古をやり直した。挑み敗北し稽古し、挑み敗北し稽古し……。何度も同じことを繰り返した。

 しかしすでに早い段階で、山本は理解していた。彼女はまるで本気を出していない。たとえ何度やったとしても、自分が彼女に勝つことは不可能であると。

 だが、それでも付き纏った。たとえ負けると分かっていても戦いを挑んだ。なぜか?

 それは、彼女に付き纏うことそれ自体に無上の歓びを感じるようになっていたからだ!(←ストーカー)

 ああ、近藤刀華よ、愛しの近藤刀華よ。

 想うだけで山本は胸が苦しくなるのを感じる。

 彼女のすべてを愛している。漆黒の長い髪を。きりっとした眉を。力強い瞳を。凛々しくも年相応のあどけなさを残す顔立ちを。すらりと長い手足を。男勝りな口調を。技の冴えを。鋭い斬撃を。容赦ないご褒美を。


「新蔵! 新蔵! ちょっと、訊いてんのこの馬鹿!」


 バンッと机を叩かれ、半ば恍惚としていた山本は我に返った。

 いつの間にか、山本の机の前に苛立った表情の女子生徒が立っていた。目つきが鋭く、性格がキツそうな印象の彼女は、伊藤紗希。山本の幼馴染だった。


「さっちゃんか。どうしたのだ?」

「その呼び方やめろっつってんでしょうが、マジで虫唾が走るからさ。つーか、あんたのニヤついた顔が食事中に気持ち悪いから、どうにかしてこいって友達に言われたの」

「確かに少し頬を緩めていたかもしれないが、そんなに気持ち悪かっただろうか?」

「むしろ気持ち悪いってレベル越えて、気分悪くて吐きそうになったほどだから。ったく、ただ幼馴染ってだけで、こんな役回りマジで勘弁してほしいんだけど? どうせまたあの一年のこと考えてたんでしょ? 断られたんだし、とっとと諦めろっつーの、クソ女々しい」


 幼馴染に容赦なく罵倒されるも、山本はうんうんと一人納得したように頷いた。


「そうやって拙者と近藤刀華を引き離したいお主の気持ちは痛いほど分かる。しかし、拙者は諦めるつもりなど毛頭ないぞ?」

「はぁ?」


 伊藤は片眉を吊り上げた。道端で嘔吐する酔客でも見るような目で山本を見下ろし言う。


「マジでなに言ってんの? つーか、別に、あんたのことなんて、どうでも良いから。あたしは単にあんたみたいな変態に付き纏われてる彼女のことを心配してんの」

「その心配なら無用だ。なぜなら拙者と近藤刀華は、決して切れることのない運命の赤い糸で結ばれているのだからな」


 山本が陶酔したように言うと、伊藤は呆れと嘲りの笑みを浮かべた。


「へぇ。じゃあ、そんなあんたに良いお知らせがあるわ」

「良いお知らせ?」

「あんたの大好きな近藤さん。つい最近、転校してきた男の子とできてるんだってさ」


 山本は一瞬、目の前が真っ暗になった。






 そんなことあり得ない! 絶対にあり得ない!

 山本新蔵は居ても経ってもいられず、気付くと廊下を全力で駆けていた。一メートル九十近い巨漢だ。大猪のごとき突進に巻き込まれまいと、他の生徒たちが慌てて左右に避ける。《アマテラス》からの警告音が聞こえたが、今はそれどころではない。

 一年七組の教室へと飛び込んだ山本は、すぐに彼女の姿を見つけた。教室中の生徒が何事かと彼に視線を集める中、山本は叫んだ。


「信じている! 拙者は、お主を信じているぞ!」

「……は?」


 目を見張る彼女へ、山本は声をさらに張り上げる。


「お主が拙者以外の男とできているなど、絶対にあり得ぬ! あり得るはずがない! たとえ余人が何と言おうと、拙者だけはお主を信じているぞっ!」

「何を言っているんだ貴様は!?」

「お主を世界で一番愛しているのは拙者だ!」


 相手の問いには応えず、山本は想いの丈をぶつけていく。


「朝起きるときも授業中も稽古のときも夜寝るときも、拙者は常にお主のことを考え続けている! お主の写真を携帯の待ち受けにしているし家のパソコンのデスクトップにしているしベッドの天井にもトイレの壁にも拡大した写真を張っているほどだ!」

「うわ、最悪」「……マジ変態」「やばいとは思ってたけど、これほどとは……」「刀華かわいそう……」「ストーカー被害で訴えた方が良いんじゃね?」


 周囲の侮蔑の視線になど目もくれず、山本はなおも叫び続ける。


「それくらい、お主を一途に愛しているのだ! たとえ少しくらい胸が小さかろうと、そんなことは些細な問題だ!」


 最期の発言が彼女の逆鱗に触れた。


「貴様はいっぺん死んでこいっっっ!!!」

「ぐふぅっ……」


 鳩尾に鋭い正拳突きを見舞い、山本の巨体は廊下まで吹っ飛んで壁に叩き付けられた。気を失いそうなほど素晴らしいご褒美だった。


「あ、あの……だ、大丈夫、ですか……?」


 そのときだった。霞んだ視界に、ふと映る人影があった。

 宝石のような碧い瞳に、幻想的な銀色の髪。そして、心配そうに傾けられたその顔は、驚くほど端麗で。

 一級の美人画が命を授かって出てきたのではないか。あるいは、自分はすでに天国に来てしまったのではないか。そう錯覚してしまうくらい、その少女は美しかった。

 山本は腹に喰らった一撃の痛みすら忘れ、差し出された彼女の手を握り返していた。強く握りしめれば壊れてしまいそうな、紅葉のような小さな手。しかもよく見ると、逆の手は松葉杖を突いていた。自分も怪我をしているというのに、なんて優しい子なのだ。


「お、お主っ……な、名前は……?」

「え? ……あ、あの、えっと……き、木下、秀美、です……」


 木下秀美。薄く柔らかな桜色の唇から紡がれたその名に、山本の心臓が跳ねた。


「せせせ拙者は三年二組、山本新蔵なりっ! 御心配していただき、誠にかたじけなくありがたき幸せ! しかし鍛えているので、これしきのこと至極まっとう大丈夫でござる!」


 山本はおかしなことを口走りつつ、慌てて立ち上がった。


「そそそそれではご機嫌麗しゅうござる!」


 逃げるようにその場を去ろうとしたそのとき、近藤刀華の姿が視界を過った。

 胸が張り裂けそうだった。山本は内心で言い訳じみた言葉を叫ぶ。

 どうか、どうかこの不徳な拙者を許してくれ!

 一途と言ったにも関わらず、拙者は浮気しそうになってしまった!






「……だ、大丈夫……だったの、かな……? 目が、おかしかったけど……」


 遠ざかっていく巨漢の後ろ姿を見つめながら、秀美は心配そうに独りごちた。


「大丈夫っしょ。あのヒト、目どころか色んなところおかしいし」


 秀美の発言が聞こえていたのか、後ろから応じる声があった。

 島津香苗。クラスでも比較的よく話しかけてくる一人だが、やけに馴れ馴れしいため距離感が取り辛く、秀美にとって少々苦手な相手だった。


「それより、木下クン。ちょっと話したいことがあるんだけど、ちょっと時間ある?」

「え? あ……は、はい……」

「じゃあ、ちょっと来てっ」


 半ば強引に彼女に連れられ、秀美はエレベーターに乗り込んだ。やって来たのは屋上で、人工土壌の上に芝生や低木が植えられて整備され、ちょっとした庭園になっていた。


「結構、良い雰囲気でしょー」

「し、知りませんでした……屋上が、こんなふうになっていたなんて……」


 天気が良いからか、この季節にしては暖かく、他にもちらほらと人がいる。空いていたベンチに二人で腰を下ろしたが、よく見ると周りはカップルばかりだった。

島津が悪戯っぽい笑みを浮かべて言った。


「知ってる? ここ、恋人専用だって」

「ええっ?」

「あははっ、うそうそ。冗談よ、じょーだん」

「……そ、そうですか」

「まぁでも、ここに二人きりでいる男女は基本的に恋人って見なされるけど」

「だ、ダメじゃないですか……」


 弱々しく抗議する秀美だったが、彼女は悪びれる様子もない。それどころか、なぜかお尻を近くに移動させてきたかと思うと、そのまま本当の恋人のように身体を寄せてきた。同年代の女子に比べると豊かな胸が秀美の肩に当たり、甘い香水の匂いが鼻孔をくすぐった。


「あの……あんまり近付きすぎると……ほ、ほんとに間違えられちゃいますよ……?」

「そしたら、本当に付き合っちゃえばいいじゃん?」

「……い、いや……そ、それはちょっと……困ります」


 秀美が示した明確な拒絶が予想外だったのか、彼女は一瞬驚いたような顔をした。が、すぐに元の笑顔に戻ると、上目遣いでこんなことを言ってきた。


「ね、ちょっと手帳だして」

「せ、生徒手帳、ですか……?」


 疑問に思いながらも、秀美は言われた通り制服の懐からそれを取り出した。


「かーして」


 島津香苗は秀美にしなだれかかったまま、オネダリ口調で手を差し出してくる。

 断ると悪い気がして、秀美は大人しく生徒手帳を手渡した。

「じゃーん」などと冗談めいて、彼女は黒いケーブルを取り出した。電子生徒手帳同士を繋ぐ専用の接続ケーブルだ。そのプラグを、秀美の生徒手帳の側面部にある端子へと挿入した彼女は、今度は反対側を自分の生徒手帳に差し込んだ。

 それを見て、秀美が「えっ?」と思ったのも道理だろう。なぜなら通常、電子生徒手帳同士の相互通信は、《アマテラス》を介して無線で行う。《アマテラス》は、毎秒一垓回を越すと言われるその驚異の計算能力で、自身を通過するすべての情報を逐一チェックしているため、セキュリティ上、はるかに安全だからだ。

 電子生徒手帳には、生徒の住所や連絡先はもちろんのこと、家族構成や学業成績、武芸の訓練データ、大学生なら研究成果など、プライバシーや人に知られたくないデータが沢山詰まっている。《アマテラス》の防壁が無くなるということは、そういった重要な情報をハッキング等の手段で盗まれる可能性が高くなるということだ。

 もっとも、電子生徒手帳自体の防壁も決して脆弱ではないため、そうそうハッキングされたりウイルスに感染したりすることはないだろう。だが、それでもそういった危険性を恐れ、普通は有線通信など滅多に利用しないものだった。

 例外があるとすれば、例えば恋人同士が、人工知能である《アマテラス》にさえ知られたくない二人だけの甘いやり取りを交わすとき、くらいだろうか。

 無論、秀美と彼女は恋人同士などではない。今の状態を傍から見ると、そんなふうに見られてしまうかもしれないが。


「だいじょーぶ。ちょっとあるモノを送るだけだからさー」


 それなら別にそんな方法を取らなくてもと思ったが、今さらもう遅い。


「はい、完了」


 大したデータ量ではなかったのか、送受信はすぐに終わったようだった。


「あ、ごめんっ、ちょっとアタシ、用事思い出しちゃった!」


 島津香苗は急に立ち上がった。ようやく密着状態から解放され、秀美はほっと息をつく。その直後、「じゃあねー。送ったやつ、すぐに確認しといて」とだけ言い残して、彼女は慌ただしく屋上を出て行ってしまった。


「……えっと」


 取り残された秀美は仕方なく、電子生徒手帳を確認することにした。デスクトップには、彼女がわざわざ有線で送ってきたと思しきファイルがあった。なぜか画像ファイルだ。


「なっ……」


 ファイルを開いた秀美は、もう一つ、生徒たちがあえて有線通信を利用するときがあるということを知った。すなわちそれは、《アマテラス》に見咎められるような、卑猥な画像などを共有する場合で――

 今回は、まさにそのケースだった。






 わざわざ呼び出して、彼女は一体何をしたかったのだろう?

 五限目の授業中、秀美は昼休みの出来事についてぼんやり考えていた。

 しかしどんなに考えても、彼女の意図はまるで分からない。

 ……いや、そもそも最初から意図などなく、単にからかわれただけなのかもしれない。

 そう考えると、なんとなくそれが正しいようにも思えてきた。

 それにしても、大変なものを見せられた。普通の男子高校生ならある程度は耐性があるのかもしれないが、初心な秀美にとってそれは衝撃的に過ぎるものだった。なにせ画像の女性は、上どころか、下までばっちり露出させていたのである。加えて見たことないほど大きな胸をしていた。

 ……でも、彼女の身体の方が綺麗だったな……。

 ふとそんなことを思い、秀美は慌てて頭を振った。つい先日、写真どころか、すぐ目の前で女性の裸を見てしまったことを思い出してしまったのだ。


「ましゅたー、ましゅたー、めーるでしゅ。めーるが届きましたでしゅ。……ましゅたー?」

「あ、う、うんっ……」


 不意に机に提げた鞄からみことの声が聞こえてきて、秀美は慌てて応じた。鞄の隙間からケーブルを受け取り、その特殊端子を自分の電子生徒手帳へと繋ぐ。

みことが体内受信したメールの文面が、電子生徒手帳のディスプレイに表示された。それを見た秀美は表情を曇らせる。


「え……こんなに早く……?」


 送られてきたメールは、次の任務の依頼内容だった。

 不満――いや、で、秀美は小さく唇を噛み、身を強張らせた。






 週末、みことを連れた秀美の姿は、国内最大の国際展示場コンベンションセンターである皇都メガサイトにあった。

 四日間に渡り開催される国内最大級の自律機巧の祭典――『日本ロボット展』の初日。土曜日ということもあって会場は来場者でごったがえし、「はわわわ……しゅごい人と機巧の数でしゅ」と背中のリュックに収まったみことが声を震わせている。

 普通の来場者として潜入した方が良いと判断し、今日の秀美の格好は普段着の着物だ。もしものときのために、忍び頭巾を懐に忍ばせている。

 旧長州藩系の反政府組織命倫館は今回、ロボット展開催中に会場を襲撃して占領、来場者を人質に取り、国に何らかの要求を呑ます計画を立てているという。

 だが、どうやらそれほど情報の信憑性が高くないらしい。そのため警備体制も、秀美が派遣されてきている以外、通常のそれと大差ない。秀美に与えられた任務は、いつ襲撃が行われるか分からない中、今日明日の二日間ずっと会場内にいて、もしものときのために備えることだった。

 というわけで、秀美はとりあえず展示会場を一通り回ってみることにした。

 産業用ロボット、レスキューロボット、医療用ロボット、警備ロボット、清掃用ロボットなどなど、各ブースで多彩なロボットが展示されている。近年の人工知能ブームを反映してか、やはり人工知能を搭載しているものが多い。

 特に好評を博しているのが、軍事用ロボットが集められたコーナーだった。最新の機巧兵や四脚ロボット、無人偵察機や強化外骨格パワード・エクソスケルトンなどといったものが展示されている。中には、なぜか乗用車が置かれているブースがあった。

 さらに秀美は、ある特別展示へと足を運んだ。

 そこでは今回のロボット展の最大の目玉とも言える、九代目細川半蔵作自律機巧によるデモンストレーションが行われようとしていた。

 西暦一七九六年に『機巧図彙からくりずい』を出版し、機巧学の父と謳われる初代の細川半蔵から数えて九代目。現・細川半蔵は、九代目であるということ以外一切の素性やプロフィールを明かしていないにもかかわらず、歴代随一の天才機巧技術者としてその名を世界に轟かせている。

 彼の生み出す機巧にはオーバーテクノロジーがふんだんに利用されており、大学や企業、研究機関等が喉から手が出るほど欲しがる作品ばかりだという。今回、展示されるのはその内の一つであり、手元の資料によれば、推定価格三百億円でとある企業が購入したものだそうだ。

 警備ロボットに護られた扇形の特設ステージ。その周囲に集まっているのは大半が研究者や技術者で、細川半蔵の作品から少しでも研究に役立つような知見を得ようと真剣な表情をしていた。

 やがて、ステージ上に一体の人間型自律機巧ヒューマノイドが現れる。

 彼女は中央まで歩いてくると、大きく手を振りながら満面の笑みで挨拶した。


『みんな~、ミユに会いにぃ~、こーんなにたくさん集まってくれてぇ~、どうもありがとぉ~っ。ミユ、とぉーっても嬉しぃ~❤』


 エメラルドブルーの長いツインテール。くりっと大きな同色の瞳。人間で言うと十四、五歳ほどの愛らしい顔。サイバー調の露出度の高い着物から伸びる手足は細く長く、肌は白くて美しい。そしてその声は、聞く者が思わず頬を緩めてしまうほど、甘く可愛らしかった。

 細川半蔵作のヒューマノイドは、どこからどう見ても美少女アイドルだった。


『今日はぁ~、みんなのためにぃ~、すぅぅぅっっっごい、特技を披露しちゃいまぁーす❤』

「あれが初美ミユか。あの表情、人間にしか見えないね、風間君」

「はい。何でも、人間と同じ三十種類以上の人工表情筋があるそうです」

『あっ、でもでもぉ~、もし失敗とかしちゃったときにはぁ~、あ~ったかい目でみてもらえたらぁ、ミユ、嬉しいかなぁ~、なんて。てへっ』

「今の舌の出し方。身体の動きも、完璧に人間のそれをシミュレートしているのか」

「動きだけではありません。資料によると、人間並みの知能、何より、高い創造性をも有しているそうです。ちなみに重量バランスの関係から、人工知能は頭部と腹部に分割して埋め込まれているとあります」

『まずはぁ~、歌から披露しちゃおっかな~?』

「しかし、風間君。細川半蔵はなぜあんな容姿に作ったのだろうね」

「恐らく、フランケンシュタイン・コンプレックス――人が人造物に対し抱く潜在的な恐怖を少しでも緩和させるため、あえてあのような親しみを持てる容姿にしたのでしょう」

『いっくよ~っ! ジャンジャカジャン♪ ミっユ、ミっユにし~てやんよぉ~♪』

「ん? しかし資料には、制作当時に流行していたあるバーチャルアイドルが好きだったからと書いてあるよ、風間君」

「……そうですか」


 ステージの上で笑顔を振りまく美少女ヒューマノイドと、それを観察しながら冷静に分析している研究者たち。なんともシュールな光景だった。






「こ、これはすごいなっ!」


 その頃、刀華は思わず感嘆の声を上げていた。

 それもそのはず。RG1/10(十分の一サイズ)のRY‐98‐2ガンムサシが、近接斬撃兵装である二本の日本刀を振り回し、美しい演武を披露していたのだ。

 一・八メートルもの巨体が、軽快に飛んだり跳ねたりしながら自在に刀を振るう高度な運動性の実現は、まさに最先端技術の結晶と言えるだろう。しかも兜のV字型の飾り金物を初め、細部の細部まで忠実に作り込まれた甲冑の精巧さがまた凄い。日本刀自体も業物だ。


「量産型ザクジロウなど、ザクザクと斬ってしまえそうだ!」


 そんな寒いことを平然と口走ってしまうくらい、刀華は興奮していた。ぜひ対峙して『見せて貰おうか。地球同盟軍のモビルスーツの性能とやらを』と、挑発的に言ってみたい。

 刀華は『日本ロボット展』を訪れていた。

 かなりの盛況ぶりだ。さすがは国内最大級の自律機巧の祭典だろう。

 中でも軍事用コーナーにある、機巧系企業の中で国内屈指の技術力を誇ると言われている京テク社のブースは、黒山の人だかりだった。刀華はガンムサシを十分に堪能した後、同社のブースへと足を運んだ。

 社員の一人が、刀華の姿を認めるなり「あっ」と声を上げる。丸っこい顔をした、いかにも人の良さそうな初老の男性だった。


「久しぶりだな。確か、岩倉、だったか?」


 刀華は年上に対して、尊大とも言える口調で声をかけた。


「刀華お嬢様やないですか。いや、えらいお久しぶりですなぁ」


 と、男性は頭を下げる。


「お嬢様はやめてくれ。似合わないにもほどがある」


 刀華は苦笑する。だが、決して彼の呼び方が間違っているわけではない。実は母方の祖父がこの京テク社の創業社長で、刀華は正真正銘のお嬢様なのである。


「はっはっ、申し訳ありません。しかし、前に会社に来られはったときは、まだ小学生やったでしょう? あれから五年ほどですか。お母様に似て、また美しくなられはったなぁ」


 岩倉は以前、刀華が会社見学をさせてもらった際、社内を案内してくれた社員の一人だ。まるで子供のように研究内容を嬉々として語ってくれたのが印象的で、今でも刀華の記憶に残っていた。


「しかも、壱高に通われてはるとか。まさに才色兼備ですなぁ」

「いや、それほどでもない」


 あまり褒め千切られると、悪い気はしないが恥ずかしい。先ほどガンムサシを見て無性に戦いたくなって刀まで抜きそうになってしまったことは、当然だが黙っておこう。


「それより、何だこの車は?」


 刀華の目の前にあったのは、少し古いタイプの黒いバンだった。一見ただの乗用車だが、フロントガラスも含めて遮光フィルムを貼っているのか、車内がまるで見えない。

「ふっふっふ」よくぞ訊いてくれたという顔で岩倉がにんまりと笑う。


「そうでしょう。乗用車にしか見えへんでしょう?」


 岩倉は右手に持っていたタブレットを操作した。すると突然、車のボディに亀裂が走った。

 車体の各部が独りでに回転。現れたのは、一基の砲塔と八本の脚、三つの目、そして四本の腕だった。脚が地面を踏んで車体を浮かせ、外に突き出したカメレオンのような目が周囲を警戒するように忙しなく動き、四本の腕がそれぞれの先端に装着された機関銃を構える。まるでアニメに登場するロボットの変身シーンを見ているかのようだった。


「多足戦車か」

「その通りです。車形態はあくまでも偽装。市街地での対ゲリラ対テロリスト戦を想定した、遠距離操作で動く無人多足戦車の『タラちゃん』ですわ。主砲は七十五ミリ二十四口径と小ぶりですが、通常の戦車より遥かに軽量で小回りが利き、階段や瓦礫を難なく乗り越えて、哨戒にも戦闘にも高い能力を発揮します。しかも、直線ならこの足でも時速四十キロ、ビーグルモード車輪形態なら九十キロ近く出るんですよ」

「……何だ、そのタラちゃんとは?」

「ほら、昆虫の蜘蛛に見えるでしょう? 最初は『タランチュラ』にしよかと思うたんですけど、こっちの方が可愛ええかな思うて『タラちゃん』にしてみたんです」

「そ、そうだな……」


 屈託ない笑顔で自社製品を語る岩倉だが、兵器にそのネーミングはないだろう。しかも、某アニメのキャラクターを連想させてしまう。まぁ、どうせまだ試作段階だし、実用化の際には名称を変更するかもしれないが。というか、ぜひ変えた方が良い。

 それから岩倉は、さらに詳しい性能や装備、それから稼働時間を高めるために施した工夫や実用化するための課題などなど、訊いてもいないのに滔々と語ってくれた。






 渋沢浩介は凄腕のハッカーだ。

 初めてパソコンを弄り始めたのが五歳のとき。七歳でプログラミングを覚え、中学生の時にはすでにいくつかのソフトフェアを開発し、企業に売り込んで金を稼いでいた。二十八歳となった現在は、ハッキングにより違法入手した様々な情報を、犯罪組織などに高値で売り付けては莫大な利益を得ている。

 自分以上のハッキング技術を持つ者などいない。そう豪語するほど、己の力に絶対の自信を持っていた。だからこそ、今日という日を楽しみにしていた。


「もうすぐ、時間だ……。いひ、ひひひ……」


 時刻は十一時三分前。ディスプレイに映る映像を見ながら、独特な笑い声を漏らす。そこに映っているのは、まさに今、東京メガサイトで開催されているロボット展の光景だ。

 ある筋から入手した今回の仕事。その報酬は、まさに破格。

 だが、渋沢は金自体にはさほど興味が無い。それよりも、己の実力を誇示することの方が何倍もの快楽だ。その意味で、この仕事はまさに最高のものだった。

 数千人もの自称腕利きの世界中のハッカーたちと競い合い、誰よりも早く狙った獲物を落とす。その獲物のセキュリティが強固であればあるほど、報酬は跳ね上がり、また自らのハッキング技術の証明となるのだ。


「僕の狙いは……あいつだ」


 誰もが知るあの大企業。恐らく、多数のハッカーたちとの熾烈な争奪戦となるだろう。

 渋沢は瞳を爛々と輝かせながら、その瞬間を今か今かと待った。






 けたたましい警報が会場を切り裂いたのは、時計の針が十一時を指した瞬間だった。


「何だ何だっ?」「おい、係員! これはどういうことだ?」「お、落ち着いてください。今、警備室に問い合わせているところで……」「火事っ?」「いや、テロじゃないか!?」「テロだと? に、逃げろ!」


 俄かに騒然となる会場。様々な憶測が飛び交う。


「みなさん! 落ち着いて避難してください! 出展社の方々も、展示物は移動させず避難を優先してください!」


 慌てて呼びかける係員。だが、それを聞いた岩倉は血相を変えて反論した。


「ア、アホ言わんといてや! この数年、この戦車に情熱のすべてを注いできたんやで! こいつを置いて逃げれるわけないやろ!」

「おい、岩倉」


 刀華が見かねて注意しようとしたとき、不意に彼の表情が怪訝に染まった。


「ど、どういうことや? システムにエラー? なんで急に……」


 異変はここだけではなかった。そこかしこから、自律機巧が動かないとの戸惑いの声が聞こえた。

 突然、大きな悲鳴が上がる。刀華が視線を転じると、メイド服の家政婦型のヒューマノイドが、近くにいた製作者に箒とちりとりを武器に襲い掛かっていた。またそのすぐ近くでは、医療ロボットが狂ったように治療器具を四方へ次々と投擲している。

「ひぃっ」という息を呑む声。刀華が視線を戻すと、岩倉が地面に尻餅を付き、驚愕の顔で多足戦車を見上げていた。その傍には、操作用のタブレットが転がっている。にもかかわらず、多足戦車は手足や目を忙しなく動かしていた。


「な、なんで勝手に動いとるんやっ……? 安全のため、自律作動モードはまだ搭載しとらんかったはずやのに……」


 多足戦車は、マシンガン機関銃を装着した右前腕をゆっくりと持ち上げた。


「危ない!」


 ダダダダダダダダダダダダダッ!! 弾丸の嵐が吹き荒れた。多足戦車が周囲を薙ぎ払うように機関銃を撃ってきたのだ。床に無数の穴が穿たれ、あちこちに破片が飛び散った。


「おい岩倉! 何で銃弾が装填されている!?」

「ししし知りまへぇん……っ!」


 刀華は咄嗟に岩倉を抱えて跳び、多足戦車の死角となるその足元へと避難していた。


「知らないわけがあるか! 死ぬところだったぞ!?」

「ほっ、本当ですて! 展示するだけやのに、そんなマネするはずないですやろ……っ!」

「じゃあ、一体これは―――くっ!」


 刀華は岩倉を突き飛ばし、自らも前転してその場から離脱した。戦車の脚部から飛び出した鋭利な刃が、先ほどまで刀華の首があった空間を切り裂いていったからだ。


「タラちゃんの脚には近接戦闘用に刃を仕込んどるんです! しかも、人間の首なんて軽く切断してしまえる優れものですわ!」


 岩倉は胸を張って言う。


「なにドヤ顔しているんだ! こっちはまさに首と胴が別れるところだったんだぞ!?」刀華は目ざとく突っ込みつつ、八本脚の間合い外へと跳び退った。「こいつは私が引き付ける! 岩倉、お前はとっとと逃げろ!」

「わわわっ、分かりましたお嬢様!」

「お嬢様言うな!」


 刀華はすぐさま抜刀し、多足戦車に正面から挑みかかった。こちらを最大の脅威と認識したのか、二本の前腕が機関銃の銃口を向けてくる。

 刀華は寸でのところで横に跳び、弾丸の雨から逃れると、そのまま多足戦車の周囲を回るように駆けた。二本の腕が回転し、銃弾を浴びせながら追い掛けてくる。

二本の後腕も動き始めた。弾丸の豪雨が挟み込むようにして、刀華を蜂の巣にせんと襲いくる。タラちゃんなどという可愛らしい名前に反し、なんとも恐るべき殺戮マシーンだ。

 直後、刀華は跳躍していた。ゆうに三メートル近い飛翔で弾丸を回避し、そのまま多足戦車の頭上へと至る。天燃理心流中伝――飛龍剣。

 岩倉に心中で詫びつつ、刀華は多足戦車目がけて刀氣を帯びた愛刀を振り降ろした。

 キンッ、と高い音が響き、装甲に長く深い傷が走る。だが、それだけだ。


「くっ……さすがは戦車の装甲っ……堅いな!」


 刀華は戦車の頭を蹴って後方に跳び、距離を取った。床を蹴り叩いて走り、再びの一斉射撃を回避する。そして、なぜか刀を鞘に納めた。


「だが、これならどうだ!」


 刀華は銃弾を掻い潜って、またしても多足戦車の懐へと飛び込んだ。跳んで火にいる夏の虫とばかりに、八本の脚が四方八方から襲来。しかし刀華は、刃で着物や皮膚を薄く裂かれつつも、それらすべてを紙一重で躱してみせた。

 大きく息を吸い込み、丹田で「氣」を練り上げる。それを掌へ収束、一気に開放!

 天燃理心流柔術――獅子吼掌ししくしょう。獅子の咆哮のごとき轟音とともに、刀華の放った強烈な掌底が多足戦車の腹部へ突き刺さった。

 機動力のために重量を犠牲にしていた多足戦車は、その衝撃に耐え切れない。前半身を浮き上がらせると、ずどん、という音を立てて無様にひっくり返る。

 もはや裏返しにされた亀同然。多足戦車は虚しく脚を蠢かすだけで、自らの力で起き上ることはできなかった。







「みこと! ねぇ、みこと! どうしたの!?」


 秀美の戸惑う声が響く。


「あ、アガガガッ……なな、な、ナニモにょか……ががが、こここ……コウげキを……」


 みことの応答が先ほどからおかしいのだ。襲い掛かってきた警備用ロボットを白虎に一刀両断させながら、秀美はこの事態の原因を見極めんと周囲を見渡した。

 特設会場で暴れ回っているのは、展示されていた自律機巧たちだ。だが、それは壊れているという様子ではない。むしろ、


「誰かに、操られている……?」


 まさかこれが《命倫館》のテロだろうか。しかし、今のところ自律機巧たちはそれぞれが独自に動いているようで、何か目的があるようには思えない。すでに来場者のほとんどは避難してしまっており、聞いていた情報とも違う。


「ミユを護ってくれる勇者様ちょーカッコ良い! ステキ! 同性でも良いから結婚して!」


 唯一、まとも(?)なのは細川半蔵作ヒューマノイドの初美ミユだけだった。


「ぼ、ぼくは男だからっ……。にしても、なんで君は大丈夫なの……?」

「だってミユのセキュリティは世界最高峰だも~ん! あ、そう言えばぁ~、数日前にぃー、身体の中に侵入してこようとした変なウイルスちゃんがいた気がするぅ~」

「変な、ウイルス……?」


 だとすると、みこともそれに感染していたということだろうか。そしてそれを介して、何者かがハッキングを仕掛けているのかもしれない。みこと自身が必死に防衛しているためか、今のところ他の式神にまで影響が出ていないことが不幸中の幸いだが、彼女の力が無いため戦況の把握が難しい状況となっている。

 と、それまで秩序なく動き回っていた自律機巧たちが、突然、誰かの指示を受けたかのように、秀美がいるステージへと一斉に押し寄せてきた。


「きゃー、きっとミユを襲って辱めようとしているのよーっ! でも、そんなのいやーっ! だって、ミユの初めては好きな人に捧げるって決めてるのーっ! ……ぽっ」

「き、君はちょっと黙っててよ……!」


 彼らの狙いは分からないが、秀美は式神たちを呼び出して対抗する。敵機巧の中には刀剣類を所持した警備用ロボットや、銃器を装備した先進型の軍用機巧兵までいるため、一筋縄ではいかない。何より数が多い。しかも、他のホールにいた自律機巧まで集まりつつあった。

 そこへ、秀美が展開していた機巧式神たちの防衛網を掻い潜り、こちらへと突っ込んでくる自律機巧がいた。


「ガンムサシ……っ!?」


 秀美でも知っている有名な鎧武者だった。両の日本刀を手に恐るべき敏捷さで迫りくる。

 直後、激しい金属音が耳をつんざいた。何者かがガンムサシと秀美の間に割って入り、斬撃を受け止めたのだ。黒髪の少女だ。

 彼女はガンムサシの刀を弾きながら怒鳴った。


「見せて貰おうか。地球同盟軍のモビルスーツの性能とやらを!」







「こ、近藤さん……?」

「て、転校生!? 何でお前がここに!?」


 ガンムサシの刀を弾き返した刀華は、振り返って目を見開いた。


「ま、まさか、今の聞いていないだろうな……!?」

「今のって、もしかして、モビルスーツの性能うんちゃら、って言ったこと、ですか……?」


 聞かれていたぁぁぁぁっ! 顔から火が出そうほどの恥ずかしさに悶える刀華。 だが、今はそれどころではない。体勢を立て直したガンムサシが、再び斬り掛かってきたからだ。右手の刀から繰り出された袈裟懸けを、刀華は愛刀で受け止める。

 さすがはガンムサシ。片手とは思えないほど一撃が重く、そして速い。

 しかし刀華は刀一本で、ガンムサシの二刀を完璧に捌いていく。


「モビルスーツの性能の違いが戦力の決定的差ではないということを教えてやる!」


 無意識にそんなことを口走りつつ、刀華は斬り降ろされた右の太刀を半身を捻って避け、さらに左からの横薙ぎの斬撃を重心を落しながら刀身で受け流した。直後、刀華の白刃が神速の閃きを生む。天燃理心流皆伝――電光剣。

 怖ろしく滑らかな切断面を見せながら、ガンムサシの左足が宙を舞った。刀華が放った電光のごとき斬撃がガンムサシの足を斬り裂いたのだ。片足を失い前のめりに倒れ込んだガンムサシは、もはや残った手足をバタつかせることしかできなかった。


「すまぬ、ガンムサシ……。こうするより、他に道が無かったんだ……」

「ず、随分と、ガンムサシが好きなんですね……」

「う、うるさいぞ!」


 背後からの呆れ声に、刀華は思わず怒鳴り返す。


「そ、それより、一体何が起こっているんだ?」

「た、たぶんですけど……彼らは、何者かに遠隔操作されてるみたいです……!」

「遠隔操作……? これだけの数がか……?」


 もしこの会場内にいたすべての機巧が操作されているのだとしたら、軽く五百を越える。医療用や清掃用のロボットはまだしも、警備用やレスキューロボットなどは厄介だ。平気で機関銃をぶっ放してくる軍事用ロボットは言うまでもない。


「ミユ以外の子は、みーんなやられちゃったみた~い」


 と、おかしな髪形と服装の少女が言った。


「誰だお前は? 随分と変な格好をしているが……」

「そこの勇者様のぉ、カ・ノ・ジョ❤」

「ち、違うよっ……。彼女は細川半蔵作のヒューマノイド、推定価格三百億円だよ……!」


 頬を赤らめて応じた少女の言葉を、転校生が強く否定する。さり気なく驚愕の事実も交じっていた。


「さ、さんびゃく億……? 細川半蔵って、あの細川半蔵か?」


 桁がおかしい。さすがは細川半蔵の作品だ。


「ひっどぉ~い! 美少女ヒューマノイドの価値は、お値段じゃないんだぞ~、ぷんすか」


 ワザとらしく頬を膨らませ、怒ってみせる自称美少女。刀華は内心で思わず呟いた。

 ……私は、たとえ三百円でもいらんな。







「くそっ!」


 渋沢は握りしめた拳を机の上に叩き付けた。その拍子でマグカップからコーヒーの黒い液体が飛び散ったが、そんなこと今はどうでも良い。

 せっかく他のハッカーたちとのハッキング合戦に勝利して遠隔操作した多足戦車が、たった一人の女にあっさりと撃破されてしまったのだ。腸が煮えくり返るのも当然だろう。

 だが、ぞっとするほど怖ろしい女だった。

 見た目は美少女だったにもかかわらず、本当に人間かと問いたくなるほど、化け物じみていた。あんな女と現実では絶対に対峙したくない。刀を持っていようが、銃を持っていようが、最近体重が増加気味で、五十メートル十秒を切るのがやっとの自分では太刀打ちできるはずがない。

 だが、自分のハッキング能力でも、あいつには敵わないのか? と、渋沢は自問する。

 そんなはずがない。自分のハッキング技術は、何者にも負けない。それだけは譲れない。

 渋沢は必死に頭を回転させる。すぐさま次の一手が脳内に閃いた。

「ひ、ひひひ」と、渋沢は唇を歪めて声を漏らし、予備パソコンの操作を始めた。他のハッカーが遠隔操作しているシステムへ無理やり割り込み、強制的に自分の管理下へと置く。

 本当に張り合いがない。やはり最強のハッカーは自分だ。自信を取り戻した渋沢は、すぐさままた別のパソコンを操作し、同様に他のシステムを占拠する。さらにもう一体。

 三体の自律機巧を同時に操作。向かう先は、情けない状態でひっくり返る多足戦車だ。もう先ほどと同じ手は食わない。依頼者から何か特別な指令がきているようだったが、今は無視。 

 今度こそ、あの女を制圧してみせる。







「ましゅたーっ! お待たしぇしました! 復活したでしゅ!」


 俄かに背中から届いたいつもの声に、秀美は思わず首を回して振り返った。


「みこと! 大丈夫だった!?」

「はいでしゅ! 色んなところからちゅぎちゅぎ次々とはっきんぐしゃれましたが、すべて撃退しました! もう大丈夫でしゅ!」

「だけど、どうしてそんなことに……? ううん、考えるのは後にしないとっ……」


 秀美は浮かんだ疑問を振り払い、復帰したみことへ早速命じた。


「みこと! 大陰、大裳、騰蛇、天后を遠くに展開して、なるべく敵を分散させて!」

「はいでしゅ!」


 みことが本領を発揮する。秀美は周囲を固める残りの式神たちへと、意識を集中させた。







 結わえた黒髪をかんば駻馬の尾のごとく躍動させ、刀華は自らも戦場を躍動していた。

 左方向から木刀で殴り掛かってきた警備ロボットを唐竹割りで一刀両断。正面のレスキューロボットを足裏で蹴り飛ばすと、メスを持って突撃してきた右の医療用ロボットを袈裟懸けで一蹴。刀華は敵陣の中で、獅子奮迅の活躍を繰り広げる。

だが、ヒューマノイドを柔術で投げ飛ばした直後、背後にいた軍用ロボットの銃剣が火を噴いた。

 弾丸の軌道上に割り込んで刀華の盾となったのは、巨大な斬馬刀を手にした機巧兵だった。


「こ、近藤さんっ……大丈夫ですかっ……?」

「助かった! もっとも、今のは普通に避けられたけどな!」


 刀華が強情にもそう返したときだった。


「ましゅたーっ! 蜘蛛みたいな戦車がこっちに向かって来るでしゅ!」


「蜘蛛みたいな戦車だと……っ?」


 耳を疑った刀華だったが、すぐに先ほど撃破したはずの多足戦車がその威容を現した。他の自律機巧を脚で薙ぎ払いながら、脇目もふらずに刀華の方へと向かってくる。

「起き上ったのか。だが、何度こようと同じだ」


 逃げるどころか、敢然と立ち向かう。また獅子吼掌でひっくり返してやるつもりだった。

 だが多足戦車は、先の戦闘で学習したのか、四挺の機関銃を駆使して弾幕を張り、間合いに入ろうとする刀華を足止めした。これでは容易には近づけない。

 さらに多足戦車は、身体に開いた直径十センチほどの穴から何かを射出してきた。


手榴弾ハンドグレネードっ!?」

 擲弾発射器グレネードランチャーから放たれたそれは、高速で刀華へと迫りくる小型の爆弾。刀華は咄嗟に倒れていた警備ロボットの陰へと滑り込む。

 破裂。鋭い破片が横殴りの雨となって、四方八方を蹂躙した。それは、内部に硬質の鉄線を仕込み、爆発とともに破片を四散させることで、十メートルを超す範囲にいる人間を一度に殺傷することを可能にした破片手榴弾フラグメントグレネードだった。


「……岩倉め、こんな機能まで搭載していたのか」


 刀華は呻く。破片がいくらか突き刺さったらしく、腕や脚から血が出ていた。

 破片手榴弾の一撃は、周囲の自律機巧をも巻き添えにしていた。刀華たちが倒したものも含めて、機能停止した機巧がまるで屍のようにあちこちに転がっている。人ではないとはいえ、この日のために懸命に開発してきた者たちのことを思うと何とも痛ましい。

 多足戦車が再び手榴弾を発射してくる。先ほど盾としたロボットは破損が激しく、次の爆発を防ぐことはできそうない。

「玄武!」と叫び、転校生が重々しい装甲を有した機巧兵を引き連れ駆けてくる。手榴弾が爆発したまさにその瞬間、刀華は間一髪で装甲の背後へと隠れ込む。ザザザァッという音を立てて、破片の雨が辺りに降り注いだ。


「助かったぞ、転校生」と、刀華が礼を言った直後、耳を聾する轟音が響いた。

多足戦車が主砲を撃ったのだ。砲弾は、刀華たちを守っていた玄武というらしい機巧兵に直撃。玄武は倒れそうになったのを辛うじて堪えたが、分厚い強化装甲が焼け焦げ、大きく陥没していた。恐らく何発も耐え切れない。

 隠れているだけではジリ貧だ。かと言って装甲の陰から出ると手榴弾に狙われる。


「はぁ……はぁ……」

「おい、大丈夫か?」


 転校生の呼吸が随分と荒いことに気付き、刀華は心配して声をかけた。全力で走ったせいかと思ったが、まさかあれだけでここまで苦しそうに喘ぐはずもない。端正な顔を歪めて、額には大量の汗をかいている。だが、転校生は首を横に振った。


「……大丈夫、です……。それより、ぼくに、考えがあります……」


 その碧い瞳に諦めの色はなかった。

 むしろ心が折れかけていた自分自身を叱咤し、刀華は転校生の言葉に耳を傾ける。


「……作戦、とも言えないようなもの、ですけど……。それに、近藤さんばかり危険で……申し訳ない、ですが……」

「心配するな。任せろ」

「は、はい……。……近藤さんって、本当に、男らしいですよね……」

「し、失礼だな! 確かに男っぽいかもしれんが、これでも一応はちゃんと女だ!」

「わ、分かってますっ……。もちろん近藤さんは、女性としても凄く魅力的な人ですっ……」

「なななっ……」


 魅力的などと面と向かって言われて、刀華の顔は耳先まで真っ赤になった。


「い、今はそんなことを言っている場合じゃないぞ! いっ、行くぞ!」


 刀華は玄武の陰から飛び出した。予想通り、多足戦車が手榴弾を射出してきたが、そのとき刀華と手榴弾の間に、六合と呼ぶらしい機巧兵が割り込んだ。爆発と爆風、そして破片を、六つの盾が完全に防いでくれた。


「よし、良い子だ」


 刀華の労いに喜びを表すかのように、ォォン、と小さな機械音を上げる六合。彼(?)に護られながら、刀華は多足戦車との距離を詰めていく。襲い掛かってくる雑魚は、朱雀と言うらしい飛行型の機巧兵が短機関銃で蹴散らしてくれた。

 やはり多足戦車は最大の敵を刀華と見なしているのか、蠅のように飛び回る朱雀を完全に無視し、四挺の機関銃もこちらに向けてきた。刀華が六合の陰から少しでも身を出すと、すぐさま弾幕を張って牽制してくる。じりじりと接近すると、多足戦車もその分だけ後退する。

 刀華は地面に倒れていた医療用ロボットを大きく投げ飛ばした。反応した多足戦車の射撃で、医療ロボットは即座に蜂の巣と化す。だが、それは囮だ。そのとき刀華は、反対側から地を這うような姿勢で駆け出していた。一気に多足戦車の眼前へと迫る。

 しかし、多足戦車はそれを読んでいた。すでに発射穴を開き、向かってくる刀華へ手榴弾を発射する準備を整えていたのだ。


「だが残念。私も囮だ」


 刀華が不敵に笑ってみせた直後、轟音が展示会場を震えさせた。







「いひはははっ! バカめっ! この僕が、そんなチンケな囮に引っ掛かるわけが――」


 チェックメイトの瞬間を目前にし、大きく高笑いしていた渋沢の声が途切れた。

 何が起こったのか、すぐには分からなかった。多足戦車の目と繋がっているはずの複数台のパソコンモニターが、突如として一斉に真っ暗になってしまったのだ。


「くそっ、どういうことだよっ!? 故障か!? いや、そんなはずはない! ちゃんと動いているぞ! だとすると……」


 まさか、多足戦車のシステムそのものが破壊された?

 渋沢は、すぐさま展示場内の監視カメラの映像へと切り替えた。


「な……」


 映っていたのは、死んだ昆虫のように足を折って倒れ伏す多足戦車の姿。

 その装甲には大きな穴が開いていた。







 突如として横から飛来してきた砲弾が、多足戦車の装甲を貫通していた。システムが致命的に破壊され、多足戦車は完全に動きを止めた。

 その砲弾が飛んできた場所。そこには、ゆうに四メートルを超すだろう巨大な機巧兵が、戦車の主砲並みの巨大な砲身を抱えて屹立していた。たいも大裳、と言うらしい。


「……良い子は室内で百ミリ口径砲を撃たないように」と、刀華は呟いた。


 これで最大の脅威は取り除いたが、まだ敵兵は多数いる。刀華が兜の緒を締めようとしたそのとき、自律機巧の残党が一斉に動作を停止した。


「……どうしたんだ?」


 刀華は動かなくなった警備用ロボットを剣先で突いてみたが、まるで反応が無い。だが、油断は禁物だ。


「転校生、すぐにここから避難を……おい、どうしたっ?」


 転校生がその場に膝を付き、苦しげに呻いていた。刀華はすぐに駆け寄る。


「大丈夫かっ……?」

「は、はい……」


 頷いた転校生だが、その声は掠れ、また顔は蒼白で血の気がない。額から汗が吹き出し、唇が小刻みに震えていた。


「とにかく外に出るぞ! お前も付いてこい!」

「お前じゃなくて、は・つ・び・み・ゆ! ミユちゃんって呼んで良いよ❤!」


 刀華は鬱陶しいヒューマノイドは放置して、転校生を抱えて走った。







「すごい熱だ……」


 屋外駐車場の車の陰に隠れ、刀華は顔をしかめた。

 刀華が背中を支える形で横たわらせた転校生は気を失っており、呼びかけても返事はない。ひどく荒い呼吸をしている。

 避難したのか、周囲に人気は無い。遠くからは警察車両が鳴らす警笛の音が聞こえてくる。


「ただの過労で、命に別状はありましぇん」


 医療用ロボットとしての機能も備わっているらしく、機巧人形が聴診器を当てながら言った。


「きっと先日しぇんじちゅとの連戦れんしぇんで、無理をしゃれてしまったのでしゅ……元々、ましゅたーは身体がすごく弱く、長時間、戦うことはできないのでしゅが……」

「お前たちは、あらかじめ事件が起こることを知って、ここに来ていたのか? ……だとすれば、お前たちを背後で操っているのは、どうやらロクでもない連中のようだな」


 男にしてはあまりにか細い転校生の背中を抱えながら、刀華は思わず唇を噛みしめた。


「いや申し訳ありません。今回の一件に関しては、まさしくあなたの言う通りです。ですが、わたしたちの名誉のために少し弁明させていただくと、入手した情報の信憑性が薄く、まさかこんな大それた事件になるとは思っていなかったのですよ」


 いきなり背後から聞こえてきたのは、柔らかな、しかし、どこか不審な含みを持つ男の声だった。刀華は振り返る。そこに、西洋外套に身を包んだ二人組が立っていた。

 手前の男の年齢は、四十代中盤といったところ。恐らく先ほどの声の主だろう。癖のある独特な赤毛の頭にハットを被り、その下に胡散臭い笑顔を浮かべている。信用できない種類の人間だと、刀華は直感的に思った。

 後ろに控えているのは、二十代後半ほどの男だ。中肉中背で、次に会ったときに当人と判別するのが難しそうな、まるで特徴のない顔をしている。だが、一角の武芸の心得があることを刀華の眼は見逃さなかった。


「何者だ、お前たち?」


 と、刀華は鋭い声で問うた。


「実はわたくし、こういうものでして」


 赤毛の男が恭しく何かを差し出してきた。名刺だ。そこには、所属と名前と携帯のものと思しき番号が素っ気なく書かれていた。


【特別高位警察 木下藤次】


「きのした・とうじ、と読みます」と、赤毛は笑みを崩さずに告げる。「後ろにいるのは部下の浅野です。以後お見知りおきを、近藤刀華さん」

「なぜ、私の名前を? いや、それよりも、特別高位警察だと……?」


 略して「特高」と呼ばれるその組織は、内務省指揮の下で独自に反政府組織を取り締まっている特務機関だ。だが、武力によって強制的に反政府組織を排除するという過激さゆえか、その評判はあまり良くなく、畏怖の対象となっている。


「一体、そんな連中が何の用だ? それに、この名前、まさか……」

「さすが、察しが良くて助かります」赤毛はワザとらしく微笑んだ。「わたしは秀美君の父親です。と言っても、養父ではありますが。……彼と妹の瑠璃君には両親や親戚がいないもので、わたしが引き取り、面倒を見てあげているんですよ」

「面倒を見てあげている……?」


 それだけ聞けば美談として賞賛できるだろう類の話ではあったが、しかし刀華が感じたのは強烈な違和だった。やがて口を突いて出たのは、糾弾に近い言葉。


「……違う。お前は、こいつを利用しているんだ」


 刀華の発言に、赤毛はおどけるように両手を広げた。


「利用だなんて。人聞きが悪いですよ。あなたも御存じの通り、最近は反政府組織の活動が以前にも増して活発化していましてね。彼のような戦闘能力に長けた人物は、わたしたちにとって欠かせざる貴重な人材なんです。そう、これは言わば、協力です」

「衣食住を保証する代わりに、か?」

「その通りです」赤毛は否定しなかった。「彼らを、何不自由なく生きていくことができるようにしてあげたわけですから、多少なりともその恩に報い、協力を買って出るというのは、むしろ当然のことでしょう?」


 刀華は首筋の毛が逆立つのを感じた。


「……社会的に存在するはずのない、だと?」


 鸚鵡返しに問う刀華へ、赤毛は隠す様子も無く告げる。


「ええ。ある組織によって、彼らは人為的に造り出されたんですよ。試験管の中で授精させ、培養液で育てられて」

「な……」


 刀華は絶句し、腕の中の転校生を見た。人為的に作られた、だと……?


「伝承に残るような、膨大な魔力を有する鬼子を生み出そうとしたんですよ。様々な呪薬を投与し、身体に呪文を刻み、あるいは過酷な訓練を課して。しかしどうやら企みは失敗に終わったらしく、計画は中止となり、生まれた子供たちは全員、殺されました」

「……!」

「俄かには信じがたい話かもしれません。ですが、紛れもない真実です。現に、奇跡的に逃げ出すことができた子供がここにいます。わたしたちはそんな二人を保護し、日本国で生きていけるよう便宜を図ってあげたのです。なにせ、親どころか、戸籍すらもありませんでしたからね。学校にも通えるようにしてあげるには、色々と苦労しましたよ。もっとも、妹の方は引き籠りになってしまいましたが」

「……だから、自分たちに協力するのは、当然だと言いたいのか?」


 刀華の胸に義憤が募る。先ほど養父と聞いたときに生じた違和感の正体が鮮明になりつつあった。

 目の前の男も結局のところ、自分たちの勝手で子供を作り出した挙句、利用できないと知って皆殺しにしたその連中と同じなのだ。親切心や愛情で二人を養っているわけではない。ただ利用価値がある。それだけだ。だからこそ、危険な戦場に平然と送り出すマネができるのだ。今も、苦しむ転校生を見てもまるで心配する素振りすらみせない。


「そうです。もっとも、あくまで本人の自由意志の下で協力していただいているわけですが。わたしは彼の多大な貢献に対し、心から感謝しています」

「何が感謝だ。もし協力に応じないとなったら、貴様は平気で縁を切るつもりだろう? いや恐らくはそんな生ぬるいものでは済まさない」

 刀華の追及に、赤毛は愁いに帯びた表情を作る。


「……我々は慈善団体ではないですからね」

「こいつは、お前たちの便利な道具でもない!」


 刀華の怒りなど意に介さず、赤毛は薄く笑った。


「おっと、これはいけない。少々、話しすぎたようですね。わたしとしたことが」

「木下さん、そろそろ時間が」

「まぁまぁ、浅野君」


 部下を制し、赤毛は人差し指を一本突き出した。


「前置きが長くなりましたが、実はあなたに直々にお願したいことがは一つありましてね。なに、簡単なことです。それは、あまり彼に関わらないでいただきたいということです」

「……何だと?」

「今回の一件は偶然でしたが、過去にも二度、首を突っ込んでくださいましたよね? わたしたちの情報網を甘くみてはいけません、知っているんですよ。正直言って、とても迷惑なんです。あまり一般人に出しゃばられると」

「っ……」

「彼とあなたでは生きている世界が違うんですよ。あなたは一般人らしく、大人しく日常にお帰り下さい。……ええと、お伝えすべきことはそれくらいでしたかね。ああ、それと今日の一件とこれまでのこと、それから今のお話はぜひ胸の内だけに閉っておいてください。一応、機密性の高い内容ですのでね。では、行きましょうか、浅野君」

「ふ、ふざけるな!」


 言いたいことだけ言って立ち去ろうとした赤毛へ、刀華は反論をぶつけようとする。だが、なぜか継ぎ句が出てこなかった。生きている世界が違う。その言葉が脳内で幾度も反響する。刀華はただ「……くそっ!」と吐き捨てた。

 すぐに二人の姿は車の陰に隠れ、見えなくなってしまう。

 そのとき不意に、先ほどは見つからなかった反論の言葉が浮かんだ。

 生きている世界が違う、だと?

 刀華は、転校生の身体を抱き締めた。荒い呼気が刀華の頬を撫で、華奢な胸の奥で鼓動する心臓の音が服越しに伝わってくる。

 違う。こいつは今、ここにいる。こうして私の腕の中にいる。たとえ人為的に試験官の中で作られたのだとしても、私と同じ世界に生きている。それに――


「私だって、戦える」


 小さな声で、しかし、激情とも言える強い想いを乗せ、刀華は呟いた。先ほど転校生とともに戦車を撃破したときの興奮が今頃になって湧き上がってきた。


「私も、戦場に立つことができる」


 だから、その弱い身体で耐えられないというのなら、私が一緒に戦ってやる。お前と同じ戦場に立ってやる。私が護ってやる。

 それは侍としての矜持か。正義感か。それとも……。

 いずれにせよ、刀華にはあの男の言う通りにする気など毛頭なかった。







「木下さん、あれで良かったのでしょうか?」


 車に乗り込むなり、部下の浅野が声をかけてきた。一見、何の変哲もない顔をしているが、その実、彼は現代剣術の達人であり、木下の秘書兼ボディーガードだった。


「彼女のような人間は、反発して逆に首を突っ込できそうなものですが」

「まったく問題ありませんよ。むしろ、そういうつもりで言ったのですから」

「どういうことでしょうか? 一般人は関わるなとおっしゃったのは、木下さんでは?」


 平然と応じた木下に、浅野は驚いた顔をして訊いてきた。


「ははは。浅野君、君はあの子のことを本当にただの一般人と思っているのですか?」


 車のエンジンを掛けながら、木下は笑う。運連好きな木下は、いつも部下ではなく自分でドライバーの役割を担うことが多い。


「確かに、剣術の腕は相当に立つと思いましたが……」

「腕が立つ、なんてものじゃありませんよ。あれはね、ですよ」

「化け物、ですか? ……確かに、開発中のものとは言え、戦車と闘り合っていましたし、人間離れしているとは思いますが……」

「それにですね、浅野君」


 木下は車を発進させながら、部下に問いかける。


「我々が所属している特別高位警察という組織ですが、前身は何であったか覚えていますか?」

「……、ですよね?」

「そう。幕末の京都で結成され、反幕府組織を取り締まったあの新選組ですよ。では、その隊員の多くが使ったとされる剣術の流派を知っていますか?」

「確か、天燃理心流……そうか」

「ご名答。元々、天燃理心流と我々は切っても切れない間柄なのですよ」

「ですが、そうは言っても、たかが古流剣術の一流派ではないですか? いえ、古流剣術を貶すつもりはありませんが……」

「言ったでしょう? あれは化け物だと。……戊辰戦争。天燃理心流の使い手たちは、近代兵器で武装した新政府軍に押され劣勢だったはずの旧幕府軍を勝利へと導きました。あれは、なんですよ」

「歴史を変える力、ですか……?」と、首を傾げて確認する浅野。

「もっとも、まだ彼女はその神髄にまでは辿り着いていないようですけどね」


 木下はそう補足する。そして、いつも飄々として掴みどころのないその顔に、微かな恐れ、いや、畏れが浮かんだ。


「……そう、すでにあれだけの力を有していながら、彼女の剣はまだなのですよ」

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