第44話

 虐殺の報が最初に流れたのはツイッターだった。


 ジェロニモの進行方向の反対にいて助かった者たちや道の両側の建物にいて偶然惨劇をの当たりにした者たちがスマホでツイートしたのだ。


 首から血を流して倒れている者たちを映した動画が次々投稿され始めた。


 虐殺? 犯人どこにいるんだよ? 


 集団ヒステリーで自殺してるんじゃないのか? 


 それともエボラみたいな疫病が発生してるとか? 


 ち・が・う・だ・ろぉ! 違うだろぉ! どこかのビルから狙撃されてるに決まってんだろこのハゲェ!  


 ネットではにわか評論家たちの好き勝手な意見が飛び交った。


 見えないんだよ! でも確実に何者かが人々を殺してまわってるんだよ! 


 見えない何者かによる大量殺戮──その情報は知った者全てに一月に起きた蛮神会潰滅事件、四月に起きた歴代Z務事務次官殺し、三週間前の大井コンテナ埠頭殺害事件を想起させた。


 まさか『世直し王子』の仕業か? 『イケメン大明神』がまたおっ始めたのか? 

 やっぱり奴はただの血に飢えた虐殺者だったのか? 


 その論調が息を吹き返すのは自然な流れと言えた。


 通報を受けた警察が駆けつける頃にはテレビでも速報が流れていた。 


 それらはあくまでもミマヨたちのいたホテルからセンター街の突き当たりに立つビルまでの被害についてであった。


 ビルの向こうにあるセンター街ではジェロニモによる殺戮が続いていた。


 テンポよく順番に屠殺されていく人々──悲鳴を聞いても危険を感じず逆に好奇心を掻き立てられ声のするほうへ近付いて行こうとさえする。


 場所が場所だけに何か大がかりな悪戯が起きているとしか認識されなかったのだ。


 殺戮者ジェロニモの姿が見えないのだから人々がそう思うのも無理はなく──彼らはさながら人間を知らなかったばかりに上陸した人間に次々撲殺されていくアホウドリのようだった。


 センター街の建物内にいた者たちによって、ここでも虐殺が起きていることが情報として広まる頃には既に路上にいたほとんどの者が頸動脈けいどうみゃくを噛み千切られていた。


 センター街だけで二千体を超す死体の山を築いたジェロニモは間髪入れずスクランブル交差点に飛び出して行った。


 ジェロニモがホテルを脱出してからここまで約十分──


 ジェロニモは一人一人の頸動脈を噛み千切ると同時に毒蛇が牙から毒を注入するように正確に一定量の唾液を注入していった。


 さすがにそれは手刀で首をはねるようにはいかなかった。


 なぜそんな手間をかけたかといえば理由は一つ。


 自分がいつTに補食されるかわからない以上、自分が食われた後も人々を襲い続けるゾンビを増やしたほうが得だと考えたのだ。


 Tの目当てはこの自分だ。邪魔にならない限りTはゾンビを殺さない。


 ジェロニモはTの目に自分以上の冷酷非情さを見た。


 Tには博愛主義のかけらもない。Tが守るのは極一部の人間だけ、それも愛情からでなく便宜上からだ。


 自分のやっていることを棚に上げてジェロニモのT評はボロクソだった。


 だからTはゾンビを放っておくだろう。


 最小限の損傷と一定量の唾液──そうやって作られたゾンビは食欲という本能のみに突き動かされ、かつ血を与えられた亜超人のように動くことができる、言わばスーパーゾンビだ。


 ジェロニモは足立区で拉致した犯罪者たちを使った人体実験でそのことを知っていた。


 スーパーゾンビは頭部を破壊されるか肉体が腐り果て崩壊するまで人々を襲い続ける。


 しかも恐るべき俊敏さでだ。


 腰抜け日本政府に一見すると生き返ったように見えるゾンビどもの射殺命令が即座に下せるか、いいや下せまい。下せる頃には被害は甚大じんだいなものになっているだろう。事態終息まで数日はかかるはずだ。


 そこまで考えた殺し方だった。


 その成果があと数分で現れる──


 見えないジェロニモは人生で最高の笑顔を浮かべていた。


 スクランブル交差点を行き交う人々もやはりアホウドリだった。


 センター街からどれだけ短い悲鳴が聞こえてきても、ついにその入口にいた者が首から血を噴き出して倒れるまで誰の行動にも変化はなかった。


 そこにけたたましくサイレンを鳴らしながら何台もパトカーが集まって来た。拡声器で通行人に避難をうながしている。救急車もやって来た。上空にテレビ局のヘリコプターが現れた。


 警官たちは手に手に拳銃を持っていた。


 そいつらが来たところで何もできなかった。


 ただ拳銃を構えているだけだった。 


 スクランブル交差点にいる人々が首から血を噴き出しながら倒れていく。

 

 敵が見えない。


 どこへ撃てばいいのか。


 まさか一般市民の犠牲を前提に乱射するわけにもいかない。


 警官たちが逡巡しゅんじゅんしている間に交差点にいた人々は蜘蛛の子を散らすようにいなくなった。


 それでもそこにはかなりの数の死体が転がっていた。


 午後六時を回っているとは言え、まだまだ日没には遠いセンター街の空一面がまだら模様になった。


 人間の勝手な理屈による駆除が始まって以来、久しく見ない規模のおびただしいカラスのむれだった。


 死臭を嗅ぎつけたのだ。


 巣で親の帰りを待つ可愛い我が子らのために、土産みやげをたらふく腹に詰め込んで帰るつもりなのだ。


 気の毒にもカラスたちの一部は死体と思ったゾンビに食われることになる。


 なにか叫び出しそうな顔をしていた一人の警官の首から血が噴き出した。


 これから警官と救急隊員が犠牲になるのは自明だった。


 ジェロニモがセンター街に突入する前に殺した人間は数百体。


 それらが時限爆弾のように次々ゾンビ化し出すや検視や現場保存に当たっていた警察関係者たちを襲い始めた。


 被害者が蘇生したと勘違いした鑑識や刑事や平警官たちは抵抗する間もなく喉笛を食い破られた。


 拳銃を所持している者も、生き返ったそれらが人間なのかそうでないのか判断がつかず、発砲を躊躇った者は即座に食い殺され、発砲した者もゾンビどもに一発も当てられずに結局彼らの餌になった。


 食うという本能に突き動かされたゾンビどもの進撃が始まった。


 都合のいいことに周りは餌だらけであった。


 そこには報道陣に野次馬が雁首がんくびを並べており、応援の警察も続々と集まって来ていた。


 機動隊車両や装甲車もやって来た。


 サブマシンガンを構えた特殊部隊員が装甲車両から続々と降りて来た。


 敵を知り己を知れば百戦危うからず。


 敵がスーパーゾンビで自分たちが生きている人間だと認識していれば──


「ジェロニモ」


 ジェロニモは返事をしない。


 追いつかれた。


 もはやこれまで。もう殺戮はやめだ。俺の気は十分晴れた。


 渋谷駅構内は上から下まで死体だらけだ。


 渋谷駅周辺、ハチ公前もモヤイ像前も死体だらけだ。


 スクランブル交差点も死体だらけ、ここだけはその半数以上が警官だ。


 センター街では二千人以上、その前に数百人、全部合わせて何人殺したかわからないが、道連れは十分作った。それにとっくに始まっているだろうが、今できたばかりの死体もそのうち全員ゾンビになってもっとたくさんの人間を殺すのだ。ざまあみろ! ……ん? ざまあみろ? ざまあみろって……なにがだ? 


 ざまあみろの意味がわからなくなっていた。


「もういいよジェロニモ。もう休んでいいんだよ」


 相手は自分のスピードにぴったり付いてくる。


 二人の姿は誰にも見えず、二人にだけサーモグラフィーのようにお互いが見えている。


「場所を選べジェロニモ。そこで終わりにしようや」


 Tの声が言った。

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