第43話

 会場を一歩出るとそこは黄泉よみの国だった。


「ああっ、ナイジェリアン・マフィアどもが……」


 ミマヨの社長がなげき声を出した。


 会場の出入口からエレベーターホールまでのそこかしこにゴツい黒人たちが転がっていた。


 社長が警護を依頼したナイジェリアン・マフィアのメンバーだ。


 彼らに白羽の矢が立ったのは、ヤクザの介入を嫌う関係者全員の思惑おもわくの一致によるものだった。


 妻をチラ見した植木職人を斬殺した細川忠興のような男たちによって開催されたこのパーティーは、関係者以外にミマヨをでる権利を与えないためワンフロアー貸し切りにしていたので、クロークを除けばミマヨのパーティー会場以外は無人であったが、何かで嗅ぎつけた連中の乱入に備えてナイジェリアン・マフィアのメンバー十人が配されていたのだ。


 倒れている者のうち仰向けの者たちの喉を見て、会場で殺された招待客たち同様、男馬信者の地獄突きで絶命したとわかった。


 クロークのカウンターに従業員が二人突っ伏していた。


 中で倒れている者がいるかもしれないが、確認するまでもなく生きているはずがなかった。


 全てジェロニモ一味の仕業だろう。


 エレベーターの前でボタンを押そうとして社長はその動作を止めた。


「あいつら逃げてった招待客は全員エレベーターで逃げたのかな? 百人近くいたから全部のエレベーター使ったって一回じゃ全員乗れないよな。乗りきれない奴らはどうしたんだ? 非常階段で逃げた奴もいるよな?」


「どうだっていいわよそんなこと」


 ミマヨの言葉は正鵠せいこくていた。


 招待客たちがどうやって逃げたか? 確かにそんなことはどうだっていいのだ。


「いいから早く押してよ。あっ! あんっ!」


 ミマヨの両乳首が胸骨にめり込むかというくらいに強く押された。


「──!?」


 社長は前を向いたままだ。


「えっ、なにミマヨちゃん。どうしたのいきなり色っぽい声出して──うわっ!」


 振り向きざま社長が叫び声を出した。 


 社長より早く後ろを向いていたミマヨの眼前にはTがいた。


 服装がさっきまでのコメディアンのようなそれとは違っていた。


 両肩にクリーム色のプロテクターが付いたそでのない胸元が大きく開いたデザインの黒のレーシングスーツを着ていて、たくましい胸の大部分と丸太のような腕が誇示するように剥き出しになっている。


 イメージすればどんな格好にもなれるTならではのそれだった。


「Tっ!」


 ミマヨはTに抱きつきその胸に顔を埋めた。


「戻って来てくれたのね、嬉しい……でも、どうして……もう終わったの?」


「まさか。いくらオレでもそんな早くは片付かない」


 左腕でミマヨの腰を抱き、右掌で愛馬を撫でるように優しくミマヨの頭を撫でながら痺れるような微笑みを浮かべてTが言った。


「ジェロニモの暴走が予想外のレベルでな。おまえは亜超人になっているんだが、気持ちの自覚がない以上、一人で切り抜けさせるのは無理だと判断した」


「そ、外で何が起きてるの……?」


 たくさん人が倒れているのは知っていたが、それでも聞かずにはいられなかった。


 真夏のクマゼミの合唱のようにパトカーのサイレンが聞こえる。


 〝あちょうじん〟という言葉について聞き返す余裕はミマヨにはなかった。


「ジェロニモの奴、片っ端から通行人を噛み殺してる。だけじゃないテイジーン、これから噛み殺された奴らがゾンビ化して生きてる人間を襲い始める」


「そ、そんな……」


「どうやらジェロニモの奴は渋谷センター街のほうに向かったようだ。このホテルからそっち方面にかけて被害が出てる。今のところは──な。ゾンビ化した奴らは好き勝手な方向に向かうから、これから被害はどんどん拡大するだろう。もっともオレやジェロニモみたいなオリジナルに噛み殺された奴じゃなければ、ゾンビ化しないはずだけどな。つまりゾンビ化した奴だけ殺せば、この騒ぎは収まるはずだ。とは言っても、ジェロニモの奴が頑張ってるんで、ゾンビ化する奴らの数が半端ねえんだよ。数千人、下手すると数万人はいくかもな。そいつらが更に生きてる人間を襲うんだ、最終的な犠牲者がどれくらいになるか、面倒くせえからオレは考えるのをやめた」


「そ、そんな……!」


 それしか言いようがないミマヨだった。


「だからよ、下はゾンビ予備軍だらけで危ないんだよ。とりあえず安全なところまで、そろそろ殺された奴らのゾンビ化が始まる頃だが、西へ数百メートルも行けば大丈夫だろう。ゾンビは足が遅いだろうからな。そこまで連れてってやる。ミマヨ、おまえのマンションは世田谷だから走ればすぐ帰れるだろう。試しに走って帰ってみろ、タクシーより早く帰れるぞ。そのマスク、三十分でダメになるが、その前に家に着くだろう。おいおっさん、おまえもついでに連れてってやるよ」


 か、かか、神様……! 


 社長はTを拝んでいた。


「おい、オレを神様なんて思うんじゃねえ! オレは空を飛べるわけじゃねえし、目から何でも溶かす光線を出せるわけでもねえ。ワンパンチで星を破壊できるわけでもねえ。神様なんておこがましい・・・・・・んだよ。オレは超人かもしれねえが神じゃねえ。わかったな」


 土曜日の午後六時のセンター街は人人人でごった返していた。


 その半数以上が外国から来た者たちだ。


 数年前の亜婆政権による移民解禁の成果だった。


「ぴぎぃっ!」


 三人で何やら談笑しながら並んで歩いていた一番左側の若者が首筋からホースの水のように血を噴き出しぶっ倒れた。


 ほぼ同時に連れの二人も同じ最期を遂げた。


 それを見て悲鳴をあげた若い女も、その女と腕を組んでいた若い男も同様になった。


 スクランブル交差点の西北、センター街の突き当たりにあるビルのてっぺんから疾風しっぷうが駆け降りて来るや大漁もとい大量殺戮が始まった。


 けぴっ! 


 ぐふっ! 


 んごっ! 


 きぐっ! 


 短い悲鳴とともにドミノのように次から次へと人々が倒れていく──


 首から大量の血を撒き散らしながら──


 自分の血の噴き出す勢いで回転しながら──

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