第42話

「悪ぃ。パーティーがメチャクチャになっちまった」


「最初からこうなるってわかってたくせに」


 アメリカで再会したとき、Tはミマヨに囮になってくれと頼み、ミマヨは喜んで引き受けたのだった。


 ミマヨを殺させる気は更々なかったとは言え──悦子は囮にしないがミマヨは囮にするTだった。


「ジェロニモの奴、逃げたな」


 強化ガラス壁の一つに砲弾で空けたような穴が出来ていて、そこから風が吹き込んでいた。


「どうするの?」


「追いかけて、殺して食う」


 既に招待客たちの脱出が始まっていた。


 ふと見ると一人だけ両掌両膝をつき悄然しょうぜんとしている男がいる。


 ミマヨの芸能事務所の社長だった。


「なんてことだ……ああ……もう終わりだ……こんなことになるなんて……どうしたらいいんだ私は……」


「いよぉ~っ、しゃっちょさ~ん。なに落ち込んでんだよ?」


「丁陀……いやTさんか……あんたミマヨを守るためにマネージャーになってたんだな、ありがとうよ、ミマヨを守ってくれて……でもこうなってしまってはな……」


「あんたにとっちゃ、ミマヨは大事な金蔓かねづるだもんなぁ~。聞いたぜ、今日のパーティーのメインイベントはミマヨの競りだったんだろ、競りに勝った奴がミマヨとのワンナイトラブの権利をもらえることになってたんだってな。全くひでえ話だぜ。ミマヨは上級国民の玩具かよ。プチエンジェル事件も真っ青の人権無視の闇イベントじゃねえか」


「そ、それは……」


「あんた他にも色々とミマヨに枕を強要してきたそうじゃあねえか。政界・官界・財界のお偉方えらがたとのよ。ハッキリ言ってムカついてんだぜオレは。なんか絶望してるみたいだから今この場でついでに殺してやってもいいぞ?」


「ま、待ってくれ! 強要なんかしていないっ! 全てミマヨも納得した上でのことだっ! そうだろミマヨ! おまえだって納得してたじゃあないかっ!」


「嫌だったわよ、あたしは。最初からね」


「おっ、おい~っ! ミマヨちゃ~ん。そんな今さら……そのお蔭で今のミマヨちゃんがいるわけだし、ミマヨちゃんが流した涙と飲み込んだ精液は無駄なんかじゃあなかったんだよ? ……あれ? なんか今失礼なこと言ったかな? ……そ、そうだっ! 私はまだ終わってはいないっ! 何度でもやり直せるっ! いくらでも方法はあるっ! これだって私のせいじゃないっ! 全部ジェロニモのせいだ! あのキチガイカルト野郎が全部悪い! 責任を取るべきは奴だ! Tさん、早く奴をやっつけてくれ!」


「ケッ、調子のいい野郎だぜ。さすがやり手芸能事務所の社長といったところか。まぁいい、ミマヨ、これを被れ」


 Tは記入例で使われるような名前の女芸人そっくりに変化させた自分の顔に片掌を押し当て引き剥がし、有無を言わさずそれをミマヨの顔に貼り付けた。


「顔はこれでよし……あとは服だな。おいおっさん、おまえのスーツとシャツをミマヨに貸してやれ」


 ミマヨの顔を見た社長は思わず吹き出したが、それを取り繕うように慌てて言われた通りにした。


 ミマヨはモデルだけあって手足が長いので、男物のスーツを着ても違和感はなかった。

 ぱっと見は男か女かわからない中性的な容貌になった。


「ほらよ」


 どこに隠していたのか、一度はジェロニモに全身をズタズタにされたにもかかわらず、Tが預かっていたミマヨのスマホは無傷だった。


 ミマヨにすればそれがTの肛門の奥に隠してあったとしても全然構わなかったが。


「ミマヨ、おまえはこのままマンションに帰れ。もしタクシーが捕まらず地下鉄も止まっていたら、走って帰れ。もうおまえも気付いていると思うが、今のおまえは普通の人間とは違う。おまえがその気になったら忍者のように動ける。途中誰かに襲われても、相手が普通の人間なら、おまえなら余裕で振り切れるし、戦えばおまえが圧勝する、相手が何人いようとな。どうやって戦うとか考えなくていい。適当に殴るなり蹴るなりすればいい。相手は勝手に倒れるだろう。家に帰ったらTVニュースでも観てろ。多分ずっと特番だ。その顔は引っ張れば簡単に取れるから帰ったら剥がせ。それからおっさん、おまえはそんななりだが、他人の目なんか気にしなくていい。パトカーの音が聞こえるだろう、これからもっとうるさくなる。どうせ外はパニックになってて誰もおまえを見ている余裕はないから、どさくさに通行人の服を頂戴ちょうだいしてもいいだろう。いいか、ミマヨ、外はパニックだ。だがおまえなら何とか切り抜けられる。何を見ても驚くな。助けを求められても無視しろ。オレが出てったら一分待ってからおまえも出ろ」


「わかったわ……部屋で待ってるから、ねぇ、早く、帰ってきてね? 今日中に帰ってくるんでしょ?」


「当たり前だろぉ、ミマヨ! 今日は帰ったら朝まで母乳セックスコースだぜ? 寝かさねえからな? 覚悟しとけ!」


 見る者に戦慄せんりつが走るような妖しい笑顔でそう言うやTは右人差し指でスーツの上からミマヨの左乳首をスイッチのように強く押し込んだ。


「あんっ!」


 一瞬のけ反ったミマヨが目を開いたとき、Tの姿は消えていた。


 ミマヨと社長はジェロニモが逃げた方向のガラス壁に駆け寄った。


「うわっ!」


「ひいっ!」


 眼下には何台ものパトカーが、いやそんなものはどうでもいい。


 ホテルの真下から東南に向かう路上には首から血を流して倒れている人々が橋のように延々と続いていた。


 ジェロニモはTを食ってミマヨを手に入れたら一気に国家転覆のクーデターを起こすつもりだった。


 手始めに天皇にとって代わり元号を天草(てんそう)と改め、名実ともに日本の王となったのち世界を征服し、地球はおろか全宇宙の支配者として銀河皇(ぎんがおう)と名乗るつもりだった。


 その計画がパーになった。


 どうしてこうなった? どうしてこうなった! 終わりだ。全て終わりだ。チッキショォーッ! ……Tの野郎……じき奴は俺に追いつき俺を食い殺す。俺は確実に今日死ぬ。永遠に生きられたかもしれないのにっ! まだ十三年しか生きてないのにっ! 人生が楽しくなってから丸四年も経っていないのにっ! 俺は今日死ぬっ! くそったれがぁっ! 


 四十二人の部下にミマヨを襲えと命じるや透明になって強化ガラス壁をぶち破り脱出したジェロニモが垂直落下しながら出した答えは──


 こうなったら世界で一番可哀想な俺の最期を派手に飾ってやる! それも馬鹿騒ぎをする連中が集まることで有名なあの場所でやってやる! あの場所一帯を地獄絵図に変えてやる! ──だった。


 目の前にガラスの破片が落下し驚く通行人。


「っとぉ~っ、危な……ぐわっ!」


 すんでのところでガラス片を浴びずに済んだ自分は幸運だと思ったのもつか、一瞬で喉を噛み千切られた通行人の断末魔の声を合図にジェロニモの『自分がTに殺される前にゾンビ何人出来るかなチャレンジ』が始まった。


 馬鹿騒ぎをする連中が集まることで有名なあの場所──漏れなく通行人を噛み殺しながら進行方向にそびえる四十メートルはあるビルのてっぺんにあっという間に駆け登ったジェロニモが見下ろした先には──渋谷センター街とスクランブル交差点があった。

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