第40話

「おいジェロニモ、今この場でオレたち全員が男馬珍味教に入信したらどうなるんだ?」


 まるで緊張感のない声でTがいた。


「なに?」


「全員生きて会場を出られるってことになるよなぁ、おまえの話じゃ」


 このやりとりを聞くや餌をねだる雛たちのように一斉に招待客たちが声をあげ始めた。


「ジェロニモさんっ、いやジェロニモ先生っ! 自分は男馬珍味教に入信しますっ!」


「お、俺も入信しますっ!」


「入信するだけじゃないっ! 私なら月に五百万、いや一千万円は献金できますっ! いや、させていただきますっ!」


「それくらい私にだってできるっ! 先生っ! 入信させてくださいっ!」


 突如沸き起こった入信希望の大合唱の中、でもさっきはTのほうがジェロニモを押してたよな……Tが勝つんじゃないのか? ……そしたら信者になるのをやめればいいだけじゃね? ……て言うかジェロニモはこれにどう反応するんだ? ……などと囁き合う者もいた。


「フ……フフフ……糞雑魚くそざこどもが。俺の言葉尻をとらえて必死に考えおるものよ。まぁ、よかろう。今この場で入信するというならその者は助けてやろう。おいおまえたち、入信したいという者たちに申込用紙を渡して、手続きをしてやれ」


 高濃度の放射能のように目には見えないが側にいるだけで確実に体調が悪くなってくる妖気を漂わせたままジェロニモがそう言うと、正真正銘の招待客として参加していた隠れ男馬珍味教信者たちがそれぞれ懐から十枚ほどの紙束を取り出し、片手を挙げて呼びかけを始めた。


 三十人ほどが隠れ信者として紛れ込んでいた。その全員が二十歳くらいだった。


「はーい、入信希望の方はこちらへどうぞ並んでくださーい。慌てないで、押さないでくださいねー。ちゃんと列を作って並んでくださーい」


 こうなると様子見をしていた者たちもとりあえず保険をかける意味で入信希望者の列に加わった。


「用意のいいこった。ミマヨ! おまえも信者になっとけ。オレもなーらぼっと。よかったな、ジェロニモ。全員が信者になって。じゃ」


「待ていっ! T、おまえはダメだ。ミマヨは……おまえを食ってしまえばミマヨを食う意味はほとんどなくなるから、食わずに俺の女にしてやる」


「ああっ!? なんだよそれ……おまえたった今信者になったら殺さないって言ったじゃんよ。嘘つくなよ」


「黙れっ! T、おまえは別だ。俺と同じ能力を持った信者など要らんわ。両雄並び立たずという言葉を知らんのか。それに俺は最初からおまえを狙ってここへ来たのだからな! 見逃すわけなかろうが!」


「へぇー、そうかい。ご苦労なこった。ならさっさと始めようや。途中でおまえの長話が入って中断してたけど、おまえオレに両手食われて涙目になってたの忘れたのか?」


「黙れ黙れ黙れっ! 誰が涙目だっ! きさま今度こそ許さんぞ……! さっきのあれが俺の全てだと思うなよ……!」


 言うやジェロニモの姿は電波の乱れた画像のようにぶれ始め、一瞬のうちに左右に二十体ほどに分裂した。


 Tの右眉がピクリと動いた。


「これぞこの俺の最高にして最大の秘奥義……高速で移動することによって、俺の体が何体もあるように見えるだろう。どれが俺の実体かきさまにわかるか……? まだまだこんなもんじゃない、もっと増える。だがその前に」


 拡げたトランプをまとめるようにジェロニモの姿が一人に戻り、Tから十メートルほど後ろへ飛び下がった。


「試しにこれを受けてみるがいい」


 動き出したジェロニモの後ろには別のジェロニモが、その後からまた別のジェロニモが切れ目なく現れる。まるでジェロニモの連凧れんだこのようだ。


「ショオォォォォォ~……」


 発情期の雄猫のような奇妙な声を上げながら流れるようにすべるようにジグザグの動きをしながらTに向かって来た。


「ウラウラウラウラーッ!」


 そう叫ぶTの両腕が爪楊枝つまようじの束のように増殖しジェロニモを襲う──その拳は全て空を切った。先頭のジェロニモにTの拳が打ち込まれたと見えるや後ろに続くジェロニモが二手に分かれて風のようにTの両脇を通り抜けた。


「シャオッ!」


 擦れ違いざまジェロニモは日本刀を素振りしたような声を放った。


 数秒後、Tの全身から無数の傷口が開くや勢いよく血が噴き出した。


「くっ」


 血まみれでガクッと片膝をつくT。


 Tの背後でジェロニモは再び一人に戻っていた。


「フハハハ! どうしたT! 今のはほんの・・・遊びだぞ? まさかもう終わりか? さっきまでのふざけた態度はどこへ行った? 情けないのぉ!」


 フラフラと立ち上がったTはジェロニモに向き合い、ニコッと笑った。


「やるじゃない。ジェロニモ、どうやらおまえは教祖としてただふんぞり返っていたわけじゃなく、日々真面目に能力の向上、研鑽けんさんに励んできたようだな。偉いねぇ~、大変だったねぇ~。その努力、認めてやるよ」


 〝偉いねぇ~、大変だったねぇ~〟のくだりでTは、一時期テレビに出まくっていた毒舌で有名な女占い師のような口調になった。


 言葉とは逆におちょくっているようにしか聞こえなかった。


 そのころ生まれていなかったジェロニモが元ネタに気付くはずもなかった。


「ハッハッハ! 認めてやるぅ? なんだその負け惜しみは! 俺にかする・・・こともできなかったくせに舐めた口を利きおって。どれ、もう一回、今度はもっと速く攻撃してやる。中くらいの速さでな。だが今度は手足の一本も切り飛ばしてくれる。さっき俺の両手を切り取られたお返しにな!」


 ジェロニモは増殖しながら蛇行するレーザービームのようにTに殺到した。速度が増した分ジェロニモの分身の数も倍以上に増えていた。余裕を見せるようにすぐには襲いかからずかすめるようにTの周囲を行き来する。


「ウラウラウラウラーッ!」


 またしても空を切るTの連打。


「ハハハ! どうだ見切れまい! どっちの手足が切られるかわからず怖いだろう! 正解は切られたあとで知れい! 切り取られたあとで痛みにのたうち回るがいい! そろそろ行くぞぉ! ショオォォォォォ~……シャごばっ!」


 Tの両脇を通り抜ける前にジェロニモの連凧の中から一人弾き飛ばされた。同時に無数にいたジェロニモの分身の姿が掻き消えた。壁に激突するジェロニモ。その壁は出入口近くのトイレ代わりになっていた箇所だった。


「あがが、顎が……がごのっ」


 そこまで気が回らないらしいジェロニモは両手で、完全に壊れてと言うより千切れかけていた顎を押さえて無理矢理はめ込んだ。


 な、な、なんだとぉ~っ! 当てやがった……! 今の速さでこの俺にぃ~っ!や、野郎~っ! 野郎も本気を出してきたというのか……! 


 とっくに傷口が消え出血も止まり、ズタボロになった衣装も元通りに直っているTは感情の読み取れない表情で、小便臭い壁を背に座り込むジェロニモを見据えていた。


 仁王立ちのTはジェロニモを威嚇するように、胸の前で両手の指の関節を交互に鳴らすのだった。


「準備運動にはちょうどよかったぜ。こっちはもうおまえのどんな動きにも対応できる。中くらいの速さとか余裕こいてねえで全力で来い。もし今のが全力だったらおまえに勝ち目はねえぞ。時間の無駄だからもう食っちまうぞ。どうなんだ? まだ凄いもん隠してんのか?」


 わずかの歪みもなく修復した顔ですっくと立ち上がったジェロニモは、ようやく自身の身に付いた異臭に気付いたようだった。


 前屈の姿勢をとったジェロニモの背中が裂け、そこからジェロニモが人間大砲のように飛び出し再びTの十メートル手前に着地した。


 その顔にはすっかり冷静さが戻っていた。


 小便臭い壁の傍には透明なジェロニモの脱け殻があった。


「Tよ、おまえをきざんだ攻撃の前に俺が何と言ったか覚えていないのか? 俺は『試しにこれを受けてみるがいい』と言ったんだ。試しに、とな。その試しにやった攻撃で存外おまえが簡単に切り刻まれたから、俺は次に〝試し〟レベルで中くらいの攻撃をしたんだ。それに対しおまえは一発まぐれで当てただけだ。その程度のことで何を勘違いしている? 俺のどんな動きにも対応できるだと? 笑わせるな! おまえこそハッタリを言っている。おまえなど〝試し〟レベルの攻撃で十分たおせる。きさまにこれがかわせるか!」


 三度目の〝試し〟攻撃は今までとレベルが違った。


 ジェロニモから十列の連凧ジェロニモが二度目の〝試し〟攻撃の倍以上の速度でTに向かって飛び出した。傍から見ている者には空間を埋め尽くすジェロニモが見えた。無限増殖したジェロニモがTと交錯した刹那──


「ウラウラウラウラウラウラウラウラウラウラーッ!」


「ボガモゲブグボゴバガベゴグボガベゴボガバーッ!」


 Tとジェロニモの叫びが重なるや出入口までジェロニモが吹っ飛び、待ち構えていた十二人の手下が形成する人間マットレスに突っ込んだ。


「きょっ、教祖様ーっ!」


「ジェロニモ様ーっ!」


「な、なんということだ……!」


 ジェロニモは全身に拳大の穴を開けられてボロボロの案山子かかしのようになっていた。


 特に顔の状態が酷く、グチャグチャに潰されて原型をとどめていなかった。

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