第36話

 Tは──両手に持ったジェロニモの手を押し込むように順番に口に入れるや飲み込むように一気に食った。


「ほ~う。なんと言うか新鮮な味だな……うおっ!?」


 ほんの数秒──Tの全身があわい緑色に発光するのが見てとれた。


 その間にジェロニモの切断面は変化を始め、肉腫にくしゅが盛り上がるや再び両手が形作られていた。


「なるほどな。これが、おまえが自分以外の超人エキスを欲しがった理由か」


 どこから見ても典型的な北欧白人なのになぜか日本人ぽく見える人工的なジェロニモの顔に明白に焦りの色が浮かんでいる。


「ヨシダッ!」


 ジェロニモがそう叫ぶと出入口を固めていた男たちの中から一人が競技用トランポリンを踏んだような跳躍力で一足飛いっそくとびに主の傍に着地した。


「おまえの血を借りるぞ」


「御意」


 ヨシダは自分のうなじを主に向けた。


 ジェロニモはそこに噛みつくや眼尻を吊り上げて吸飲を始めた。


「……おっほぇぇえ~っ……うっふぅう~んっ……あぁ~っふぉぉお~っ……」


 不気味なよがり声をあげながら血を吸われているヨシダ。


 その股間は膨らみエクスタシーの極致にいるようであった。


 凄まじい快感と反比例するようにその顔から急速に生気が消えていく。


 三十秒ほどでジェロニモは吸血をやめた。


 崩れ落ちたヨシダは半分以上の血液を失ったようで土気色つちけいろのカサカサの肌になっていたが、死んではいない。


「これできさまに食われた両手分の補給はできた。Tよ、おまえはこうやってエキスを補給することはあるか?」


「ねえよ。出したら出しっぱなしだ。あ、そうでもないか。オレの場合は……」


「ボ?」


 母乳で、と言いかけてTは口をつぐんだ。


 人知れずミマヨも顔を赤らめていた。


 この場に悦子がいたら彼女も同じ態だっただろう。


「何でもない。それより、とんでもねえもん見せてくれたな。野郎のイき顔なんぞ悪趣味の極みだぜ」


「普通の人間なら俺たちに噛まれるか血を吸われて死ねばゾンビになる。だが、超人エキスを分け与えられた者ならその効果がある間は頭と心臓を潰されない限り死ぬことはなく、たとえ全ての血を吸いとられても丸一日もあれば元に戻る。同じエキスを持つ者の血を吸わせれば回復はもっと早まる。おい、ヨシダに血を分けてやれ」


 もう一人が一足飛びでやってくるとヨシダを担ぎ一足飛びで戻って行った。


 ジェロニモが会場に潜伏せんぷくさせている信者の総数は不明だが、マオカラースーツの男たちは全部で十二人だった。


 代わる代わるヨシダに血を吸わせている。


 やがてヨシダは元通りの状態に戻り何食わぬ顔で配置についた。


 ミマヨのパーティーの招待客たちは、目の前で繰り広げられている信じられない光景に呆然と眺め入るしかなかった。


「おまえほんとに説明が好きな奴だな。こうなりゃついでに聞いてやる。おまえはあの緑色に光っている隕石に触った十人は全員同じ場所にいたと言ったな。一体どういう状況だったんだ?」


「ついでだと? フフフ、やはりそれについて聞きたかったんだな。なんで一遍に十人も緑色に光っている隕石に触ることができたのか、やっぱりそこ気になるよなぁ! T!」


「お、おう」


「クックック、いいだろう、教えてやる。これから俺が話すことを、地獄で閻魔大王に語ってやるがいい」


 ようやく話の通じる相手に出会えたオタクの少年のような顔でジェロニモは語り出した。


「今から約四年前、正確には三年十ヶ月と二週間前──八月の初旬だった。当時俺は信者数たった百一人しかいない男馬珍味教の少年部に属していた。少年部には六歳から十五歳まで三十人の子どもたちがいた。三十人のうち二十人が男児だった。教祖・万野漫子は年がら年中信者を引き連れて山中を移動していたから、俺たちはろくに学校に行ってなかった。万野漫子には大口スポンサーがいたらしく、万野と取り巻きの幹部たちは一般信者たちとは違い結構いい暮らしをしていた。子ども心にも不公平だと思ったものだ。万野や幹部たちと一般信者の間には絶対的な壁があった。一般信者は万野や幹部たちの兵隊でありやしでしかなかった。そもそも万野や幹部たちは自分たちの子どもを宗教活動に参加させていず、それぞれ一流の学校に通わせていた。夏になると万野たち幹部連中は二週間ほど避暑に行ってしまい、その間、一般信者の子どもたちの中から特に男児だけ、将来にわたって教団の兵隊となり肥やしとなるための洗脳および軍事訓練の一環として〝こどもごでぃばばとる〟というイベントに強制的に参加させられた。毎年違う山で、七月の下旬から八月の初旬にかけて、それは行われた。内容は、訓練で優秀な成績を修めた順にチョコレートがもらえるという、一見しょうもない、だが俺たち一般信者のガキたちにとっては夢のような一大イベントだった。普段ろくなもん食ってなかったからな。おまえにわかるか? たかがチョコレートに釣られて、普通の子どもだったら無邪気に楽しめるはずの夏休みの時期に蚊やあぶに刺されながら二週間近く軍事訓練の真似事をやらされていた俺たちの気持ちが! 訓練と言っても、正式の隊服などあるはずもなく、自前のランニングシャツに短パン、ひどい奴は白ブリーフといった出で立ちで、〝こどもごでぃばばとる〟の間一人だけいる、ハズレくじを引いたように顔も態度も不機嫌な指導員に命じられるまま、走ったり、伏せたり、棒っきれでチャンバラをやらされたりするだけだ、ヘトヘトになるまでな。最悪なのは指導員の気まぐれ、と言うより気晴らしで、訓練時間がコロコロ変わることだ。一日に何回もやることもあった。あの日も突然、夜中の十二時過ぎに俺たち二十人は指導員に叩き起こされ、奴が持つ懐中電灯の明かりだけを頼りに、意味もなく木々の間を目暗滅法めくらめっぽうに走り回らされていた。岐阜の山中だった。当然、俺たちの顔に枝やら何やらがバシバシ当たる。木の根や何やらでつまずいて転ぶ。その度に何やってんだという指導員の罵声が飛ぶ。俺たちは指導員をいつかやってやろうと秘かに相談していたが、まさにそうなる寸前だった。そのときだ、転んだ奴の中の一人が、空を指差して『あ!』と叫んだ。俺たち全員、つられるように空を見上げた。まるで打ち上げ花火の残骸が降ってくるように、緑色に光る何かが地面に向かって落ちてくる。ちょうど俺たちがいる辺りに向かってだ。誰かの目の前にそれが一つ落ちた。反射的にしゃがみ込んでそれに触れたそいつが『熱い!』と叫んだ。次々に俺たちのそばに落ちてくるそれに触れるのを俺たちは躊躇した。指導員が叫んだ、『拾え!』と。『おまえら何もたもたしてる、さっさと拾え! 見ろ、光がどんどん消えてくじゃあないか! 消える前に拾え! 火傷やけどがなんだ、一番たくさん拾った奴が優勝者だ!』それを聞くや俺たちは火傷も構わず石を拾いにかかった。火傷よりチョコが食えなくなることのほうが恐かったのだ。『あつっ!』『あちっ!』あちこちでそう声がした。緑色の隕石の落下はほんの数分の出来事だった。全員が拾えると思ったが結果的に拾えたのは二十人中九人だった。拾えた者も一個ずつしか拾えなかった。運良く、と言うべきか、いや間違いなくこの九人は幸運だったわけだが、火傷の痛みに泣きべそをかきながらも隕石を拾えた者たちの握り拳の隙間から、闇夜にうっすらと白い煙が立ち昇っているのが見えた。なぜ指導員が、緑色に光っているうちに隕石を拾えと言ったのか、そのことに理由などなかった。光が消えたらどれが隕石かわからなくなる、そう思ったからだと次の日に指導員は言った。ちょっと待て。わかっている。今俺は隕石を拾ったのが九人だったと言った。さっき俺は隕石に触れたのが十人だったと言った。その意味を教えてやる。指導員が隕石の大きさなどの確認はキャンプに帰ってからやると全員の点呼てんこを始めたことでそれがわかった。一人足りなかった。一つしかない懐中電灯で周辺を照らしていた指導員が『うっ』と呻いた。その照らした先に一人倒れていた。俺たちの中で最年長の十五歳のポカンという奴だった。ポカンというのはあだ名で、日頃の挙動からそう呼ばれていた。ちゃんと本名があったが覚えていない。当時も誰も奴を本名で呼んでいなかった。ポカンは一番年上だったが、ちょっとと言うかかなり鈍臭どんくさい奴でな。でも誰とでも仲良くするし、年下からポカンと呼ばれても腹も立てない気の良い優しい奴だった。ポカンの顔面にはソフトボール大の穴がぽかんと開いていた。直撃を食らったのだ、隕石の。『埋めろ』指導員はそう言った。俺たちは言われるままに泣きながら穴を掘りその中にポカンを入れて土を被せた──」

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