第35話

「ミマヨさん、ボクはあなたの大ファンなんです。あなたのDVDは全部持っています。あなたはまさに美の女神だ! いやー、嬉しいなぁ。どうです、少しボクと神についてお話ししませんか?」


「え、ええ、そうですわね……」


「ああ、あなた方、すいませんがちょっと外してもらえませんか」


 デート中のカップルに政治アンケートをしてきた気の利かないテレビ局員に向かって言うように、笑顔の中に嫌悪感を漂わせてジェロニモが言った。


「はぁ? ちょっとなに言ってんのおたく。俺たち全員高い金払ってミマヨに会いに来てんだけど。全員平等にミマヨと話す権利があんだよ」


 誰もが知っている野球選手だった。がっしりした体格で百九十センチはある。  さっきミマヨのマネージャーを突き飛ばした男だ。


「そうだよ。あんただけミマヨを独占できるわけないだろが。大間おおまのマグロ教教祖だか何だか知らねえが何様だよ。いきなり割り込んで来てよ。あんたが空気読んで席外せよ」


 売り出し中のサッカー選手がそう言った。百八十五センチ以上はある。


 ジェロニモ一党とそれ以外のVIP会員たちとが対峙する形になっていた。


 背後から飛び出しそうになる信者たちを、軽く片手を挙げる動作でジェロニモは抑えた。


「下がっていろ。おまえたちは手を出すな」


「手を出すな? おいおい何だよこの金髪兄ちゃんやる気だぜファッ!?」


 あざけり笑った野球選手の顔面を撃ち抜くような風圧。


 鼻先数ミリで拳が止まっていた、いや止められていた。


 ジェロニモの左ストレートが野球選手の顔面を破砕する寸前にその左手首を右手で掴み止めていたのは──ミマヨのマネージャー──Tだった。


 野球選手は尻餅をつき失禁していた。

 ライオンの檻に入ったアホガキの気分を味わっていた。


 うぐっ! 


 おげぇ! 


 な、なにをするだぼっ! 


 スマホを取り出そうとした複数の招待客が次々と別の招待客から殴り倒される。


 招待客の中にも男馬珍味教の信者が紛れ込んでいたのだ。


 信者たちは殴り倒した招待客のスマホをその場で破壊した。

 スマホを使おうとしない限り攻撃はしないようであった。


 ジェロニモとTから火山性微動かざんせいびどうの音が聞こえてくるようだった。


「見つけたぞこの野郎~っ」


「おまえこそ、飛んで火に入る夏の虫だ」


「おまえジェロニモっていうのか」


「おまえは?」


「Tだ」


「〝てぃー〟か」


「なんでその見た目にしたんだ? おまえ日本人だろ。白人コンプレックスあり過ぎと違うか」


「だまれっ! どんな見た目にしようが俺の勝手だ!」


「あっそ。とりあえずこの腕もらうぜ」


 Tがマオカラースーツの袖の上から掴んでいるジェロニモの左手首を一気に握り込むのとジェロニモが掴まれた腕を引くのとが同時だった。


 Tの手には極薄の透明なジェロニモの左前腕の脱け殻が残っていた。


 掌から下がマオカラースーツの肘までの袖の部分の形をした透明な脱け殻だった。


 Tはそれを一息で吸い込むように食った。


 抜き取ったジェロニモの左腕にはしっかり肘までの袖の部分が破れずについている。


「どうやら同じことができるようだな」


「先輩風を吹かせるのはやめてもらおうか。俺たちは同期だろうが」


「答えろ。殺した女たちから血を抜いただけでなく、脳と心臓まで抜き取ったのはなぜだ?」


「なんだその質問は。どうやらおまえの知識にはかたよりがあるようだな」


 ジェロニモの顔に、無知な大人に知識をひけらかすときの勝ち誇った少年のような笑みが浮かんだ。


「よかろう、教えてやる。その前に一つ聞く。おまえは超人になってから、誰かを噛み殺したことはあるか?」


「ある」


「ならば噛み殺した相手がゾンビになることは知っているな?」


「ああ、知ってるよ。唾液が生きてる人間の傷口に入れば驚くべき回復力を与えることもな」


「そうだ。だがその場合効果は徐々に薄れ、やがて元の普通の人間に戻る。噛み殺された場合その者は死ぬ直前に唾液をたっぷりもらっているから効果は薄れずそのままゾンビになるが、頭を潰せば死ぬ──ここまでは知っているようだな。それが血か精液だったら効果はもっと強力だ。なんせ体内にそれを取り入れた者を二十歳前後まで若返らせるくらいだ、その状態でいる限り、つまり効果が続いている間は、そいつは頭を潰しても死なぬ。完全に動きを止めるには心臓も潰さねばならぬ。だからあの女たちは全員心臓も抜き取ったのだ。こんなことも知らないとは、おまえ、自分の体液を与えた相手を殺したことがないな。まぁ待て。おまえの言いたいことはわかっている。潰せばいいだけなら、なぜ脳も心臓も抜き取ったのか。振り出しに戻ったな」


 ますます得意そうな顔になるジェロニモだった。


「もういい」


「なに?」


「もういい。おまえの話は勿体もったいぶっていかん。食ったんだろ。脳と心臓は食ったんだろ。血を飲むと同じくらい効果があるんだろ、それだけだろ」


「それだけだと? 何がそれだけだ。おまえは何もわかっちゃいない。いいか、よく聞け。どうせおまえはここで死ぬのだ。冥土めいどの土産に教えてやる。肝心なのはここからだ。自分の体液を取り入れた人間の血と脳と心臓では意味がないのだ。それはとっくに試した。そんなものを摂取しても何も能力は変わらぬ。欲しいのは、自分以外の超人エキスなのだ。だからおまえが犯した女たちを狙ったのだ 」


「その言い方だと、オレとおまえ以外にまだ隕石に触った奴がいたってことだな」


「緑色に光っている隕石にな。ああ、いたよ。そのうちの一人を俺は食った。あとの奴らとは殺し合いになる前にたもとを分った。今どこにいるかは俺は知らぬ」


「あと何人いるんだよ」


「八人だ。共食いして減ってなければな。言っとくが俺たち十人は同じ場所にいたんだ。あの夜、俺たち十人とおまえの他に、あの緑色に光っている隕石に触った奴がまだいた可能性はある」


 やれやれだぜ……オレとこいつ以外にまだそんなに同類がいるのかよ。


「知ってたよ」


「なに?」


「オレの血か精液を体内に取り入れた人間は頭だけでなく心臓も潰さなきゃ死なないってことはとっくに知ってた。そいつらを食っても自分の力に変化のないこともな。かまをかけたんだよ。知らないふりしたほうがおまえが調子に乗って色々喋ってくれそうだったんでな。案の定おまえは全部喋ってくれた」


「きっ、きさま~っ! この俺を騙したのか!」


「おまえはオレがここで死ぬと言ったな。残念だがその予言は外れる。死ぬのはおまえだ」


「フ、フフフ、フハハハ、ファッハハハハ! 俺が死ぬ、だと? くだらん冗談だ。くだらな過ぎて逆に笑える。おまえは算数も出来んのか。俺は」


「ミマヨ! 出入口から離れた壁まで下がっていろ!」


 ジェロニモに被せてTが叫んだ。


 ミマヨはTの声にハッとして我に返るとミーアキャットのように固唾かたずを飲んで二人を見守っていた一同の中から脱兎の如く後ろに向かって走り出した。


 ミマヨの周囲にいた男たちもミマヨにつられて走り出す。失禁した野球選手も走り出す。


 なぜ出入口に向かわない? 


 そう思った者は途中で諦めた。


 会場から出られる箇所は全てジェロニモの後ろにいた連中によって固められ塞がれていた。


「き、きさまっ! ひとの話は最後まで聞けいっ!」


「うるさい。オレはいのちの電話の相談員じゃねえんだ。おまえの退屈な話に付き合う義理はねえんだよ。それとも何か? まだ何か言いたいことあるのか? どうしても言いたいってんなら聞いてやってもいいぞ? 相談料はおまえの命でな」


 そう言い終わる前にT以外の視界からジェロニモの姿が消えた。


 Tには真正面から飛び込んできたジェロニモの腕が千手観音のように増殖し突きを繰り出して来るのが見えた。目にも止まらぬ速さのジェロニモのさらに目にも止まらぬ高速の連続突きのため、残像が残像を呼びそう見えたのだった。これほどの速さの攻撃はジェロニモ自身もしたことがない必殺の上の必殺の攻撃だった──


 誰の目にもジェロニモの姿が戻ったとき、と言ってもまたたきしていたらジェロニモが消えたことすら気づかなかったろうが──Tはジェロニモの両手首を掴んでいた。


 なっ、なんだとぉ~っ! 


 瞳孔が収縮しきったジェロニモの脳内辞書に「驚愕」の二文字が浮き出てきた。


「今度はもらうぜ」


 そうTが言い終わったとき、ジェロニモは海老エビのように十メートル後ろに飛びすさっていた。


「ぐあっ」


 その両手首から先がなかった。


 ぱっくり開いた切断面から鮮血が滴り落ちている。


 ば、馬鹿な……脱皮できたと思ったのに……! 

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