第33話

「パーリナ、パリナパーリナフゥフゥ」


 〝ゥ〟のところで語尾を上げる。


 ソファーに座り、背中にファスナーのついた純白のワンピースをへそまでずり下ろしたトップレス姿で、一年一ヶ月ぶりに再会した愛しい我が子の名前をリズムをつけて呼びながら、うっとりと満ち足りた表情で授乳する悦子。


 その足元では全裸のTがクッションに頭を乗せて寝そべりスマホをいじっていた。


 アメリカに着くや、一歳三ヶ月になる悦子の一人娘パリナを引き取った。


 涙、涙の再会だった。


 ここニューヨークにある高級ペントハウスを借りて三人で住むようになってから三週間が経っていた。


「悦子……」


 スマホを見ているTが悦子に呼びかけた。


「なぁに? どうしたの?」


「オレちょっと日本帰るわ。おまえはパリナとここに残れ」


「え、そんな急に……ほんとにどうしたの? まさか、あの連続殺人事件のせいなの? あれって私たちと関係ないじゃない。私たちが、日本を出てから起きてる事件なのよ?」


 Tたちが日本を出国した五日後に、Tが四月に殺した歴代Z務事務次官の関係者を狙った同時多発の誘拐事件が起きた。 


 誘拐されたのは、Tが犯行時にそれぞれの現場で犯した計十一人の女たちだった。


 二週間後、東京湾の大井おおいコンテナ埠頭ふとうに放置されていた巨大な木箱の中から彼女たちの惨殺死体が発見された。


 検死によると、一日毎に順番に一人ずつ殺害されたらしい。


 全員、頭を真っ二つに割られている上に綺麗に脳味噌がなくなっていて、さらに心臓を抜き取られ、血液も全部抜き取られていた。


 かつてない猟奇的殺人事件に、日本中が今年何度目かの大騒ぎになっていた。


 真っ先に疑われたのは『世直し王子』『イケメン大明神』の名で世間に知られている──Tだった。


 これは世直し王子による犯行なのか? しょせん奴は血に飢えた殺人狂だったのか? 


 いや違う、事件は同時多発的に起きている。世直し王子は単独犯のはずだ。それに世直し王子が罪もない女たちを殺すはずがない、これは全く別のグループによる犯行だ。


 世論は二分していた。


「関係ない、か……確かに、オレが殺したわけじゃないから、その意味じゃ関係ないわな。でも既におまえともう一人を残して全員が殺されてるんだぜ。だけじゃないテイジーン、蛮神会潰すときに犯した組長の女も殺されてる。そいつは昨日誘拐されて、今日、先に殺された女たちと同じ状態で発見された。ついさっきだ。事件は東京からはるばる離れた沖縄で起きた」


「えっ……どういうことなの? 蛮神会って……やっぱりあれもあなただったの?」


「ああそうだよ。そんなことよりこの犯行グループ、絶対おまえのことも狙ってくるぞ」


「ひいっ」


「ほらぁ~、そうやってビビって母乳の出が悪くなったら、パリナが困るだろ? オレも困るし。だからはっきり言わないで、ちょっと出かけてくるつもりだったのに」


「犯人をやっつけに行くのね? どのくらいかかりそう? あんまり待たせちゃやーよぉ……」


「さっさと片付けるつもりだよ。でもはっきりどれくらいかかるかはわかんねえな。それよりおまえ、ここはオレの知り合いが紹介してくれた安全な場所だから、買い物とか出かけるときもわかんねーようにガードがついてるから、オレがいなくても怖がる必要は全くねーからな」


「大丈夫よ……むしろあなたがいなくなることを考えたら、母乳の量が半分以下になったほうが処理が楽でいいわ。とてもじゃないけど、パリナ一人じゃ飲みきれないもの。わかってるでしょ」


 嫌味を言うようになったか……


 本当のことを言えば、トヨを含めTと関係を持った女たちはもっといた。


 殺された女たちは全員、ニュースになった事件の関係者ばかりだ。


 つまりTが犯行時に女を犯すという情報を得た者がそれらの女たちを探し出し片っ端から殺した、ということになる。


 何のために……殺され方から考えられる結論は一つだ。


 犯人は、オレの秘密を知っている。オレに噛まれて死んだ者はゾンビになると。オレの血や精液にはもっと強い効果があると。


 そうなのだ、二十二歳のミマヨを見ていてもほとんどわからないが、先日、三十歳になった悦子は今や二十歳前後のうら若き乙女にしか見えないのだ。


 同様に過去三年間にTと肉体関係を持った女たちは皆、数日で全盛期の姿になった。


 どうやらTの体液を体内に入れることで、幹細胞かんさいぼう治療を遥かに上回る若返り効果が得られるようだった。


 見た目だけでなく、疲れ知らずの肉体になるのだ。


 彼女たちが若いままの姿でいるか、元に戻ってしまったか、今となってはわからない。


 屠塚の妻、早苗と言ったか、あの女から秘密がバレちまったか。


 いや、屠塚の妻が若返ったからとて、それがTの体液のせいだとは誰も気付くまい。幹細胞治療を始め、若返りの方法はいくらでもあるのだから。


 オレの、殺し方か……


 歴代Z務事務次官殺しのとき、最後の玉革のケースを除いていずれも犯人の影も形も見えなかった。


 蛮神会を潰したときも、犯人の影も形も見えていない。


 その情報は、メディアやネットを通じて拡散している。


 そこからオレの正体に気づいたとなると──まさか──オレの同類か。


 その可能性が一番高い。


 やはりあの夜、オレ以外にもあの緑色に光る隕石に接触した者がいたということか。あの隕石から受け継いだ何かが、オレの体液を体内に入れた女たちの血中にも含まれていることを知っていて、だから全員血を抜き取られているのか。血を抜き取られた女たちは、そのまま死なずゾンビになる。全員頭をかち割られているのはそのせいか。どの遺体も綺麗に脳味噌がなくなっているのも、心臓まで抜き取られているのも、あの・・秘密を知っていればこそか。 ……まぁいい。詳しくは犯人に聞くとしよう。これだけは言える、とりあえず、悦子はもちろん、ミマヨも心配ない。


 なぜならミマヨは今アメリカに来ているから。


 ミマヨはTたちが日本を出国した二日後に突如アメリカ留学を発表し、直ちに旅立ったのだ。


 Tはそれをネットのニュースで知った。


 留学は真っ赤な嘘で、おつうが武蔵を追うようにミマヨはTを追ってきたのだ。


 Tがアメリカのどこにいるかもわからないのにだ。


 ミマヨの行動力は図抜けている。


 熱い女だ。


 ミマヨはTがどこにいるかわからなかったが、Tはパリナを見つけ出したように、すぐにミマヨの居場所を突き止めた。


 ミマヨに気づかれないようにガードも付けている。


 国素殺害のときミマヨが一緒にいたことは、事件そのものとは関係ないことから世間には公表されなかった。


 だが噂は流れていた。


 おそらく現場にいた特殊部隊員の口から漏れたのだろう。


 一連の犯人は、いずれ必ず悦子とミマヨに魔の手を伸ばしてくる。


 そう考えて間違いない。


 屠塚の妻・早苗、その娘・樹里、青忌のメイド、涜原の三人の孫娘・景、徳、鎮、靺田の五人の愛人たち、大唾の愛人・リナ。


 十六日間で十二人が殺されている。


 殺害のペースを考えると敵はすんで・・・のところで悦子とミマヨをとり逃し歯噛みしているはずだ。


 悦子をおとりにする気はTにはさらさらない。


 ミマヨが殺されたら、Tは犯人を追う手がかりを失う。


 危ないところだった。


 この時点でTは確信していた、敵の中に同じ能力者がいると。


 ミマヨとともに日本に戻り、奴らが襲ってきたところで皆殺しにする。


 Tの心の中の軍事法廷が、まだ見ぬ敵に死刑の確定判決を下した。


 問答無用の欠席裁判だった。


 恩赦おんしゃなどあり得なかった。


「ねぇ、もう一人って、誰?」

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