第19話
やることは
まず守衛室を出ると玄関スペースがあり、その先を右に進むと食堂が、食堂に入ると右手に厨房がある。
厨房は土日祝日は無人だ。
厨房の鍵を使って解錠し、内部を点検する。
特に異常はない。
食堂を抜けると一階東側の出入口がある。
そこまで行くとまた守衛室まで戻り、厨房の鍵を壁のフックに戻す。
再び守衛室を出ると今度はその先を左に進む。
階段を昇ると二階にオフィスがある。
土曜日だったので午後八時の巡回時に施錠してあった。
そのまま三階まで昇る。
東階段までの通路の左側に会議室などいくつか部屋があり、施錠しない部屋は一応内部を点検する。
東階段に到達すると一階まで降り、外に出る。
本社の北側に工場があり、中に入って南側を点検する。
入るときと同じドアから外に出て、本社の東側にあるコンプレッサー室や品質改善場などを点検しながら進む。
要するに工場を中心としてその周囲の建物を同時並行的に点検していくのだ。
工場は広いので南側、東側、北側、と分けて点検していくわけだ。
物置、工場南側、発電室、浄水場、工場東側、LPGタンク、資材置き場、工場北側、北側駐車場、
土曜の夜なのでほとんど残っている車はなかった。
ここまで四十分ほど経過していた。
全身ぐっしょり汗をかいていた。
夏はいつもこうなる。
制帽の内側も汗で蒸れてビチョビチョだ。
Tは巡回の途中で何度か帽子を脱ぎ、ハンカチで頭を拭き、帽子の内側も拭いた。
ほぼ無風状態だった。
南駐車場のさらに奥、東に向かって右手に垣根が並ぶ小道を十メートルほど歩いた先に、垣根に隠れるようにして外来者用の駐車場があった。
巡回コースはそこまでとなる。
予想した通り一台もなかった。
しばし立ったまま空をあおぎ休憩する。
道路に向かって北西の空を見る。
巡回途中に何度か見上げてわかっていたが、蒸し暑い夜に相応しく全体に薄く雲がはっていて星がよく見えなかった。
オレは何をやっているのだろう。こうやって、このままオレは歳をとっていき、やがて死んでいくのか……
巡回コースの最終地点であるここに来て夜空を見上げる度同じことを思った。
今、隕石でも落ちてきてオレに当たれば。それでオレの人生が終わるならそれでもいい……
いつもながら空しかった。
曇り空にかすかに光るものが見えた。
「?」
目を凝らすとそれは緑色に光る何かだった。
とても小さくて錯覚かとも思ったが確かに緑色の光が視認できる。
これは、まさか、隕石?
見失わないように見続けた。
クソ、曇り空のせいでよく見えん。どこだ? どこ行った?
だんだん光がはっきりしてきたような気がする。
おお、見える見える。今度はちゃんと見えるぞ!
こんなもの今まで一度も見たことがなかった。
すげえ。何だよこれ。近くに落ちると拾いに行けるんだがな。絶対高値で売れるぞこれ……
ますますはっきり見えてきた。
ん? 何か変だな……
本能に根ざしたような妙な違和感があった。
……よくわからんが何かこのまま見続けてるとヤバい気が……
〝事故死〟という言葉が頭に浮かんだ。
……何でそんな言葉が……
違和感は危機感に変わっている。
……おい、まさか! これってまさか! こいういう場合よくある最悪パターンの!
ようやく気づいた。
こいつはっ! オレに向かって来ているじゃねえかぁぁぁあ!
気づいたときにはもう遅かった。
あ! ああ! あああ! ヤバいっ! 当たるっ! オレにっ! マジかっ! こんなっ!
あわてふためく思考とは逆に体は蛇に睨まれた蛙のようにピクリとも動かなかった。額に衝撃。焼けるような痛み。肉の焦げる臭い。頭蓋を通って後頭部から飛び出した何か。全ては一瞬だった。
……こんなっ、最期かっ、オレのっ、人生……
全てが闇に包まれた。
「ちょっと待って。あたしそれ知ってる! その緑色の隕石の話……四年くらい前にニュースでやってたやつだよね? 一晩で日本にたくさん隕石が落ちたってやつでしょ」
「覚えてたか。そうだよ、それだよ。オレに当たったのはそのうちの一つだよ。多分だけどな」
帰宅したTは自分が隕石の直撃を受けた昨夜、日本列島に数百個の隕石と見られる謎の物体が飛来していたことをネットで知った。
それらのほとんどは狙い澄ましたように長野県から岐阜県にかけての山脈地帯に集中的に落下していた。
そのお蔭で奇跡的に人的被害は出ていなかった──Tを除いて。
テレビやネットの動画には、あたかも緑色の打ち上げ花火の残光のようなものが映っていた。
こいつか~っ!
落ちた隕石を探しに多くの人々が山に入ったが、見つけた者はいなかった。
どうやら緑色に光っていたのは地面に着地するまでの間のようだった。
何日か経ったあと、たった一人、落下直後の隕石らしきものを撮った動画をUPした。
長野県
専門家の話では、仮にその発光の正体が微生物などの生命体だったとしても、地球の環境には適さなかったので、すぐ消えてしまったのだろうとのことだった。
その動画のお蔭で、発光しなくなったあとの隕石がどんなものかわかったので、日本全国で山から隕石を探し出し拾ってくる者が続出した。
発見されたそれらはかなりの高値で取り引きされた。
いくつかは国の研究機関が回収したらしかったが、以後何の報告もされることはなかった。
いつしか人々はそのことを記憶の片隅に追いやっていった。
「その隕石のせいで今の能力が身についたの?」
Tは隕石が直撃した場面以外は、キチガイの隣人のこと、自分がハゲ散らかした寂しい中年男だったこと、警備員をやっていたこと、などとはまるで別の作り話をしていた。
本当のことは誰にも言うつもりはなかった。
岐阜県山中で木こりをしていた設定にしていた。
「察しがいいな。そうなんだけど、もうちょっと喋らせろや」
目が覚めると辺りは明るくなりかけていた。
Tは外来者駐車場の地面の上に横たわっていた。
……なんだ、何があった……そうだ、オレは確か隕石? の直撃を受けて……
顔をゆっくり、少しだけ左右に動かす。
指先を動かしてみる。
普通に体は動く。
腕時計の蛍光の針を見る。
午前四時五分だった。
体を左に捻りながら慎重に、静かに立ち上がった。
地面を見てぎょっとした。
Tが倒れていた辺りに何かがめり込んでいた。
なんだ? これは……やはり隕石か?
周囲の砂利土を掘り起こしその正体を確認する。
かなり重い。
やはり隕石っぽいな。すげえ、本物かよ! でも黒いな。緑色に光っていたはずだが……て待てよ?
気を失う直前のことを思い出した。
ヤバい! ヤバいヤバいヤバいぃぃぃ!
額に手を当てようとして止めた。
痛みはないが傷口に砂利土のついた手で触るのはまずい。
そんなレベルの話じゃねぇ!
とにかくここじゃ何がどうなっているかわからない。
直ちに守衛室に戻ることにした。
とは言え、傷口に響かぬよう、転ばぬよう、慎重に歩き出したのだが――
「?」
体が軽い。
おいおい何でこんなに体が軽いんだ?
まるで雲の上を歩いているようだった。
両足にローラースケートならぬ筋斗雲を履いているようだった。
風に運ばれるように守衛室に戻っていた――いつも五分かかるところが一分もかからなかった。
ひったくるようにデスクの上の手鏡を取る。
気絶しないように覚悟を決めておそるおそる覗く。
なにぃ~っ!
信じられなかった。
額はおろか頭のどこにも傷一つついていない。
そんな馬鹿な……! いや無事なのはいいんだが! そうするとあれは夢だったのか? あんなリアルな夢があるのか? いや、断じてあれは夢ではない!
もしあれが幻覚だったなら、いよいよ自分はヤバい、とTは思った。
宗教家が見る幻覚みたいなもんか? ユタの
魔境だけはないと思った。
ただ、夜空を眺めていただけだ。
あのときのTが禅の境地だったとは思えなかった。
どれだけ頭をひねったところで答えが出るはずもなかった。
……まぁいいや。いや全然よくねえけど! オレにはもう何がなんだかわからん。考えたって無駄だ。
急に何もかも面倒臭くなり、Tはそれ以上そのことについて考えるのをやめた。
午前五時からの最後の巡回を終えると守衛室で時間まで固定監視を続け、午前八時にもう一人の警備員と交替し帰宅した。
実際はそういうことだったが、Tはそれを山で倒れていて目が覚めてから小屋に帰ったというふうに話した。
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