第17話

 あれから一ヶ月──


 五月下旬の心地好い風が吹く中、島田刑事は療養のため貰った休暇を利用して皇居周辺をランニングしていた。


 驚いたことにあれだけの大怪我が完全に治癒していた。


 医者も信じられないようだった。


 常識ではあり得ない回復力だった。


 思い当たることが一つだけあった。


 Tの唾液だ。


 誰にも言わなかったが完治したのはそのお蔭だと確信していた。


 あいつは人間じゃなかった。


 明らかに以前より体調が良い。


 何をやっても疲れを感じることがない。


 心身ともにかつてなくエネルギーが充溢している。


 それが異性を惹き付けるのか、島田の人生にかつてない最大のモテ期が到来していた。


 こう言っては刑事失格かもしれないが、今はもうTに対する憎しみや恨みの気持ちはなかった。


 むしろTに土下座し、その足の甲にキッスの雨を降らせながら感謝の意を表したい気持ちだった。


 Tが十人目のZ務事務次官経験者殺しを敢行し、逮捕され、すぐまた警視庁から脱走したあの日から今日までの間に、日本社会には大きな変化があった。


 それを象徴するのが、突然の消費税の廃止と、法人税をかつての四十パーセント台まで上げるということと、タックスヘイブンの全面的禁止という政府の決定だ。


 亜婆首相以下、枕を高くして眠るにはそれしか手はなかった。


 あれほど強硬に増税に次ぐ増税を言い立ててきたZ務省内部にも反対する者は皆無だった。


 Tが言っていた通り、しょせん命あっての物種だった。


 これには上級国民を除いて全員が拍手喝采した。


 ただし、この決定をした亜婆政権に対してではなく、Tに対してだった。


 警視庁から脱走したTは未だ消息不明。


 その際、名前は公表されず、代わりに似顔絵が使われたのだが、描かれた顔があまりにも美男子だったこと、殺しの対象が上級国民の中の上級国民である歴代Z務事務次官だったことから、世間では『世直し王子』『イケメン大明神』などと呼ばれていた。


 三人いた生き残りOBももはやこの世にはいなかった。


 死と隣り合わせの極限の状況。


 彼らの心臓がいつまでも持つわけがなかった。


 Z務事務次官の座は空席のままだった。


 Tが捕まっていない、捕まる可能性がないとも言えるこの状況では当然と言えば当然だが、誰もなり手がいなかった。


 Tが言った、十人殺したらやめるつもりだったという言葉は公表されていたが、実際にZ務事務次官になる立場の人間にそれを素直に信じろというのは無理だった。


「んふ、らむぅ……あぁぁ、らもぉっ!」


 下からTに突き上げられながらミマヨが叫ぶ。


 国素邸ではTに無理矢理言わされたが、今では自分から積極的に言うようになっていた。


 Tが喜ぶ魔法の言葉だ。


 いまだに意味はわからなかった。


 だがしかしミマヨは世間のイメージとは違い、頭空っぽの馬鹿女ではなかった。


 それはそうだ。


 いくらカラダが良くても計算高くなければ超人気モデルになれるわけがなかった。


 Tの前では喋って母乳を出すラブドールでしかなかったが。


 国素に一括払いで買ってもらった都内の高級マンションの一室。


 家具から調度まで全てが高級尽くしなこの部屋は三日前からTの仮住まいになっていた。


 国素邸でミマヨに悪戯したとき、去り際Tはミマヨの耳元で次は本番をやってやると囁いた。


 その約束を果たしに来たのだ。


 キングサイズのベッドの上で繰り広げられる痴態。


 Tは背後からミマヨの特大級の両乳房を鷲掴み、破裂させんとばかりに握り潰す。


 ミマヨの両乳首からくじらしおのように母乳が噴き出す。


 真っ白な肌はピンクに染まっている。


「あーっ! いいっ! いいっ! ……もっと! もっと! あたしの! おっぱい! ムチャクチャにしてえっ!」


 勝ち気な性格とは反対にミマヨは真性のドマゾだった。


 いや、ミマヨにとってこの世で唯一信じられるものが力であるからこそ、圧倒的な力の象徴であるTの前では、何もかも脱ぎ捨てて浅ましいめすの本性を晒け出せるのだ。


「くあっ! あーっ! いっくうぅぅぅう!」


 五度目の絶頂を迎えたミマヨは中国雑技団の少女のように仰け反ると、背中からどさりとTの上に倒れ込んだ。


 あれだけ徹底的に乱暴に扱かわれ揉みまくられた乳房は全く型崩れしていなかった。


 まるで形状記憶おっぱいだ。


 しばらくその状態で荒く息を吐いていたが、やがてうつ伏せになりTの厚い胸板に顔を埋めた。


 ゴムまりの弾力を保った乳房のせいで、ミマヨの上半身は直径十五センチの二つのゴムボールの上に乗っかっているようだった。


 Tの乳首にキスをする。


「ねぇ……あれやって?」


「またかよ。そんなにあれ面白いか」


「うん。だって凄いんだもん。ねぇん、やってやって」


「わかったよ……ほれ。どうだ」


 Tの体は段々ぼやけていき、完全に消えてしまった。


 だが肉体はそこにあるらしく、ミマヨはベッドから三十センチくらい浮かんでいるように見える。


 ミマヨが歓声をあげる。


「すごーい! ねぇ、どうやってやってんのこれ」


「どうやってって。まぁ簡単に言うとだな、タコ烏賊イカの保護色みたいなもんだ。おまえ見たことねえか、蛸や烏賊が海ん中で背景に溶け込んでしまう動画とかよ」


「あー、知ってるそれ! 見たことある。あれ凄いよねー! ってT、あなた同じことができるの?」


「同じっていうか、もっと高度なレベルでだけどな。オレのは完全に背景に溶け込めるレベルだからな。どの角度から見てもわからないようにな」


「すごーい! 何なのそれ。何でそんなことができるの? できるようになったの? 他にも全身つるつるになったり、脱皮したり、別人に変身したり出来るよね、何で?」


 三日前に突然現れたTは、国素亡きあとミマヨの部屋に入り浸っていたK団連の盛肚(さかりばら)という男を駆除してくれた。


 その際、ミマヨの前でTは全裸のままマネキンのように全身無毛の状態になったり、その姿からザリガニのように脱皮してみせたり、さらには裸の状態からスーツを着た盛肚に変身してみせたりしたのだ。


「やっぱそれ聞いてくるよな」


「聞きたい聞きたい。ねぇん、教えて?」


「その前にこれも見たいだろ」


 Tはぬいぐるみをどかすように軽々とミマヨをどかしベッドから降りて立ち上がった。


 Tの美しいギリシア彫刻のような裸体の、首から上、手首と足首から先を除くほぼ全身の皮膚がモコモコと隆起し出し、人工的な色が浮かんできた。


「……!」


 ミマヨの目が驚愕に大きく見開かれる。


 見る間にTは紺色の作業服の上下を着た姿になった。


 あまりのことに口から言葉が出てこない。


「要するにオレは、自分の皮膚を色んな状態に変化させられるんだよ。オレはいつも全裸で、服は皮膚を変化させてるだけだから、服を着た姿のまま透明にもなれるってわけ。ちなみにこの服は脱ぐこともできる。脱皮みたいなもんだから痛みもない。質感も本物の服そっくりにできる。ちょっと見ただけじゃ普通の服と見分けはつかない。脱いだら数時間で分解しちゃうけどね。他にもいろいろできる。皮膚を鋼鉄のように硬くすることもできるんだぜ」


 これが、Tが神出鬼没だった理由だ。


 指紋は皮膚を変化させて消す。


 靴も皮膚を変化させてそう見せているだけで実際は穿いていないし、靴裏つまり足裏もつるつるに変化させれば分析できるような足跡は残らない。


 さらに疑似靴は家に入る直前に極薄の透明な抜け殻にして砂利土とともに脱ぎ捨てる。


 抜け殻は極薄なら三十分もすれば分解するから傍目はためにはそれと全くわからない。


 家に進入したあとはヤモリのように壁や天井に張りついていた。


 警察犬がいると臭いでバレて厄介だったが、なぜか警察は警察犬を使わなかったので助かった。


 多分、犬に手柄を横取りされたくなかったのだろう。


 屠塚や蚊藤を殺した際に浴びた返り血は皮膚を脱皮して自分で食った。


 星堕の首を刎ねたときは手刀を本物の刃のように硬質化させた。


 警視庁から脱走するときは一旦支給された服はトイレで脱ぎ捨て、皮膚を服に変化させていた。


 全ては、瞬間移動と思わせるためだった。


 こんなトリックが見破られるはずがなかった。


 この人は人間じゃない。今さらながらにミマヨはそう思った。


「おーい、ミマヨ、起きてるか?」


 呼びかけられハッとする。再びTの姿が裸体に戻る。


「う、うん。大丈夫」


「フフフ。こんなの見せられたら誰だって驚くよな。驚かない奴がいたらそれはオレの同類だ。で、どうしてオレがこういうことが出来るようになったか、だったな。じゃあ話してやるか。あの運命の夜のことを」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る