第13話

「なんだって! そんな、そんなまさか、国素君までが……なんということだ」


 今まで「さん」づけで呼んでいた自分より年下の相手を初めて「君」づけで呼べたことに震えるほど感動していた。


 閣僚たちはそんな亜婆の気持ちをわかるはずもなく、「総理、お察しします」「残念です、総理」などと口にしていた。


「で、どうなのかね、殺害された状況は。今までと同じように寝室でなのかね」


 青忌、涜原、野群、靺田、山済の五名は、いずれも寝室で首をへし折られて殺されたのだ。


 そう、これまでの五件の犯行は全て被害者の寝室で行われていた。

 寝室にまで警護が入るのはさすがにOB誰もが断ったのだ。


「いいえ、総理。国素元Z務事務次官の場合は階段から落ちて首の骨を折ったようです」


 沈痛な面持ちで国家公安委員長が答えた。


 なにぃ! 階段から落ちて首の骨を折っただってぇ? う、うひ、うひひひ……


 ただ死んでくれるだけでも嬉しい大嫌いな奴がそんな死に様だったのを聞いて思わず吹き出しそうになるのを決壊寸前のダムのように耐えた。


 亜婆が鬼のような形相で顔を真っ赤にして額とこめかみに血管を浮き上がらせて震えているのを、またしても凶行がが起きてしまったことへの慚愧ざんきの念の現れと閣僚たちは受け取った。


 ……待てよ、それが何で殺された、という言い方になる?


 当然の疑問が頭をもたげ、亜婆は笑いをこらえる努力から解放された。


「君ぃ、それは殺されたとは言わんだろ」


「それがですね総理、どうも誰かに突き飛ばされたようなのです。 それにただ階段を転げ落ちた程度ではあり得ないダメージが遺体の頸椎けいついに見られるとのことです 」


「なんだと? では誰か犯人を見たのか?」


「いいえ。誰もそのような者は見ておりません」


「ふむ……まぁいい。ではその件も含めて閣議を進めるとしよう」


 それから改めて八件の事件の概要がいようが説明された。屠塚、蚊藤については読者の知る通り、以下は青忌から国素までの六件の事件のあらましである。


 青忌元Z務事務次官は、蚊藤元Z務事務次官が殺された六日後の四月十二日に自宅の寝室で首をへし折られて殺された。


 死亡推定時刻は午後八時。


 警護についていた五名の特殊部隊員は鉄壁の態勢で邸を守備していたが、誰も犯行に気づかなかった。


 誰ひとりとして犯人の影も形も見なかった。


 特殊部隊員を除き邸内には青忌と二十歳の通いのメイドしかおらず、青忌の妻はオペラに出かけていた。


 青忌は午後八時になると、隊員たちの目を気にすることなくメイドと完全防音の寝室に入って内側から鍵をかけた。


 つまり入室してすぐ殺されたことになる。


 青忌はともかくメイドがいつまで経っても部屋から出てこないのを隊員たちはいぶかしんだ。


 午後十一時に妻が帰宅したが、隊員たちはメイドのことを黙っていた。


 隊員の一人が機転を利かせてメイドの靴は隠してあった。


 翌朝いくら呼んでも起きてこない夫を不審に思った妻の了承の元に、隊員が、そののち展開されるであろう夫婦の修羅場を覚悟して寝室のドアをこじ開けたとき、そこには首をへし折られた青忌の遺体と素っ裸で倒れているメイドの姿があった。


 メイドは失神しており強姦されていた。


 検出された体液は屠塚、蚊藤殺しの犯人と思われる男のものと一致した。


 涜原元Z務事務次官は、青忌元Z務事務次官が殺された二日後の四月十四日早朝に自宅の寝室で首をへし折られて殺された。


 死亡推定時刻は午前六時。


 二日前に青忌を警護していた隊員のひとりが加わって六人体制だったにも関わらずこの有り様だった。


 涜原は妻と娘夫婦と三人の孫娘──景(けい)二十四歳、徳(のり)二十二歳、鎮(しず)二十歳──の七人で暮らしていた。


 前日の午後十時頃、孫娘三人は徳の部屋に集まっていたが、そこから奇妙な気配がするので隊員の一人が両親を呼んだ。


 しばらく聞き耳を立てていると、次第に声は大きくなり、しまいにはあえぎ声や絶頂を迎える声が間断なく聞こえてきた。


 ドアには鍵がかかっていて、両親はドアを開けろと命じたが三人とも頑として聞き入れなかった。


 もしドアを開けたら三人とも死ぬと叫んでいた。

 本気の響きがあった。


 隊員たちも手をこまねいていた。


 三時間後ようやく静かになったかと思うと内側から鍵を解く音がした。


 父親が恐る恐るドアを開けると、そこには汗みどろになって息も絶え絶えで重なるように横たわっている三人の娘たちの姿があった。


 父親はその光景を目にして不覚にも美しいと思った。


 部屋中にむせるような男の体液の匂いが充満していた。


 しかし当の男の姿はどこにもなかった。


 三人はそのまま両親に付き添われて救急車で病院へ搬送はんそうされた。


 三人から検出された体液は一連の事件の犯人と思われる男のものと一致した。


 そんな大騒ぎを経て深夜二時に寝室に入った涜原は六時間後、息子夫婦の許可を取ってドアをこじ開けた隊員たちの目の前で遺体になっていた。


 野群元Z務事務次官は、涜原元Z務事務次官が殺された翌日の四月十五日早朝に自宅の寝室で首をへし折られて殺された。


 死亡推定時刻は午前五時三十分。


 野群の邸には青忌、涜原を警護していた隊員のうちの二人が加わっていた。


 野群には今なお健在の母がいて、蔵からカビ臭い薙刀なぎなたを持ち出して可愛い我が子を守ると息巻いていた。


 隊員たちにとっては邪魔以外の何者でもなかった。


 野群の母は隊員たちを頭から信じていず、おまえらは能なしだ、帰れ帰れとひっきりなしに言うので隊員たちは本当に帰りたくなった。


 当然この母の寝室は野群と一緒だった。


 野群の母にいじめ倒された妻は野群が退官すると同時に離婚していた。


 母に言いくるめられて野群はそれまでは頑として離婚を受けつけなかった。


 野群は息子夫婦とも絶縁していた。


 こんな家だからメイドも川劇せんげきのお面のように目まぐるしく入れ替わるので悪評判が立ち、しまいには応募者がゼロになった。


 なのでそのとき邸内にいるのは特殊部隊員を除けば野群母子だけだった。


 特に変わったこともなく、朝になると野群は遺体になっていた。


 野群の母はショック死していた。


 いやこのときとてつもなく奇妙なことがあった。


 早朝、寝室から「お~い! こいつら死んでるよ! 言っとくけどオレが殺したのは野郎のほうだけ! ババアは勝手に死んだからな! チェキラゥ!」という声がしたのだ。


 ドアを蹴破って隊員たちが殺到したとき、どこをどう探しても野群母子の遺体しかなかったが。


 靺田元Z務事務次官は、野群元Z務事務次官が殺された同日の四月十五日に自宅の寝室で首をへし折られて殺された。


 死亡推定時刻は午後十時三十分。


 青忌、涜原、野群殺害後、靺田たち生き残りOBの警護に割り当てられる特殊部隊員は各十人体制になり、警護しているという事実も公式発表された。


 靺田邸の正門前にポリスボックスが設置された。


 特殊部隊員とは別に、機動隊から二個小隊三十二人の応援が入り、邸を囲む頑丈で高い塀の内側の至るところに配された。


 靺田邸には寝たきりの妻とそれを介護する住み込みの家政婦、靺田の世話をする名目で五人の愛人がいた。


 靺田は晩年の毛沢東のように若い女のエキスを吸うのが目的だったので、全員もれなく十八歳から二十二歳までのピチピチの美女ばかりで、靺田は毎晩彼女たちを並べて寝かせてその上を這いずり回りながら眠りに落ちるのだった。


 そのときも警護の隊員たちの白い目を気にすることもなく、命を狙われているなどどこ吹く風のどんちゃん騒ぎを愛人たちと繰り広げた挙げ句、五人を引き連れて寝室に入ると内側からガッチリ鍵をかけたのだった。


 それを見つめる隊員全員苦虫にがむしを噛み潰したような顔だった。


 その夜はとりわけ激しく絡み合っていた。


 早朝まで女たちのあえぎ声や絶頂を迎える声が何度も聞こえてきた。


 居合わせた隊員の誰もが思った、この老人は化け物かと。


 ようやく静かになった、と隊員誰もがほっと一息ついたとき、またしても寝室から声がした。


「お~い! 靺田は始末したよ! 君たち早く入ってきなさい!」


 謎の声が言い終わらないうちに隊員たちは寝室になだれ込んだが、やはり声の主はどこにもいず、首をへし折られた靺田の遺体が超巨大サイズのベッドの下に転がっていて、ベッドの上には汗みずくになった五人の女たちのあられもない姿があっただけだった。


 野群のババアのショック死体とは大違いで、隊員たちにはたいへん眼福がんぷくであったのは言うまでもない。


 五人から検出された体液は一連の事件の犯人と思われる男のものと一致した。


 山済元Z務事務次官は、靺田元Z務事務次官が殺された三日後の四月十八日未明に自宅の寝室で首をへし折られて殺された。


 死亡推定時刻は午前三時。


 山済の邸は古式ゆかしい日本家屋であった。


 山済の他には上品で人の良さそうな妻と、大柄で毛深く筋骨隆々な十九歳の書生しょせいが一人いるだけだった。


 邸を囲む防波堤のように高い塀の内側は、ターシャ・テューダーもため息をつくような花鳥風月のテーマパークだった。


 池には一匹何千万円もする鯉が何十匹も放されており、また広大な敷地には京都竜安寺りょうあんじ石庭せきてい大仙院だいせんいん枯山水かれさんすいしたものなども作られており、その景観はまさに日本の美を凝縮ぎょうしゅくした、幽玄の極みといったおもむきであった。


 山済は趣味で居合をやっており、かなりの腕前だった。


 いつも寝るときは国宝級の日本刀を枕元に置いていた。


 腕に覚えがあるためか、寝室も鍵などついてなく、と言うより寝室自体がふすまひとつへだてただけの畳敷の部屋であった。


 何かあればすぐに飛び込めるようになっていた。


 山済と同じ寝室で、書生も寝起きしていた。


 山済はかくしゃくとしており、猛禽類もうきんるいを思わせるその風貌は何物に対する恐れも感じさせず、その所作しょさからは一分の隙も見出みいだせなかった。


 そしてなによりその性格は豪放にして磊落らいらくであり、一般の国民がZ務官僚に対して持つ、陰気で卑怯者の宦官かんがんのようなイメージからはかけ離れていた。


 そんな山済なので隊員たちとはすぐに打ち解け、警護の合間にも特殊部隊員と談笑するだけでは収まらず、わざわざ邸の外に出て新たに配備された機動隊員にまでに親しげに声をかけてまわる始末で、もはや一緒に邸を守っているようだった。


 これまで必死の警護も空しく既に六名のZ務事務次官OBが殺されてきている中で、この人だけは、山済だけは何としてでも守りたいとその場の全員が思っていた。


 だが次の日の朝、山済は襖ひとつ隔てた寝室で首をへし折られて遺体になっていた。


 書生が遺体のそばで正座し声を出さずに泣いていた。


 書生は山済から遺書を預かっていた。


 それには山済は末期のガンで、むしろ殺してくれて犯人に感謝すると書いてあった。


 剖検ぼうけんの結果、山済は末期の膵臓すいぞうガンだった。


 警察は同一犯と推定した。

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