第8話

 Tもそんなことは覚えていなかった。


「あ? どのへんでだったかな~、気付いたら死んどった、ぶははははははは!」


 それは寿司ルーレットでひとつだけ大量にワサビの入った寿司に当たった人が次の瞬間、口の中のものをいっぺんに噴き出すような笑い方だった。涙目になっていた。ワサビのせいではもちろんない。


 そのときの情景を思い出し、それがおかしくて堪らないといった様子だった。

 おぞ気が走った。


 死亡推定時刻はちょうど日付が変わった四月五日午前零時。

 殺害が行われた寝室は完全防音だったため、近所の住人は惨劇に気付かなかった。

 事件は屠塚の運転手によって発覚した。


「あー、ははは。さて、じゃあ次。屠塚の次に殺ったジジイ、なんつったかな、ああそうそう蚊藤(かとう)、蚊藤の話行こうか」


 両手の中指で涙を拭きながらTが言った。


「ちょっと待て」


 制止する村西。


「今の話はまだ終わっていない。どうやって屠塚Z務事務次官の部屋に入った? 後で言うって言ってたろう」


「んー? ああそうだったな」


 言ってTは鷹揚おうように頷く。


「後で言うってのは全部話した後だ。ていうのは、全部同じ方法でだからだ。最後に言えば無駄が省けていい。そうだろ」


「同じ方法だと」


 村西はキリリと引き締まった濃い眉毛の下にあるミミズクのような目を細めてTをを見た。


 全部同じ方法……言われてみればそうなのかもしれない。

 Tは連続Z務事務次官殺害事件の最後の十人目の被害者の現場で逮捕された。


 そのときの状況はあたかもそこで逮捕されることは予定通りであったかのようなわざとらしさがあり、その点でも大いに不可解であったが、そんなこととは比較にならないくらいの不可解極まる共通点が、それら十件の犯行現場にはあった。


 端的に言うと犯人を特定できる痕跡が皆無だったということ。


 指紋はなく、靴跡もなく、当然靴裏に付いているはずの小石、土なども発見できなかった。


 あらゆる侵入可能な場所においても、鑑識係が徹底的に現場検証したにも関わらず、微塵みじんも痕跡を発見できなかった。


 これはどういうことであろうか? 

 確かにTに指紋はなく、靴跡も靴に布でも巻けば残さず済むだろう。


 だがたとえ靴に何かを巻いていたにしてもだ、そこについていたであろう砂利、土すら落としてないとはどういうことか。


 更に、現職一人に元九人のZ務事務次官の邸宅ていたくのどの防犯カメラにも、その邸宅を取り巻く周辺一帯の防犯カメラにもTの姿は影も形も全く写っていなかったのだ。


 まるで透明人間の仕業か、あるいは殺害現場の部屋に瞬間移動したようにしか思えなかった。


 そう、まさに瞬間移動。


 その瞬間移動したとしか思えない、全ての現場で共通した侵入方法、どうやってやったかまるでわからないが、確かに同じトリックによるものかもしれない。


 思いながら村西はTに問い質した。


「全く同じ方法なのか」


「全く同じ方法だ」


「そうか……まぁいい、続けろ」


「オレはオレの意図を世間に知らしめるため、その記念すべき最初のターゲットとして、屠塚にとびきり残酷な処刑方法を実施してやった。オレは屠塚にすぐにとどめを刺さないで、ガキがウスバカゲロウの羽や足をプチプチもぐように肉片をむしり、抉り取り、生まれてくるんじゃなかったと思うような激痛を何時間もかけて味あわせてやった。まぁ聞けや。楽には死なせなかった。それはな、連中の特権的人生と、連中に好き放題搾取され、干上がったミミズのようになすすべもなく死んでいく大多数の庶民の人生との帳尻合わせする必要があったからさ」


「帳尻合わせだと」


「そうだ。奴ら高級官僚は、何も並外れた努力をしたわけじゃない。世襲だ。イカサマだ。インチキだ。親が高級官僚ならその子供はバカでもアホでも自動的に高級官僚になれる。公務員試験、マークシート方式? いくらでも操作できる」


「そんなわけあるか」


 思わず笑いながら村西は言った。


「俺はちゃんと試験受けて自分で答え書いて、後で自己採点もしてみたが間違いなく書いた通りの結果だったぞ」


「あんたは実力で受かったんだろ。でもな、本来落ちるはずの奴らが、実力では受からない奴らが、親のコネで合格してるんだよ。イカサマ採点でな」


「アホ抜かせ」


 日本刀の切れ味で遮るように村西は言った。


 あり得ない。そんなこと絶対にあり得ない。もしそんなカラクリがあったら、この国の未来には破滅しかない。ある意味生きながらにして腐敗が進行している状態ではあるが……


 しかし村西が日本刀の切れ味で言下に否定してみせても、Tもまた、その歪みきってはいるが絶対に崩れない不動の信念というか妄想を確固として維持しているのだった。


 にしても脱線もいいとこだ。こいつの話は脱線だらけだ。最初の告白、全部が脱線だったではないか。


「蚊藤元Z務事務次官の件だ」


 いささかうんざりして村西が促す。


「そうそう蚊藤のおじいちゃんの話だったな。こいつは傑作だぞプフフフ」


 高級官僚とミミズのように干上がって死んでいく庶民の人生の帳尻合わせの話はどうでもよかった感じであった。


 ここからは再度、島田記録係の出番だ。

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