第7話

 全ての始まりとなる事件は、この日、四月四日の夜、起きた。


「何だおまえは!」


 思っていた通りこれが屠塚の第一声だっだ。五十七歳。つやつやと血色のいい顔に恰幅かっぷくのいい体型、六割方白髪の頭を七三に分けている。


 傍らには妻らしい四十半ばの女と、十八歳くらいの娘とおぼしき少女がいた。


 Tがその二人を凝視していると──


「どうやってここに入った! 何の用だ!」


 屠塚が怒鳴る。


 Tはそんな声などまるで耳に入らないような風で、そもそも屠塚殺害のために侵入したにも関わらず、屠塚など最初からどうでもいいかのように、目を皿のようにして屠塚の妻と娘を、特にその胸部を、代わる代わる舐めるように凝視しているのだった。


 というのも、二人の胸は、すれ違った男の誰もが必ずや振り返らずにはいられないだろう、ある種の郷愁きょうしゅうを感じるような、持ち主の性格は関係なく相手に母性というものを思い出させる豊かな膨らみを誇っていたからだ。


 四つの乳房の持ち主の二人は、自分たちの胸へのTのこれ以上ないあからさまな視線を受け、Tが無礼極まりない闖入者ちんにゅうしゃであることを十分承知の上で、なぜか頬を上気じょうきさせ、更にはTに向かってそれぞれの持つ二つの隆起を見せつけるように突き出してさえいるのだった。


 そう、Tを見た瞬間からこの二匹の雌は完全にTに呑み込まれていたのだ。


「おっぱいおっぱい」


 そう言いながらTは屠塚の妻の胸に手をマジックハンドのように開閉しながら近づけた。


「きさまっ!」


 屠塚がTに掴みかかろうとした刹那──


「おっぱい欲しいの?」


 という屠塚が今までに聞いたこともないような、天上の調しらべのような優しい慈愛に満ちた声が頭に響き、屠塚の動きを止めた。


「?」


 屠塚は声の聞こえたほうをゆっくり見た。

 そこには妻の、屠塚が二十五年の結婚生活の中で初めて知った妻の顔があった。


 とろけるような笑顔でとろ~んとした目付きで、うっとりとしっとりとTを見つめ続ける妻・早苗(四十五歳)の顔が。


「この人を刺激してはいけないわ。落ち着かせなくてはいけないのよ。私に任せて」


 呆然と妻を眺める屠塚の視線には一瞥いちべつもせずにそう語る口調には、赤子に言い聞かせるようにやさしいが、断固として屠塚の反論を受け付けない、最高裁判所の判決のごとき覆しようがない決定事項を述べる響きがあった。


「あなたは赤ちゃんなの? 私でよければ話を聞いて、あなたの願いも叶えてあげるから向こうの寝室へ行きましょう」


 と既にTに胸を鷲掴みにされ揉みまわされながら、溜め息を洩らすようなあえかな震え声で屠塚の妻は言うのだった。


「おっぱいおっぱい」


 Tはそればかり言いながら胸を揉んだまま屠塚の妻に導かれつつ寝室へ向かう。

 一緒に屠塚の娘・樹理(十八歳)の腕も掴み連れていこうとする。


「あっ、娘は堪忍してください」


 言ったものの完全にTに無視を決め込まれ、それで全ての反論の気力を失ったように、屠塚の妻は沈黙し大人しくTを寝室に誘った。


 釣り上げられた深海魚のように飛び出さんばかりに目を剥き、下唇の突き出た口をパクパクさせていた屠塚は、遅まきながらスマホで警察を呼ぶことにようやく気付いた。


 登録番号を呼び出し電話をかけようとしたまさにそのとき、目の前にTがいた。


 なっ! こいつは人の心が読めるのか? 


 同時に鳩尾に強烈なボディーブロー。


「オゴポゴーッ」


 未確認生物を発見した探検隊の隊長のような叫びを上げて屠塚は気を失った──


 気付くと屠塚は寝室にいた。


 靴下とトランクスを残して裸同然の格好で、居間から持ち込んだ木製の椅子に座らされ縛り付けられ、そのロープは部屋の外に続いており、どこかビクともしない頑丈なものに結びつけられているようで、いくら力の限り暴れたところで全くほどけそうになかった。


 それは屠塚を絶望させるに十分な状況だったが、それ以上に屠塚を絶望させる光景が目の前に繰り広げられていた。


 そう、目の前では、北欧調の豪華な木製のダブルベッドの上で、屠塚の妻と娘がTにむさぼられていたのだ。


 さすがに具体的には書けない。これは出歯亀の好奇心を満たすための低俗な三文週刊誌ではない。


 だが代わりに島田記録係の拙い比喩をもってお伝えしよう。


 屠塚の妻は獣のように咆哮・絶叫しながら、充血したアワビをナメクジのようにテラテラと粘液ねんえきまみれにさせながら、Tのねちっこい変質者のような愛撫を受け入れていた。


 その粘液の量は凄まじく大量で、もしそのまま水の中に沈めたら、Tもろとも屠塚の妻の全身は粘液でできた分厚い膜に覆われてしまったことであろう。


 そう、ヌタウナギが敵から身を守るとき、全身を粘液でできた分厚い膜で覆うが如く。


 Tは屠塚の妻のナメクジのようにテラテラ光るアワビを、その亀裂きれつを押し広げ、その深奥しんおうを、内臓が見えるまで押し広げ、椅子に固定されている屠塚に見せつけてみせた。


御開帳ごかいちょう~、おら屠塚、いい眺めだろぉ~、もう二度と見ることはねえんだ、この世の土産みやげによっく見とけよ~」


 満面の笑みで屠塚に語りかける。


「うぬぬ……」


 全身から恐怖と怒りで滝のように汗を滴らせ歯ぎしりする屠塚。


「ああん、そんな奴に構ってないで、もっともっと私を可愛がってぇ~ん」


 従順な妻だった。


 女の選り好みが激しい屠塚が選びに選んだ学歴も容姿も文句の付け所のない妻だった。


 妻とのセックスにはバイアグラは不要だった。


 その妻が、二十五年連れ添ってきた屠塚を案山子かかしかペットの犬のように邪険に扱う。


 屠塚は怒りと屈辱で頭がクラクラした。


「許さん……絶対に許さんぞ……このままで済むと思うなよ……」


 腹の底から絞り出すような声で屠塚がうめく。


「わしを誰だと思っておる。Z務省事務次官、Z務省事務次官だぞっ! いいか、きさまのことはもちろんきさまの家族、親戚、縁戚、友人、その全てをしらみ潰しに調べあげて、全員、社会的に抹殺してくれる。全員人間として生きられないようにしてくれるぞっ」


 Tに愛撫されているのは屠塚の妻だけではない。娘も徹底的に責めさいなまれていた。


 十八歳だけあって若く張りのある肌。二つの乳房はお椀をひっくり返したように半円形で、横になってもちっとも崩れない。まるでゴムボールだ。


 屠塚の妻のそれは重力に逆らうほどの張りはないものの、ふにゃふにゃではなく、中身がぎっしり詰まった見応え揉み応えのあるそれであった。


 しかもただの巨乳ではなく、いまだ母乳が出るのだった。


 Tは噛みつくように乳首をくわえ、引きちぎるように乱暴に引っ張り、逆に顔をめり込ませ、それを交互に繰り返し繰り返ししているのだった。


 娘のアワビも大洪水だった。濃いピンク色の内部を、これまた丁寧に内臓が見えるまで肉襞にくひだを押し広げ、Tは屠塚に見せつけるのだった。


 Tは屠塚の妻に侵入し、娘に侵入した。

 その都度つど獣のような咆哮ほうこう・絶叫が起こるのだった。

 屠塚の目の前で屠塚の妻と娘を蹂躙じゅうりんしながらTは言った。


「おまえやおまえの仲間は本来日本国民の幸福のため、その下僕として慎ましやかに品行方正に働かなければならないのに、自分たちを上級国民、天上人だと思い上がり、自分たちの生活を維持し向上させるためだけに一方的な増税を続けている。不正にまみれ、国民の富を収奪し、塗炭の苦しみを味あわせ続けている。日本国民が誰も歯向かって来ないからだ。日本人は世界で一番大人しい。だがそれにしてもおまえたちはやり過ぎた。おまえらをたった十人でも自爆テロの的にすれば、多分おまえらも悪政を改めることだろう。所詮しょせん命あっての物種だ。だがそんな日本人はこの先も現れることはないだろう。それはわかってる。だからオレが立った。今はちんぽも立っている。そういう意味じゃない。わかるだろう」


「キチガイが……」


 屠塚が呻く。


「オレがおまえら腐れ外道の国賊を順番に片付けていってやるよ。明治時代から連綿れんめんと続いてる? いやもっと遥か昔の平安時代から? とにかくおまえら官僚機構をぶっ潰す。文字どおり物理的にな。そのためには一番のガン、総本山であるZ務省からだ」


 喋りながらTは屠塚の妻と娘を絶頂に導き、完全に失神させた。


「よし。さて」


 一秒も余韻よいんひたることなくTはベッドを降り、屠塚の前にしゃがんで向き合った。


 それから──Tは屠塚の両耳をそれぞれ指で摘まみ、同時に何ということもない仕草で下に引っ張った。


「おんぎゃあああああああああああああああああああああああああああああ」


 赤ん坊が泣いたのではない。屠塚家に赤ん坊はいない。

 そうではなくてそれは屠塚の絶叫だった。両耳を引きちぎったのだ。

 それからTは屠塚の鼻を右手の指で摘まんだ。同時に──


「ああああああああああああああああああああああああああああ」


 字だけ見てるとゲシュタルト崩壊を起こしそうだが、何のことはない、Tが屠塚の鼻をちぎりとっただけだ。


「おまえやおまえらは楽には死なせねえよ。自分たちがどれだけ罪深いことをしてきたか、思い知りながら、死ね」


 このあと屠塚の身に起こったことは──

 おお、恐ろしくてとてもTが喋った通りには書き表せられない。


 かいつまんで書くとこういうことだ。


 耳と鼻をちぎりとった後、Tはまず屠塚の右目を指を突っ込んで抉り取り、次に左目を、次に右手の指を親指から順番にねじ切って、次に左手の指を順番にねじ切って、というように屠塚の肉体を順番に解体していった。


 道具も何も使わず、素手でだ。通常ではあり得ないはずの恐るべき圧倒的な力だ。


 人間にそんな力業が可能とは最初どうしても信じられなかったが、それらは鑑識の結果と同じだった。いわく、道具を一切用いず素手で行われたものと推定せざるを得ないが、物理的にそれほどの力を発揮できる人間はいない、と。


 ともあれ、屠塚はこうして生きながらにバラバラに解体されこの世から消えていった。


 屠塚がどの時点で意識を失い絶命したか、それは知りようもないことだ。

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