春川へ向かう道は車通りも少なく、途中の大通りでは多少の渋滞に巻き込まれたものも、二人を乗せた車は案外すんなりと距離を進んだ。

 大通りを抜け、小さな街道を走る。トラス橋を走り、物静かな小さな町を抜けると、山道に入るトンネル付近にコンビニが見えた。

「愛ちゃん。コンビニ寄っても大丈夫?」

 綾香は助手席の愛を一瞥する。

 はい、と頷き、愛はどこか落ち込んだ表情で前を見る。

 綾香は昨夜のことを思い出す。

 綾香の前で自慰をする愛。

 綾香を抱けないと嘆いていた愛。

 祈るように綾香への想いを口にする愛。

 タイミングを失い、盗み見してしまったことに罪悪感を感じながらも、綾香の頭は別の事でいっぱいだった。

――どうして愛は私を抱けないのだろう。

 綾香はそれなりに覚悟をしていた。

 お酒を呑み、一夜を共に過ごせば、いずれ行為をすることになるだろうと。

 愛が私に求めているものはなんなのだろう。

 幾ら考えても綾香には分からなかった。

 それでも、初めて愛から「好き」と言われた昨夜のことを思い出すと、嬉しさで胸がいっぱいになる。

 愛が傍にいてくれたから。だから綾香はお酒に溺れることもなかったし、失恋から立ち直り、こうして線香をあげに春川へ向かうことが出来た、と綾香はしみじみ思う。

 コンビニの駐車場に車を停める。

「愛ちゃんはいいの? お腹減ってない? お手洗いとか三十分くらい行けなくなっちゃうけど」

 大丈夫です、と愛は控えめに微笑む。

「行ってくるね」と、愛に小さく手を振り、綾香は車を後にする。

 やっぱり様子がおかしい。

 それだけ昨日のことがショックだったのか。

 コンビニでブラックコーヒーと甘そうなカフェオレを購入し、車に戻る。

「お待たせ。外暑すぎ……」

 車に戻ると、愛は隠すように弄っていたスマホの画面を消した。

「はい、カフェオレ」

 綾香はカフェオレを袋から取り出し、愛に渡す。

 驚いたように綾香を見ると、

「ありがとうございます」

 申し訳なさそうな表情で愛はカフェオレを受け取る。

 ペットボトルの蓋を開けて、綾香はブラックコーヒーを口にする。

 追いかけるように、愛もカフェオレを口にする。

「ごめんなさい、気を遣わせてしまって」

 そう言うなり愛は俯いてしまった。

「気にしない気にしない。愛ちゃんいつも気を遣いすぎてるから、これくらいでいいの」

 綾香はそっと愛の頭を撫でる。

 撫でられるがままの愛に、

「どうしたの」

 優しい声色で綾香は声を掛ける。

 少しの間が空き、

「……綾香さんは」

 言いかけて、愛は止まる。

 綾香は首を傾げて優しく微笑む。

「ごめんなさい。また、話します」

 綾香の胸がちくりと痛む。

「うん。無理しないようにね」

 綾香は表情に出さないように気を付けて、愛の頭を優しく撫でる。

 小さくなり俯いたままの愛を見ていると、何故か綾香は愛にキスをしたい衝動に駆られた。

 綾香は助手席に身を乗り出し、愛の顔を優しく自分の方へ向ける。

「綾香さ……、んっ……」

 唇が離れる。

「甘い」

 驚いた表情のまま愛は綾香を見る。

「もう1回してもいい?」

 答えを聞く前に、綾香は愛に深いキスをする。

 唇を離す。とろんとした目で綾香を見つめると、愛は恥ずかしそうに視線を逸らした。

「愛ちゃん可愛い」

「ばか。見られちゃったらどうするんですか」

 愛の頬が膨らむ。

「いいよ。愛ちゃんは嫌?」

 追い打ちをかける綾香に、

「……嫌じゃない。もっとして」

 愛は求めるように、目を閉じた。


 山道を抜けると、小さな町が見える。

 古風な民家。車通りの殆どない道路。見渡す限りに広がる森と、綺麗な青空。

 両側に畑がある急な坂を上る。坂を上りきると正面にお寺があり、右側には再び坂道が続いていた。坂道を登り切るとそこに墓所はあった。

 慣れた手つきで綾香は敷地の隅に車を停める。

 車を降り、トランクを開けると、

「あーーーーーー」

 突然、綾香が大きな声を上げた。

 驚き急いでトランクへ向かう愛。

「どうしたんですか?」

「お花買ってくるの忘れた……」

 落胆する綾香に、

「お花、無いとダメなんですか?」

 きょとんとした表情で綾香を見つめる愛。

「無いとだめってことは無いと思うんだけどね。って愛ちゃんお墓参りしたことないの!?」

「無い、です」

 愛は困ったように綾香を見る。

「そっかあ。そんなこともあるんだね。じゃあこれが初お墓参りだ」

 綾香はトランクから、線香とライターを取り出す。

 トランクを閉め、お墓の前へ向かう。

「ここがうちのお墓。お墓参りはね、亡くなっちゃった親族や、ご先祖様に挨拶をするの。私は元気でやってます、どうか安らかにってね」

「私が、してもいいんですか?」

「うん。きっとおじいちゃんも喜ぶと思う。こんな可愛い子に挨拶されたら生き返っちゃうかも。あ、お花添えてある。誰か来たんだ」

 綾香はライターで線香に火を点ける。

「はい、愛ちゃんの。線香をここに刺して」

 恐る恐る線香を線香立てへ入れる愛。

「そしたら手を合わせるの」

 綾香に言われた通りに愛は手を合わせる。

 目を瞑り、はじめまして、と挨拶をする。

 綾香のことが気になり、愛は横目で綾香を見る。

 目を瞑り、お墓に向けて合掌をする綾香。

 穏やかな表情で、静かに合掌をする綾香から目が離せなくなる。

 綾香と目が合う。優しく微笑むと、

「着いてきてくれてありがとね。ひとりだと心細かったからよかった」

「私も、来れてよかった。ありがとう綾香さん」

 綾香は愛の頭を撫でる。

「今日も泊ってくでしょ。おばあちゃんに挨拶して家に帰ろうか」

 ぱっと、愛の顔が明るくなる。

「はい。綾香さん今日は呑む?」

「うん。明日予定ないし、がっつり呑んじゃおうかな」

 嬉しそうに微笑む愛を見て、綾香は幸せな気持ちでいっぱいになる。

 よし、と心の中で呟き、綾香は密かに決意した。

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