この生活がいつまでも続かないと、愛は理解していた。

 愛しい人との幸せな時間。初めて触れる温もり。

 いつまでも続けばいいのにと愛は思う。

 それでも、スマホを開く度に愛は思い知らされる。

 毎日のように届く、男達からのメッセージ。

 メッセージが届くたびに、愛は自分の犯してきた過ちに苛まれる。

 それなら――、私はどうすればよかったのだろう。

 母を捨てた顔も知らない父。アルコールに溺れ、壊れてしまった母。

 私を引き取った叔父。女としてしか見られなかった私。

 私との行為をクラス中にばら撒いた高校のカレ。

 吐きそうになるトイレの水の味。強引に触られる身体。

 叔父に紹介された、風俗。夜の街で声を掛けてきたサラリーマン。

 それでも、愛は“普通”を手に入れる為に足掻いてきた。

 高校を卒業してすぐにデリヘルで働き、叔父と縁を切り、ひとり暮らしを始めた。

 風俗で働きながら、休みの日には身体を売り、大学に入学する為に必要なお金を一年で貯めた。

 “普通”に近づけば近づくほど、“普通”が遠ざかってゆく。

 今更立ち止まることなんて愛には出来なかった。

 飢えた心。汚れた身体。

 もう“普通”には戻れないと理解していても、心のどこかで求めてしまう、そんな日々。

 温もりに触れる度に、愛は“普通”を傍に感じる。


 温もりに触れる度に、愛は安心する。

 温もりに触れる度に、愛は嬉しくなる。

 温もりに触れる度に、愛は寂しくなる。

 温もりに触れる度に、胸が苦しくなる。


 どうすればいいのか、愛にはもう分からなかった。


 薄暗い照明。垂れ流しのバラエティー番組。

 ビールの缶を片手にスマホを弄る綾香。

 甘い柔軟剤の匂いがする、綾香のTシャツ。家の中ではボトムは履かずに、下着だけで過ごすのが愛の癖だった。

 愛はソファーの上でチューハイの缶を口にしながら、隣に座る綾香を見る。

「綾香さん、何見てるの」

「うーん」

 酔いのせいだろうか、綾香の返事は上の空だ。

 スマホを弄る綾香を見ると、愛は悶々とする。

「誰と連絡してるの」

 無意識のうちに綾香に強い口調で言ってしまったことに驚き、愛は咄嗟に手で口を押さえる。

 綾香が驚いたように愛を見る。

 どこか優し気に微笑んで、綾香はスマホを閉じる。スマホをローテーブルの上に置き、缶に残ったビールを飲み干す。

「嫉妬してるの?」

 悪戯な笑みを浮かべる綾香。ゆっくりと綾香は愛に迫る。

 いつもとは違う様子の綾香に、愛は戸惑う。

 二人の顔が近づく、息がかかる距離まで近づいて、愛は目を閉じる。

 綾香が愛の前髪を掻き分ける、愛が思わず目を開けると、額に温もりを感じた。

「愛ちゃん」

 綾香は恥ずかしそうに、愛から視線を逸らす。


「好きだよ」


 その言葉が誰に向けられた言葉だったのか、愛は理解するまでに少しの時間が掛かった。


「――綾香さん、酔ってる」

 疑う愛に、綾香は首を横に振る。

「でも、本当だよ」

「うそ」

「本当」

「なんで」

「好きだから」

 ゆっくり迫ってくる綾香。

 いつの間にか、愛はソファーに押し倒される。

「本気なの」

「本気だよ」

 揺るがない綾香。

「わたし、おんなですよ」

「愛ちゃんが好きなの。そんなの関係ないよ」

「けっこん、はやくできたらいいねっておばあさんも」

「いっしょに海外いこっか」

 それに、と付け加えて、

「結婚が幸せじゃないでしょ。だれといっしょにいるかだよ」

 綾香は微笑み、愛にキスをする。

「また泣いてる」

 綾香は愛の涙を手で拭い、優しく頭を撫でる。

「愛ちゃんは。私のこと好き?」

 それを口にしてもいいのか愛は戸惑う。誰かに責められるような気がして、固まる。

 寂し気な表情をして、綾香は続ける。

「……いいよ。好きじゃなくてもいい、でも、私は好き」

「――っ、私も好き」

 こんなにも簡単だったのかと、枷が外れたように、愛は続ける。

「好きです。綾香さんのことが……好き」

 目が合う。何も言わずに唇を重ねる。

 深いキス。繋がる。境目が分からなくなる。ひとつになる。 

 糸が引いて、唇が離れる。

「しよっか」

 綾香が愛の首筋にキスをする。

 愛は小さく声を漏らす。

「胸、触ってもいい?」

 愛は頷く。ゆっくりと綾香は愛の胸に手を伸ばす。

 焦らすように触れる。優しく撫でて、先端を摘まむ。

「んっ……」

 跳ねるように愛が喘ぐ。

 先端を愛でていると徐々に輪郭がはっきりしてくる。堪らなくなり綾香は愛のTシャツを脱がす。ホックを外し、ゆっくりとピンクの下着を外す。

「綺麗」

 綾香が呟くと、愛は恥ずかしそうに顔を腕で隠す。

「舐めるね」

 ゆっくりと舌を這わせる。焦らすように周囲を愛で、そしてじわじわと先端へ近づける。舌で先端に触れる。愛の声が漏れる。

 口に含み、下を動かす。

 部屋中に厭らしい音が響き渡る。愛の吐息が荒くなる。

 先端を丹念に愛でると、身体が小さく跳ねる。

 右手で、愛の下に手を伸ばす。

「やっ……」

 下着越しからでも濡れているのが十分わかる。

 ゆっくりと下から上に指を動かす。

 指が触れる度に、ピンクの下着が濡れていく。

 綾香は愛にキスをし、身体を起こす。

 愛の下着に手を掛け、

「脱がすね」

 ゆっくりと下にずらす。

「――いや」

 それは、はっきりとした拒絶だった。

 沈黙が二人を包む。

 綾香は下着からそっと手を離す。

「ごめん」

「……ちがうの」

「下手くそだったかな……ごめんね愛ちゃん。女同士でどうやってしたらいいかわからなくて……いろいろ調べてみたんだけど……だめだった」

 涙を浮かべながら、それでも綾香は微笑んだ。

「……ちがうの、あやかさん」

 愛は身体を起こし、綾香を抱きしめる。

「……こわいの。変って思うかもしれないけど、あやかさんとするときだけこわくなるの。すきなのに。わたしもだきたいのに。こわくなるの」

 愛の身体はいつの間にか冷えていて、微かに震えていた。

「ごめんなさい」

 謝る愛を、綾香は抱きしめる。

「……ううん、私待ってるから。無理しないように、ね」

「……ありがとう」

 抱きしめ合う。今は、それだけで充分だった。

「ベッド行って寝よっか。愛ちゃん服着るよ」

 着ていたTシャツを手にしようとすると、愛が綾香の手を掴む。

「あやかさんもぬいで。いっしょにねたい。もっとちかくでかんじたい」

 ねだるような愛の表情に、綾香は嬉しくなる。

 服を脱ぎ捨てて、ベッドに向かう。

 ベッドに身を委ね、薄い茶色の毛布を身体にかける。

 綾香を抱きしめて、愛は目を瞑る。

 綾香は優しく愛の背中をさする。

 夜が終わりませんように。朝が来ませんように。

 そう願いながら、愛は深い眠りに落ちた。

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