8
この生活がいつまでも続かないと、愛は理解していた。
愛しい人との幸せな時間。初めて触れる温もり。
いつまでも続けばいいのにと愛は思う。
それでも、スマホを開く度に愛は思い知らされる。
毎日のように届く、男達からのメッセージ。
メッセージが届くたびに、愛は自分の犯してきた過ちに苛まれる。
それなら――、私はどうすればよかったのだろう。
母を捨てた顔も知らない父。アルコールに溺れ、壊れてしまった母。
私を引き取った叔父。女としてしか見られなかった私。
私との行為をクラス中にばら撒いた高校のカレ。
吐きそうになるトイレの水の味。強引に触られる身体。
叔父に紹介された、風俗。夜の街で声を掛けてきたサラリーマン。
それでも、愛は“普通”を手に入れる為に足掻いてきた。
高校を卒業してすぐにデリヘルで働き、叔父と縁を切り、ひとり暮らしを始めた。
風俗で働きながら、休みの日には身体を売り、大学に入学する為に必要なお金を一年で貯めた。
“普通”に近づけば近づくほど、“普通”が遠ざかってゆく。
今更立ち止まることなんて愛には出来なかった。
飢えた心。汚れた身体。
もう“普通”には戻れないと理解していても、心のどこかで求めてしまう、そんな日々。
温もりに触れる度に、愛は“普通”を傍に感じる。
温もりに触れる度に、愛は安心する。
温もりに触れる度に、愛は嬉しくなる。
温もりに触れる度に、愛は寂しくなる。
温もりに触れる度に、胸が苦しくなる。
どうすればいいのか、愛にはもう分からなかった。
薄暗い照明。垂れ流しのバラエティー番組。
ビールの缶を片手にスマホを弄る綾香。
甘い柔軟剤の匂いがする、綾香のTシャツ。家の中ではボトムは履かずに、下着だけで過ごすのが愛の癖だった。
愛はソファーの上でチューハイの缶を口にしながら、隣に座る綾香を見る。
「綾香さん、何見てるの」
「うーん」
酔いのせいだろうか、綾香の返事は上の空だ。
スマホを弄る綾香を見ると、愛は悶々とする。
「誰と連絡してるの」
無意識のうちに綾香に強い口調で言ってしまったことに驚き、愛は咄嗟に手で口を押さえる。
綾香が驚いたように愛を見る。
どこか優し気に微笑んで、綾香はスマホを閉じる。スマホをローテーブルの上に置き、缶に残ったビールを飲み干す。
「嫉妬してるの?」
悪戯な笑みを浮かべる綾香。ゆっくりと綾香は愛に迫る。
いつもとは違う様子の綾香に、愛は戸惑う。
二人の顔が近づく、息がかかる距離まで近づいて、愛は目を閉じる。
綾香が愛の前髪を掻き分ける、愛が思わず目を開けると、額に温もりを感じた。
「愛ちゃん」
綾香は恥ずかしそうに、愛から視線を逸らす。
「好きだよ」
その言葉が誰に向けられた言葉だったのか、愛は理解するまでに少しの時間が掛かった。
「――綾香さん、酔ってる」
疑う愛に、綾香は首を横に振る。
「でも、本当だよ」
「うそ」
「本当」
「なんで」
「好きだから」
ゆっくり迫ってくる綾香。
いつの間にか、愛はソファーに押し倒される。
「本気なの」
「本気だよ」
揺るがない綾香。
「わたし、おんなですよ」
「愛ちゃんが好きなの。そんなの関係ないよ」
「けっこん、はやくできたらいいねっておばあさんも」
「いっしょに海外いこっか」
それに、と付け加えて、
「結婚が幸せじゃないでしょ。だれといっしょにいるかだよ」
綾香は微笑み、愛にキスをする。
「また泣いてる」
綾香は愛の涙を手で拭い、優しく頭を撫でる。
「愛ちゃんは。私のこと好き?」
それを口にしてもいいのか愛は戸惑う。誰かに責められるような気がして、固まる。
寂し気な表情をして、綾香は続ける。
「……いいよ。好きじゃなくてもいい、でも、私は好き」
「――っ、私も好き」
こんなにも簡単だったのかと、枷が外れたように、愛は続ける。
「好きです。綾香さんのことが……好き」
目が合う。何も言わずに唇を重ねる。
深いキス。繋がる。境目が分からなくなる。ひとつになる。
糸が引いて、唇が離れる。
「しよっか」
綾香が愛の首筋にキスをする。
愛は小さく声を漏らす。
「胸、触ってもいい?」
愛は頷く。ゆっくりと綾香は愛の胸に手を伸ばす。
焦らすように触れる。優しく撫でて、先端を摘まむ。
「んっ……」
跳ねるように愛が喘ぐ。
先端を愛でていると徐々に輪郭がはっきりしてくる。堪らなくなり綾香は愛のTシャツを脱がす。ホックを外し、ゆっくりとピンクの下着を外す。
「綺麗」
綾香が呟くと、愛は恥ずかしそうに顔を腕で隠す。
「舐めるね」
ゆっくりと舌を這わせる。焦らすように周囲を愛で、そしてじわじわと先端へ近づける。舌で先端に触れる。愛の声が漏れる。
口に含み、下を動かす。
部屋中に厭らしい音が響き渡る。愛の吐息が荒くなる。
先端を丹念に愛でると、身体が小さく跳ねる。
右手で、愛の下に手を伸ばす。
「やっ……」
下着越しからでも濡れているのが十分わかる。
ゆっくりと下から上に指を動かす。
指が触れる度に、ピンクの下着が濡れていく。
綾香は愛にキスをし、身体を起こす。
愛の下着に手を掛け、
「脱がすね」
ゆっくりと下にずらす。
「――いや」
それは、はっきりとした拒絶だった。
沈黙が二人を包む。
綾香は下着からそっと手を離す。
「ごめん」
「……ちがうの」
「下手くそだったかな……ごめんね愛ちゃん。女同士でどうやってしたらいいかわからなくて……いろいろ調べてみたんだけど……だめだった」
涙を浮かべながら、それでも綾香は微笑んだ。
「……ちがうの、あやかさん」
愛は身体を起こし、綾香を抱きしめる。
「……こわいの。変って思うかもしれないけど、あやかさんとするときだけこわくなるの。すきなのに。わたしもだきたいのに。こわくなるの」
愛の身体はいつの間にか冷えていて、微かに震えていた。
「ごめんなさい」
謝る愛を、綾香は抱きしめる。
「……ううん、私待ってるから。無理しないように、ね」
「……ありがとう」
抱きしめ合う。今は、それだけで充分だった。
「ベッド行って寝よっか。愛ちゃん服着るよ」
着ていたTシャツを手にしようとすると、愛が綾香の手を掴む。
「あやかさんもぬいで。いっしょにねたい。もっとちかくでかんじたい」
ねだるような愛の表情に、綾香は嬉しくなる。
服を脱ぎ捨てて、ベッドに向かう。
ベッドに身を委ね、薄い茶色の毛布を身体にかける。
綾香を抱きしめて、愛は目を瞑る。
綾香は優しく愛の背中をさする。
夜が終わりませんように。朝が来ませんように。
そう願いながら、愛は深い眠りに落ちた。
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