2
ふと目を覚ますと、どこからか食欲を促すようないい匂いが漂ってきた。
湧き上がる食欲と裏腹に吐き気が込み上げてくる。
重い頭と重い瞼を開けて綾香は身体を起こした。
広いダブルベッドが軋んで、そして綾香は自身が裸なことに再び気づく。
「おはよう。綾香さん」
驚き声のした方を見ると、ぶかぶかのTシャツだけを羽織った愛の姿があった。
「……おはよう愛ちゃん」
ぶかぶかのTシャツから覗く華奢で白い脚。ちらっと見えたピンクの下着に綾香は咄嗟に視線をそらした。
「ご飯作ってみました。よかったらどうですか?」
顔色を窺うように、愛が言った。
「ん……ごめん。気持ち悪くて食べれそうにない」
そうですかと困ったように微笑むと愛は続けた。
「シャツ、乾かしてます。綾香さん道路で吐いちゃった時に少し汚れちゃって」
自身が裸の理由が分かり、綾香は少し安堵した。
一度目が覚めた時、裸で眠る愛と自身の姿を見たときにそっと血の気が引いていくのを感じたからだ。
代わりに着てくださいと愛が別室から持ってきた白いTシャツに、綾香は袖を通す。
辺りを見渡すと、部屋の中には必要最低限の物しかなく、白を基調としたどこか可愛らしい家具が並べられていた。
口にしようか迷いつつも、テーブルの上に並べられて食事を片す愛に、綾香は声をかける。
「あー、愛ちゃん?」
はい。と短く愛が返事をする。
「昨日って……」
「何もしてないですよ」
言い終える前にぴしゃりと愛が言い放った。
「綾香さんすぐに寝ちゃったから」
「そ、そっか……」
「私、レズなんです」
「え……」
愛の突然のカミングアウトに、綾香は動揺を隠しきれなかった。
なんとなく想像はしていたが、いざ面と向かって言われると動揺せざるを得なかった。
「今、やばい女だって思いました? でも、安心してください。本当に何もしてませんから」
「うん……ただ」
「ただ……?」
綾香の脳裏に過ったのは、今朝のこと。
綾香の手をぎゅっと握り、涙を流しながら誰かに謝る愛の姿だった。
「色々と迷惑かけてごめん。ありがとね」
「――」
綾香の言葉に、愛は俯いた。そして顔を上げると、
「帰りますよね。コインランドリー行ってきます。雨だから、まだ乾きそうにないですし」
困ったように微笑みながら言った。
「あ、ううん。愛ちゃんさえよければ乾くまで居させてよ。ほら、私傷心中だし」
驚いたように愛は綾香を見た。
「綾香さんがいいなら……いくらでも居てください」
「うん、お言葉に甘える。愛ちゃん大学は?」
「今日は休んじゃいました。昨日呑みすぎちゃって」
「またまた、昨日全然大丈夫そうだったのに」
「顔に出ないだけですよ」
それから二人は自分たちのことを話した。
大学に通いながら1LDKの家で一人暮らしをしていること。
二年付き合っていた恋人が既婚者で、無意識のうちに不倫をしていたこと。
バイトに精を出しすぎて、大学の単位が危ういこと。
会社の上司が陰湿で同僚から嫌われていること。今年で二十七歳になること。
ソファーに腰かけて、何気なく二人でテレビを見た。
今朝食べることができずに冷蔵庫に眠った、手作りの料理を二人で食べた。
真夏の降りしきる雨の中、冷房の効いたどこか無機質な白い部屋で、二人は何気ない時間を過ごした。
乾いたシャツに袖を通して、綾香は部屋を後にしようとした。
「それじゃあ、もう遅いから帰るね」
「はい。お気をつけて」
言葉にすると、綾香の胸に寂しさが込み上げてきた。
連絡先も知らない。これが最後になるかもしれない。
そう考えるとどうしようもなく寂しくて、もどかしくて。
「綾香さん」
「どうしたの?」
咄嗟に呼び止められて、綾香は安堵した。
「連絡先……教えてくれませんか」
綾香は少し迷った。なにせ綾香は今まで一度も同性を好きになったことがなかったからだ。
これで最後にしたくないという寂しさを押し殺すように、期待させてしまうのではないかという不安が綾香を襲った。
ふと浮かんだのは、彼女の涙だった。
「うん。よかったらまた呑みにいこうよ」
ぱっと笑顔を浮かべて、愛は頷いた。
連絡先を交換し、マンションを後にする。
小さく息を吐き、空を見上げる。
蒸し暑い夜の空に、寄り添うように小さな星達が輝いていた。
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