第3話 処刑?いいえ、食事です

 ピピッと電子レンジのタイマーが鳴るような音が椎名から聞こえた。


 椎名はスーツのポケットから何かを取り出して「時間ですね」とつぶやく。


 それから「用意をしてきますのですこし待っていてください、神部さん」と私に微笑みかけて部屋を出て行った。


 時間?!

 用意?!


 その二言で私の頭に浮かんだ二文字は「処刑」だった。


 逃げる!逃げて絶対生き残ってやる!

 鎖は無理だけどせめてこの手錠さえなければー!


 私は何度も手錠をかけられた両手を頭上に振り上げて勢いよく振り下ろすのを繰り返す。


 結束バンドとかドンキで売ってるような安い手錠ならこれでちょっとずつ手から抜けてくはず。


 みんなでふざけて痴漢対策をしてたときに、警察官のお父さんがいる子が教えてくれた裏ワザ。

『こんなの使うの痴漢じゃなくて誘拐されたときだけだよー』って言ってごめん、やっちー!


 私いま誘拐されてるし、すごく使ってます!

 だって痴漢する前に誘拐してくる人がいるなんて思わなかったんだもん……!


 でも椎名の手錠はそんな安物じゃなかったみたいで、私が必死で腕を振っているうちに、椎名は部屋に戻って来てしまった。


「何をやっているんです?」


 椎名はぶんぶん腕を振っている私を心から不思議そうな顔で見ている。


「肩が凝ってるんです!!」


 もうヤケになった私は半分怒鳴ってそう答えてやった。


「ああ、それはいけませんね。あとで湿布を渡します」

「この手錠と鎖を外してくれたらすぐ解決するんですけど」

「先ほども言いましたが、それをすると神部さんが僕を殴って逃げるのでいやです」

「なんで殴るって決めつけるんですか。さっきから私が凶暴なゴリラ戦士みたいな言い方するのやめてください」

「そんなゴリラ戦士なんて失礼な言い方。神部さんより可愛い人なんかこの世にいませんよ?殴るという言葉が気に障ったんですね」

「普通の女子は気にします」

「すみません。女性に疎くて。言い換えます。殴打して逃亡するからいやです」


 ……全然変わってない。なんか難しくなっただけだ。

 そもそも趣旨の『逃がせ』が全然伝わってない。


「それよりももっと建設的なことをしましょう。言い争いは非建設的で神部さんを消耗させます」


 は?!


 私は教壇に立っている時には見たことがないような、妙にイキイキとした表情を浮かべている椎名の顔を思わずじっと見てしまった。


 説教された……!誘拐拉致変態ストーカー男に!!


 確かに椎名が言うことは正論だけど、おまえがいまそれを言うか?!


 私がなんだかよくわからない屈辱に心の中で地団駄を踏んでいると、椎名は扉の向こうからワゴンを運んでくる。ほら、ちょっと高いお店でケーキなんかを乗せてきて選ばせてくれるようなの。


 椎名はそこからいくつもの紙皿を床におろして、また新聞紙の棒でこちらに押してくる。


 私が思わず身構えると、椎名はせっせとその作業を続けながら「食事の時間です。食べてください、神部さん」と話しかけてきた。


 そう言われてお皿の上を見れば、確かにそこに乗っているのは『見た目だけは』おいしそうな料理だった。


「本当は僕が配膳してきちんとしたコースにしたいのですが、この状態では難しいので、このような提供の形になって申し訳ありません。自分でテーブルに乗せて食べてください」


「あ、いや、そんなのはどうでもいいんですけど……」


「そうですか?!神部さんはなんて優しいんだ!!あの瞬間に僕が感じたことも、僕が一歩踏み出したことも間違っていなかった!!」


 それは間違っています。


 言っても無駄だろうから私は黙って料理の乗ったお皿をテーブルへ載せ始めた。


 ちなみに隙があったら投げてぶつけてやろうと思ったテーブルは、なんか堅そうな器具でがっちりと床に固定されていた。


 椎名の癖に、とは思ったけれど、なんとなく予想はついていたのであんまり腹は立たなかった。

 椎名は変だけどバカじゃないのはここまででわかってたし。


 あー、もう、手錠邪魔だなー。


 椎名の演説は続いている。


「あの日、きみの髪が風に乱れましたね?そのときその髪の隙間から覗いたきみの美しい眼差し!桜の花びらがその眼差しの上にひらひらと舞って、僕の時はあれから止まったままなんです!」


「先生、頭は大丈夫ですか?」


「大丈夫です!大丈夫ですとも!神部さんに失礼がないように健康診断を徹底的に受けました!MRIも受けましたし、もちろんなんの感染症も持っていません!

 あ、もしかしてその食事が不衛生ではないかと思ってるんですか?信じてくれないかもしれませんが、それは僕が作ったのではなく市販のものを買い求めたので衛生に問題はありませんから、どうぞ、安心してください」


「そういう問題じゃないんです……って、私、これ言うの何度目でしょうね……」


「一度目ですよ」


「数えてるんですか?!」


「はい。もう無意識ですね。神部さんの声は天使の歌声のようでともすればただ聞き惚れてしまいたくなりますが、それではいけないと思うのです。一言一句、神戸さんが口に出したことは覚えていなければと」


「……バカ椎名」


「はい?」


「なんでもないです。じゃ、ごはん、食べます」


「よかった!ぼくも一緒に食べていいですか?」


「拉致監禁している人間にそういう同意を得ようとしようとするのもどうかと思うんですけど、先生がしたきゃすればいいんじゃないですか?」


「ありがとうございます!本当に神部さんは優しい……」


 ふんふん、と調子はずれな鼻歌を歌いながら椎名はワゴンから自分用らしい皿をおろし出した。


 私?


 私はもうツッコミ疲れていた。

 目の前の料理がきれいに盛り付けられていて、いい匂いを立てているのも私の抵抗感を削る。


 椎名は変でバカだけど、きっと食事に毒を入れたりはしない。

 なら食べてやる!これが最後の晩餐かもしれないし!


 開き直った私は、プラスチックのフォークとナイフを手に取った。

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