第一章5.5 『データ上書き』
史織も私服に着替えたので、早々に史織家を後にする。
冬川さんに、
──もうちょっとゆっくりしていってもいいのよ?
と言われはしたけど、なんとなく居心地が悪かったので遠慮しておいた。
先程冬川さんに泣きつかれてしまった前庭を通る。隣に
玄関から冬川さんが、気をつけてね〜!と心配の声を掛けてくれる。
……あぁ、ほんとに。史織にばかり意識を向けてしまい、交通事故に合わないように注意しなければ。
史織も史織で気分が良いのか鼻唄を歌いながら歩いており、あまり周りに注意を向けられていない様子。
……僕がしっかりしなきゃ。
左手で史織と手を繋いでいるので、空いている右手で頰を抓る。……痛い。
噴水を通り過ぎると、馬鹿でっかい門がギギギと自動で開き始める。
そこら辺で史織が一度振り返って、冬川さんに出発の挨拶を大きな声で言う。僕も振り返って声には出さず、手を振った。冬川さんが振り返してくれたのを見て、いざ出発、いや帰宅しようじゃないか。
「ねぇねぇ、大輝くん。家に着いたら何するの?」
と、史織が訊いてくる。本来ならば応えられなかったその質問だが、そこは既に冬川さんと対策済みだ。よかったよかった。
「あぁそれなんだけど、────シようと思うんだ」
「えっ……────するの!?やったー!」
おぉ、冬川さんの言っていた通り、すごく喜んでくれている。……ほうほう、そんなにシたかったのか、────を。
じゃあ僕もとっておきのモノを選んでおかないとなぁ。
「で、でも、私一回もシたことなくて……。上手にデきないかもしれないけど……それでもいいの?」
と、史織がモジモジしながら僕の目を見て聞いてくる。まだまだ身長差は無く、目線は同じ高さだ。
そして、普段快活な女の子が急に
なんというか……とても言葉に出来ないこの感覚。
「うんもちろんだよ!誰でも初めての時は上手くデきないから気にしなくていいよ。それに、その方が僕も史織の成長を楽しめるしね!」
「そっか!じゃあ…………お手柔らかに、お願いします……」
顔を赤らめて視線を下げる史織。そんなたかだか────するぐらいでこんなに赤くなるものかね?女の子の気持ちはよく分からない。
──と、少し大きな通りに出た時だった。
「……っ、危ないっ!」
「ぇ、ひゃあっっ!!」
左折してきた乗用車が僕らと接触しそうになる。
僕らは歩道の無い道で右側通行をしていて、手を繋いでいたため道路側に史織がいた。
運転手は僕らのことが目に入っておらず、スピードもあまり落ちていない。
僕は急いで史織の手を引っ張って引き寄せる。咄嗟のことだったので、史織も僕もバランスを崩し地面に倒れた。
背中に強い衝撃が走る。普段より二倍の圧力がかかり背中と首が悲鳴をあげるが、何とか頭はぶつけずに済んだ。
ブゥゥンと乗用車が通り過ぎていく。あの様子だと、本当に僕らのことが目に入っていなかったらしい。……あの運転手が交通事故を起こすのも時間の問題だな。それで命が失われなければいいのだが……。
ズキズキと背中が痛む。ランドセルはお母さんに持って帰ってもらったから、背中を直で地面に叩きつけ、さらに擦り付けてしまっている。これはあまり鏡で見たくないな……傷が酷そうだ。
「大丈夫か、史織」
痛みを無理矢理意識の外へ追いやって史織に声をかける。抱え込むようにして倒れたので史織に怪我は無いはずだ。
「う、うん大丈夫!でも大輝くんが!」
「僕は大丈夫。ちょっと擦りむいただけだよ」
と、史織の心配は杞憂だと伝える。まぁ痛いには痛いんだが、ここは強がってもいいところだろう。
史織も特に大事は無さそうなので早く起き上がりたいのだが……。
「……し、史織?」
俺の身体の上から史織が退いてくれない。
むしろより引っ付いてくる。
……いや、これだと語弊があるな。
むしろより強く抱きついてくる。……変わらないか。
「な、なぁ史織?ほんとに大丈夫か?」
もう一度問いかけてみるが、史織は抱きついてくるばかり。顔を僕の胸に埋めているので、その様子もあまり伺えない。
自分としてはこのままずっと抱きついてもらっていても構わないし、むしろ幸せな気分になるのであまり強く退かそうとはしないが、ここは公共の場で周りの視線もある。
別に小学生二人が道端で身体を重ねていても、それを目撃した大人は「仲良しねぇ……」ぐらいの感想を抱くだけで済む……かもしれないが、同級生がここを通らないとも限らないので、それはマズイだろう。
「お、おい史織?そろそろ退いてくれない?」
「…………やだ」
「えぇ……」
普通に断られてしまった。
でも一体なぜ……?
「なぁ史織…………」
いや、今ここで理由を聞くという野暮なことはしないでおこう。
史織が嫌と言ったのなら、それは嫌でいいのだ。僕はそれを受け止めてあげるだけでいい。
僕は、史織の華奢な首に手を回す。
そして、優しく抱きしめてあげる。
……僕も離れたくないことには、変わりないからさ。
──後日、理由を聞いてみたら。
──僕の身体を上書きしたかったのだと言われた。
────僕の拙い頭では理解できませんでした。
☆ ☆ ☆
路上で身体を重ねること約五分。
先ほどまでは夢中になっていたけど、だんだんと恥ずかしくなってきた。
最初は、助けてくれたのが嬉しくて抱きしめていたんだけど、だんだん大輝くんの体温が直で伝わってきてくることに気づいて、それが何かすごく胸がドキドキするような……それも嫌な感じのドキドキじゃなくて、とても心地の良いドキドキをもたらしてくれて。
途中からはそれを感じたいが為に抱きしめていたから、大輝くんに退いてと言われた時は断ってしまった。
だから逆に止め時を見失ってしまって、それに気づいたら急に冷静になってきて、自分のさっきまでの行動の源泉がどれだけ変な考えだったのかに気づいて、恥ずかしくなっているのが今の状況。
で、でも、お母さんとハグしてた大輝くんが悪いんだからねっ!
お母さんにはお父さんも居るし、お母さんもお母さんだけど、二人がハグし合っているのは浮気になっちゃうから悪い事なんだよっ!
だから、それを無かった事にする為に、今こうして私がハグしてあげて、大輝くんが誰とでもそういう事をする人なんだって証明してあげてるんだからねっ!
……べ、別にお母さんに嫉妬してるわけじゃないんだからねっ!
……って、心の中で何言い訳してるんだろ、私。そんな事しても何の意味も無いのにね。
……ふつうに退いてあげよう。
こうして冷静に考えてみれば、何も特別なきっかけなんか必要なかった。
私が大輝くんの上に乗っているんだから、だったら私が退けばいい話。何も弁明なんかしなくたっていい。
そして、立ち上がる為に地面に手を付こうとした時だった。
──大輝くんが私の首に手を回してくれた。
──そのまま……ギュッと。
──あっ。
──そういうことしちゃうから、大輝くんは。
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