第一章5 『エラーあんどリカバリー』

 






 …………は?


 え、今冬川さんはなんて言ったんだ?



「あら、そんな直ぐに承諾してもらえるなんて……私って罪な女なのかも。それとも大輝君が見境えないだけ?」


「えっ、あっ、いやこれは!まさかそんな事言われると思ってなくて!」


「ふふふ、冗談よ。…………多分ね」


「なんですかその間!」



 一体何を言い出すんだこの人は!?

 めちゃくちゃ重大な事をお願いされると思ってたのに、これじゃあ空回りにも程がある!

 僕のあの覚悟を返せ!



「いやね、本当はちゃんとお願いを言うつもりだったんだけど、あまりにも大輝君の顔が硬かったものだから、これだと冷静に判断出来ないだろうなと思ってね。偶然にもこの姿勢が主人のプロポーズの時に似ていたものだから、それを使わさせてもらったわ。ビックリした?」


「ビックリしたもなにも、腰が抜けると思いましたよ、この歳で!というかそんな大事な瞬間を僕なんかに使わないでくださいよ」


 と、口では言いつつも、そんな気遣いを回されていたと知って驚いている。

 そんなに顔に出ていたんだろうか……と、顔を少しマッサージしてみる。確かになんか硬いかも。


 ……にしても、これは上手くやられちゃったな。

 確かに冬川さんの言う通り、あのまま行ったら僕は冷静な判断が出来ていなかったと思う。

 現に、お願いを聞く前から了承すると決めていたし……。



「それで……お願いってなんですか?」


 本題に戻そうと、冬川さんにもう一度促す。

 冬川さんはさっきとは違って、気さくな雰囲気で、それでも真剣さはそのままに話し始めた。



「あぁ、えっとね。見ての通り、史織はこの財閥の家系で、それも一人娘なの。だからすごく温室育ちで、いわゆる箱入り娘なんだ。だから、大輝君の知っている常識と、史織の知っている常識とは多少のズレがあるかもしれない。私たちもそれを無くそうと努力はしてるんだけどね。……だから、もしそれで史織に対して納得いかない事があったとしても、史織を非難するんじゃなくて、優しく教えてあげて欲しいの。だってあの子は何も悪くないもの。悪いのは、それを教えてあげられなかった私たちだから」



「…………はい」



「……本当はね、大輝君をここに連れて来たくは無かったの。もし来たとしても、もうちょっと大きくなってからかなって。でもこうしてここにいる訳だから、今こうやって話させてもらったの。…………だから。……小学生のあなたにこんな事を話すべきじゃないのかもしれないけれど………………史織のことを、大事にしてあげて……」



 気さくな雰囲気は、涙にすっかり掻き消されてしまっていた。

 冬川さんは顔を伏せて、その泣き顔を見せないようにしている。




 ……こんな小学生の餓鬼に、泣いてまで懇願するなんて。

 ……史織は良いお母さんを持ったな。



 ──でも。



 ──冬川さんには申し訳ないけど。



 ──こうまでして頼んでくれた冬川さんには申し訳ないけど。



 ──答えなんて、当に決まっているんだ。




 僕は、冬川さんを優しく抱きしめる。

 そして、慰めるようにして、透き通った金髪を撫でながら。



「……史織を大事にするかどうかに、選択肢なんてありませんよ。………………こんな奴ですけど、こちらこそ、よろしくお願いします」



 冬川さんが、僕の背中に手を回す。



「…………ありがとう、大輝くん……」



 そして、優しく抱きしめてくれた。




 ……なんか、前にお母さんを慰めた時を思い出すな。


 ……どうしてか、僕は大人を慰める機会が多いようだ。







 ──この時、僕は失念していた。


 ──僕たちの様子を見ることが出来る部屋が、たった一つだけ存在していたことを。


 ──そして、実際にその部屋の窓に人影が映っていたことを。


 ──今後の僕を少しだけ苦しめるようになることを。




  ☆ ☆ ☆




 冬川さんが泣き止むまで、しばらく抱き合った後、僕たちは家の応接間に入った。

 そこは、豪勢な装飾が施されている……訳ではなく、玄関よりも比較的落ち着いた雰囲気だった。さっきの教室の方が、まだ色鮮やかだったと思う。


 大きなソファに挟まれた長机の上には、紅茶のティーカップとポット、それと僕たち二人には多過ぎるくらいの茶菓子が置いてある。


 部屋の隅には執事とメイドが一人ずつ佇んでいた。



 ……すげぇ、本物初めて見た。



 などと感嘆していると、



「さっきは見苦しいところを見せてごめんなさいね、もう大丈夫だから。じゃあ、そこ座って」


 と、冬川さんに促される。


 こんなに大きなソファに一人座るっていうのも、ある意味居心地が悪いな……。にしても座り心地が良い。


 そう思いながら、ソファのクッションをポフポフ押していると、


「それで、大輝くん。史織を連れて、大輝くんの家で何をするのかな?」


 と、向かい側に座った冬川さんが興味ありげに尋ねてくる。前のめりになっている様子を見て、思った以上に楽しみにしているようだ。


 さっき冬川さんが言っていたけれど、きっと今まで、史織は誰かの家で遊んだりとかはしてこなかったんだろう。いや、させられなかった、という表現の方が正しいか。


 それで、小学生になったので、そろそろそういうのもさせていいんじゃないかという判断で、今こうして聞いてくれているのだと思う。



「それなんですが……僕も今考えているところだったんですよ。でも良い案が浮かばなくて……」



 自分から誘っておいて、何をするか決めてもいないという、我ながら失礼な奴だなと思う。



「それならさ、私が提案させてもらってもいい?」



 ……マジか!これは思わぬ助け船だ!



「え、いいんですか?是非そうしてくれると助かります!」


 と、素直に応える。

 カッコ悪いけど仕方ない。このまま何をするのかも決めずに我が家へ帰るよりかは随分とマシだ。



「じゃあさ、史織に────させてあげて欲しいの。あの子それをシた事なくて」



「えっ、史織って────シたこと無いんですか!?」



「えぇ、今までその存在を教えてこなかったんだけど、どうやら幼稚園で知っちゃったらしいの。それ以来シたいシたいって話を聞かなくてね……。主人が厳しいから、家ではシてあげられないのよ。…………頼まれてくれる?」



「はい!もちろんです!」





 ──そうして、僕と史織の今後の予定が決まったのである。













 ……やがて史織が着替え終わって、応接間に入ってきた。



「おまたせー!どうっ?似合ってるっ!?」


 と、勢いよく登場した史織。



 俺が慌てて振り返ると、そこには案の定天使がいた。



 女性服については無知なので詳しい表現は出来ないけれど、学校では下ろしているだけだった長い金髪を、今は編み込みにして後ろ側にまとめて、残った髪にはウェーブをつけて下ろしている。


 服は、上が、白色の多分ティーシャツを内側に着て、その上に黒色の多分カーディガンを羽織っていて、なんとなく大人な感じ。黒と金髪のコントラストが上手く成り立っている、のかな。


 下は、膝より少し上ぐらいの丈のスカートで、色はちょっとくらい赤。あまり派手に見えないから、本人の性格とは違って落ち着いて見える。


 そこから白い脚が伸び……てはおらず、多分黒色のタイツを履いている。色彩効果で、さらにスタイルが良く見えて、すごく大人びて見える。


 さっきまでのセーラー服姿とは、まるで魅力が違って見えた。



 …………やっぱり本気で着飾ると次元が違うな。



 史織が、見てみて!と一回転する。

 すると、ブワッとスカートがめくれ上がって、タイツ越しに下着が見えてしまった。



「ぁ、白……」



 と、思わず口に出してしまい、これが痛恨のミスだった。

 どうやら史織に聞こえていたようで、



「……大輝くんのエッチ!!」



 と、顔を赤くして、スカートを抑えながら叫ばれてしまった。


 やってしまった……。


 冬川さんも、ふふふと、上品に笑っている。


 恥ずかしいのはこっちも同じだってのに……。




「……それで、感想は?どうなの?」


 と、むすっ面で史織が聞いてくる。これは返答を間違えたら、しばらく口を聞いてもらえなくなる予感。


「あぁ、すごく似合ってる。めっちゃ可愛いよ!」


 と、全力で褒める。嘘偽り無い本心で褒める。



「…………そ。ならさっきの許す……」





 あ、パンツ見たのも許してくれるみたいです、ラッキー。





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