第四章 父さん、母さん

 俺が物心ついた頃にはうちが友達の家みたいな普通の家じゃないことに気づいていた。


 母さんが家の近くの水産工場に働きに行くと父さんは家に知らない女の人を連れて来た。


 父さんは急に怒鳴ったり俺や母さんに物を投げつけたりするもんだから俺はいつも父さんには謝ってばかりいた。


 自分が悪いんだって。

 父さんが怒鳴り散らすのも俺や母さんを殴ったり蹴ったりするのも全部俺が悪いんだと思ってた。


 俺は女の人が来た時に押し入れに入っているように言われた。


 父さんは知らない女の人には優しくて怖い父さんじゃなかった。


 父さんには絶対に見るなと言われたけど。


 あんまりにも女の人が苦しそうに声をあげ続けてるし父さんがその人の名前を呼び続けているから俺はてっきり父さんは女の人にまで暴力を振るっているのかと思った。


 怖かったが押し入れの開き戸を少し開けて見てしまったんだ。


 父さんは裸で女の人も裸だった。


 父さんが母さん以外の女の人と抱き合っているのを見て俺は吐き気を覚えた。


 それからしばらくはその光景を忘れたくてもずっと忘れられなくて。


 週に何日も女の人がうちに来るのが何ヶ月か続いていた。


「俺は家にいたくないからよくこの神社に来て父さんが浮気相手と事が終わるまで一人でここで過ごしてたんだ」

「……たしかにヘビーだね」


 マヤの瞳は潤んでいる。

 彼女の瞳は黒目が大きくて黒真珠のように綺麗だ。


「ああ。驚くのはまだ早いぞ。話は続くんだぜ?」

「私、ヒカルさんをハグしたい」

「悪いけど、俺は基本的に女が苦手なんだ。仕方ない場合やよっぽど好きな相手じゃないと触りたくない。今話した父さんの浮気がトラウマだな」


 俺は正直に話した。


「だから俺は軽い恋愛も体だけの関係も出来ないんだ」


 マヤが俺の手に触れた。

 いつもならゾワッとするはず。

 不思議と俺の心には何も起こらなかった。


「イヤ? ごめんなさい。だってヒカルさん震えてるから……何かしてあげたくて」

「あ、いや。大丈夫そうだ。マヤに同情してるからかな? 触られても普通だ」


 俺は震えていた?

 何十年も経ったのに。父さんも母さんも死んだのにまだ親の呪縛は解けない。


 あれから大人になって大好きになって気を許せる女だって出来たのに。

 失ったが、な。


 俺の心には小さな男の子がうずくまっているみたいだ。


 夕日が沈みだすと海のさざ波に紅い道が出来る。


「綺麗」

「ああ。この景色見せたかったんだ。あっ、やべえ、店が閉まっちまうかも」


 俺はマヤの手を握り返しゴン太のリードを握りしめた。


 マヤの顔を見ると彼女は泣いていた。

 頬にふた筋の涙が流れ嗚咽を押し殺しながら真っ赤な夕焼けを苦しそうに見つめていた。


 俺はマヤを出来るだけ笑わせてやりたくなった。



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