第9話 『その女、危険につき』

 智悠ちひろたちが通う高校には、本校舎の構造の他にもう一つ、大きな特徴がある。


 それは、部活動の種類の多さだ。


 それも、花形の運動部よりも、どちらかと言うと文化部の方が選り取り見取りなのである。


 その総数は、入学してから一年以上にわたって毎日通い詰めている、もはや高校の常連と言っても差し支えない智悠自身ですら、未だに全ての部活動の名前を把握しきれていないレベルだ。


 いや、智悠だけではなく、この高校に存在する部活動を余すところなく全て挙げ連ねることができる人材など、おそらく存在しない。


 大学のサークル———は言い過ぎにしても、そこらの高校よりは明らかに数が多いのは間違いない。


 何故こんなにも部活動の種類が豊富なのか、その理由は明らかにされていない。


 巷では、やれ校長の興だの生徒会の陰謀だの、そんな信憑性もへったくれもない噂がまことしやかに囁かれている———さながら都市伝説のように。


 学校の七不思議のように。


 中には名前すら聞いたことがない、「お前それどんな活動してんだよ」とでもツッコんでしまうくらいマニアックな部活も存在している。


 とにかく、それ故にこの高校を志望する受験生がいるくらい、ここには数多くの部活動が軒を連ねているのである。


 いやそれ部費はどうしてんだよとか、そんなつまらないことをブヒブヒ言ってくる輩には、小さいことを気にしていると禿げるぞと忠告しておくこととして。


 さてさて、ここからが本題。


 そんな多種多彩、十人十色な部活動の中でも、一際異彩さを放っている、十色にも入らない異色の部活があるのだ。


 それこそが—————


「———有志部、ですか?」


「ああ、そうだ」


 渡り廊下で繋がれた本校舎の向かい側、俗に言う特別棟。


 ここには、図書室をはじめ、美術室や音楽室などの特別教室の他、各文化部の部室が並んでいる。


 その四階のある部室の前で、智悠とハナは並んで立っていた。


 目の前、スライドドアの窓には、白紙に『有志部』とやけに達筆な字で書かれた張り紙が貼ってある。


 有志部———これが、この高校の中でもトップクラスで謎の存在感を放つ部活だ。


「有志部って、一体どんな部活なんですか?」


 誇張が激しい張り紙を眺めながら、ハナが尋ねた。


「いや、僕も詳しくは知らないんだけど……」


 有志。

 ある事柄に対して、同じ志や関心を持っていること。


 字面だけを追えばそれだけの意味でしかなく、日常生活ではあまり馴染みのない言葉。


 それを揚々と部活動名に掲げるこの部活の実態を知る者は存在しない。


 ———たった一人、とある女子生徒を除いては。


「して、先程から話題に上っているその女子生徒というのはどういう人なんですか?」


「……それはまあ、この部屋に入ればわかる。多分、わかりすぎるほどに」


「はあ」


 智悠の曖昧な答えに、曖昧な頷きを返すハナ。


 彼女がどんな人なのか。


 それを知るには言葉で説明するよりも、実際にその目で見てもらった方が早い。


「だから、早速だけど入ろうか」


 とは言いつつも、なかなかドアをスライドする勇気が出ない。


 手を掛けた取っ手がやけに重たく感じる。


「……? 開けないんですか?」


 不思議そうに覗き込んでくるハナ。


 それは紛れもなく、彼女を知らない人の反応だ。


 彼女を知る智悠としては、なるべくこの手段は取りたくなかったのだけれど、しかし背に腹は変えられない。


 ハナに課せられた難解な任務を遂行するためには、おそらくこれが最適解なのだ。


「………よし、行こう」


 一度だけ、深呼吸。


 意を決して、勢い良くドアを開けた先には———


「———あら。遅かったじゃない、智悠君。待ちくたびれたわ」


 そう言って艶やかに微笑む、件の女子生徒の姿があった。




* * * * *




「……いや、アポなしで突然来たのにその反応はおかしいでしょう」


 珍奇な発言に苦言を呈する智悠を見て、目の前の少女はより一層笑みを深めた。


「あらそう? 私は四六時中ずっとあなたのことを待っているつもりなのだけれど」


「相変わらず発言が重いですね………雪菜ゆきな先輩」


 辟易としつつ、女子生徒の名を呼ぶ。


 腰あたりまで届く艶やかな黒髪に、驚くほど完成された端正な顔立ち。


 柔らかそうな白い肌は、さながら美しい白雪のようだ。


 それに何よりも目を引くのは、その抜群のスタイル。


 男心を刺激する扇情的な脚線美を描きつつ、その胸はおよそ高校生のそれとは思えないほどたわわに実り、巨大な双丘が二つ、白いブラウスを猛烈に押し上げている。


 胸と言えば隣にいるハナもなかなか立派なものをお持ちだけれど、単純な大きさなら目の前の彼女に軍配が上がるだろう。


 まさに女性らしさを体現したが如き魅惑の肢体———その持ち主の名は、篠宮しのみや雪菜ゆきな


 智悠の一つ上の先輩、高校三年生の女子生徒である。


 その類稀なる容姿から、男女ともに圧倒的な人気を誇っている有名人———ではない。


 否、正確に言うなら有名人ではある。


 ———ただし、あくまで悪目立ちという意味の注釈が付くことになるが。


「それで、どうして智悠君がここに来たの?」


「やっぱり待ちくたびれていないじゃないですか。思いっきり疑問に思っちゃってるじゃないですか」


「いいから答えなさい」


「わかりましたよ………あのですね、非常に言いにくいんですけど」


「ああ、わかったわ。遂に私の純潔を奪ってくれる気になったのね」


「いや、全くもってなってません」


「安心しなさい。心配せずとも、もう下着は脱いでいるわ」


「穿いてないのに安心できるか!」


「勝負下着を脱いでいるわ」


「それはもう不戦敗だ!」


 思わず彼女のスカートを凝視してしまったことは棚に上げ、智悠は声を張り上げた。


 ———既にお気づきだとは思うが、ご覧の通り、篠宮雪菜はとにかく『アブナイ』人間なのだ。


 有り体に言えば、エロい。


 とにかくエロい。凄くエロい。


 エロスが制服を着て歩いているのが、この篠宮雪菜という先輩なのである。


「『エロスが制服を着る』だなんて、なかなか背徳的で素晴らしい表現じゃない」


「曲がりなりにも上級生に対してこんなことを言うのは非常に申し訳ないし恐縮なんですが、あんたちょっと黙っててもらえますか」


 彼女自身の豊満なボディもさることながら、その形の良い桃色の唇から紡がれる桃色の言動の数々がとにかく危うい。


(だからこの人とは関わりたくなかったんだ……)


 中に入ってまだ数分しか経っていないが、長い階段を上って遥々この教室まで来たことを既に後悔し始めている智悠だった。


 この人と会話をしていると、とにかく疲れる。


 何せ、口を開けば内容のおよそ八割が際どい爆弾発言や下ネタになるのだ。


 黒髪ロングで巨乳美女の先輩なんて、外見だけを見れば絵に描いたような、それこそフィクションの中にしか存在しないような理想的な人なのに、その言動が他の全てを台無しにしている。


 この部屋に入る前、開け慣れた扉がやけに重たく感じた理由もわかろうものだ。


 雪菜は智悠をからかってあらかた満足したのか、


「さて。いい加減、そろそろ本題に入りましょうか」


「先輩が変な方向に話題を逸らしたくせに……」


「どうして智悠君がここに………って、あら?」


 智悠の嘆きをスルーして話を元に戻した雪菜は、そこで怪訝な顔をした。


 その視線は、智悠の背後に注がれている。


 後輩との会話に夢中になっていた上級生は、自分たちの他にもう一人の生徒がいることに気づいたらしい。


 つられて後ろを見れば、そこには教室に入ってから未だに一言も言葉を発していないハナがいた。


 だが、その様子が何だかおかしい。


 智悠の背中に隠れながら、顔だけをひょこっと出して雪菜のことをじっと見つめている。


 その小さな手は智悠の制服の裾を控えめながら握っており、表情はどこか強張っているように感じられる。


 確かに初対面ではなかなか、いやかなり刺激の強い上級生ではあるが———実際、智悠も初対面の時は度肝を抜かれたものだ———しかし、何もそこまで怯えなくても。


 裾を掴んでぷるぷると震えている様は、さながら天敵に怯える小動物のようで何とも可愛らしい。


 ただ、こうやって近づかれると、背中越しに柔らかい胸の感触とか、甘い香りがダイレクトに伝わってくるから勘弁して欲しいのだが。


「ハナ、どうした?」


「……いえ、何でもありません」


 不審に思って小声で尋ねるも、彼女から返ってきたのはそんな素っ気ない返事だけだった。


 それからようやく裾を握っていた手を離し、智悠の隣に並ぶ。


「初めまして。私、真白ましろハナと言います」


 そう言って、ハナはクラスでの自己紹介の時と同様、深々と丁寧にお辞儀をした。


 その様子を眺めていた雪菜は一度ふむと頷くと、次いで智悠に視線を移し、口元に手を当てて恐れ慄いた表情を浮かべた。


「智悠君……あなた、こんな小さい子を校内に連れ込んで一体何をしているの?」


「誤解を招く言い方はやめてください。別に僕が連れ込んだわけじゃありません」


「しかも高校の制服まで着せるなんて。智悠君って、見かけによらず上級者だったのね」


「何の上級者ですか!?」


 普段こちらがドン引きしている人からドン引きされてしまった。


 これは早々に状況を説明しないと智悠の沽券にかかわる。


 それから「ロリコン」だの「妹さんがいる身でありながら」だのとんでもなく不名誉な世迷言を繰り返す雪菜を何とか宥めて、智悠は自らが置かれている状況を簡潔に述べた。


 今日転入してきたハナのこと。

 彼女の案内役を買って出たこと。

 そして、今がその案内の真っ最中だということ。


 ハナの正体や任務のことは上手いこと隠しつつ現状を語り終えたところで、


「ああ。そういえば、二学年に美少女が転入してきたってクラスの男子たちが騒いでいたわね」


 と、雪菜は得心がいったように頷いた。


 ハナが二年B組に転入してきたことは、今日だけでも既に学校中に知れ渡っているらしい。


 言われてみれば、休み時間になる度に廊下で「金髪美少女が来た!」だの「誰々? どの子?」だのと見知らぬ顔がはしゃいでいたような気もする。


「先輩は知らなかったんですか?」


 どこか他人事のように口にする雪菜が気になり、つい疑問が口を突いて出た。


 雪菜はつまらなそうに首を縦に振る。


「ええ。別に興味もなかったし」


「本人を前にしてそれを言いますか」


「生憎、私の興味はあなたにしか向いていないのよ、智悠君」


 そう言って妖艶な微笑みを浮かべた黒髪の上級生は、話題の渦中の転入生、ハナへと向き直った。


「あなたが真白ハナさんね。初めまして、私は篠宮雪菜。あなたの一歳上……なのよね? とにかく高校三年生で、この有志部の部長よ。よろしく」


「は、はい。よろしくお願いします」


 ふわりと柔らかく微笑む雪菜に対し、ハナは畏まった様子で再びぺこりと頭を下げた。


 途中、ハナの見た目年齢を測りかねていたが、雪菜にしては珍しく当たり障りのない挨拶だったのが意外だった。


 もっとエグい発言をぶつけるかもと危惧していたけれど、そこは曲がりなりにも最上級生。


 初対面の相手、それもこの学校に来て間もない転入生に粗相をするほど子供でもないか。


 と、少しだけ彼女への評価を改めようかと思っていた矢先、


「真白さん。一応言っておくけれど、彼は私の男だから、そこのところはよろしくお願いね」


「すいません、あなたの男になった覚えが僕には微塵もないんですが」


 相手が転入生だろうが幼気な女子だろうが、彼女は彼女だった。


 その言葉が文字通りの意味ではないことを智悠は知っているので、必要以上に慌てることなくツッコめたが。


 だがしかし、そうはならない純粋な子もいるようで。


「———? あの、篠宮さん。私に何かお願いがあるのですか? それなら詳しく聞きますけれど」


 雪菜の戯言を真に受けたハナは、小首を傾げてそう言った。


 人々を導く女神として、『お願い』なるワードに反応してしまったらしい。


「ハナ。この人の言うことは基本的にほとんどが冗談だから、真面目に取り合うだけ時間の無駄だぞ」


 今まで何度も時間を浪費したことのあるベテランから、心優しいアドバイスを送る。


 それにハナが「はあ」と気のない返事を返したところで、その様子を眺めていた雪菜が、


「ふぅん、なるほどね。つまり今、あなたたち二人は部活動見学をしているということね。それでこの有志部の部室を訪れたと」


 と、別段智悠の発言を気にすることなく、今までに上がった話をそうまとめた。


「まあ、そうです。と言っても見学しているのはハナだけで、僕はただの付き添いですけれど」


 肯定しつつ、一応注釈を加える。


 すると、彼女は悪戯っぽい眼差しを智悠に向けた。


「それにしても、意外だわ。まさかあなたがそんな風に誰かのために働くなんて」


 言外に、お前はそんな優しい奴ではないだろうと言われている気がした。


「……別に、先生に頼まれたから仕方なくやっているだけですよ。要は点数稼ぎです」


「点数稼ぎ、ね」


 含んだ言い方をする雪菜の目は、真っ直ぐに智悠を捉えていた。


 気まずさを感じて視線を逸らす。

 用意していた言葉はすんなりと出てくれたのに、どうにも居心地が悪い。


 他にもっと込み入った事情があるのだが、それをここで明かすわけにはいかないのだ。


 だから、「え、仕方なくだったんですか!?」と純粋に潤んだ瞳でこちらを見るのは是非ともやめて欲しい。


 横で嘆くハナは後で宥めるとして、話を先に進めよう。


「と、いうわけなんで、先輩の部活をこの子に紹介すればどうかと」


 気安い調子でハナを手で示す智悠。


 しかし、それを見る雪菜の表情は———酷く、儚げだった。


 瞬間、部室の空気が一変する。


「………そう。あなたはそうなのね」


「————」


って、そう言うのね」


 呟いた雪菜は、普段の彼女には似つかわしくない寂しげな表情を浮かべていた。


 何故この場面でこんな顔をするのか、余人には理解できまい。


 しかし、幾度もこの表情を見てきた———否、させてきた智悠には、今の彼女の心中は痛いほどわかる———本当に、痛いほど。


 痛々しいほど。


 だから、言うならこのタイミングだった。


 言いにくいことを言うなら。


 このタイミングだった。


「……あ。それと、雪菜先輩」


「……? 何、智悠君?」


 怪訝な顔をする先輩に、智悠はさも今しがた思いついたかのように。


「入部希望です」


「……………え?」


 これまた、彼女に似つかわしくない呆けた顔を晒す雪菜。


 その反応を引き出せたことに、心の中で密かにしたり顔を浮かべながら。


「だから、入部希望です————僕、有志部に入ります」


 今日この場所に、彼女の元にやって来た本来の目的———本日の本題を、ここでようやく口にしたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る