第7話 『お騒がせな女神様』
各学年はそれぞれ七クラス、A組からG組まであり、中央階段を上って右側にA組からC組の三クラス、左側にD組からG組の四クラスが並んでいる。
そしてその中央———つまりC組とD組の間のスペースは、一階から最上階まで開けた、さながらホールのような吹き抜けとなっているのである。
そこには三人がけのクッション性の効いた長椅子が点在して備え付けられており、休み時間は生徒たちがお弁当を食べたり、談笑したりと思い思いに利用できるリラックススペースなのだ。
その日の昼休み。
そんな特殊なスペースにて、一組の男女が長椅子に向かい合って座っていた。
珍しく、他に人は誰もいない。
二人しかいない空間には、どこか静謐な雰囲気が漂っていた。
そんな空気の中、片方の少年———
「———で、これは一体どういうことですか?」
対面に座るのは小柄で可愛らしい女子生徒———今日から智悠のクラスに配属された転入生、
———もとい、智悠が天界で出逢った慈愛の女神、ハナ=エンジェライトその人である。
智悠の質問に、ハナは困ったように眉尻を下げると、
「あの、智悠さん。私、早くお弁当を食べたいのですが」
「そんな場合じゃないでしょう!? 何でハナさんがこんな所に居るんですか!」
先程から教室の方向をチラチラと流し見て、能天気に昼食を要求するハナに、智悠は間髪いれずにツッコんだ。
「というか、何ですかその格好は!」
「えへへ、似合ってますか?」
はにかみながら胸の前で手を広げ、自身の姿を見せびらかすハナ———そんな彼女は、なんと高校の制服に袖を通していた。
女神様の制服姿———その破壊力には凄まじいものがある。
天界で逢った時の、まるで女性の湯上がりのごとく、白布一枚を巻いただけのような格好もなかなか刺激的で扇情的だったけれど、見慣れ親しんだ女子高生の制服を着ている彼女というのも、また違った魅力を醸し出している。
最初は他人の空似かと思った。
しかし、金髪碧眼の女子高生なんて、古今東西どこを探してもそうそう居るものではない。
それに彼女の小柄で華奢な体躯は、今日日の高校生のそれとは一線を画している。
「………ていうか、そんな小難しいこと考えなくても、名前ですぐにわかりましたよ。何ですか、真白ハナって。思いっきり日本人の名前じゃないですか」
「女神って、何となく純白っぽいイメージじゃないですか。だからそこから取って、『真白』と名付けてみました」
なかなか良いネーミングセンスでしょう、とその豊満な胸をめいいっぱいに張るハナ。
ブラウスに包まれた大きな胸が小さな腕に押し上げられる。
この一度見たら忘れられない巨乳も、智悠が彼女をハナだと確信した要因だ。
「……で、ハナさんはどうしてここに居るんですか?」
気を取り直して、最初の質問を繰り返す。
するとハナは観念したようで、教室の方を物欲しそうに見ていた視線をこちらに戻し、滔々と語り始めた。
「私がここに来たのは、あなたを監視するためですよ、智悠さん」
「監視、ですか?」
「はい。言ったではないですか。今後一年間のあなたの行動をくまなく観察すると」
確かに、生き返りの話をした時にそんなことを言っていた記憶がある。
智悠の行動を観察し、女神が独断と偏見で評価を下すと。
「でもそれって、何ていうか………こう、天界から人間界を観察するとか、そういうことじゃないんですか?」
三途の川で溺れているところを助けてもらった時、天界から溺れている様子が見えたから助けたとか何とか、そんなことをハナは言っていた。
だとしたら、あの場所からは色々な世界が———人間界も覗けるのではないかと智悠は考えていたのだが。
智悠の指摘に、意外にもハナは首を縦に振る。
「確かに、女神族が暮らす天界からは、下界———人間界の様子を覗くことは可能です。実際、あなたがトラックに撥ねられて命を落とす前、私はあなたのことをずっと見ていましたし」
それは天界でも言われたことだ。
名乗っていないのに、ハナが智悠の名前を知っていた理由。
何のことはない———天界に暮らす女神たちには、人間のことは全て筒抜けだったのだ。
「でも、ハナさんは今こうして人間界に来てますよね。それは一体どうして?」
天界から観察すれば良いものを、わざわざ女神本人がこちらの世界に来ている理由がわからず、首をひねる智悠。
もしかしたら、事が死者の蘇生という大事なだけに、より厳重な注意観察が必要なのだろうか。
ハナは言っていた。
死者の蘇生は世の理に反する禁忌。その使用には、様々な制約が存在するのだと。
だとすれば、女神本人が直接的に接触しなければならない、何か重大な理由が————
「私がこの人間界に来た理由。それはですね………」
改めて、自分がとんでもないことをしている状況に怖気づく智悠に、ハナは一呼吸置くと。
「———私が、人間界に来てみたかったからです!」
可憐な笑顔の花を咲かせて、そんなことを宣った。
* * * * *
「…………は?」
想像の斜め上を行くハナの言葉に、開いた口が塞がらない。
彼女は今、何と言っただろうか。
「人間界に来てみたかったって………え?」
「そうなんです!」
大きく頷いたかと思うと、突然ハナはこちらにグイグイ詰め寄ってきた。
そして矢継ぎ早に捲し立て始める。
「実は私、前々から人間が暮らすこの世界にすごく興味があったんです!」
ハナの勢いは止まらず、迫力に気圧された智悠はジリジリと後ずさる。
しかし二人がいるのは狭い長椅子の上だ———逃げ場はない。
追い詰められた智悠は仰向けの体勢になり、ハナはその上に覆い被さってきた。
彼女の小さな顔がすぐ間近にある。
天界で膝枕をしてもらった時、いやそれ以上の至近距離でもって、ハナの顔を見つめた。
長い睫毛、キラキラ輝く碧眼、上気した頰に熱っぽい唇、ふわりと薫る甘い香り。
少し視線を下にずらせば、そこには暴力的な二つの果実が———これ以上はまずい。
「ちょっ、ハナさん近い近い近い!」
我慢できなくなって抗議の声を上げるも、興奮が抑えられないハナは聞く耳を持たない。
どころか、さらにジリジリとにじり寄ってきた。
荒い息を吐き、興奮した瞳はギラギラと危ない光を放っている。
「こう言っては何ですが、天界って場所はすごーく退屈なんです!」
「とりあえず離れてください、今すぐ!」
ハナの発言は少し気になったが、まずはこの状況をどうにかしないといけないと思った智悠は悲痛な叫びを上げた。
そこでようやくハナは我に返る。
四つん這いになった自分と目下の智悠を交互に見つつ、みるみるうちに顔を真っ赤に染め、慌てて元の体勢に戻った。
「す、すいません、お見苦しいところを……」
「い、いえ……」
胸元のリボンを忙しなく弄りながら耳まで赤くした姿に、心臓の鼓動が止まらない。
ここに人がいなくて助かった。
もしあんな場面を誰かに見られていたら、智悠の学校生活は終わっていただろう。
「………」
「………」
お互いに顔を背けること数十秒。
気まずさに耐えられなくなり、先に口を開いたのは智悠だった。
「えっと……それで、さっきの話の続きは?」
天界はどうのこうのと言っていたが。
ハナは俯いて、両手の指をもにょもにょ動かしながら、
「は、はい……天界は確かに長閑で良い場所ではありますが、逆に言えば、それ以外には何もないのです。見習いの私は女神の仕事も満足にできませんし……だから、毎日日向ぼっこや世間話くらいしかやることがなくて」
言われて、天界の風景を想起する。
初めてあそこを見た時、智悠はまるで桃源郷だと思ったけれど、確かに自然以外には何もないところだった。
「毎日退屈で、何か面白いことはないかなーって思ってた時に、ふと下界を覗いてみたんです」
ハナは続ける。
「そこに広がっていたのは、私にとって衝撃的な光景でした。たくさんの人がいて、娯楽があって………智悠さん。私が趣味について質問した時、あなたは趣味は特にないと言っていましたよね?」
「え? ああ、まあ、はい。言いましたね」
急に話を振られてドキリとしたが、確かに言った記憶がある。
「それから、私にとっては人間界の様子を眺めることが趣味になったんです。人間界にはどんなものがあるんだろう、どんな人たちがいるんだろう………そうやってずっと眺めているうちに、私の中にある欲求が生まれました」
「それがさっき言った、人間界に来たいってやつですか?」
「そうです。見ているだけでは我慢できなくなってしまいまして」
いつしか人間界に行ってみたいと思うようになりました、とハナ。
恥ずかしそうにはにかんだ笑顔に、思わず見惚れてしまう。
しかしハナは悲しげに目を伏せると、
「ですが、女神族が人間の世界に行くことなど許されません。ましてや見習いの身ならなおさらです」
それは、女神族の中の決まりごとなのだろうか。
気になったが、ハナの物悲しそうな表情を見たら聞くのは憚られた。
「羨ましくても何とか我慢するしかなくて………ずっとそうしているうちに、私、閃いたんです」
「閃いた? 何をですか?」
「——大義名分さえあれば人間界に行けるのではないか、と」
そう言うハナの瞳は、怪しげな光を宿していた。
この瞳には見覚えがある。
天界で話していた時、彼女が時折見せていたものだ。
嫌な予感に顔を引き攣らせる智悠に気づかず、ハナの語りは徐々に熱を帯びていく。
「来る日も来る日も必死に大義名分を考えていた私が思いついたのが、今回の『生き返り』でした」
「……思いついた?」
何かとんでもないことを聞かされそうな予感がしつつも、聞き返さないわけにはいかなかった。
智悠の相槌を受け、ハナは。
「若くして死んだ未練だらけの人を生き返らせるために何かしらの任務を課し、その監視役を務める————これなら、合法的に正々堂々と人間界に行けます」
「え……ちょ、ちょっと待ってください」
「? どうかされましたか?」
理解が追いつかず話の腰を折る智悠に、ハナは可愛らしく首を傾げた。
彼女が何を言っているのかわからない。
何でそんな反応をするのかもわからない。
だってその言い方だと、まるで————
「まるで、今のこの状況をハナさんが作り出したみたいじゃないですか」
「みたいと言いますか……むしろその通りですけれど」
「……ということは、僕を蘇生させたのは……」
さっきとは別の意味で早まる鼓動。
ハナは朗らかに微笑んだ。
「あなたの監視役………という名目で、人間界に来るためです」
* * * * *
まさにそれは、今だから言える話だった。
事が完了した今だからこそ言える話———暴露話。
智悠が一時的に生き返らせてもらったのは、言うならハナの我儘の結果だった。
人間界に行きたいがために、一度死んだ人間を生き返らせる。
存在が規格外なら、考え方も規格外だ。
「……てことは、仮蘇生とか人助けとかも全部ハナさんが考えたデタラメということですか?」
だとすれば、もう既に智悠は完全に生き返っているということになる。
よくわからない任務も女神の採点も、何もかもがなかったことになるのだ。
しかし、ハナは首を横に振った。
「確かに任務の内容などは私が勝手に考えたことではありますが、それは本当の話です。あくまで『監視役』という名目なので」
言われて、それはそうかと納得する。
ただ智悠を生き返らせるだけなら、監視役など必要ない。
『仮蘇生』という曖昧な状況だからこそ———このシステムだからこそ、彼女は人間界にいるための役目を担えるのだ。
「つまり、動機が違っただけで、人助け云々は変わらず続行というわけですね」
「そういうことになります」
正直期待していただけに、その事実には落胆を禁じ得ない。
密かにため息を吐く智悠の隣で、ハナは裏話を続ける。
「今回の計画を頑張ってプレゼンしたら、天界の皆からも『そういうことなら……』と一年間限定で許可をもらいました」
だから任務の期限が一年間なのだ。
智悠が任務に当たっている間だけ、ハナは人間界で過ごすことができるという仕組み。
「……よく考えられたシステムだな」
「でしょう!」
得意げに胸を張るハナ。
その姿は、さながら夜中に家を抜け出そうとあれこれ画策する思春期の子どもを彷彿とさせる。
なるほど。
そりゃあ、任務の内容がアバウトなわけだ。
「てことは、この『仮蘇生』の制度って別に常習的なものではないんですね」
天界でのハナの口振りから、てっきり死んだ人に対して毎回行われている儀式のようなものだと思っていたのだが。
「それはそうですよ。一時的とはいえ、死者を気軽に生き返らせるなんて許されません。生も死も、皆に平等なんです」
その許されないことを欲望に負けてやってしまった本人が言うことではないと思うが、それは彼女の思惑にまんまと乗っかってしまった智悠も同罪だろう。
言わば二人は共犯者なのだ。
世の理を犯した、共犯者。
「………どうして僕だったんですか?」
ふと、気になって聞いてしまった。
「え?」
「どうして、ハナさんは僕にこの話を持ちかけたんですか?」
この世は絶えず人が生まれ続け、そして死に続けている。
あの日、智悠以外にも命を落とした人間は何人もいたはずだ。
たとえ未練タラタラな若い奴を望んでいたとしても———智悠が選ばれた理由がわからない。
智悠の女々しい質問に、しかしハナは真面目な顔でこう答えた。
「そうですね。いくつかありますが、大きな理由は二つでしょうか。一つは、あなたが『ガクセイ』だったからです」
「学生?」
「いろんな娯楽も魅力的ではありましたが……私が下界を眺めていて一番気になっていたのが、この『学校』という場所なんです。同じ年の人たちが同じ服を着て集まって、遊んだり勉強したり。天界にはこのような施設はないので、いつか行ってみたいと思っていました」
制服のリボンを弄りながら嬉しそうに微笑む。
わざわざ高校の転入生という立ち位置を取ったのは、それが理由のようだ。
「だから、あなたが未練がないって言った時は本当に焦ったんですよ? 流石に未練がない人を無理矢理生き返らせるわけにはいかないですし」
「だからあんなに必死だったんですね。それで、二つ目の理由は?」
「それはですね……」
何かを言いかけたハナだが、そこで不自然に口を噤んだ。
「………いえ、これは秘密にしておきましょう」
「ちょっと、そんなこと言われたら気になるじゃないですか」
「乙女には少し秘密がある方が良いのです」
お茶目な笑顔で悪戯っぽく言うと、彼女はおもむろに立ち上がった。
そしてこちらをクルリと振り向く。
膝上のスカートがふわりと舞った。
「それでは智悠さん。これから一年間、監視役——もとい同級生として、よろしくお願いします!」
そう言って、ハナは朗らかに微笑んだ。
「は、はい……こちらこそ」
「あ、それと」
動揺する智悠に、ハナは軽くウインクをすると。
「これから私たちは同級生になるので、話す時は是非タメ口でお願いしますね!」
それだけ言い残し、教室へと戻っていく後ろ姿を見送りながら。
「女神にタメ口って………バチが当たったりしないかな」
好奇心に負けて他人を生き返らせたり、そうかと思ったら一緒に高校に通い出したり。
どうやら女神という奴は、思っていた以上に厄介な連中らしい。
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