第6話 『謎の転入生X』
『良いニュースと悪いニュースがある』
よく使われるこのフレーズだけれど、今朝の
まず悪いニュースというのは、十中八九、妹との登校だ。
二人が通う高校は四階建てである。
一階には事務的な部屋が並んでおり、上階からは各学年の教室———二階は三年生、三階は二年生、そして最上階が一年生の教室となっている。
真綾が智悠を解放してくれたのは、階段を上り、ちょうど三階に到着したところだった。
「じゃあ一日頑張ってね。少しでも具合が悪くなったらすぐに保健室行ってね。酷いようなら我慢しないでちゃんと寝とくんだよ。早退してもいいからね。あっ、でもその場合は私にちゃんと報告すること。それから」
「いいから早よ行け」
過保護を爆発させる妹を上階へ追いやり、自分の教室へと足を向ける。
少しだけ申し訳なく思ったが、階段を一段上るたびにこちらを振り返る彼女を見ていたら謝る気が失せたので、構わずに教室へと向かう。
二年B組———智悠が所属するクラスの教室は、普段と変わらない喧騒に満ちていた。
この春から同じ教室で過ごすことになった総勢三十九名のクラスメイトは、まだ進級して一ヶ月しか経っていないというのに、既に各々が集まり、小グループが其処彼処に点在していた。
談笑に講じる者、携帯でゲームをしている者、朝の勉強をしている者———HR前のこの時間は、その人の人間性が如実に表れている。
後ろのドアから足を踏み入れた智悠は、そのまま直進、窓際から二列目後方の自分の指定席に腰掛けた。
特にやることもなく、何となく教室全体を見渡す。
交通事故に遭い、一時は意識不明の重体にまでなったクラスメイトが一週間ぶりに登校してきたというのに、周囲の反応は全くといってなかった。
どころか、誰も智悠の方を見向きもしない。目が合うことすらなかった。
いつもと同じような光景。
妹とは対照的に、教室の様子にはまるで変化がない。
なんて薄情な連中なんだ———とは、思うまい。
とかく、人間なんてそんなものだ。
自分が見たいものだけ見、聞きたいことだけ聞く。
彼らの日常にとって、話したことのない、下手すれば名前すら覚えていないクラスメイトの事故なんて些末な出来事なのだ。
ひょっとしたら、そもそも事故のことすら知らないのかもしれない。ただ一週間くらい風邪が長引いた、くらいの認識をされている可能性もある。
どちらにしろ、今この瞬間の彼らにとって大事なのは、他の何よりもお友達と過ごす時間なのだろう。
そう考えると、わざわざ自分から話しかけようとも、アピールしようとも思わない。
「そんなことよりも問題なのは……」
意識を教室から切り離し、自分だけの思考の世界に足を踏み入れる。
智悠の頭にあるのは、慈愛の女神であるハナに課せられた任務のことだった。
「勢いに任せて話に乗ったけれど、人助けって一体何をすれば良いんだ……?」
こうして智悠が再び学校に通えているのは、ハナによって一時的な蘇生をしてもらっているからだ。
彼女の言葉で言うなら、今の智悠は『仮蘇生』の状態。
完全に生き返るためには、ハナの言う『人助け』をしなければならない。
だが、ハナからは具体的に何をしろとか、誰を助けろとか、そういった指示は受けていない。
「……今更だけど、やっぱり大分アバウトな条件だよな」
期限はきっかり一年とハナは言っていた。
まだまだ猶予は残されているように思えるが、なにせ採点基準が女神の独断と偏見だ————いち早く動くに越したことはない。
「でも、一体何をすれば……?」
結局最初の悩みに戻ってしまい、答えの見つからない状況に頭を抱える。
下を向いていたら出る答えも出ないと、気晴らしに窓の外を眺めようとした智悠は、そこでふと教室に違和感を感じた。
「座席が増えてる……?」
智悠が座る席の左隣———窓際の一番後ろ。
そこに、今まではなかった座席が存在していた。
二年B組では、窓際の一番後ろの席に座ると授業に集中してもらえないとか何とかで、担任の先生が始業式の時に座席を撤廃した過去がある。
人気がある座席配置だけに生徒からは苦情もあったが、先生の人望もあって最後には皆納得していた。
それなのに今、隣には撤廃したはずの座席がある。
それも、誰の荷物も掛かっておらず、明らかな空席の状態で。
これは一体どういうことだろうか。
その疑問への答えは、『良いニュース』となって智悠の耳に届いた。
「そういえば、今日うちに転入生が来るらしいよ」
「えっ、それ本当?」
「うん。職員室で先生と話しているところ見たから」
「男子? 女子?」
「女子。結構可愛かった」
「へぇー」
右隣の席で駄弁っている女子グループからそんな会話が聞こえてきたのである。
その話はそれっきりで、女子たちの話題はそれからすぐに昨日のテレビ番組の話に移行した。
同性だとわかった途端に興味を失うあたり、いかに高校生が異性との交流に飢えているかがわかる。
何はともあれ—————
「転入生、か……」
クラスメイトの名前と顔が未だに一致していない智悠にとっては、隣の女子たち同様転入生など大して気にならない存在なのだが、この時だけは違った。
このタイミングでの転入生———教室に増える新しい仲間。
これは願っても無いチャンスだ。
この高校に来て間もない転入生なら、日常生活を送る上で色々とわからない部分が出てくるのは必然。
そこで智悠が手取り足取り教えてあげれば、その行為は十分に人助けとなり得るはずだ。
まさに最初に手を差し伸べるにはうってつけの人材、その来訪に智悠は天に感謝した。
進級から一ヶ月が経った五月のタイミングでの突然の転入生———頭に浮かぶのは、背が小さくて胸が大きい女神様の無垢な笑顔。
これをハナの粋な計らいだと思ってしまうのは、流石に彼女に肩入れし過ぎだろうか。
「まあ何にせよ、これで一応の目処は立った」
まだ具体的な策は何も思いついていないけれど、それは追々詰めていけば良い。
方針が固まり、心の中で智悠がガッツポーズを決めたタイミングで、教室のドアがガラリと音を立てて開いた。
「皆さん、席に着いてくださいねー」
中に入り、教壇に立った女性———二年B組担任教師の
具体的な年齢は定かではないが、女子大生といっても差し支えないくらい若々しい印象の女性だ。
その名前とは裏腹に目鼻立ちは大変可愛らしく、それでいて大人の女性らしい美しさも感じさせる容姿から、生徒たちに圧倒的な人気を誇っている。
その人気は、担任発表の折にクラスで拍手喝采が起こったほどだ———先述した座席の件も、彼女だからこそ成立した提案である。
そんな美人女教師は、
「まずHRを始める前に、今日は皆さんに新しいお友達を紹介したいと思います」
と、変わらぬ笑みを湛えたままで教室の外を指し示した。
既に転入生の話はクラス中に知れ渡っていたようで、少々のざわめきは起こったものの、生徒たちから驚きの声は上がらない。
それぞれが様々な感情を宿した目でドアの外を見つめる中、その転入生はゆっくりと姿を現した。
———瞬間、智悠は呼吸を忘れる。
否、それはこの場にいた者全員だったろう。
凛依に促され、教室に入ってきた転入生———それは、伝え聞いた通りの可愛らしい美少女だった。
肩まで伸びた金色の髪に、宝石をはめ込んだような浅葱色の瞳。
精巧な人形と見紛うほど整った顔立ち———しかし、その造形にはえらく幼気な印象が同居している。
同じ高校生とは思えないほど小さな矮躯に、高校生とは思えないほど発育良好な豊乳。
常軌を逸したその美貌にクラスメイトが皆一様に目を奪われる中、少女は深々と腰を折り、やがてあどけない笑みを浮かべた。
「初めまして。今日から皆さんと一緒に通うことになりました、
記憶に新しい幼き女神様———ハナ=エンジェライトの姿が、そこにはあった。
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