第4話 『いざ現世へ』

「妹さん、ですか?」


「………はい、そうです」


 小首を傾げるハナに、智悠ちひろは若干照れながらも頷いた。


 智悠が思い出した心残りとは、実妹の存在だった。


 トラックに跳ねられる直前———自転車を漕ぎながら帰宅後の過ごし方について考えていた時に、何となく妹と遊ぼうかと思っていたのを思い出したのだ。


「うちは両親が共働きで、帰りがいつも遅いんです。だから家では妹と過ごすことが多くて……」


 多いというより、もはや毎日だ。


 どちらからともなく家に帰って来て、一緒に遊んで、一緒にご飯を食べて。


 一歳下という難しい年の差だけれど、兄妹仲はかなり良かったと自負している。


 だからこそ心配してしまう。

 自分の人生自体にはやり残したことはなかったが———妹を置いて逝ってしまったことだけは。


 心残り———後悔。

 それこそ、目の前の女神に懺悔の一つでもしたいくらいである。


「妹想いの、良いお兄さんなんですね」


「……別に、そんなんじゃないですよ」


 優しげな瞳で言ってくるハナだが、智悠はふるふると首を横に振った。


 そう、本当にそんなんじゃない。

 智悠が本当に妹想いの良いお兄さんなら、そもそもあんな軽率な行動で命を投げ出したりはしなかっただろう。

 それに、智悠は今の今まで彼女の存在を忘れていた。


「……いや、違うな」


 自分で自分を否定する。

 忘れていたのではない———考えないようにしていたのだ。


 死んだ自分を免罪符にして、未練がないなどと嘯いて、唯一の心残りから目を背けようとしていた。


 それは智悠の心の弱さだ。


「……でもやっぱり、それでも心配です。過保護ってわけじゃあないですけれど、血を分けた兄妹ですし……」


 自分で言っていて、シスコンだと思われないだろうかと不安になる。


 しかしハナは優しく受け止めてくれた。


「私は、家族を愛するのは当然のことだと思いますよ。若い人特有の未練がなくて、正直智悠さんって本当に人間なのかなって思ってたのですが」


「急にディスられた。そんなこと思ってたんですか?」


「ふふっ、冗談です」


 見た目相応の悪戯っぽい笑みを浮かべるハナ。

 それはまるで仕返しが成功したと喜んでいるようで。


 ——やっぱり似ているな、と智悠は思った。


 智悠が妹のことを思い出したのは、目の前の女神が小さい頃の妹に似ていたからだ。


 無邪気な笑顔、素直な性格、可愛らしい立ち居振る舞い———小学生の頃の彼女そっくりである。


 流石に妹はあそこまで胸は大きくなかったし、金髪でもなかったが。


「……さて。あなたの未練、しかと聞き届けました」


 と、改まった女神らしい口調でハナが言った。


 やけにニコニコ顔なのが少し不気味だ。


「心優しき未練を残したあなたには、もう一つの選択肢があります」


「あっ、そうだ。そのもう一つの選択肢って、結局何なんですか?」


「それは———生き返りです」


 ハナは、三度あの怪しげな光を瞳に宿して、重々しく口を開いた。


「生き返り?」


「はい。若くして命を落とし現世に多大なる未練を残した人間を、肉体と記憶はそのままに蘇生させることで、人生をやり直すことができるのです」


「えっ……そんなことができるんですか!?」


「今この天界に居るあなたは、言わば魂だけの存在です。なので、その魂を現世にあるあなたの肉体に返還すれば、生き返ることは可能です」


 驚きで何も言えないでいる智悠に構わず、ハナは話を続ける。


「ただし、それはあくまで一時的な蘇生———言わば『仮蘇生』です」


「仮蘇生……?」


 聞いたことのない単語に眉を顰める智悠。


「本来、死者の蘇生は世の理に反する禁忌。そうやすやすと行って良いものではありませんから、いろいろと制約が存在するのです。誰でもぽんぽん蘇生させるわけにはいきませんし」


「その制約の一つが、その仮蘇生ってやつなんですか?」


「その通り。生き返りを望む者に猶予を与え、その人が生き返るに値する人間なのかどうか振るいにかけるのです」


「な、なるほど……?」


 何だかわかるような、わからないような。


「仮蘇生の期限はきっかり一年間です。この期間中に、これからお話しする『ある任務』を達成することで、一年後にあなたは完全に生き返ることができます」


 ここまで一気に事務的な話を捲し立てられたが、概ねの内容は理解できた。


 つまるところ、一番の問題となるのは———


「その、任務の内容は?」


 最も気になる部分を聞くと、ハナはフッと微笑み、おもむろに胸の前で両手を握った。


「——自己紹介でも言った通り、私たちエンジェライト家は女神族の中でも『慈愛』を司っています。『慈愛』——つまりは人助けです」


「え? 人助け?」


「はい、人助けです。現世において悩み、困っている人々を片っ端から救っていく。それがあなたの任務となります」


 それは、何というか……予想していた任務とは少し、いやかなり毛色が違っていた。


 漠然としているというか……例えば何かを完成させるとか、そういった形あるものを想定していたのだが。


「それが人助けって……あの、それって達成したかどうかってどうやって決めるんですか?」


「それに関しては、今後一年間のあなたの活動をくまなく観察し、私たち女神族が責任を持って、独断と偏見で評価させていただきます」


「独断と偏見なんだ!?」


 任務の内容がアバウトなら、評価方法もアバウトだった。


 その後は他に気になった点などを質問し、より詳細な説明を受けた。


 ハナの話を要約すると、こうだ。

 智悠はこれから一時的に生き返り、一年かけて人を助ける活動を行わなければならない。

 その結果が女神たちのお眼鏡にかなえば、無事一年後に完全な蘇生を果たし、人生をやり直すことができる。

 もし不甲斐ない結果に終わろうものなら、せっかく与えられた猶予は剥奪———運命通り、一年越しの死が待っている。


 言わば、小日向こひなた智悠がどれだけ他人に奉仕できるか———誰かの役に立てるか。


 これはそういうミッションだ。


 思い返せば、三途の川から智悠を救出してくれた彼女はこんなことを言っていた。


『お気になさらないでください。困っている人に救いの手を差し伸べるのは、女神として当然のことですから』


 なるほど、そんなことが言える彼女だからこそ——『慈愛』を司る女神だからこその任務と言える。


「蘇生の方の大まかな説明は以上になります。あとはどちらの選択肢を選ぶかですが………それは聞くまでもありませんね」


 智悠の目を真っ直ぐに見つめ、ハナは満足げに頷いた。


 もちろん、智悠の心は決まっている。

 ただ一つの心残りのため、智悠はまだ死ぬわけにはいかないのだから。


「はい。僕、生き返ります。人助けってのは正直まだピンときてないし、自信もないですけれど………でも、やるだけやってみます」


 智悠の返答を聞き届けたハナは、朗らかに微笑んだ。


「わかりました。では、今からあなたを現世に送ります」


 言うと、ハナはパチンと指を鳴らした。

 軽快な音が天界中に響いた瞬間、智悠の足の下に青白く光る魔法陣が浮かび上がる。


「おお………っ!」


 アニメやゲームの世界でしか見たことがなかった魔法陣をリアルに見て、興奮を抑えきれない智悠。


 やがて白く輝く光が青空に昇り、智悠の体が宙に浮き上がっていく。


 その姿を地上から微笑ましく見守っていた慈愛の女神は。



「では、小日向智悠さん。願わくば、数多の人々を救い、あなたが無事に生き返ることを祈っています———行ってらっしゃい!」



 可憐な笑顔で告げ、直後、天界はまばゆい光に包まれた————

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