第3話 『フラットな男』
「やるべきことが残ってる……?」
二つ目の選択肢の提示を期待していた
というか脈略がなさ過ぎて、はっきり言ってわけがわからない。
そんなことを言われても、今の智悠がやるべきことといえば、それこそ先程ハナが言った一つ目の選択肢以外にないように思う。
イレギュラーの埋め合わせ———もう一度あの濁流に乗り、今度こそ正当な、本来彼が居るべき死後の世界へ。
それが天国なのか地獄なのか、はたまた別の世界になるのかはわからないけれど、いつまでもこの天界には居られないのだ。
しかし、ハナは首を横に振った。
「いえ、私が言いたいのはそういうことではありません。現世にやり残したことがあるのではないですか、という意味です」
「現世にやり残したこと……」
どうやらお互いの解釈に齟齬があったらしい。
彼女の言を正しく理解し、そして考える。
「うーん……やり残したことか……」
首をひねり、眉間に皺を寄せる。
そもそも智悠の死因は自殺ではない。
見ず知らずの少女の不注意で道路に飛び出してしまった犬を助けようとしたが故の交通事故だ。
「まあ、それも自殺じゃなくても自殺行為ではあったけど……」
それでも、意図して、自ら望んだ死ではないのだ。
今日が終われば、いつものように同じ明日が来ると思っていたところに訪れた突然の最期。
現世に残してきたものは山ほどある。
そう、山ほど———………
「………あれ?」
死ぬ前の自分の生活に思いを馳せていた智悠は、そこで違和感に首を傾げた。
現世でやり残したこと。未練。心残り。
記憶の海を泳いでそれらを探すが———
「………ハナさん、大変です」
「? どうされました?」
「僕………別に現世に未練とかないかもしれません」
「………ええっ!?」
深刻な表情で告げた智悠に、ハナはまたもや目を見開いて驚きの声を上げた。
いちいち反応が面白い女神様である。
「未練がないって………あの、見たところ、智悠さんって大分お若いですよね?」
「まあ、はい。今年で高二です」
「すいません、ちょっと何を言ってるのかわからないのですが。『コウニ』とは何ですか?」
天界に高校という概念は存在しないらしい。
「人間界では、若い人のことを『コウニ』と呼ぶのですか?」
「いえ違います。あー、えっと、つまりは今年で十七歳ってことです」
「十七歳ですか。そんなにお若いのなら、もっとやりたいこととかあるのではないですか? 例えば、もっとお友達と遊びたい、とか」
「いや、そもそも僕、友達いなかったんで」
「……あの、その………ごめんなさい」
「ハナさん。お願いですから、そんなめちゃくちゃ悲しそうな顔しないでください」
実際悲しい話だが、高校に通っていた頃の智悠には仲良く遊ぶような友達はいなかった。
元々が内向的な性格なので、幼い頃から自分で声をかけ、友達を作ることが苦手だったのだ。
小学校に入学して以降は、一人で学校に行き、黙々と授業を受け、一人で家に帰る。
それが智悠の毎日だった。
「それに、別に今更友達が欲しいとも思ってないですしね」
何も孤高を気取っていたわけではない。
いたらいたで楽しいものだろうし、いなかったらいなかったで別にどうということもない。
つまり友達とは、智悠にとってどうでもいい存在なのだ。
「なので、特にもっと遊びたいとか、そういう欲はないですね」
「そ、そうですか……じ、じゃあ、何か熱中していた趣味は?」
「それも特には」
焦るハナの問いかけに、間髪いれずに答える。
昔から、プロフィールの趣味の欄に書くことが何もなくて困っていたのが智悠という男だ。
唯一そう呼べるものといえば読書だが、未練と言えるほど本の虫であったかと問われれば、否と答えざるを得ない。
「じゃあじゃあ、何か将来の夢とか、なりたかった職業とかは……?」
「将来の夢………これといったものはないです」
何かを目指して生きていたわけじゃないし、自分の将来に希望を持っていたわけでもない。
通っていた高校にしたって、家からほど近いとか、自分の学力で入れそうだったからとか、ありきたりで将来性のない理由で選択した。
取りつく島もない智悠の返答にもめげることなく、ハナは続けて、
「うぅ………あっ、じゃあじゃあじゃあ、その………は、配偶者が欲しい、とかは………?」
何故か顔を赤く染めてチラチラとこちらを見ながら言ってくるが、
「いや、彼女が欲しいと思ったこともないですね」
智悠はそれもバッサリと切り捨てた。
高校生ともなれば、やれ彼氏彼女ができただの初体験済ませただの、そういった話が周囲から聞こえてこなくもなかったが、智悠にとってはそんな自慢話の何が良いのか理解できなかった記憶がある。
別に性欲が枯れているわけではない。
ただ、そういうのは欲しいと思って手に入れるものではないと思うのだ。
「って、今のは流石に臭すぎるかな……」
苦笑し、何だか面接での先生とやる気のない生徒みたいになってきたな、と場違いな感想を抱く智悠。
だとしたら熱心な先生役であるところのハナは、
「はあ……何というか、あなたがここに来てもやけに落ち着いていた理由がわかった気がします」
深いため息をつきながらそんなことを言った。
「未練がないから、あんなにもすんなりと自分の死を受け入れられたのですね」
「あはは……そうかもしれません」
苦笑を漏らすが、智悠は心のどこかで彼女の言葉が真実だと確信していた。
後悔のない人生を歩んでいたと言えば聞こえは良いが、そうではなく、彼は後悔が生まれるような生き方をしていなかったのだ。
無気力、そして無関心。
目標もなく、時間を浪費するだけの日々を送っていた。
「だからこそ、あの時に死んだのかもしれないな……」
本物の女神を前に言うことではないが、智悠の死は天に見放された結果なのかもしれない。
こいつは世の中に不要な存在だと。
トラックに轢かれたあの時だって、智悠は適当に自転車を漕いでいるだけで————
「………あ」
その時、智悠の脳裏に浮かんだのは、まさに天啓だった。
———いや、違うだろ。
部活に精を出すでもなく、友達と青春を謳歌するでもなく、一人で自転車を走らせていた、あの時。
犬を助けるために道路へと飛び出す、その直前。
自分は、何を———誰を想った?
「………ハナさん」
「未練がないとなると何か他に作戦を考えないといけな………あ、はい。何ですか?」
俯いて小声でぶつぶつ呟いていたハナは、自分を呼ぶ声に急いで顔を上げる。
声が小さ過ぎてよく聞き取れなかったが、それは今は後回し。
彼は言った。
「一つだけありました———心残り」
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