第2話 『やり残したこと』

「え……ええええぇぇぇぇぇ!?」


 束の間の静寂の後、ハナは堰を切ったように驚きの声を上げた。


 まさに絵に描いたような驚愕っぷりで、大きな瞳がより一層見開かれている。


「死んだことがわかってるって、本当ですか!?」


「は、はい……」


 食い気味で問うてくるハナに、若干気圧されながらも頷く。


 彼女がここまで取り乱す意味がわからない。自分が死んだことを自覚していると何かまずいことでもあるのだろうか。


 その答えは、続く彼女の言葉に示された。


「そんな……せっかくの私の決め台詞が……」


「は? 決め台詞?」


 智悠ちひろの言葉に反応することなく、ハナはその場にくずおれる。


「ああ……いきなりあの世に来て戸惑っている人間に、高らかに『あなたは死んでしまったのです』と宣告する王道の展開が……」


 それから、何やらぶつぶつと地面に向かって呟いた。


 聞くに、どうやら智悠の想像は当たっていたらしい。


 智悠に死の事実を告げる前の彼女は、それはそれは迫真の表情をしていた。


 しかし今にして思えば、憂いを帯びた瞳の中に、微量の期待というか、『早く言いたい』といった食い気味の感情が含まれていたような気もする。


 確かに主人公が死んだところから始まる物語では、女神のそんな謳い文句が王道になっている嫌いはあるけれど。


 まさか女神本人がそれをご所望だったとは夢にも思っていなかった。


「あなたの『死んだって……え?』的な反応が見たくて、噛まないようにいっぱい練習したのに!」


「え!? 僕の反応まで織り込み済み!?」


「そうですよ! あなたのせいで全部台無しじゃないですか!」


「そんなこと僕に言われても!」


 憤慨して今にも掴みかかってきそうなハナの理不尽に悲鳴を上げた。


 何だろう。出会って間もないが、さっきからこの子からは残念なオーラをビシバシと感じる。


 智悠の露骨な胸への視線にも気づいていなかったし、少々天然なところがあるのかもしれない。


「せっかく、先輩たちみたいに女神っぽいことができると思ったのに……」


 なおもぼやく彼女の言に、気になる単語を見つけた。


「あの、女神っぽいってどういうことですか?」


 聞くと、ハナはブー垂れたまま、恥ずかしそうに頬を染め、


「………実は、私は女神とはいってもまだ見習いの身なのです」


「見習い?」


「はい。まだまだ半人前で、本来は女神を名乗るのも烏滸がましいほどで」


 女神の世界にも職階があるのか。


 そういえばさっきの自己紹介で、彼女は女神を自称する時だけやけに恥ずかしそうにしていた。


 あれは自分で女神を名乗ることの痛々しさからくる羞恥心ではなく、未熟な身で大層な名を名乗ることへの気恥ずかしさだったわけだ。


「だから、今回は先輩たちみたいな女神っぽいことが言えると思って、密かに楽しみにしていたのです」


「……なんか、すいません。落ち着いちゃっててすいません」


「ていうか、どうして知っているんですか? しかも、どうしてそんなに落ち着いていられるのですか? 普通、自分の死なんてすぐには受け入れられないと思うのですが」


 ぷっくりと頬を膨らませ、ハナが詰め寄ってくる。


 目にうっすらと涙を溜めながら上目遣いをしてくる様は、顔の幼さも相まってさながら小さな子どもの駄々こねのようだ。


「そう言われても、トラックに轢かれた記憶はちゃんとありますし……それに、あんな場所に居れば嫌でも自分が死んだことくらい察しがつきますよ」


 あんな場所。

 その単語を口にした途端、智悠の中で加速度的に記憶がフラッシュバックする。


「……そうだ、あの場所!」


「うわっ!? ちょっと、いきなり大きな声を出さないでくださいよ」


 急な大声を上げる智悠にハナがたじろぐ。

 智悠はそれに構わず、


「ハナさん、僕もいくつか質問してもいいですか?」


 ハナは小首を傾げつつも、コクリと頷いた。


「それは構いませんけど……私に答えられることでしたら」


 了承を得た智悠は、聞きたいことを整理すると、一つ目の質問を投げかける。


「僕、さっきまですごく気味が悪い場所に居たはずなんですが、あそこは一体何なんですか?」


 この長閑な場所——ハナの言葉を借りるなら、天界の庭に来る前、智悠はこことは正反対の場所に居た。


 呻き声、瘴気、腐敗臭、そして無数の髑髏———あの寒気がするような光景は、今でも脳裏に焼き付いている。


 ここに来た時に感じた違和感の正体はこれだ。


「ああ、あそこはこの世とあの世の狭間……智悠さんにもわかるように言うなら、『三途の川』といったところです」


 智悠の疑問に、ハナが流暢に答えた。


 三途の川なら智悠も知っている。

 むしろ誰もが一度は聞いたことがある単語だろう。

 まさか、本当に存在しているとは思っていなかったが。


「……ていうかこうなってくると、女神とか三途の川とか、世界観がめちゃくちゃだな……」


 どちらかに統一して欲しい気持ちはあるが、それも日本っぽいと言えば日本っぽい。


 智悠の呟きはハナには聞こえなかったようで、説明を続ける。


「ですから、厳密にはあの場所は死後の世界ではありません。三途の川を渡ることで、初めて死後の世界に行くことになるのです」


「川を渡る……ああ、だからあの水」


「その通り。あなたが巻き込まれたあの水流が三途の川です。本来なら死亡後にあの川を渡ることになっているのですが………」


 そこでハナは言い淀むが、その後に続く言葉は簡単に予想できた。


「僕は、無様にも溺れちゃったということですね」


「ぶ、無様なんて思ってませんよ!……そんなに深い川じゃないのに、泳ぐのが下手っぴなのかな、とはちょっとだけ思いましたが」


 自嘲的な笑みをこぼす智悠をハナが慰めようとするが、本音が出てしまっていた。


 どうやら嘘がつけない性格のようだ。


「ということは、溺れている僕をハナさんが助けてくれたんですか?」


 気がついたら天界に居て、そこに自分とハナがいた。その状況から鑑みるに、つまりはそういうことだろう。


「はい。ここから三途の川の様子は覗くことができるんです。そしたらあなたが溺れているのが見えたので、川から引っ張り出してここまで運んできました」


 なかなか目覚めないので心配したんですよ、とハナは言う。

 最初の膝枕は介抱のためだったようだ。


「そんなことが……なんか、すいません」


「お気になさらないでください。困っている人に救いの手を差し伸べるのは、女神として当然のことですから」


 見習いですけどね、とハナは微笑を浮かべた。


 その言葉に含みは見当たらない。

 紛れもない本心からの言葉だった。


「ち、ちなみに、あのままずっと溺れていたら僕はどうなっていたんですか?」


 恐る恐る聞くと、ハナは唇に指を当てつつ、


「前例がないので詳しくはわかりませんが………先程も言いましたが、川を渡ることで初めて死後の世界に行くことができるんです。なので、おそらくは永久にあの場所で彷徨うことになっていたでしょう」


「マジか………その、川を渡ることで死後の世界に行けるというのは?」


「人間の皆さんは天国か地獄の二択という認識をしている方が多いと思いますが、実際は死後の世界はもっと幅広いものなのです。あの川は死者の人生に応じて流れ着く先が変わり、その人の生前の行いに見合った世界に自動的に連れて行くシステムになっています」


「すげぇな三途の川」


 あの濁流にそんなハイテク機能があったとは。


 思わぬ事実に驚きを隠せない智悠だが、対するハナは微妙な表情をしている。


「まあ、昔は女神たち自身が直接裁定を下していたらしいのですが」


「え、そうなんですか?」


「はい。昔の女神——私たちのご先祖様が、自分たちの労力削減のために創ったシステムだと伝え聞いています」


 どうやら女神の世界も人間のそれと同様、日々進化を続けているらしい。


「他に何か聞きたいことはありますか?」


 続きの質問を促すハナの問いかけに智悠は思案げに唸り、


「そうですね………では最後に一つ。これはこれからの話なんですが」


「はい」


「僕のこの後の処置ってどうなるんですか?」


 彼女の話に従うなら、今頃智悠はその人生の軌跡に従い、何らかの死後の世界に連行されていたはずだ。


 だが川で溺れるという異常事態が発生し、こうして天界の庭という未だによくわからない場所に連れてこられている。


「この場所が、僕が行くべき死後の世界ってわけではないんでしょう?」


 それは、自分はこんな心地良い場所に来るような人間ではないと、ある種の自虐を込めた言葉だったのだが。


 先の最後の質問を聞いた途端、ハナの表情が僅かに変化し、口元に怪しげな笑みを浮かべた————ような気がした。


「……あの、ハナさん?」


「………その通りです。申し訳ありませんが、ここは智悠さんが来るべき場所ではありません。というより、そもそも天界には女神族だけしか暮らせません。普通なら、それ以外の種族が立ち入ることは許されていないのです」


「え? それなら僕がここにいたらまずいんじゃあ……」


「はい。ですので、智悠さんには二つの選択肢があります。一つは再び三途の川に戻り、もう一度川を渡ること」


 一時中断扱いになっていた川渡りを再開し、ルールに則って今度こそ本当の死後の世界に行くというわけだ。


 事前にわかっていれば、もうあの川で溺れることはないだろう。


「なるほど……じゃあ二つ目は?」


 聞くと、ハナは再びあの怪しげな表情を見せた。


 決して気のせいなんかではなく——彼女は笑っている。


「……二つ目の選択肢についてですが、それをお話しする前に私から一つ、あなたに言っておきたいことがあります」


 それは、まるで大人に悪巧みをする前の小さな子どものような表情で。


小日向こひなた智悠さん——あなたには、まだやるべきことが残っているのではありませんか?」


 脈絡もなく、そんな意味深な台詞を吐いたのだった。

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