第1話 『天界の庭』
「—————さい」
声が聞こえる。
「————てください」
心を柔らかく包み込むような、温かみに溢れた声だ。
声は徐々に大きくなっていき、そして———
「———起きてください、
* * * * *
自分を呼ぶ声につられて、重たい瞼をゆっくりと開いていく。
ぼやけた視界に映り込んでくるのは、自分を見つめる浅葱色の瞳だ。
まるで宝石のような、なんて綺麗な瞳———と、寝惚けた頭で思い、そして、それが人の顔のそれであると気づく。
ひどく優しげな瞳でこちらを見つめているのは、思わず息を呑むほど顔が整った美少女だ。
透き通った金色のボブヘアに、愛くるしい浅葱色の大きな瞳。
ほんのりと赤く染まった頰は、思わず触れたくなるくらい柔らかそうで。
形の良い桜色の唇からは、ほうっと熱のこもった吐息が漏れ—————
「って、近っ!?」
「あっ、起きたのですね。良かった」
お互いの吐く息がかかる距離に、絶世の美少女の顔があった。
あまりの距離の近さに素っ頓狂な声を上げる智悠に、目の前の少女は朗らかに笑いかけた。
その花の咲くような笑顔にも思わず目を奪われてしまう。
「どうしました? 顔が真っ赤ですよ?」
「えっ、あっ、いや、これってどういう……って、ちょっと待って」
「はい、待ちます」
智悠のよくわからない言葉にも、笑顔で律儀に答えてくれる少女。
状況が掴めず目を白黒させる智悠がまず認識したのは、自分の体勢、視点、そして現在進行形で後頭部に感じる柔らかな感触だった。
それすなわち————
「………ひょっとして、ひょっとしなくても膝枕?」
「はい、膝枕です。お加減はいかがですか?」
「そりゃあもう最高だけれど……ってそうじゃなくて!」
マシュマロのような太腿の感触につい口を滑らせるが、そこで完全に意識が覚醒した智悠は慌てて跳ね起きる。
そのまま立ち上がり、辺りを見渡した。
「……ここは、どこだ……?」
智悠が目覚めた場所は、まるで桃源郷のようなところだった。
見渡す限りに野原が広がり、所々に咲く鮮やかな花々は心地良いそよ風に揺れている。
頭上を仰げば、雲一つない青空がどこまでも続いていた。
居るだけで心が浄化されそうな、まさに理想の世界————だからこそ、違和感がある。
「ここは天界です」
智悠が口を開くよりも先に、野原に座る少女———さっきまで膝枕をしてくれていた美少女が言った。
「て、天界……?」
「はい。厳密に言うと、天界の庭のようなところでしょうか。天界で暮らす皆が心ゆくままに戯れる、自然溢れる長閑な庭園です」
そう付け加えると、少女はゆっくりと立ち上がった。
お尻についた芝を払いつつ、背筋を伸ばしてこちらを真っ直ぐに見つめてくる。
「え………?」
さっきまでとは視点が変わり、初めて少女の全体像を見た智悠は、口を開いたまま固まってしまった。
極上の膝枕を提供してくれた美少女、その身長は、智悠の胸下あたりまでしかなかったのである。
それだけではない。
大きくて愛くるしい瞳も、ふっくらした頰も、みずみずしい唇も、否、顔の造形全てが、何というか………
「お、幼い……?」
文句なく可愛い。それは間違いない。
否が応でも将来の美貌を期待せざるを得ない———しかしそれは、裏を返せば。
目の前の美少女は少女ではなく、幼女だったということである。
事実、目の前の女の子は、どんなに多く見積もっても十歳かそこらにしか見えない。
しかし、顔の幼さの他に、いや、むしろ顔が幼いからこそ驚くべきことがもう一つ。
顔ばかりに目がいって気づくのが遅れたが、幼い見た目に反して彼女はその胸部にはなかなか立派なものをお持ちだった。
とても十歳前後の女の子のものとは思えないほど膨れ上がった双丘が、着ている白服を猛烈に押し上げている。
それも、その服が現世で言うところのチューブトップのような構造なので、ただでさえ立派な二つの果実が余計に強調されているのだ。
その顔とスタイルのアンバランスさが、何というか………
「………すごくエロい」
「? 何か言いましたか?」
「あっ、いや、何でもない!」
思わず胸に釘付けになっていた視線を慌てて逸らす。
幸い、彼女には気づかれなかったようだ。
「っと、そういえば肝心なことを聞いてなかった。えっと、君は一体……?」
出会い頭の膝枕やこの場所の光景が衝撃的すぎて、彼女自身のことについて尋ねるのをすっかり忘れていた。
彼女はハッとした表情で、
「あっ、自己紹介がまだでしたね。では僭越ながら」
と前置きし。
「初めまして
初めは普通に自己紹介をしていた美少女——もといハナは、徐々に顔を真っ赤に染め、やがて尻すぼみになり、最後の方はほとんど声が出ていなかった。
「え? 今女神って言いました?」
「は、はい、言いました……でも、一応ですからね!」
やや食い気味に強調してくるハナ。
そんなに自分のことを女神と呼ぶのが恥ずかしいのだろうか。
智悠の側からしてみれば、彼女の人間離れしたあどけない美貌は、まさに『女神』そのものなのだが。
「って、あれ? 何で僕の名前……?」
智悠はまだ自己紹介をしていない。
それなのに、ハナが智悠の名前を挙げて挨拶をしたことに違和感を覚える。
ハナはさも当然という風に、
「もちろん知っていますよ。だって、ずっと見てましたから」
「ずっと見てた?」
いきなり目の前に巨乳の幼い女神が現れたり、その子が智悠の名前を知っていたり、かと思ったら「智悠のことをずっと見てた」と言ってきたり、展開が急過ぎて頭の中が疑問符でいっぱいになる。
「大分混乱されていますね。無理もありません。その辺も含めて色々と詳しく説明したいところなのですが………」
それからハナは困った顔で口を噤む。
その様子は、次の内容を伝えるべきか迷っているように思えた。
混乱する相手をさらに追い詰めるのを躊躇うような、優しい気遣いに溢れた表情。
相手は女神様だけれど、見た目的には幼い女の子だ。そんな子に気を遣わせていることに微かな罪悪感を覚えた智悠は、
「僕なら大丈夫です。まだちょっと状況が掴めてないけれど……でも、何を言われてもちゃんと受け止めますから」
と決意を込めた目で答えた。
「智悠さん……」
智悠の言葉を聞き、ハナが感激に瞳を潤ませる。
それから意を決して、真っ直ぐに智悠を見据えると。
「わかりました、ではお伝えします。——どうか、落ち着いて聞いてください」
自己紹介での恥ずかしさはどこへやら、まさに女神に相応しい厳かな雰囲気で。
「小日向智悠さん。———あなたはつい先程、不幸にも命を落としました。あなたの人生は終わってしまったのです」
と、瞳に深い悲しみをたたえて言ってきた。
自分の死。
それを、まるで驚愕すべき新事実であるかのように、迫真の表情で告げられた。
その表情、その台詞、その語り口。
どれもが洗練されていて、まるでかねてから周到に用意していた台詞なのではないかと思ってしまう。
仮にもしそうだとしたら———こんなことを言うのは、あまりに野暮だろうか。
だが、ここは言わねばなるまい。
たとえ彼女を傷つけることになろうとも———心を鬼にして。
「あの………ハナさん」
「そうですよね。やっぱり、いきなりこんなことを言われてもすぐには受け入れられませんよね。無理もありま」
「いや、死んでるのは知っていますけど」
「………え?」
智悠とハナ。
邂逅を果たした二人の間を駆け抜けた一陣のそよ風は、それはそれは虚しいものだった。
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