おまけ 塔から堕ちたお姫さまのおはなし

 塔には囚われのお姫さまがいて、たったひとりで助けを待っていました。

 ある月夜の晩、うつくしいお姫さまのもとへ、凛々しい騎士さまがやってきたのです。



 年の離れた妹がいちばん大好きな絵本は、なんとも非現実で幻想的な、叙事詩サーガのような筋書きでした。

 妹はかわいそうなお姫さまに心をよせていましたが、男であるロジェは、騎士に憧れをいだいたものです。

 うつくしいお姫さまを颯爽と救い出すとは、なんともロマンにあふれることではありませんか。


 最果ての町として国防に寄与したフォールの町ですが、東隣の国と同盟をむすんでからは侵入者もへり、かつての姿はどこふくかぜ。牧歌的な田舎と化して数十年が経ちました。

 かつては数おおくの剣士を輩出したものの、今の住民がもつのは、おなじ鉄でもオノやクワです。りっぱな筋肉は、すっかり生活に密着しておりました。腕っぷしは、大型の獣を狩るさいには、際限なく発揮されたりもします。

 争いなんて、むかしのこと。

 大切なのは、いまの穏やかな暮らしです。

 とはいえ、町長の息子が騎士となるべく都へ向かうことを笑う者はおりません。

 若者がそういったものに憧れ、めざすのは当然のこと。

 ワシもむかしはそんなことを夢想したもんじゃ、まあ、おもうようにやってみぃ。


 老人たちに見送られたのは、田舎モノには都会は合わないからいずれあきらめるだろうという、遠まわしななぐさめだったのかもしれないと、ロジェは思いました。

 辺境出の平民には、都会のお貴族さまはとてもつめたかったのです。

 ふぬけたお坊ちゃんたちよりも腕はいいはずなのに、課せられた任は、ぐーたらしている娘の守り役。

 姫などという、いかにもな名がついているのも、なんの役にもたっていない娘を揶揄やゆしている呼称にすぎないのです。

 お姫さまを守る騎士がきいてあきれます。

 妹には「兄ちゃんは巫女姫さまを守る騎士になるぜ」と宣言してあるのに、合わす顔がないでしょう。

 しかし、そんなことは、もうどうでもよいのです。

 本当に大切なことは「だれ」を守るのかです。

 肩書きなんて、ちっぽけなものだと知りました。

 それだけでも、こうして都へきたかいがあったというものでしょう。


 レンガ造りの塔、上から垂れさがるロープをぐいと引き、壁に足をかけました。

 この程度、フォールでは幼い子供のあそびです。早登り競争と称しておこなわれていたそれは、大人たちの策略だったのかもしれません。

 部屋の窓には、カギはかかっていないはずです。

 不用心にもほどがありますが、塔にたったひとりで住んでいる娘にとって、それは外へつながるちいさな扉。

 カギがかけられていない窓は、彼女自身も気づいていないであろう、ちいさな救難信号にちがいないのです。

 たやすく上階へたどりつくと、窓に手をかけます。ガラス戸をひくと抵抗なく開放され、ロジェの顔はゆるみました。

 室内へ身体をすべりこませると、おどろいた顔をする娘と目が合いました。



「もう大丈夫。名実ともにセフィドの騎士で、ジュスティーヌ様の騎士になれるんだよ」

 折れそうな細い手が鳴らす、かすかな音。

 薄闇の中、わずかな月明りが照らすセヤの微笑みは儚く、いまにも光に溶けて消えてしまいそうです。

 ロジェの胸におとずれたのは、爆発しそうないきどおりでした。

 物語の騎士はいつだって華麗に、おだやかな言葉で姫君の手をとりますが、そんな悠長ゆうちょうなことしている時間はないのです。

 生きるか死ぬかの瀬戸際で、おだやかさ、なんて知ったことではありません。

 伝えるべき言葉は、たったひとつしかないのですから、しのごのいわずに告げるのみでしょう。

「いいから俺を選べ」

 ロジェ・フォールは、信念にしたがい、まっすぐに突き進む男です。

 自分はきっと、セヤと出会うために都へきたのだと思いました。

 公国を救った、もうひとりのセフィドの巫女姫は、ずぼらで冴えない不健康なかぼそい娘。

 ですが、本当の心をかくして笑ってみせる、心根のやさしい、寂しがりやの女の子であることを、ロジェは知っています。

 こんなほほえみはもうおしまいです。

 これからは、明るい陽の光の下で、元気にたのしく笑うのです。

 蒼天を映す瞳は、同じ色の下にあってこそ、かがやきをますことでしょう。


 己の手にかさねられた、細くちいさな手をとって、騎士はお姫さまとともに、塔を去りました。

 それは、女神が闇の衣をまとい、未だ横たわる時分。

 朝告げ鳥がさえずるのは、まだずっと先のころ。

 夜風にたなびく白金の長い髪が、月光をうけて、かがやいていました。

 騎士の瞳には、夜空の星のどれよりも、うつくしくまたたいてみえました。




 朝を告げる鳥の声が聞こえて、セヤはまぶたをひらきました。

 のっそりと起きあがると、ペタペタと足をつけて歩き、窓にかけられたカーテンをひきます。とたん、まばゆいほどの朝日がさしこんで、目がくらみそうになり、あわてて背中をむけました。

 そうすると、しぜんと部屋のなかを見わたすかたちになります。

 壁に寄せるように据えつけられた寝台は、急ごしらえだというわりにはしっかりとしており、清潔なシーツがかかっています。くしゃりと丸まった上掛けは肌にやさしい素材で、なんだか申しわけないほどです。

 ほんとうに、いいのかな……。

 何度めかになるためいきをついたとき、ガラス窓をちいさく叩く音がきこえて、振りかえりました。

 カギをあけると外側から開放され、ひとりの青年が顔をのぞかせます。

「よお。起きたか、セヤ」

「……おはよう、ロジェさん」

 与えられた部屋の窓の外で、セヤの騎士さまは、太陽のようにあかるくわらっていました。


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