4 開放と解放
堕落姫から解放されることを望んでいたはずなのに、どうしてかうれしくありません。
その理由は自問するまでもなく、明らかでした。
塔の扉は相変わらず、かたく閉ざされたままであり、何度声をかけても、セヤの声は返ってきません。
のほほんとしているくせに、意外と強情なのだということを、ロジェはもう知っています。
日も暮れた裏庭は人の気配もなく、明かりすら遠くに見えるだけでした。
月明かりだけが頼りとなる場所。
塔へ通うようになって半年以上が経過しましたが、こんな時間に訪れることは初めてで、セヤの孤独にあらためて触れた気がしました。
外壁はレンガ造りで、多少の引っ掛かりがあります。さすがにこのまま登ることは不可能ですが、ロープの一本でもあれば問題はないでしょう。
ロジェは垂れ下がったロープをぐいと引き、強度を確認します。
これは、塔の上――洗濯物を干している場所へ縛り付けてあるロープの一片です。なぜこんなものが都合よく存在しているのかといえば、トレーニングに活用していたからに他なりません。
身体を鍛えるためにやっていたことが、こんな形で役に立つとは思っていませんでしたが、きっと神のご加護というやつでしょう。
ロープを握り、足をかけます。少しずつ、上がっていきます。やがて窓に辿り着き、ロジェはためらいなく開放して、室内へ身体を滑りこませました。
そこはセヤの部屋で、寝台から起き上がって驚いた顔をする彼女と目が合います。
「よう」
「ロジェ、さん? どうして?」
「おまえが俺の話を聞かないからだろうが」
「わたしが話すことなんて、なんにもないよ」
「俺はおまえに訊きたいことがある」
「……なに、かな。っていうかロジェさん、もう日も落ちてる時間なのに部屋に侵入とか、あぶないひとみたいだよ」
「入っていいって言ったのはおまえだ」
告げながら、寝台へ近づきました。
薄闇のなか、月光に照らされるセヤの顔は白く、頬はこけています。時間がないのだと苦しげに漏らしたフェロンの言葉は、決して大袈裟ではないと、ロジェとて感じていました。
椅子を引き寄せて座ります。
セヤは居心地のわるそう顔でうつむき、こちらを見ようとはしません。沈黙をやぶり、ロジェは問いました。
「おまえが俺を
「あ、うん。そうだね」
「なんでだ」
「ロジェさんがセフィドの騎士になりたがっていたから、だよ」
「塔にいるくせに、なんでそんなこと知ってるんだよ」
すると、ばつがわるそうな顔をして、つぶやきました。
「井戸端の声がね、聞こえるんだよ、ここ」
「井戸?」
「女のひとたちがたまに話をしていて、わたしはよくそれを聞いてたの。でも、あるときから男のひとの声が聞こえるようになったの。セフィドの騎士になるんだーって、おっきい声で井戸に宣言してた」
ロジェでした。
騎士学校は、城内での研修も多くあります。おのぼりさんよろしく迷いこみ、人の来なさそうな井戸を見つけ、うっかり
「名前つきで宣誓するから、ロジェ・フォールってどんなひとなんだろうって思ってたんだ。そうしたら、フェロンさまが言ったわたし付きの騎士がロジェ・フォールっていうんだもん。どうしようって思っちゃったよ」
「……そうかよ」
「ロジェさんが、どれだけセフィドの騎士をめざしていたのか、わたしは知ってるよ。だから条件を出したの。問題児のわたしの相手を務めたあとは、正式に騎士に登用するようにって」
ロジェさんは、最初から一番だったんだよ。
だから、わたしのお守りを押しつけられたの。
でも、もうだいじょうぶ。名実ともに「セフィドの騎士」で、ジュスティーヌ様の騎士になれるんだよ。
セヤは微笑み、ちいさく手を叩きました。
折れそうな手が軽い音を奏で、ロジェは顔をしかめます。
「……おまえは、なにもわかってない」
「わかってるよ」
「おまえが犠牲になる必要はないだろ!」
いままで言わなかったそれを、敢えて口にしました。
セヤが法力を使っていること。
それをロジェも知ってしまっていること。
言葉にしてしまえば、今の暮らしが終わってしまいます。
ふたりで過ごした時間は、泡のように消えてしまうことでしょう。
だからずっと見ない振りをしてきた真実を、ロジェは告げました。
「おまえが、これ以上無理をする必要なんてない」
「ねえ、ロジェさん。それはダメだよ。だってわたしは支払わないといけないんだから」
「なにを」
「わたしね、売ったんだよ、わたし自身を。ずるい奴なの。見えもしない法力とかいう力を提供すれば、餓える心配がないって言われて。おびえずに寝られる、自分だけの部屋をくれるって言われて。わたしひとりだけの場所を得たの」
「それは、国が頼んだことであって、おまえが自分を卑下する必要はないだろ」
フェロンに聞いたかぎりでは、出会ったころのセヤはひどい状態で、法力のことがなかったとしても、保護しなければ命は長くないほど弱っていたようです。
ジュスティーヌが立つ前後は、国がもっとも荒れていた時期です。孤児だという彼女が、満足な暮らしをしていたとは考えられません。ロジェの生まれ育った田舎とて、
ロジェが騎士学校を辞めずにいられたのは、ジュスティーヌが立ったからでした。
セフィドの巫女は、国を救いました。
だから、なりたかったのです。セフィドの騎士に。
自分の家族、故郷を救ってくれた巫女を支えたいと、願ったのです。
「おまえは本当にわかってないよ」
「ロジェさんは騎士になりたかったんでしょう?」
「ああ、そうだな」
「だからやっと――」
「そこがまず間違ってんだよ。俺はセフィドの騎士になりたかったんだ。ジュスティーヌ様の騎士になりたかったわけじゃない」
セヤは不可解な顔をします。
ロジェは苦笑し、セヤの荒れた手を取りました。彼女の前に
「国を救ってくれて、ありがとうございます。あなたのおかげで、俺の故郷は救われました。代表して礼を言います。セフィドの巫女」
「なに、言ってるの? わたしは――」
「白き宝玉を作り出しているのはおまえだろう? なら、おまえが俺のセフィドの巫女だ。俺はさ、もうとっくになってるんだよ、セフィドの騎士に」
願いは最初から叶っていたのです。
他ならぬ、巫女の手によって。
すこし落ち着いたらしいセヤは、ロジェの旅支度にあらためて気づいたらしく、不思議そうに問いかけます。
「ロジェさん、どこかへ行くの?」
「田舎に帰るんだよ」
「……そう、なんだ」
「
「な、なして?」
「つべこべ言わず、俺に付いてくればいーんだよ」
「ロジェさんは時々俺様すぎるよ。でもね、それは無理だよ。わたしはここから出られない」
「それについては問題ない。準備は万端だ」
ロジェは持ち込んだ背負い袋の中から、水晶を取り出しました。
それは手のひらに乗るほどの大きさもある黒水晶。法力を溜め込む為の、簡易的な器として使われる宝珠です。美しく輝くそれには、十分な法力が注がれていることがわかります。ロジェのような立場の男が手にすることはできない、最高級の品でした。
「ロ、ロロロ、ロジェさん、こ、こ、これ、どうしたの」
「言っとくが盗んだわけじゃないぞ。フェロン様が用意してくださったんだからな」
「でも、これ、法力が――」
「ジュスティーヌ様だよ。あのお方が少しずつ、法力を入れてくださっていたんだ。この宝珠を置いておけば、おまえの身代わりの出来上がりってわけだ」
この塔は、セヤの力を吸い上げる装置です。
地盤に配置された陣をもとに、螺旋の階段が力を巻き上げ、天井にある陣が儀式の間と連動しています。
生きながら、その命を吸い上げる檻。
ここにいるかぎり、セヤはつねに命を吸われ、死へ向かうだけなのです。
塔のからくりを知ったロジェは、怒りに我を忘れそうになったものです。破壊神となって、ぶっ壊してやろうかと息巻いていたロジェにフェロンが差し出したのが、この宝珠でした。
塔から法力が失われなければ、セヤの不在は露見しないでしょう。なにしろ、誰も様子見にすら来ないのです。
長期に渡って騙すことはできませんが、数日程度であれば――。
セヤが遠く離れた場所へ逃げるまで、不在をごまかすことができれば、それでよいのです。
ジュスティーヌも、法力を補佐する存在は認識しているそうです。だからといって、彼女を責めることはできないでしょう。巫女もまた国の
だからこそ、フェロンに協力を申し出て、黒水晶に法力を溜めていたのでしょう。
いつの日か、もうひとりの巫女を解放するために。
セフィドの巫女には任期があります。
法力が
白き宝玉は、いつか天上から落ちる日が来るのです。
しかし、巫女として認定されていないセヤにはそれがありません。
彼女が任を終えるのは、法力が――命が尽きた、その時だけなのです。
「だから、ここから一緒に出るぞ」
「バレたら怒られるよ」
「このままだと死ぬだけだぞ」
「ごめんなさい。ダメなの」
「おまえな――」
煮え切らない態度にロジェが声を荒立てたとき、セヤが焦ったように、早口でしゃべりはじめました。
「ちがうの、そうじゃないの。あのね、わたしのいた孤児院ね、あんまりいい環境じゃなくてね。だからね、わたし言ったの。法力とかいうのはあげるから、孤児院を国営にして、面倒を見てくださいって。だから、わたしは支払わないといけないの。みんなのために、わたしは――」
「そんなもんは、おまえがひとりで背負う責任じゃねーんだよ。それに、フェロン様がその約束を反故にするわけないだろ」
「でも……」
「いいか、ふたつにひとつだ。生きるか死ぬか、行くか
「なにそれ、選択の余地がないんだけど」
泣き笑いの顔を浮かべるセヤに、ロジェは言いました。
「いいから、俺を選べ。この先何があっても、守ってやる。俺はおまえの騎士なんだからな」
ロジェの言葉に、セヤは顔をゆがめます。
出会ってから初めて見たセヤの涙を指でぬぐい、ロジェは彼女の小さな頭を己の胸に引き寄せました。
*
塔から抜け出した後のことは考えていなかったなと、ロジェは頭を掻きました。
思い込んだら一直線。
それがロジェ・フォールという男です。
そんな彼を的確に把握していたらしいフェロンの手によって、幌馬車が用意されており、ロジェは御者台に座っています。荷台に乗ったセヤが、フェロンとの別れを惜しみました。
「フェロンさま、ごめんなさい」
「セヤ様はもう十分に貢献されました。あとは次代につなぐのみです。あなたは、あなたのために生きればよいのですよ」
「……そんなの、わかんない」
「これから見つければよろしいのです。さあ、もうお行きなさい。夜明け前には都を出たほうがいい。ロジェ・フォール」
「承知しております。俺は彼女の騎士ですよ」
「やはり、君を選んでよかった」
「それはこちらの台詞です」
手を振り、別れ。ロジェは馬を走らせます。揺れも少なく、これなら荷台にいたとしても身体への負担は少ないでしょう。
さすが都の馬車は違うな――。
ロジェは頭の中で、馬車の資産額を巡らせます。
すると背後からセヤの声がしました。
「ロジェさんロジェさん」
「どうした。寝てていいんだぞ」
「ガタゴトするのに寝られないよ」
敷きつめたクッションのひとつを抱きしめたセヤが、幌から顔を出し、夜の街並みを眺めています。
あまりいい思い出はないかもしれませんが、彼女にとってはここが故郷です。それを強引に連れ出したことに少々のうしろめたさはありますが、あのまま捨て置くことのほうが、ロジェには無理でした。
「いいから、休んでろ。先は長いぞ」
「ロジェさんの故郷はそんなに遠いの?」
「馬を休ませながら走らせて、早くて三週間。余裕を持って一ケ月か」
「それって遠いの?」
馬車になぞ乗ったことのないセヤにしてみれば、その日数が早いか遅いかもわからないし、距離に換算することもできないのでしょう。
浮世離れしたお姫さまの質問に、ロジェは笑って答えました。
「都の奴らが、それどこの国にあるの? っていうぐらいには、知名度が低い場所だなー」
「そっかあ。なんていう名前なの?」
「フォール」
「いや、ロジェさんの名前じゃなくてね」
「だから、町の名前がフォールなんだって」
「町とおなじ名前なの?」
「町長だからな」
「ロジェさんは、お坊ちゃまだったの?」
「辺境のちっぽけな町に、そこまでの地位はねーよ。自給自足がモットーのド田舎だぞ」
自然溢れる、牧歌的な田舎です。
空気はおいしく、ご飯もおいしい。高い建物がないおかげで、空も広くて、星も綺麗。
あの広大な景色をセヤにも見せてあげたいと、ロジェの顔に笑みが広がりました。
証文を見せ、門をくぐります。
フェロンの用意したそれの効果は絶大で、ロジェは難なく都を脱出しました。
一旦、荷台へ隠れていたセヤに声をかけると、ややあってふたたび顔を覗かせます。次の町まではしばらく建物もなく、地平線が広がる景色が続きます。御者台へ座りたいと熱心に言いつのるので、防寒対策にマントをぐるぐる巻きにさせてから、隣へ座らせました。
周囲が見えるように、速度を緩めてやります。
流れる風景に目をやりつつ、朝の冷たい風を顔に受けたセヤは、頬を紅潮させ、瞳を輝かせています。狭い塔の窓からでは見ることもかなわなかった光景に、興奮が隠せないのでしょう。
外の景色の中にあるセヤの姿に、ロジェの胸は
すっかり誘拐犯ですが、後悔はありませんでした。
セフィドの騎士を目指して都へ上り、セフィドの巫女を拉致して帰ってくる。
父親が知れば鉄拳制裁で怒るでしょうが、理由がわかれば「よくやった」と言ってくれるにちがいありません。事情を知りながらなにもしなかったほうが、問題です。フォールの渓谷にある橋に吊るされて、町人から一斉に矢を撃たれることでしょう。
ロジェの故郷は、とてもサバイバルな町なのです。
しばらくして、セヤがぽつりとつぶやきました。
「わたし、どうしたらいいのかな……」
「やりたいことをやればいいんだよ」
「……それがわかんないんだよ」
風にさらわれて飛んでいく言葉は、不安の現れなのでしょう。
塔に押しこめられ、そこで暮らすことだけが、生きる意味でした。
連れ出されて、放り出されて。
行き先もわからず、心が迷子になっているのです。
ロジェは言います。
「とりあえずいままで通り、寝て喰って、喰って寝てろ」
「ねえロジェさん、それはあんまりだと思うのよ」
口を尖らせてセヤが言い、ロジェは笑ってそれを受け流しました。
「これからめいいっぱい太らせてやるから、覚悟してろよ」
「うう……、なんだか家畜になった気分。いずれ美味しく食べられちゃうのかしら」
「――あながち間違った解釈じゃないな」
「えー。食べられちゃうの、わたし」
わざとらしく
どうしたの? と小首を傾げる彼女の肩に手を置き、告げます。
「その前に、味見だな」
「へ?」
素早くかすめとった唇は随分とかさついていて、肌の手入れの必要性を感じました。
冷たい空気のせいだけではないほど頬を紅潮させたセヤが、陸に上がった魚のように口をパクパクさせています。
「ロ、ロロロ、ロジェ、さん」
「これからはスキンケアにも力をいれよう」
「ロジェ、ロジェさん、は――」
「とりあえず、旨いもん喰って、寝て、そんで寝て喰え」
「だ、だから、ね。あの――」
「やることがわからないって言ったな。なら教えてやろう」
あわあわと言葉にならない音を漏らしつづけるセヤに、ロジェは笑顔で告げました。
「おまえはそのまんまで、一生俺の傍にいればいいんだよ」
「……やっぱりロジェさんは、俺様すぎると思うのよ」
◇
ウィンスレット公国には、天上の白き宝玉と呼ばれる現象があります。
巫女が捧げる、法力を湛えた水晶が光るようすは、遠く離れた場所ですら確認できるほど、白く鮮烈な光。
不思議な力で国を支える巫女姫は、白銀の髪に、天上の蒼を宿す透き通った瞳をしています。
大勢の騎士に守られる麗しの巫女姫は、セフィドの巫女。
古き言葉で「白」を意味する、「セフィド」の名で呼ばれています。
公国の外れにある小さな町でもその現象は確認できますが、こちらにはもうひとつ宝玉があります。
古き言葉で「黒」を意味する、「セヤ」と呼ばれる娘が生み出す、爪の先ほどの小さな光。
作物がよく育ち、品質も良く、売り上げ倍増。
町にちょっとした繁栄と潤いをもたらした奇跡のことを、住民たちは「フォールの白き宝玉」と呼んでいますが、あまり滅多に見られないからこその「奇跡」です。
白金の髪に、蒼天を映した瞳をしたフォールの巫女には、騎士がひとり。
甲斐甲斐しく世話を焼いては、恥ずかしげに拒否をされ、なおもめげずに果敢に挑む姿は、今日も町を賑わせています。
天上の白き宝玉は、こうしてひとりの男の手に堕ちました。
塔から落ちた「堕落姫」は、今もお守の騎士と共にあるのです。
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