3 変化と確信

 セヤはあれから昏々と眠り続け、ついには日が落ちてしまったため、ロジェは己の部屋へ戻らざるを得ませんでした。

 昨日の今日で、一体どんな顔をすればよいのでしょう。

 いつもどおりにやって来たものの、扉の前でためらっていたロジェでしたが、頭上でゴトリと音がしたため、あわてて控えの間に上がります。

 入って左側――セヤが過ごす部屋へ通じる扉を開けると、床にへたりこんでいる姿があり、慌てて駆け寄りました。

「なにやってるんだっ」

「あ、おはよー、ロジェさん」

「おはようじゃねえ」

「えー、でも今日はほら、いつもよりは早い時間に起きたよ?」

 だから、「おそよう」じゃなくて「おはよう」だよ。

 どこか偉そうに薄い胸を張ったセヤに、ロジェは言葉をなくしました。

 責めたわけじゃない。

 そんなつもりで、言ったわけじゃないのに――。

「昨日はごめんなさい。わたしってばいつのまにか寝ちゃってたみたいで、覚えてないんだよね。ひょっとして、床に転がってたりした? はずかしいなあ」

「…………」

「目が覚めたからね、今日はちゃんと起きて待ってて、ロジェさんをビックリさせよう計画だったんだけど、足が立たなくて転んじゃった。あはは! 昨日早くから寝たから、寝すぎて身体が動かないのかなあ?」

 座りこんだまま動かず、いつもどおりの顔と声で話すセヤ。

 ロジェはひとまず手を伸べて彼女を立ち上がらせると、寝台の端に座らせます。そうして自身は、傍の椅子へ腰かけました。

「えーと、あの、どうしたの?」

「……なにがだ」

「なんかいつもとちがうっていうか」

「そうか……?」

「元気ないっていうか――、ひょっとして具合がわるいの? だいじょうぶ?」

「具合が悪いのは、おまえのほうだろっ!」

「や、でも、わたしがぐーたらなのは、いつものことっていうか、ほら、今日は起きたし!」

 わたわたと手を振りながらあわてた口調で話す姿に、苛立ちがつのります。

 セヤは堕落しているわけではありません。

 力を使っているせいで、身体が動かないのです。

 大きな儀式があった翌日、昼まで起きてこないのは、起き上がることができなかっただけなのです。

 身体が動かせなくなるぐらいに、命を削っているのです。

 腹立たしい。

 大声で喚き散らしたくなるぐらいに、腹が立ちます。

 自分は一体、いままでなにを見ていたのか。

 起きてこないセヤを責め、ジュスティーヌと比較し、軽蔑しました。

 彼女の存在を軽んじたのです。

 本当は、彼女セヤなくして、今の平穏は在り得なかったというのに――。


「ロジェさん……?」

「――なんで、そんなふうなんだよ」

「えっと……、ごめんなさい」

「謝るなよ!」

「ええー。だって、じゃあ、どうすれば」

「もう、いい」

「へ?」

 セヤの声をさえぎり、ロジェは言いました。

「もういいって言ったんだ。無理に起きなくてもいいし、動けないぐらいつらいなら、そう言ってくれていいんだ」

「う、うん。やだな、ロジェさん。急に優しくなっちゃって、どうしたの?」

「いままで悪かった……」

「あやまるなって言ったくせに、自分はあやまっちゃうとか意味わかんないんだけどー」

「…………」

「いや、えっとね。ちがうよ。ロジェさんは急に優しくなったんじゃなくて、最初っからずっと優しかったよ」

「無理して褒めなくていい」

「うそじゃないよ。ほんとに思ってるんだよ。これまでにも何人か騎士さんが来たけど、ロジェさんだけなんだよ――」

 すぐに辞めてしまったという騎士たちは、総じて気位が高く、セヤに歩み寄ることはなかったそうです。

 出会ったころのセヤを思うと、彼らの気持ちはわかります。身なりにまったく気を使っていなかったセヤは、白粉と香水の匂いに慣れた男たちにとっては「女」ではなかったでしょうし、むしろ嫌悪する存在だったことは、想像にかたくありません。

 痩せっぽちの身体に、荒れた肌。寝間着のような服、無造作な髪。

 どれを取っても、貴族の令息の目にはとまらないでしょう。

「初めのころは髪も短かったし、男の子みたいだったのね。わたしとしてはそっちのほうが楽だからいいんだけど、そうもいかないみたいで。長い髪は初めてだから手入れとかわからなくて、ロジェさんのおかげですこしはマシになったの」

 巫女の髪は、法力が宿っているとされています。

 そのため、彼女たちは髪を伸ばしているのだと、騎士学校で学んだものです。

 セヤの髪は、腰を越えるほど長さがあります。男の子みたいだったという短い髪が、ここまで伸びるほどの時間をこの塔で過ごしているのです。

 たった独りで。

 事情が事情なだけに、おいそれと人は付けられません。

 周囲に人が増えれば増えるだけ、秘密が漏れる可能性があがるのですから当然でしょう。

 白き宝玉であるジュスティーヌ様の威光を守るためにも、セヤの存在は秘匿されなければなりません。

 ならばせめて、自分だけは――

 裏事情を知ってしまった自分だけでも、セヤの力になりたいと、ロジェは強く思いました。

「俺はおまえを守る騎士だからな。遠慮はいらない」

「……ごめんね、ロジェさん」

「俺は謝るなって言ったはずだ」

「うん。ありがとう、ロジェさん」

 へらりと笑ったセヤの力ない笑顔はいつもとおなじはずなのに、今日のそれは妙に可愛く感じられて、ロジェはわざと顔をしかめてみせたのでした。



    *



 面倒だと思っていたフェロン宰相への報告も、事情がわかってからは欠かすことなく自主的に赴くようになったのは、いうまでもないでしょう。

 彼はおそらく、唯一のセヤの味方であり、また彼女を引きこんだことを後ろめたく感じているのです。

 段々と、運命共同体のような連帯感を覚えていたロジェは、だからこそ彼の弁に耳を疑いました。


 その日、いつものように塔へ向かったロジェは、跳ね上げ扉を押し開けようと右手を伸べて、手首をグキッといわせて思わず左手で押さえこみました。

 鍵でも掛かっているのでしょうか。

 いえ、そもそも鍵なんてあったでしょうか。

 もう数段上がり、今度は肩で押し上げるようにして開閉を試みましたが、扉はわずかに浮き上がるだけで、それ以上は動こうとはしません。手応えから察するに、扉の上になにかが乗っているのではないかと思われます。

「おい、セヤ。退けろよ」

 ゴンゴンと天井を――、セヤが暮らす部屋の床に相当する辺りを叩くと、ちいさく声が返ってきました。

「ロジェさん?」

「他に誰がいるんだよ。おまえ、扉の上になにを乗せてるんだ。入れないだろ」

「……うん、そうだね」

「そうだね、じゃねーだろ。退けろ」

「無理」

 今日のセヤは、妙に意固地です。

「あのな、つまらん遊びはいいから、早く――」

「ねえ、ロジェさん。まだ聞いてないの?」

「なんの話だよ」

「早く行ったほうがいいよ」

「どこに」

「お城。ロジェさんが待ちに待った人事だよ」

 そう告げたきり、セヤの気配は遠ざかりました。扉は開きそうにないし、かといって無理に力をいれて壊すわけにもいきません。この塔は城の財産です。フェロンに話して、なんとかしてもらうべきでしょう。

 そうして城へ足を踏み入れたところ、セドリックが駆け寄ってきて、こちらをいだきました。

 おいおい、俺を気にかけてくれていたのはわかっていたが、そういう意味だったのかよ。

 などと一瞬考えたロジェでしたが、セドリックの発した言葉に、目を見開きます。


「なんだ、それ……」

「嘘じゃないさ。おめでとう、ロジェ。やっと君が認められたんだ。勤勉な態度が身を結んだんだよ。これからは、ジュスティーヌ様をお支えするセフィドの騎士として、共に励もう」

「……俺が、セフィドの騎士?」

「もう堕落姫に振り回されることもないし、あんな塔へ行く必要もない。小間使いのような仕事をしなくてもいいし、誰に笑われることもなくなる。本当によかったよ」

「よかった……?」

「いつも言っていたじゃないか。堕落姫のお守りなんて、ってさ。女を捨てているようなみすぼらしい姿で、さすがにあの姿は女性としてどうかと僕も思うよ」

 セドリックの言葉に怒りがわきましたが、そのすぐあとで気づきます。

 彼が言っている内容はすべて、かつての自分が愚痴ったことでした。

 城の大半の者たちが口にする評価であり、自身もずっとそう思っていたことでした。

 言い返せずに歯噛みするロジェに、声がかかります。

「ロジェ・フォール」

「フェロン宰相……」

「こちらへ。君の新しい任について、説明しよう」

 セドリックは一礼してその場を離れ、ロジェはフェロンの後を追います。見慣れてしまった彼の執務室へ入り、扉を閉めた途端、問いかけました。

「どういうことですか」

「君は当初の予定通り、ジュスティーヌ様付けの騎士として認定された」

「ですから、なぜ今頃になって――」

「予定通りと言っただろう。君は最初から、ジュスティーヌ様に付くことになっていたのだよ」

「意味がわかりません」

「選定に際して、もっとも優秀であったのはロジェ、君だ。そして、優秀であったからこそ、セヤ様に付けた。その理由については、説明するまでもないだろう」

「……彼女も、白き宝玉だからですね」

「我々は、彼女を失うわけにはいかなかったのだ」

「平民出の俺ならば、要請を断らないと踏んだわけですね」

 正確には、断れない、でしょうか。

 事実ロジェには、選択の余地はなかったわけですから。

 すると、フェロンは「それだけではないよ」と笑みを浮かべました。

「セヤ様が望まれたのだ。ロジェ・フォールという騎士を付けてくれ、と」

「どうして……」

「どこでお知りになったのかはわからないが、あの方は城内のことをよくご存じだ。君がセフィドの騎士を望みながらも、出自によって難色を示されているらしいと知り、条件をお付けになった」

 すなわち、自分の騎士を一定期間務めあげることができたならば、勤勉で優秀な騎士であると認め、ジュスティーヌ様の騎士として召し抱えよ、と。

「一定期間って、なんですか」

「…………」

「いまさら、なにを隠すというのですか!」

「法力は通常、循環するものです。呼吸とおなじように、自然に放出し取り入れる。しかし、セヤ様の場合は違う。あの方は強制的に引き出され、捧げられます」

 白き宝玉の力は、天上から国内の至る所へ行き渡ります。民のもとへ届けられ、平穏のかてとなるのです。

 万の力を捧げても、セヤに戻るのは一にも満たない微々たる力であり、循環とはいいがたい量でしかありません。

「……もう、限界が近いのですよ」

「なんの、ですか」

 フェロンの声色から内容はようとして知れましたが、ロジェは敢えて訊ねました。

 否定して欲しかったそれを、フェロンはやはり肯定したのです。

「今のまま儀式を行い続ければ、あの方は一年と持たないでしょう。そして次の儀式は、公国を代表する大きなものです。公は最大の儀式をとお考えです。……時間が、ないのです」

 目の前が暗く、頭を強く揺さぶられたような感覚に陥り、ロジェはその場に立ち尽くすことしかできませんでした。





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