2 秘密と事情

 螺旋階段を上がった扉の先には、まず「控えの間」があります。セヤが過ごす部屋よりもちいさく、さらに上へ続く梯子が掛けられています。屋上は風も通り洗濯物がよく乾くため、ロジェは自身の物も一緒に干していました。仕事をしながら洗濯もできる。一挙両得です。

 御付きの騎士であるロジェは、控えの間で過ごすべきなのですが、セヤはそれをよしとせず、自身の過ごす部屋へ引き入れたがります。

 わざわざ呼びに行くの面倒だもの、と言っていますが、子女の取る行動としては軽率でしょう。寝間着のまま、寝台のある部屋に男を引き入れるのです。外聞がわるいにもほどがあります。

 それでいて醜聞しゅうぶんが立たないのは、セヤの容姿が褒められたものではないからなのでしょう。

 みすぼらしい堕落姫に気に入られ、付きまとわれている気の毒な騎士。

 大半の者にとってロジェ・フォールは、そんな認識となっています。

 同情されることは屈辱ですが、セドリックのように、ロジェの立場をうれいてくれる者の気持ちはうれしくはあります。

 ロジェ・フォールは、ここで終わる男ではありません。

 いつか、セフィドの騎士となるのです。




「そろそろ起きたらどうですかねぇ」

「布団を剥がすのは止めてほしいと思うのよ」

「起きろよ」

「すごいわロジェさん。女の子の身ぐるみを剥がして平気な顔をしているなんて」

「人聞きの悪いこと言わないでくれませんかね」

 上掛け布団を剥ぎ取ると、セヤはごろんと床に転がりました。覗いた足は細すぎて、色気もなにもあったものではありません。そんな気にはなれないし、なる気もありません。

 日々の積み重ねにより、セヤの髪の毛はやっとほつれがなくなりました。ボサボサではあるものの、すとんと下に落ちる程度にはなっています。

 もとはプラチナブロンドだったのであろう髪は、こうして太陽の光を浴びると、多少なりとも綺麗に見えました。本人が頑なに拒否するので香油は使っていません。いつか寝ているあいだに塗りたくってやろうかとも思いますが、さすがに実行に移すのは控えていました。

 彼女に仕えて半年ほど。人事異動の話もなく、ロジェは相変わらず、堕落姫のお守です。

 井戸への呪詛も溜まりつつあり、そろそろ心霊スポットになるのではないかと思っています。


 床から起き上がったセヤは、それでも立ち上がりはせず、四つ這いで壁際へと移動して、そこにもたれかかります。

 薄い寝間着がほっそりとした身体のラインをあらわにし、「木を組み立てた人形みたいだな」と、ロジェは思いました。

 と同時に、イラっとして、彼女のもとへ近づいて、ほそい腕を取りました。

「だから、起きろよ」

「起きてるじゃない。っていうか、起こされたのだけど」

「立って歩いて座って飯を食う、人間的活動をしろって言ってるんだよ」

「うう……、わたしは貝になりたい」

「あんたを喰えば、確実に腹を下しそうですね」

「ふふふ、きっと騎士さんたちのお腹もくだって、ロジェさんの呪いも完遂できそうね」

「え?」

 ぎょっとしてセヤを見ると、いつもどおり呑気そうに笑っています。

 ふらりと、ようやく立ち上がると、ゆっくり歩いて椅子へ座ります。テーブル中央の果物に手を伸ばし、ちいさくかじりはじめました。

 ロジェは紅茶を入れ、ミルクを足します。ほんのすこしだけ砂糖を入れてかきまぜると、セヤの前へ置きました。

 この配分にもすっかり慣れました。

 騎士のはずなのに、給仕の腕が向上してどうするのでしょうか。

 これでいつでも執事になれるでしょう。騎士として出世できない場合は、そちらの道へ進もうかと時々考え、我に返ります。

 なにを後ろ向きなことを考えてるんだ俺。

 壁に頭を打ちつけたくなる衝動にかられつつ、騎士への決意をあらたにするというサイクルをつづけていますが、肝心の「騎士への道」は未だ開かれるようすはないのが、如何いかんともしがたいところでありました。


「おい、寝るな」

「はっ!」

 がくんと舟をこいだセヤに喝を入れ、ロジェはパン粥を置きます。チーズを削った濃厚味はセヤの好みのはずですが、今日は食が進まないようでした。

「喰わないのか?」

「……えとね、ちょっと、胃が受け付けないといいますか」

「起き抜けで、まだ胃が動いていないんじゃないのか?」

「そうかもー」

 ごめんね、と笑うセヤの顔はちっとも悪びれていません。

 謝れば許してくれると思っている妹と大差ない顔つきで、はじめはイライラしていたロジェも、最近は慣れてしまったのか、怒りが湧いてこなくなっています。

 べつにほだされたわけじゃないぞと、自分で自分に言い訳をしつつ、では何を食べさせようかとうっかり考えてしまうロジェは、執事への道を歩み始めているのかもしれません。



 今日も今日とて、城内はジュスティーヌと白き宝玉の話題でいっぱいです。

 昨日の儀式もかなり大がかりなもので、さすがの巫女も疲れたのか、今日のお勤めは休みをもらっているらしいのです。

 騎士達にも自由が与えられたようで、宰相部屋へ行く道中に何人かとすれちがいました。嫌味攻撃を受けるのも面倒なので、柱に隠れてやりすごし、宰相のもとへ向かいます。

 部屋へ入ると、開口一番にセヤの様子を聞かれ、ロジェは「いつもどおりですよ」と答えます。

 しかし今日は妙に深刻な顔つきをしており、さすがになにかがおかしいと感じました。

「あの、寝起きのせいか、胃が食べ物を受けつけないと、果物しか召し上がりませんでしたが、べつにどこかお悪いようには――」

「お食事を、なされない!?」

「いえ、そこまで大袈裟なことでは。そのうち、食べるんじゃないでしょうか」

 顔面蒼白となったフェロンの勢いに押されたロジェは答えを返し、逆に問いかけました。

「あの。前から不思議に思っていたのですが、どうしてそこまであの方を気にされるのですか?」

「…………」

 ジュスティーヌのことは有名でしたが、セヤのことは城へ来るまで知りませんでした。

 ただ城に住んでいるだけの人物を知らなくても当然ではあるのですが、それでもなぜか重臣たちが彼女を認識し、敷地内に住まわせているのですからおかしな話でしょう。だからこそ、ご落胤なのかという噂がまことしやかに流れるのですが、真相は誰も知りません。

 塔に住み、城内へは入らないけれど、存在だけは誰もが知っている、正体不明の娘。

 高い塔の窓から顔を出し、ぼーっと空を眺めたり、塔をぐるりと歩き回ったり、壁にもたれて昼寝をしていたりといった行動から、ついた渾名が堕落姫。

 なんの役にも立たず、なにもしようとせずに、ただ自堕落に過ごしているだけの存在。

 その娘に、どうしてか騎士をつけたがる上層部。

 一体、どんな秘密があるというのでしょう。

 黙して語らない宰相に、ロジェは諦めます。

 しょせん自分は、平民出の騎士。事情を明かすほどの立場にはないということでしょう。

 退室し塔へ戻ったロジェは、しかしふたたび宰相の部屋を訪れることになりました。

 セヤが、床に転がったまま微動だにしなかったからです。



    *



 セヤが暮らすちいさな部屋に医師が呼ばれ診察しているのを、ロジェは階下待っていました。

 しばらくすると跳ね上げ扉が開き、医師が降りてきます。彼はすれちがいざまにロジェを一瞥いちべつし、無表情のまま去っていきました。それを見送り、階段を上がります。

 ノックをして入室すると、宰相が寝台脇の椅子に腰かけ、セヤをじっと見つめていました。

 いつにもまして顔色がわるいセヤに、背中がひやりとします。


「ご病気、なのですか?」

「…………」

「俺は、この方の騎士なのでしょう? 知る権利はあると思うのですがっ」

 語ろうとしない宰相に、ロジェはつい声を荒げました。

 宰相は肩をすくめ、言葉をこぼします。

「……昨日の儀式ですよ」

「宝玉の儀式ですか?」

「そうです。ジュスティーヌ様もお疲れになったほどですから、どれほどのお力がこもっていたのか……」

「――それと、この方になんの関係が」

「……セヤ様ですよ」

「なにがですか?」

「あの白き宝玉に込められている法力は、セヤ様のお力なのです」

「――は?」

 宰相は語りました。

 白き宝玉の正体を。



 水晶に込められた法力を支え持つことができるのは、巫女だけです。

 ですが、その巫女にどれだけの法力があるのかは、決まっていません。白き宝玉の力を天上へ捧げること――『器』としての能力と、法力はまったく別の話なのです。

 ジュスティーヌは、まごうことなき巫女でした。

 その美貌を含めて、白き宝玉の名に相応しい、誰もが認めるセフィドの巫女でした。

 ただ、法力は歴代の巫女には及びませんでした。

 それでいて、法力を抱える「器」の容量が、桁違いに大きかったのです。

 器が大きいということはすなわち、天上へと捧げられる力が多くなるということです。

 大きな力は、国を豊かにします。

 たくさんの救いが与えられるのです。

 飢えることも病むことも減り、たくさんの民に幸せが降り注ぐことでしょう。

 法力さえあれば、ジュスティーヌが天上へ捧げてくれるのに。

 足りないのは、法力だけでした。


 法力を重視して、器の小さい別の巫女を選定するか。

 器の容量を重視して、法力の少ない巫女を選定するか。


 議論が繰り返されます。

 フェロンが少女を見つけたのは、そんな時分でした。


 太陽の光に輝き、少女の髪は白く光って見えました。

 だからこそ、気づいたのだといえるでしょう。

 城の裏手側の壁。背の高い草むらの隙間になにかが見え、覗いた先に倒れていたのは、少女でした。

 くたびれたドレスから伸びたほそい手足は汚れており、浮浪児じみています。履き古した靴は大きさも合っていないのか、脱げて転がっていました。

 やがて少女はフェロンに気づいたのか、ゆっくりと身体を起こします。

 開いた瞳は澄み、晴れた空を思わせる蒼天――、法力を宿す者の色をしていました。



「……つまり、ジュスティーヌ様が捧げている法力は――」

「セヤ様のものです。無論、ジュスティーヌ様ご自身の法力も、注がれております。そこは間違いございません。ただ、巫女様の器を満たすには足りない量を、セヤ様がまかなっておられるのです」

 消沈したフェロンはそう語って、セヤを見つめました。

 青白い顔をしたセヤは、まるで死人のように感じられてぞっとします。寝台へ近寄ると、かすかな寝息が聞こえ、安堵しました。

 こうして寝顔を見ていると、ますますやつれて見えます。起きているときには、顔色がわるいながらも、笑ったり拗ねたりといった表情を浮かべるけれど、動かないセヤの顔はこんなにも生気がなかったでしょうか。

 考えた内容にぞっとして、ロジェはフェロンに訊ねます。

 そんなわけがない。

 そんなことが、あるわけがない。

 けれど、ロジェの思いとは裏腹に、フェロンはそれを肯定したのです。

「そうです。法力とは命の輝き。誰もが自然に循環して寿命をまっとうするなか、セヤ様は身を削って法力を捧げていらっしゃる。使えば使うほど、その輝きは失われます。白き宝玉は、セヤ様の命、そのものなのです」





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