9・終

良夫は子供ながらも、あの事件を懸命に忘れようと努力した。そして、それは見事に成功した。あの時の記憶は、すでに夢か現かわからないほどに遠のいている。実際、今では良夫は、自分の幼い記憶をテレビドラマのそれかと疑うほどになっていた。

 しかし、今回の京子の失踪は、あの小学生の頃の悪夢をまざまざと目覚めさせた。

 母親の京子は、おそらく、旧姓の「秋生(あきお)京子」に戻ったのに違いない。仕方なく、たった一人の孤独な戦争に出かけていったのだ。家族をあの謎の組織から、再び守るために……。

 ところが、帰郷のため大学寮を出ようとした矢先、当の母親から電話がかかってきた。

「ごめん、良夫」

 京子の声は屈託がない。

「お父さんとケンカして、ひとりで温泉旅行に出ていたのよ。お父さんも、懲りたみたい。もう大丈夫よ、心配しなくていいから」

「お母さん」

「何?」

 良夫は受話器を握り締めた。

「怪我はなかった?」

 母親は、電話の向こうで、ただ黙っている。きっと、底抜けの笑顔になって、良夫の言葉を噛みしめているのに違いない。

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吠えよ!家庭拳 野掘 @nobo0153

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