7
良夫はただ呆然と立ち尽くしている。屈強な男が現実に三人転がっている。そのすべてを、母親がまるで眉でも動かすように無造作に倒したのである。
「それ、もしかして空手なの? お母さん」
良夫が、やっと口を開いた。まるで調子はずれの第一声だった。
が、京子は答えない。
戦闘格闘術、サバイバルアーツとも言う。
冷戦時代に各国の特殊部隊から選抜したプロジェクトチームが、世界中の武術を数年に亘って研究し、近代科学と体育理論に基づいて練り上げた総合武術である。もちろん、どんな説明をされても良夫に理解できることではない。なぜ母親がそんな技術を持っているのかという疑問が、良夫をひたすら混乱させていた。
京子は良夫にやっと顔を向けた。すでに母親の顔に戻っている。
「大丈夫、あなたたちは私が守る。時間がないわ。お父さんが意識を取り戻すまでに片付けなければね」
片付ける? 相手はまだまだいる。それをひとりで片付けてしまおうと言うのだろうか。
あまりにも現実離れした展開で、良夫は京子の胸に飛び込んでいくタイミングさえ失っていた。
「大変、まず隣の坂本さんを助けなければ……」
京子はもはや良夫に構っている暇もないかのように、輪ゴムで髪を後に束ねると、さきほどまで一号が待機していた窓際に駆けた。いつの間にか、手にしていた一号の狙撃銃をカーテンの隙間から外に向けている。赤外線スコープを覗く目が、一点を見つめた。
ぱすっ!
音にならない乾いた銃声がして、命中よ、と京子が呟いた。坂本家に配置されている殺し屋たちを後ろから狙い撃ちしているのだ。良夫にも人の倒れるかすかな気配が感じられるようだった。
「良夫、集中するから、数を数えて」
良夫にしても、母親の変身に驚いている暇はない。いわれるまま、マジックペンを探し、自分の腕に棒を一本引いた。
ぱすっ! ぱすっ!
ひとり、またひとり、とその度に言葉にする京子の横顔が、徐々に変化した。引き締まった端正な顔に精悍さが加わり、小学生の良夫でさえ圧倒されるほど美しく見えた。明らかに、京子は殺人を楽しんでいる。その享楽の表情が、京子の美しさに凄みを増しているのだ。
「ちっ」
突如、京子が舌打ちし、狙撃銃を足元に叩きつけた。
「見つかった。奴らはこの家に向かってくる」
いいながら、窓際を後にして、意識を失ったままの幸太郎の方へ走った。いや、京子の向かったのは、その部屋の隅の洋服ダンスである。ポケットから鍵を取り出し、何番目かの引き出しを開いた。
中にずらりと銃器が並んでいた。手榴弾を発射するグレネードランチャーやスコーピオンと呼ばれるサブマシンガンまである。銃器だけではない、数種類のサバイバルナイフ、手りゅう弾、ありとあらゆる武器が整然と詰め込まれていた。
京子はいくつかの武器を取り上げて体に巻き、数本のナイフを腰に束ねた。
「良夫、今何人撃った?」
良夫の腕には四本の線が引いてある。
「ここに転んでいる三人とあわせて、全部で七人ね。あと四人、残りの中には骨のある男もいそうだわね。例えば、あのサングラスの男」
「まるで、戦争だね、お母さん」
「そうね、でも、あれだけの人数を揃えてくるほどだから、組織はちゃんとご近所にも手を打っているはずよ。公安警察関係の情報はすべてコントロールしているはずだし、すでに近辺には睡眠ガスを流しているかもしれないわね。少し大きな音がするかもしれないけど、大丈夫だと思うわ」
「ううん、そういうことじゃなくって……」
「心配しなくていいのよ。私がちゃんと始末をつけます。あなたは、この薬を飲んで少し眠っていなさい。押入れの中に隠れているのよ」
京子は、別の引き出しの中から薬品箱のようなものを取り出し、錠剤を選んで良夫の小さな手に渡した。
「すぐに元の家に戻れる。目が醒めた時には、いつもの木林の家に返っているわ」
「お母さん……」
「ん?」
「死なないで……」
「もちろんよ、愛しているわ」
京子は、良夫の心がとろけるようないつもの笑顔になった。
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