5

幸太郎と良夫は、両手、両足をロープで縛られ、完全に体の自由を奪われたまま、二階の良夫の部屋へ運ばれた。そこにはすでに京子がいる。二人を見て目を丸くした。

 暴漢たちが階下へ降りて、三人だけになったときの京子の第一声は、ただ驚きの声だった。

「なんで、あなたたちが捕まっているのよ」

 幸太郎は何も答えなかった。バツが悪かったのだろう。

「良夫、どうして警察にいかなかったの」

「お父さんがやっつけてくれるといったから」

「やっつける? ひょっとして、警察に連絡してないの?」

 顔を紅潮させて問責する京子を、媚びたような表情で覗き見ながら、幸太郎は頷いた。京子はあきれて、しばし絶句した。

「相手が何人だか、知っているの。ひとりの手におえる数じゃないわ」

「五人……だろ?」

 幸太郎が自答するようにいった。

「十一人よ、あれからまた増えたわ。これが戦術行動の最小単位だって……」

「十一人だと!」幸太郎はわめいた。「いったい何の用であんな物騒な奴らが俺の家に! しかも、十一人!」

 合点が行かない。それに……、

「戦術行動ってなんだ? お前どうしてそんな言葉を知っているんだ?」

「男たちがしゃべっていたのよ」

 京子はするりと答えた。

「これは大変だぞ。あいつら軍隊なのか? 奴らの目的はいったい何だ」

「私に聞いても知らないわよ、そんなこと」

 京子はうんざりした表情をしている。

 幸太郎と良夫がここに捕まっているということは、他に事件を知っている者は誰もいないということだ。これからどうするかは、家族だけで考えなければいけなかった。

「どうしたらみんな助かるか考えなきゃ」

 さらに幸太郎が何か言おうとしたところで、襖が乱暴に開け放たれた。


 団子のように重なった三人が、一斉にそちらを見た。男らが闖入してきたのだ。三人だった。

 彼らの外見は一般人と変わらない。が、ひとりは鈍く光る銃器を軽々と肩に担いでいた。黙ったまま窓のほうに近づき、カーテンに隙間をつくりながら、そこから銃口を外の暗闇へ向かって突き出した。あとの二人がその後姿をじっと見ている。その中の片方は、玄関で幸太郎を投げ飛ばした大男である。

「いったい何をする気だ」

 幸太郎が我慢しきれなくなって大きな声を出した。

「黙っていろ」

 スコープに目を当てて外を覗っていた男が、その銃を下げて振り返った。どうやら狙撃銃のようだ。

「それを知ったらお前たちの命はないぞ」

 と脅したのは大男である。二人がにやにや笑いながら畳に腰を降ろした。どちらも武器は手にしていなかったが、懐の奇妙な膨らみで、そこに拳銃を吊るしていることは明らかだった。

「死ぬ前に聞きたいんだろう」

「いや、もういい。聞きたくなくなった」

 幸太郎が慌てて言葉を返したが、それが再び男たちの失笑を買った。

 男たちに名前はない。どう呼ぼうが構わないのだが、良夫は心の中で便宜上、彼らを一号、二号、三号と名づけた。これは、良夫の好きなヒーローものに必ず登場して、まず一番最初にやっつけられる悪玉組織の隊員たちの呼び名である。もちろん、現実にそんなヒーローが現れるとは思ってはいない。

 一号は窓際の男である。彼は狙撃銃を構えて、ひたすら夜の帳の中を見つめていた。

 畳に座っている二人は、まず、あの大男を二号とする。ゴリラのようなひげ顔をしていた。三号は異様に痩せていて、にたにたと奇妙な笑い顔だ。一見して常軌を逸した感じがあった。

「全員、配置についたようだ」

「そうか」

 一号が振り向きもせずに発した言葉に、二号が答えた。それから、三人の家族を見た。

「どっちにしてもお前たちを生かしておくわけにはいかない。たまたまターゲットの隣に住んでいた不運を呪うんだな」

「ターゲット? ターゲットっていうのは、まさか隣の坂本さんのことか?」

 確か名前は坂本昭夫。幸太郎夫婦はご近所というだけで、あまり話を交わしたこともなく、町内の会などで挨拶する程度の付き合いだ。幸太郎と同年輩、二流の機械メーカーに勤めるサラリーマンで、妻と三人の子供がある。外見もぱっとせず、幸太郎以上に腹が出ていて、弛緩したカバのように見えた。どう贔屓目に見ても、殺し屋に狙われるような秘密めいた人物ではないのだが……。

 幸太郎は妻なら少しは隣のことを知っているかと横を覗った。が、やはり京子も釈然としない顔をしている。

「坂本は、シークレットAと呼ばれる、かつては組織でもトップクラスのエージェントだった。だが、十年前に組織の中枢に関する秘密を盗み取ったまま逃走した。今や自由と引き換えに組織を恐喝している裏切り者だ」

「あの坂本さんが!」

 幸太郎が思わず大声を出した。坂本のあのぼんやりと焦点のあわない顔つきが目の前に浮かんだのだ。

 良夫だって信じられない。坂本さんの家の三男は同級生だった。勉強も運動も出来ないいじめられっこで、日頃から他の級友に隣同士だとばれるのが恥ずかしいとさえ思っていた。

「組織も驚いているのだ。まさか、シークレットAがこんなところで、しかも、家庭まで持ってうだつの上がらないサラリーマンに成りすましているとはな。なんとも恐るべき男だ」

「おい、ちょっとしゃべりすぎじゃないのか」

 窓際の一号が、狙撃銃から目を離して凶悪な顔を向けた。

「今まで、殺してきた相手には、できるだけその理由を教えてやってきた。それが、俺のやり方だ。理不尽に死んでいく奴の魂は、その場に残るからな」

「へえ、お前、宗教でもやっているのか。まあいい。作戦行動の開始まであと少しだ。せいぜい楽しんで殺してやることだな」

「ふん……」

 幸太郎は一号と二号のそのやり取りに過敏に反応した。

「さっきから生かしておかないってどういうことだ。なぜ私たちが殺されなくてはならないんだ」

「ちゃんと筋書きがあるんだよ。シークレットA、いや坂本昭夫は覚せい剤の常習犯という設定だ。薬で錯乱し、暴力団から手に入れた銃を乱射して自殺する。これがこの事件の顛末だ。お前たちは家族揃って、気が狂った隣人の哀れな犠牲者になる予定だ。今日は本当にとんでもない日だったな」

 しばらく沈黙が続いたが、ついに良夫が泣き出した。男たちに睨まれてすぐ声を殺したが、涙が次から次に流れてくるのだけは我慢できない。訳がわからないながらも、これがひどすぎる現実だということはしっかり理解できた。

 幸太郎は、それでも一縷の望みにかけている。一家の大黒柱としては、充分評価されるべき態度だった。

「ま、待ってくれ。隣の坂本さんが、あんたたちと同じ人殺しの仲間だとは到底思えない。何かの間違いだ。もう一度調べてくれ」

「組織が得た情報は、奴の潜伏場所とアキオというキーワードだけだが、この付近では坂本昭夫しか該当人物はあり得ないからな」

「アキオ? なんてことだ。たったそれだけの情報で、あんたたちはこんな馬鹿なまねを始めたのか……!」

「その情報だけでも、組織はかなりの犠牲を払っているんだ。シールレットAの顔を知っている者は組織の中には誰もいないんでね。奴は自分に関するすべての情報を抹殺して、脱走したのだ。腕は世界でもトップクラスのエージェントだった。奴ひとりを味方に引き入れるだけで、国際間のパワーバランスが変わってしまうというほどのな。そんな超Aクラスのエージェントが、普通の生活がしたいと、たったそれだけのことで組織を裏切ったのだ」

 それが、あの坂本さん! しかも、その坂本さんたったひとりを相手にこの仰々しさ!

「シークレットAとはそれほどの男なんだよ。組織も万全の体制で臨まなければならない。失敗は許されない」

「もういいだろう、そろそろこいつらを片付けろ。射撃の気が散る」

 銃口を窓から突き出したまま、一号が振り返りもせずにいった。すると、

「おっと、待ってくれよ。その前にやりたいことがある」

 いいながら、さっきまで黙っていた三号が、狂気を含んだ目で京子を見た。

 幸太郎は、鋭く直感した。今でこそ、生活感そのものを身に纏ったような、どこにでもいる中年女性に過ぎないが、京子の若い頃は、輝くほど美しかった。地元のミスに選ばれた事もある。幸太郎には彼女は不似合いだと周りからいつも野次られ、そういわれることに納得もしていたし、うれしくもあった。この野獣どもが、そんな妻を女として意識してしまったら、黙って見逃すはずがない。

「何を考えているんだ。やめろ!」

 幸太郎は叫んだが、三号はすでに縛られた京子を抱えるようにして立ちあがらせている。舌なめずりをしながら、指先を粘りつくように京子の耳に這わせた。京子は全身を固くして、言葉も失っていた。

「心配するな」

 二号が自分のあご髭をさすりながら、幸太郎に向っていった。

「妻を返せ」

「どうせ殺されるんだ。少しは楽しませろよ、なあ……」

 三号は京子を引きずるようにして、襖を開け、隣の部屋に消えた。

「あの変態野郎、妻に何をするつもりだ。許さんぞ」

「奴はお前が心配しているようなことを考えているんじゃない」

「じゃあ、何だ!」

 二号は薄笑いを浮かべながら答えた。

「奴の趣味だよ。殺す前に、女の耳を切り取って集めているんだ」

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