第15話 あゆみの集団嘔吐事件
あゆみは生まれつき身体が弱く、集団嘔吐事件の日もずっと保健室に篭っていた。保健室といってもあゆみ専用で、園庭の最も風通しの良いところにポツンと建てられた別棟である。あゆみの父親が幼稚園に寄贈したもので、『水無月御殿』と呼ばれている。あゆみの父親は世界でも有名な資産家なのだ。運動会といっても身体の弱いあゆみには出番がなく、応援する相手もいなかった。だから天蓋付きの高級なベッドに横たわって、ゆっくり休んでいた。当時ついたあだ名は、ねむり姫。
ふと、気温が急に下がるのを感じたあゆみ。ちょうど華の最終組のスタート前のことだ。あゆみは、大歓声に沸く、いつもとは違う園庭の様子にほんの少し興味を抱いた。それで窓辺に身を置くのだが、風にあたるうちに気が付けば身を乗り出して食い入るように眺めていた。これほどの爽快感、これほど胸が高鳴るような経験は、今まで1度も味わったことがなかった。スタートの合図は充分に聞き取ることはできなかったが、駆け出した4人を夢中になって応援した。
「がんばって。みんな、がんばって!」
誰を応援しているかも分からずにあゆみが叫んだだけのその言葉が走者に届くはずはない。だが、必死に駆ける姿は、あゆみにとってはキラキラと輝いていて、神々しくさえ感じられた。このときのあゆみの目には、太一がというよりは全員がそんな様子に見えていた。
(私もいつか、こんな風に勇気を持って活躍できたらいいな)
「太一君が先頭ね。彼、やっぱり只者じゃないわね!」
隣にいた保健医が大声を上げる。そのときだった。太一が光りはじめたのは。
「あっ、あぁあ、苦しい! おっ、おえぇー!」
「どうしたの? 先生、大丈夫! あっ、あぁあぁー!」
あゆみの隣にいた保健医が急に吐き出した。園庭にいた園児や父兄も同じように吐いていた。太一の不思議な光を浴びてしまったのだ。だが、あゆみはどういうわけか、全く苦しさや嘔吐感を覚えることはなかった。それとは全く逆の、多幸感ともいえる感覚に包まれていった。
(はぁあっ、きっ、気持ちイイー!)
光が止むと雨が降り出し、嘔吐物の悪臭が園庭中に充満した。水無月御殿にもその臭いは達していた。あゆみもその臭いや保健医につられて嘔吐した。だが、あゆみはこのときにはっきりとした感情を抱いた。それは、太一に対する恋慕だった。
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