第4話 ビクターと呼ばれて

 翌朝、太一は泊まり込む覚悟をし、大きな荷物を持って学校へ行く。しいかたちを鑑賞することができないのは残念だが仕方がない。まずは、争う気持ちはないということをクラスメイトに示さねばならない。あとは相手の出方次第。太一はそう思っていた。


 そんな太一の元に、ある生徒が現れる。昨日太一を取り囲んだ集団の一員だ。昨日までのリーダーは学校を休んでいる。太一に睨まれた際、動かなかったのは、恐怖のあまり小便を漏らしていたからで、恥ずかしくって学校に来れなくなったのだ。それでこの日、リーダーが代わった。


「やっ、やぁ。ま、鱒くん」


 震わせているのは声だけではなく、全身。リーダー然としているとはとてもいえない。だが、太一から見てもこの男が新しいリーダーなのは間違いない。太一には、この男の顔に見覚えがあった。しばらく眺めると、幼稚園が同じだったことを思い出す。ビクターの座を賭けて争った百合組の代表だ。太一にとって幼稚園の頃のことは、今となっては良い思い出ではない。太一は不意に顔を歪ませてしまう。


「何?」


 太一はなるべく気付かないフリをして、その代わりにとても不機嫌そうに対応する。新しいリーダーは、生きた心地がせず、ガクガクブルブルと震えながらも言葉を繰り出す。


「昨日は、その、ごめ、ごめんな、さい……。」


 それを聞いて、太一はホッと胸を撫で下ろす。どうやら、単なる馬鹿ではないようだと、太一は思った。だから、この男に大いに期待した。できることなら金魚のように争わず平和に暮らしたい太一にとって、この男が太一との国境線をしっかりと定めてくれた方が良い。リーダーの定着は、太一にとっても好都合なのだ。


「大丈夫。泊まる準備はできているから……。」


 太一は皮肉交じりに言う。身体能力と勇気と英知を兼ね備えていると百合組教諭に認められた男が、太一の思惑を理解しているということを祈りながら。


「そ、そういうなよ。家に、帰んなよ」


 太一の祈りは通じたようで、新しいリーダーは妥協案を口にする。昨日のことは、なかったことにする。ここまでは、お互いに予想通り。


「……。そうさせてもらうよ。それから……。」


 太一がそれからと付け足したのは、この男を見込んでのこと。男が震わせていた声も身体も徐々に正常に戻しているのを太一は見逃していない。だが、さすがに男も身構える。


(さすがだ、かなりの適応力がある。そんな立派なリーダーには、是非にも長続きしてほしいものだ。そうすれば、俺の平和も長続きする。だが、彼が単なる事なかれ主義の輩であれば、幼稚園が同じだというだけで無条件に俺に従うだろう。そして昼休みには売店でカレーパンを買ってきて与えてくれるようになるだろう。群のリーダーになろうという気など全くない俺にとって、それは迷惑でしかない。3年間続けば良いが、いずれは別の誰かに紛争を持ち込まれる。そのときには群れと群れとの争いに規模を拡大してしまうかもしれない。そのあとは、また昨日今日のことを繰り返し……。不毛な時間を過ごさなければならなくなる。それよりも、あと少しの反発という緊張の中で解決を図った方が平和は長続きする。)


 太一は目の前の男をよく観察し、言葉を探す。先に声を発したのは、男の方だった。


「そっ、それから、なんだい? ビクター!」


 男の声は若干震えている。だが、身体の震えはさほどでもない。太一のこのリーダーへの期待はさらに膨らむ。わざわざビクターと呼んだところが憎いのだ。恭順を示しながらも、園長が用意ドンッといえば再戦を厭わないという強さも見せていると、太一は理解した。


「俺には話しかけないよう、みんなに言ってくれ」

「……。分かった。言う通りにするよ……。」


 太一は、要求が通り平和を取り戻したことに、まずはホッと胸を撫で下ろす。こうして、太一は高校生活において、独りぼっちという安住の地を手に入れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る