第十章 防衛戦

仕込み

 街の喧騒、というやつを、グラムは通りの端っこから眺める。ルクトールを南北に割る大通りはとてつもなく広く、しかも夕暮れ時だというのに、それを埋め尽くすほどの人で溢れている。それだけの人間が街に住んでいる証拠――そして、それはこの街が長らく平和だった証拠でもあるのだろう。シャナイゼでは、あの木漏れ陽の街でさえも、ここまでの数の人間はいない。街の外は、脅威で満ちているから。

 隣から、溜め息が聞こえる。

「ああーもう……ヤになっちゃうなぁ」

 灰色の背中を丸めて、うんざりした様子でリズが人の流れを見ていた。足元から肩までの長さのある黒い杖に、抱きつくように縋っている。あまりに不恰好で、さらに隣のリグが呆れた顔で妹を見下ろしていた。

「リズさん、お疲れ?」

「疲れた。なんでそんなに距離歩いてないのに、こんなに疲れてんだろ」

「人多いからな。気を遣うよな」

 すれ違うときにぶつからないように身体を反らしたり、前を歩く人が突然進行方向を変えてくるので足の向きを変えたり。ただ歩くという行為の間にいろいろな動作を挟むことになるので、気を張ってしまう。実は体力的な面よりも、そういった面で疲れているのかもしれない。

「これが本物の都会かー」

故郷おうちに帰りたーい」

「馬鹿なこと言ってないで」

 そろそろ戻るぞ、とリグが促す。人波に呑まれないように建物沿いを東に歩いていき、辿り着いた先は〈木の塔トゥール・ダルブル〉のルクトール枝部しぶ

 相変わらず厳しい人物ばかりのエントランスホール。左右に広がるスペースでは、武器を持った者たちがいくつか輪になって話し込んでいるのが見られる。みんな深刻そうなのが、グラム的には憂鬱だ。前にここに来たときは、もう少し気楽そうだったのに。

 グラムは双子を引き連れて、扉の真正面にあるカウンターへと歩いていく。そこには赤毛を真っ直ぐ切った青年が立っていて、グラムたちを認めると、右手で神経質そうに四角い眼鏡の位置を整えた。

「本部第六小隊。ご帰還ですか?」

 仕事は終わったのか、と問われ、グラムは頷く。

「報告を」

 グラムはリズを見た。リズは灰色のローブのポケットから手帳を出し、紐の栞を挟んでいたページを開く。

「北西一区の下見、および罠の設置を完了。罠の設置箇所は――」

 リズがメモを読み上げるのを聴きながら、グラムは今日行ってきた場所を思い出していた。

 ルクトールの北西部。グラムたちが見回ってきたそこは、集合住宅が立ち並ぶ場所だった。煉瓦を積み上げた三~五階建ての箱のような建物が立ち並び、ちょっとした迷路を作り出している。街の外の人間が滅多に来ない区画だからか、ちょっとだけ整備されていない――いや、本音を言うと、後回しにされているような印象を受ける場所だった。

 街の中でも国境にほど近い場所だから重要視されていないのだろう、とリズは言う。むしろ非常時には、戦場になることが想定されているはずだ、と。これにはグラムも同意できるものがあった。

 だからこそ、見回りの際に念入りに〝罠〟を仕掛けてきた。

 リヴィアデールの招集に応じて、シャナイゼから出てきたグラムたち〈木の塔〉の一同が、向かうように指示されたのが、このルクトールだった。アリシエウスがクレールの領土となり、しかし彼の国はまだ不穏な動きを見せていて。国は、クレールの更なる侵攻を警戒していた。そうなると、真っ先に狙われるのが、このルクトール。この街は、リヴィアデールの最西端に位置する上に、南のサリスバーグにも通じる道が伸びている。もし、クレールが二国に喧嘩を売るのであれば、拠点としてはうってつけの場所なのだ。

 国としては、どうにかそれは避けたい。ということで、こうしてグラムたち兵力が投入されたというわけだ。

 東の果てから西の果てへ。突然の大移動に、不満を口にする〈木の塔〉の連中は多い。

 特にグラムたちは、此処から帰ってきたばかりであって。短期間で西に東にと往復させられたことにうんざりしていた。だからこそのリズの『故郷おうちに帰りたい』発言だ。

「ありがとうございます。……確かに、判断は妥当、のように見えますね」

 リズの報告を地図に転記していた受付の男コルネリウスは、街の外壁からの道筋を指先でなぞり、視線を上げた。

「一応、枝部うちの者にも確認させますが」

「お願いします」

 コルネリウスが地図を持って奥へと引っ込んでいくのを見送り、グラムたちは揃ってホールの隅へと移動した。歓談用のソファーが置かれた場所の空きを見つける。そこで寛げれば良かったのだが。双子も、そしてグラムも、座ってからそのまま黙り込んでしまった。これからのことを思うと、どうしても心が深く沈み込んでしまう。

 アリシエウスには、兵力が集っているという。相手は仕掛けてくる気満々なのだ。

 この街は、いずれ戦場になる。グラムたちが戦う分には良い。だが、ただの市民を巻き込むことになると思うと――グラムは市街戦には慣れていない。何かしでかしてしまうことを考えると、どうしても不安になる。

「なんだ、辛気臭ぇ顔してんなぁ」

 飛び込んできた低い声に、グラムたちは一斉に顔を上げた。黒髪を短く刈り込んだ髭面の男が、傍に立った。三十を超えたというのに、立ち姿だけでも身体の衰えを感じさせない、精悍な姿。褐色の両目の輝きに惹きつけられる。

「カーターさん」

 彼はこのルクトール枝部の幹部の一人。今でも前線に立つ戦士にして、二年前までグラムたちの小隊の隊長でもあった人だ。

「お前ら、たいていピーチクパーチク騒いでんだろ。それがまあどうして、こんな通夜みてぇな空気になってんだ?」

「まあ、いろいろとあるんすよ……」

 かつての隊長は、グラムの師で、頼りになる人だった。それでも気軽に相談できないのは、見栄でもなんでもない。何を口にすればいいのか、自分でもよく分かっていないからだ。

 それに、カーター相手であっても口にできない問題もある。アリシエウスに帰ったラスティは無事なのか、とか。神様連中が何を考えているのか、とか。

「〈手記〉の件、まだ引きずってんのか?」

 カーターがグラムを押しのけ、隣にどかりと座る。無遠慮で無粋な様子が懐かしく、少しだけ心が解れた。

「まあ、気になりはしますよ。あれ、クレールに行っちゃったし」

「つーて、そんな簡単に使えるもんでもないだろ? そもそもクレール兵に渡ったとも限らねぇし」

「……いえ。後者のほうは、ね。十中八九あちらに渡っていると思うんですけど」

 エリウスがいるから、という根拠を吞み込んだリズに、カーターは訝しみつつも問い詰めるようなことはしなかった。一つ頷き、腕を組んでソファーにふんぞり返る。

「今日の仕込みの件だ。地図を見せてもらったが、上々だった。きちんと現場も見てきてくれたんだろ?」

 グラムたち〈木の塔〉の塔員は、街の区画を分担して防衛にあたることになっていた。そのためにグラムたちは北西一区を見て回り、実際に受け持ちの場所の地形を確かめることで、敵が侵入してきたときの流れや市民への対処法の見直しをしてきた。

 だからこそ、〝普段と違う〟を目の当たりにしてグラムは不安になっているのだが。

「他の連中のところも、準備は整ってる。国の兵舎にも、そろそろ報告がいくはずだ。後はおとなしく待つだけ」

 だから気負うな、と隣にいたグラムの背を叩く。一瞬息が止まるほどの、凄まじい激励だった。呼吸を再会したところで変なふうに息を吸ったのか、噎せた。

「アリシエウスって、どんな様子ですか?」

 咳き込むグラムの向かいで、リグが不安げに尋ねる。

「外から覗いた程度だが、軍備が整っている印象だな。ぶっちゃけて、数日中ってところだ」

「他におかしな様子は?」

 心当たりがなかったのか、カーターが首を傾げる。その様子で〝ない〟と判断して、リグは質問を取り下げた。

 カーターはグラムたちを順繰りに見回し、肩を竦めた。

「また何を抱えてるかしらんが、ほどほどにしとけよ。潰れられたら敵わん」

 誤魔化すように笑って謝罪するリズに、溜め息を一つ吐いて、カーターは立ち上がった。休むように言い残して、また奥のほうへと引っ込む。

「……エリウスは、何も仕掛けてこないのか?」

 溢されたリグの言葉に、グラムは首を捻った。市街戦に強く不安を覚えるのは、まさにその部分が大きい。慣れない場所で妙なことをやられて、対処できる自信がないからだ。

 一応、双子たちが魔術による下準備をしてくれているとはいえ――いや、対人戦では〝上々〟と言われる程度の準備が、かえって不十分にも思えてならない。

「何もないと思うほうがおかしい」

「……だな」

 でも、何をしてくるかは見当が付かない。

 思考が無意味に循環していることにグラムは気がついた。これでは不安になるばかりだ。グラムは両頬を掌で叩いた。

「いつまでもくさくさしててもしゃーねーな。腹くくって、あとはもうそんときに考えようぜ!」

 立ち上がり拳を握ると、少し表情を明るくしたリグとリズが同意してくれた。

「まあ、城壁もあることだし。そうそう敵も侵入して来ないでしょ」

「空でも飛んでこない限りな。街の人を守るくらいはどうにかできるか」

 結果的に、その見解は大いに外れた。

 その夜、早々に攻撃を仕掛けてきた敵は、空を飛ぶ魔物を連れてきていたのだ。

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