最終話 「わかんなくていいんだよ!」編

 二人きりになると部屋の中が静寂に包まれた。


 俺の心臓の音が琴乃に聞こえるのではないかと心配になるくらいに。


 俺と琴乃は向き合ってお互いの顔をじっと見つめあっていた。


 いつも見ていたはずの琴乃なのに、こうしてただ黙って目と目をあわせているだけで、なぜか心臓の鼓動が早くなった。


 緊張に包まれた部屋で、俺は生唾を飲み込み口を開く。


「話したいことがあるんだ」


 琴乃の肩がビクッと震える。


「……なに、話って」


「綾乃さんの墓参りのときの続きだよ」


「……やっぱり、そうだよね」


 覚悟を決めたかのように、琴乃は唇をキュッと引き締める。


「俺はこれから先も琴乃とずっと一緒にいたい。だから、いままでと同じ兄妹のような関係にもどろうぜ」


「……もう、無理なんじゃないかな」


「そんなことないだろ! 俺たちは産まれたときからの幼なじみだぜ! そんなに簡単に壊れるような関係じゃないだろ!」


 うつむいた琴乃の肩を両手でつかむ。


「京ちゃんはわたしの気持ちを知ってるのに、まだそんなこと言うんだね」


「だけど、それ以外の方法がみつからな――」


 琴乃が鋭い目付きで俺をキッとにらみつけた。


「みつからないんじゃなくて、京ちゃんは目をそらしてるだけでしょ!」


「違う! 綾乃さんのお墓参りのときはそうだったかもしれないけど、あれから考えたんだよ……目をそらさずに考えたんだよ……だけど」


 俺は大きく息を吐いて、拳を握りしめた。


「何度考えても、琴乃と付き合うのがいい方法だとは思えなかったんだ……」


「……なんで? ……わたしとじゃ嫌なの?」


 訴えかけるような琴乃の眼差し。わずかに潤んでるように見えた。


「い、いやそんなわけないだろ」


「だったら……どうして?」


 俺は拳にさらに力をこめる。


「こ、恋人同士になったとしても、別れたりしたら琴乃の側にいてやれねえじゃねえかよ!」


 部屋に俺の声が響いた。


「もし、結婚したとしてもどうなるのかもわかんねえし、男女の関係になったら一緒にいられなくなるリスクが高くなんじゃねえかよ!」


 琴乃に理解してもらいたくて俺は必死に言葉を紡ぐ。


「それよりも、いまの幼なじみの関係、兄妹のような関係だったら、ずっとずっとずーっと琴乃の側にいれんだろ!! ……だから、嫌とかじゃねえんだよ……」


 琴乃は身動ぎせすに黙って俺の話を聞いてくれていた。


「……京ちゃんて、そんなにわたしと一緒にいたいんだね 」


「あ、当たり前だろ!」


 急に恥ずかしくなり、顔が熱くなった。


「京ちゃんがわたしと一緒にいたいっていうのはさ、ママとの約束だから? 」


 俺は小さく頷く。


「じゃあさ、ママとの約束がなかったら、京ちゃんはわたしとずっと一緒にいたいと思ってくれないのかな? 」


「そんなことねえよ! 綾乃さんとの約束がなくったって、俺はずっと琴乃の側にいたいんだ!」


「ほんとに?」


「当然だろ! 子供の頃から、ずっとずっと思ってたんだよ。琴乃と学校通って、勉強して遊んで、大人になって、お互いに年取ってじいさんばあさんになるまで、死ぬまで側にいたいって!」


「……京ちゃん」


 琴乃が口元をおさえる。


「だから、こんなことで仲が悪くなって、関係が崩れんのとかマジで嫌なんだよ!」


「……わたしも、京ちゃんと一緒にいたいよ」


「琴乃……」


「でもね、もうダメなんだ」


「そんなことないだろ!」


 琴乃は首を横にふる。


「もうね、押さえきれないの、京ちゃんへの想いが」


 心臓がばくんと大きな音をたてた。


「わたしも、いまの京ちゃんと同じことを考えてたときもあったんだよ」


「じゃあ、わかってくれるよな……?」


「……幼なじみのままなら、ずっと一緒にいられる。兄妹のような関係ならずっと一緒にいられるって。でもね、それだともう満足できないの!」


 琴乃の声が部屋に反響する。


「だけどわたしの気持ちが京ちゃんに知られると、この関係は終わってしまうと思ってたから、ずっと我慢してたんだよ」


「……琴乃」


「でも高校に入学してからかな……押さえきれなくなったのは。だから、ごめんね」


「なにがだよ」


「エッチな質問ばっかりしちゃって」


「自覚……してたんだな」


「わたしは京ちゃんにドキドキしてもらいたくて。そうしたら京ちゃんはわたしのことを意識してくれるんじゃないかなって。バカみたいだよね、わたし」


 自嘲するかのように琴乃は笑った。


「琴乃はほんとバカだよ」


「ひ、ひどいよ、京ちゃん……」


「そんなことしなくても、俺はずっと琴乃にドキドキしっぱなしなんだぜ!」


「ほんとに?」


 目を見開く琴乃。


「お、おう」


 照れくさくて俺はそっぽをむいた。


「いつからなの?」


「……お、覚えてねぇよ!」


 小学生のとき、夕立で駆け込んだお寺で、下着の透けたワンピース姿の琴乃を見たときからかもしれないし、 中学生のとき、琴乃の胸が大きくなりはじめたときかもしれないし。


「ねえ、京ちゃん。その、それでも、わたしと兄妹のような幼なじみの関係を続けたいと思ってるの?」


「そ、そうだ」


 琴乃は少しのあいだ目を閉じてなにかを考えているようだった。


「……わかったよ」


「ほんとか! 琴乃!」


「うん。京ちゃんがわたしのことを大切に思ってくれてることは伝わったから」


 俺は血が出るくらい唇を噛んだ。


 琴乃が俺の考えていることを納得するために、自分の想いを抑え込んでくれるのがわかったから。


「でもほんとは京ちゃんと……」


 小さな声でつぶやく。


「たくさん欲しがるのはわがままなのかもしれないね 」


 寂しげに口元に笑みをつくった。


 琴乃、ごめんな。また我慢させることになって。


 でも綾乃さんとの約束と、琴乃と一緒にいたいという気持ちを、同時に満たす方法がこれ以外みつからないんだ……


「だけどね、京ちゃん……どこにも行かないでね」


 琴乃は水のように澄んだ目で訴えかけてくる。


「ずっとわたしの側にいてね」


 あのときと同じ目だ。


「もう誰かがいなくなるのは嫌なの」


 あのときの綾乃さんの目と。


「ママみたいにわたしを置いていかないでね! ずっと ずっと、わたしの側にいてね!……お願い! 京ちゃん! 約束して!」


 

 ブレーキのワイヤーが、切れた。



 流れ落ちる涙をぬぐおうともせずに、俺の目を必死に見つめてくる琴乃の姿を見ていると、あんなに強く握っていたはずのブレーキなのに、まったく効くことはなかった。


 もう止まらない。止めることなんてできるわけがない。


 次から次に琴乃への想いがあふれてくる。


 まるで乾きを知らない井戸のように。


 俺の頭の中から最適だと思っていた考えのすべて消え失せていく。


 ただ琴乃への想いだけがあふれ出してくる。


 ずっと気づかないふりをしていた想い。


 認めることができなかった想い。


 そして、琴乃の俺に対する想いが痛いほど伝わってきて。


 俺は琴乃の肩をつかみ体に引き寄せる。


 そしていままでに出したことのないくらいの力で強く強く琴乃の体を抱き締めた。


「きょ、京ちゃん……?」


 はじめは抵抗していたのか固くなっていた琴乃の体も 、自然とほぐれ俺に身を預けるように体をよせてくる。


 小さくて華奢な女の子。


 妹のような女の子。


 そして、世界中で一番大切な幼なじみ――


「好きだよ、琴乃」


 俺の腕の中で琴乃はこくんと頷く。


「……わたしも京ちゃんのこと大好きだよ」


 琴乃は俺の背中にそっと手をまわした。





「琴乃、俺さ、夢があってさ」


「……う、うん。どうしたの、急に。夢ってなに?」


 どれくらいのあいだ抱き合っていたのだろうか。


 我に返った俺と琴乃は、恥ずかしさから背中あわせで会話をしている。


「琴乃が綾乃さんみたいなお母さんになって、幸せな家庭を築くっていう夢がさ」


 俺は咳払いをして、琴乃の目を見つめる。


「つまり、その、だから、お前にも協力してもらおうと思ってんだ」


「え? そ、それって、つまり――」


「うん、琴乃はずっと俺の妹でいてくれよな!」


 俺の大切なパートナーになって、それで妹だったら、 二倍になるからな。


 そ、その、なんていうか、愛情ってやつが、だ!


「えぇぇぇえ? プロポーズじゃないのぉ? 」


「なに言ってんだよ。そんなつもりで言ってるわけないだろ。だいたい俺たちまだ高校生だぜ」


「もう! 京ちゃんの言ってることが、ぜんぜんわかんないよぉ!!」


 安心しろ、琴乃。


 なんせ、俺も――幼なじみことのの考えていることが、ぜんぜんわかんねぇからな!


 でも、いつかは――――

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