第38話「俺と幼なじみと気づいてしまった気持ち」編

「琴乃、早くしろよ!置いてくぞ!」


 クリーニングから返ってきたばかりの学生服に身をつつんだ俺は、琴乃んの玄関に置かれている時計に目をむける。


 午前七時。


 学校に行く時間よりもかなり早い。


「わあー、ちょっと待ってよぉ! 日焼け止めだけ塗らせて」


 洗面所のほうから琴乃の声が返ってくる。


「んなもん、電車の中でやれよ」


「ダメだよ!駅に着くまでに紫外線に攻撃されちゃうから」


「ったく! 早くしろよ!」


 期末テストが終わり、夏休みの直前で学生たちが浮き足立つ時期。


 だけど今日は俺と琴乃にとっては彼らとはまったく別の意味をもつ日。


 綾乃さんの命日だ。


 今年は七回忌だから、この週末に親族が集まるみたいだが、俺と琴乃は綾乃さんが亡くなったその日に墓参りをすることに決めていた。


 何回忌など関係なく、俺たちの毎年の恒例行事なわけだけど。


 洗い立ての学生服を着て綾乃さんに会いに行くことが。


「京ちゃん、お待たせー」


 ブレザーを羽織り、膝よりすこし上くらいの裾のスカート。


 見慣れた制服姿の琴乃。


 二人連れだって玄関を後にした。



 綾乃さんの眠る墓地がある最寄り駅に降り立つまで、俺と琴乃はほとんど言葉をかわさなかった。


 でもそれは、電車の中だけの話ではない。


 琴乃と水着を買いに行った日から、この状態がずっと続いていたからだ。


 そうはいっても、俺たちはあの日からなにごともなかったかのように普段どおり過ごしてきたつもりだ。


 食事を一緒にとったり、リビングでテレビを見たり。


 だけど、いつもと変わらない日常のように思えたが、変わったことが二つあった。


 一つは会話が少なくなったこと。


 別にまったくしないわけではない。


 今朝も琴乃の家まで迎えに行ったとき、普通に会話をした。


 だけど続かないんだ。


 言葉を口にすればするほど、なぜだか言い訳をしている気になってくる。


 くだらないバラエティ番組の感想を言っているときでもだ。


 もう一つは琴乃があれ以来、エッチな質問をしなくなったこと。


 俺としてはどぎまぎしなくてすんでほっとしているのだが、なぜだか寂しく感じているのも事実だ。


 心当たりはもちろんある。


 琴乃が、わたしは京ちゃんに気持ちをもっとわかってもらいたいよ……と言った。あれが引き金になったのだろう。


 だけど、そのことと質問をしてこなくなったことの関連性が俺には今一つピンときていない。


 うまく結びつかない。


 そんなことをぼんやりと考えているうちに、綾乃さんの墓石の前まで来てしまっていた。


 綾乃さんのお墓に手を合わせる前に、なぜだか俺は琴乃と会話をしなければと思ってしまう。


「そういえば、綾乃さんに高校の制服を見せんのって初めてじゃないのか?」


「ん? 入学式の日にお仏壇の前で報告したよ」


 ぼんやりとした感じで琴乃は答える。


「そっか」と、言ったきり俺は黙ってしまった。


 会話をする糸口を探して、話してみたものの、琴乃が入学式の朝に綾乃さんに報告をしているとき、俺は横にいたからだ。


 もちろん忘れていたわけではない。


 なにか話をしたいという気持ちがはやってしまい、一時的に失念していただけだ。


 まあ、それを忘れていたとも言うのだろうけど。


 ていうか、俺はなんで琴乃と話をしたがっているんだ?


 ちらりと隣を見ると、お墓の前に立つ琴乃が目をつぶって静かに手をあわせていた。


 いまは琴乃のことは考えないで、綾乃さんに向き合わなければな。






「ママとなんのお話したの?」


「ん? 琴乃と仲良く過ごしてますよって」


「……そっか。わたしは、いま京ちゃんと喧嘩してるって言っちゃった」


「おい! 喧嘩なんてしてないだろ!」


「京ちゃんがそう思ってるなら喧嘩じゃないのかもね。でも、わたしは怒ってるよ」


「な、なんでだよ? 俺、なんかしたか?」


「ううん、なんにもしてないよ」


 琴乃はうつむきながら首を横に振る。


「だったら、なにに怒ってんだよ?」


「……約束 」


「は? 約束って、琴乃となんか約束したか?」


「わたしとじゃないよ。京ちゃんがママとした約束だよ」


「綾乃さんとの……」


「京ちゃんはね、ママとの約束を取り違えてるんだよ。だから、わたしはそのことを怒ってるんだよ」


「取り違えようがないだろ! 琴乃のことを妹のように大切にしてっていう約束だぜ?」


「ママはそのあとに続けてこう言ったよ。わたしとずっと一緒にいてあげてね、って」


「だから、琴乃の兄として一緒にいてあげてってことだろ! 」


「それだけかな?」


「……え?」


「わたしと一緒にいられるのって、兄妹としてじゃないとダメなのかな?」


「そりゃ、そうだろ。他に方法ってなんかあんのかよ?」


「あるよ! 京ちゃんは気づいてるけど、目をそむけてるみたいだけどね」


「――ッ!」


「ね、取り違えてる」


「そんなことない!」


「そんなこと、あるんだよ! わたしはずっとずっと我慢してたんだよ! 京ちゃんがママとした約束を大切にしてくれてるんだから、って! だから京ちゃんのその気持ちも大切にしたかった。でも、もう辛いよ。妹のようにしか見てくれないのって、辛いよ」


「だったらこれまで約束を守ってきた俺に、いまさら考えを変えろっていうのかよ!」


「そこまでは言ってないよ! 考えを変えてほしいんじゃなくて――」


「じゃあ、どうすりゃいいんだよ! いまさら琴乃のことを異性として見ろっていうのかよ!」


「……もういいよ……」


 琴乃はまっすぐな瞳で俺を見つめていた。


 とめどもなく流れる涙を拭い去ろうともせずに。


 琴乃は続けて言った。


「このままだと、わたしは京ちゃんとずっと一緒にいたくない!」


「……琴乃。そんなこと言うなよ。綾乃さんも――」


「またそれ? もう約束なんていいじゃない! ずっとそれに縛られ続けてるの、京ちゃんは! わたしよりもママのほうが大切なの!」


「おい! 綾乃さんのお墓の前で、お前なんてこと言ってんだよ!」


「もうそんなこと関係ないよ! わたしは! わたしは、ママが亡くなるずーっとずーっと前から京ちゃんのことが――」


「やめろ!」


 まるでこの世の中から音が一切なくなったかのような静けさに包まれる。


 涙に濡れた瞳で俺をにらみつける琴乃。


「 ……やめてくれ、琴乃」


 声を出すのがやっとの俺は、喉の奥から絞り出すように言葉を口にする。


「……それ以上、言わないでくれ……」


 琴乃は俺の言葉を受けると、いままで見たこともないような悲しそうな顔をした。


 踵を返すと、声をかける隙もあたえずに走り去ってしまった。


 俺は立ちすくみ琴乃の背中を眺めることしかできなかった。


 情けなくて、みじめで、琴乃を傷つけてしまった罪悪感で、俺は胸がしめつけられて泣きたくなった。


 なにより琴乃が俺になにを伝えたかったのか、はっきりとわかってしまったのがつらかった。


 ……そうか……俺、琴乃の気持ちに気づいてたんだ……


 ずっと……知らないふりしてきたんだ……


 だってさ……それを認めてしまったら、兄妹のようにいつまでも一緒にいることができなくなると思ってたから。



 お墓に向き合い、もう一度手を合わせた。


 綾乃さん……ごめんなさい


 俺、琴乃と喧嘩してしまいました……




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