通りすがりのタビさん

キノ猫

タビさんと私

 幼い私の日常の一環に、今はない習慣がありました。

 それは、ひたすら彼が旅から帰ってくるのを待つ事でした。


 彼と初めて出会ったのは嵐の日。

 私の両親は共働きで、帰ってくるのが遅く、できる家事は自分でする約束がありました。

 仕舞い忘れた洗濯物に気付き、家にびしょ濡れの衣服を入れていた時です。

 干してあったところから離れた場所にTシャツが落ちており、それに目が行きました。シャツを持ち上げると、いつもより重さがあったので、広げてみたら、丸まった野ネズミが居ました。

 急いで洗濯物を入れ、ネズミを沸きたてのお風呂に入れて、温かなミルクをあげました。

 ネズミは猫にも負けないくらい、鋭い目を持ち、毛の色は明るい茶色でした。

 私がタオルで拭こうとすると面白い程に嫌がり、より鋭くなった目で私を見上げました。

 次の日、目を覚ますと、彼は居なくなっていました。きっと何処かへ行ったのでしょう。

 もしここに戻ってくることがあれば、タビさんとでも名付けようかと、呑気に考えていました。


 嵐の日から三日ほど経った日のことです。

 いつも通り洗濯物を入れていた時、Tシャツが少し遠い場所に落ちていました。

 拾い上げると、小さな赤い木の実や三つ葉などがころころと落ちてきたので、しゃがんで視線を低くし、辺りを見渡すと、木の陰からひょこりと顔を出すあの時のネズミが見えました。

 私は悪い子、意地悪なので、そのまま立ち上がります。

「これなんだろうー、誰かのイタズラなのかなー? もし私にだったら本人に渡すよねー」

 チラチラと彼の方を見ながら言ってやりました。彼の持っている鋭い目に似合わず、オドオドしたそぶりをしており、不覚にも笑ってしまいました。

 慌てて取り繕うように続けます。

「ま、まだまだ洗濯物あるから窓開けておかなきゃー」

 彼に聞こえるようそう言って、手に取れる分だけの洗濯物を部屋に入れた後でした。

 振り返ると、隠れていた野ネズミが窓際にちょこんと立っていました。

「どうしたの?」とわざとらしく尋ねると、先ほど見た果実や三つ葉の他に、小さな野花を数本束ねたものを目の前に置きました。

「あら、それもくれるの?」

 私の言葉に反応せずに去って行きそうだったので、待って!と止めて、尋ねます。

「あなた、旅してるの? タビさんって呼んでもいい?」

 彼は首だけをこちらだけ向けます。

「また来てくれる? タビさん」

 私が言い終わると、あっと言う間に姿を消してしまいました。

 また来てくれることを願って、洗濯物を入れるのを再開しました。


 それから三日が経ったある午後。

 庭の隅でカラスが群がっているのを見つけて、駆けつけると、一生懸命追い払おうとしているタビさんでした。

「タビさんっ!」

 カラスとタビさんの間を割って入り、タビさんを守るようにして部屋の中に入れました。

 タビさんはボロボロで、見るに耐えないほどでした。

 応急処置として軽く洗って消毒液をつけたティッシュと包帯を巻いてやりました。

「もう、気をつけてよ」

 私は珍しくキッチンに立ちました。前にもらった小さな赤い果実をすりつぶし、小さくちぎった食パンに染み込ませました。

「タビさん、これ、作ってみたの。食べれるかな……」

 タビさんは私の手のひらから赤く染まった食パンを取り、背負っていた風呂敷の中に入れました。

 私は嬉しくてにっこり笑いました。彼の表情は変わりませんでしたが、ひたすら風呂敷の括った部分を触っていました。

 その日もまた、彼は一晩だけ泊まって、どこかへ出かけてしまうのでした。


 タビさんと、彼の他に新しいお客さんがやってきました。それもまた、彼を助けた三日後でした。

 小鳥がタビさんの隣にいるので、きっとお友達なのでしょう。

「今日は友達も連れてきてくれたの?」

 私が尋ねると、タビさんは風呂敷の結んである部分をにぎにぎと触っていました。

 事前に作っておいた三つ葉と食パンのサンドをタビさんに、取っておいた赤い木の実を小鳥に渡すと、美味しそうに食べてくれました。

 タビさんは思い出したように風呂敷からお土産を取り出して、私にプレゼントしてくれました。

 今回は、少し固そうな茶色の小さな木の実と青い山菜であろうものをくれました。そして、花束の代わりに、キラキラした青い石をくれました。

 ありがとう、と私が笑うと、タビさんは風呂敷をくくり、しきりに結び目を触っていました。



 珍しく私に友達と遊ぶという予定が入っていた日のことです。

 あれから丁度三日目なので、私は庭に旅のお供にと山菜をすりつぶしてちぎった食パンを丸めたものと、デザートにと自然食品、なんて書かれてあったクルミをハンカチの上に乗せ、遊びに出かけました。


 家に帰る前に庭へ寄ると、ハンカチの上にはお土産であろうヤマモモと、どこで拾ったのか、着せ替え人形のティアラが添えられておりました。

 ポケットの中に両方とも入れて家に入ると、パパが居ました。

「パパ、ただいま! あのね、お友達ができたの!」

「おかえり。どんな子だい?」

「あのね、タビさんって言って、ネズミさんなの!」

 私が嬉々として伝えると、急にパパは顔を曇らせました。その顔はきっと、遊んだ内容を聞けば素敵な笑顔になると思い、沢山伝えようとします。

「タビさんと物を交換するの。タビさんは木の実、私はそれで作ったご飯! 後は……」

「お前、家に上げてないだろうな?」

 私の思い出話を遮り、そんな事を言ったパパの顔は先程よりももっと変な顔をしていました。

「……な、なんで?」

「ネズミなんて汚いだろう? バイ菌だらけじゃないか」

 パパが言い放った言葉が心をズタズタに引き裂きました。タビさんはそんなのじゃないのに。

「タビさんはそんなじゃないもん! 汚くないもん!」

「パパのバカ!!」なんて、思ってもない事を叫んでしまった私は、勢いに任せて自分の部屋へ走りました。

 扉を閉めると、涙が溢れてきました。

 タビさんはネズミってだけなのに、汚いって言われるなんて。でも、バカって言い過ぎた。

 おもむろにポケットの中に手を突っ込むと、木の実が元の原型を忘れていました。

 それが、何もかも、元に戻らない事を意味しているようで、より泣けてきました。

 私は、銀色が剥がれかけたティアラを両手で握って泣きました。


 あれから三日経った日。

 私が家でゴロゴロしていると、タビさんが窓辺に立っているのを見つけました。

 私が某うつくしうつくしと謳っているウェットティッシュを持ってきた時には、タビさんは小さな手で一生懸命に窓を開けようと頑張っているのに微笑みが浮かびました。

 窓を開けると、タビさんはロケットのように入ってきて、閉めようと必死になっていました。

「タビさんってせっかちさんだなあ。あ、もしかして、あの、独占欲って奴なのかな?」

 なんて呑気に言いながら窓を閉めた時でした。

 カラスが壮絶な音を立てて窓と衝突しました。驚きのあまり尻餅をついて、視線をタビさんに向けると、タビさんも同じように尻餅をついてこちらを見ていました。

 パパと喧嘩した翌日から、カラスが家の周りに増えました。もしかしたらタビさんがまた狙われているのかもしれません。

「タビさん、何かやらかしたの?」

 そっぽ向くタビさん。

「お家まで来るってことはタビさんがくれたのに関係してるのかな?」

 カラスの好きなもの、キラキラしてるものがなかったか思い出します。

「……あ、ティアラ」

 私の声にあからさまに反応するタビさん。こりゃもう高確率でティアラです。

「タビさん。プレゼントは嬉しいけど、カラスさんの宝物かもしれないよ? 返してきてほしいな」

 私がティアラを差し出すと、渋々と言った風に受け取ってくれました。

 そして、窓を開けると、タビさんとカラスは睨み合っていました。タビさんがティアラを置いて私のところへ戻ってくると、カラスはそれを咥えて飛んで行ってしまいました。

「ありがと、タビさん」

 私はウェットティッシュでタビさんを拭くと、面白いくらいに嫌がりました。綺麗にすると、パパもタビさんを認めてくれると思ったからです。

 でも、タビさんが嫌がってしまったということは、どうすることもできません。

「タビさん、もしかしたら、二度と会えないかもしれない」

 自分で言っておきながら、物凄く悲しくなりました。

 タビさんは不思議そうにチュウ、と一度鳴きました。


 それからは、三日経っても、六日経っても、十日以上経っても、タビさんは私のお家に来ることはありませんでした。

 その間に、パパはタビさんを私の友達だと認めてくれたみたいでした。私の唯一の友達だと言うと、そうか、と渋々頷いてくれました。ただ、家には上げて欲しくないみたいです。


 タビさんがいない生活に慣れてきた頃。

 いつも通りに洗濯物を部屋に入れていた時でした。

 先程まで掛けられていたTシャツが少し離れた場所に落ちていました。

 あれ、これ、一度……。

 とりあえず拾い上げると、バラバラと様々なものが落ちてきました。木の実に花の蕾。夜空の星屑のような小石に、煌めく宝石みたいなビーズ。自然のものから人工物まで、沢山。

 一つ一つ拾っていると、草が擦れる音がしたので、視線を送ると、タビさんがこちらを見ていました。きっと隠れているつもりでしょう。

 懐かしくなって、また、彼に会えたのが嬉しくて、私の目から雫が落ちてきました。

 タビさんは隠れることを放棄して、私の方へ駆けてきました。

 そして、落ちてくる涙で楽しそうに遊び始めたのです。それは、とても気持ちよさそうに。

「もう、何してるのぉ」

 ぼやいたら、タビさんは私に赤いポピーの花を渡してくれました。

「ありがとう」なんてお礼を言えば、タビさんは相変わらず風呂敷の結び目をこちょこちょといじるのでした。

「……もしかして、照れ隠しのつもり?」

 私が尋ねると、チュッ、と驚いたように鳴いて、今度は両手で顔を隠しました。


 最近、彼をあまり見かけなくなりました。

 ですがきっと、どこかで旅をしているのでしょう。

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