第9話

 軍資金は露と消えた。なんてったって次のライブ先は名古屋だった。三日間かけての弾丸ツアー、ワイルドヘヴンの次のライブ先についていくにはこれしかない。ワイルドヘヴンはアカペラバンドだから機材ほぼなしで行けたけど、こっちはレンタルのハイエースにぎっちぎちだ。仮眠も出来ない。都心を離れると道も悪い。あちこちアスファルトをその場その場で補填してるから、がったがたなのだ。青森県民の私はよく知っている。スタッドレスタイヤの弊害だともいえる。昔はスパイクタイヤで粉塵が巻き上がってたほどだ。あれは、削れる。

「い、いつもこんなライブしてるんですかっ?」

 一人ワイルドヘヴンの車に乗せられた私はそんな事を聞いてみる。唯一の女性メンバーである早百合さんが苦笑して、たまにね、と教えてくれた。ワイルドヘヴンは平均年齢二十七歳の大人バンドだ。連休なんかが出来る度に大阪や名古屋に出張してるんだという。大人のバイタリティすごい。こっちは週末が来たらバイトも休んでごろごろしてるって言うのに。だって週末お客少ないしー。ただ立ってると貧血起こすしー。と、それが言い訳である事を、私は誰より知っている。楽して生きたい三度目の人生だ。就職どうしよう。やっぱ地元にIターン? ここで魔王を倒せると、したら。

「それにしてもデリバリーデビルズとうちってかなり客層分かれてるなあ。初めてのツアーの心地、どうだい真凛ちゃん」

「んー緊張でいっぱいです……自分が出るわけでもないのに」

 私の名目は一応マネージャーだ。そう言う事になった。なんとなく。まあいい肩書だろう、給料出ないけど。私設秘書、みたいなの? いや現実は貯金箱だけど。入るどころか出て行くばかりだけど。バックミラーを見ると、麻央君の運転するハイエースが見えた。代わりばんこで運転していくらしい。こっちもだけど。


 それにしても、この人達の気配。

 どっかで覚えあるんだよなあ、魔族関係でなしに。


「よし、今日はここらでホテル取るか」

 緩い弾丸ツアーなので疲れたらホテルにチェックインする。部屋は三部屋、男二つに女一つだ。

 眼鏡を外した小百合さんはバスルームに消えた。私は瑠詩葉ちゃんとぽそぽそ作戦会議だ。今のところ魔族の気配はない。むしろ――逆のような、そんな気配がある、と。瑠詩葉ちゃんは首をくきっと傾けて、逆? と応じる。

「どっちかって言うと聖性を感じる、って事かな。真凛ちゃん間違いはないの?」

「と思う……明日は瑠詩葉ちゃんが乗ってみれば判るかも」

「私にできるのは魔力探知だけだよ、聖性は解らない。でもそうか、そういう可能性もあるか……」

 ぶつぶつ言ってる瑠詩葉ちゃんの声は聞こえない。お先にどうも、と出て来た小百合さんに言われて、私は自分の着替えをひっつかんで゜入れ替わりに入った。シャンプーもコンディショナーも牛乳石鹸もクレンジングも持ってきてある。小百合さんからのアドバイスだ。クレンジングは特に忘れちゃいけない。肌荒れの元になるから。スキンケアはオールインワンゲルの一つだから楽ちんだし。人間どうやっても隠せないものは隠せないのを、私は百三十年近い人生経験で知っている。悲しい事に。ふっ。

 ぬるいシャワーを浴びて手早くお風呂を済ませ、瑠詩葉ちゃんにバトンタッチする。夕食は各自持ち込みだったりホテルのレストランだったりいろいろだ。私はと言えば、リンゴを丸かじりにしている。リンゴの旬は冬であると力説したい乙女心だ。だってそのほかの季節だとすかすかしてるしー。ぶっちゃけ熟してないしー。小さいしー。と言うわけでこれは先日青森の実家から届いたものだ。箱買い&箱送りは基本である。傷みそうなのを非常食に持って来てあったのを、あぐあぐ食べていると、小百合さんがほわーっとこっちを見ている。果汁たっぷりのそれを零さないようにして、ごっくん。

「小百合さんも食べます? リンゴ。結構お腹にたまりますよ」

「いえ、結構だけど……すごいかぶりつき方するのねえ、真凛ちゃん」

『すごいかぶり付き方ねえ、マリン』

 ふっとよみがえった声に、リンゴが手から落ちそうになって慌てて支える。偶然だ。偶然に決まっているのに、ちょっと居心地が悪くなって、私はしゃくしゃく小口に齧りつく。小百合さんは途中のコンビニで買ったランチパックにするようだ。そういえばあれ、ピーナツだけ焼き印が付いてるのってどうしてだろう。どうでもいい事を考えながら、幕の内弁当を食べ始める風呂上がりの瑠詩葉ちゃんを眺めた。

 自分が一番貧相な食事をしている気がして、ちょっと泣けてきた。良いもん、リンゴ美味しいもん。おらが村が世界一。私の住んでるとこではほとんど作ってなかったけどさ、リンゴ。ええいそんな事は関係ない! 瑠詩葉ちゃんの伊達巻欲しいとか思ってない! って言うかそれの経費も私持ちだよね!? 今どきの子は遠慮がないなあ! 涙目でしゃくゃくリンゴを齧る。美味しかった。それで良し!


 ひと眠りしたら朝早くにチェックアウトしてまた名古屋への旅だ。各自あー、と声を出してハモらせていく練習方法は手が空いてていいな、と思う。後ろの車の瑠詩葉ちゃんはまだちょっと眠そうだけど、事故は起こさないでね事故は。殆ど祈りながら、私はカルテットの綺麗な輪唱に眠く――なってはいけない、ってば。

 昼前には名古屋に着き、初めての街に私はちょっと浮かれ気分になる。でもやっぱり大きな都市には魔王の手先も多くて、それが悉皆背中を丸めているサラリーマンである事が私に哀愁を感じさせた。苦労してるんだね、でもその内皆殺しにしてあげるからね。思いながら辿り着いたライブハウスは異国の訛りが聞こえて面白かった。私も学校で始めて自己紹介したときに『あまり訛ってない方です』と言って笑われたっけなあ。今じゃ立派なシティ~ガ~ルしてるけど。

 まずは前座としてデリデビが場を温めた――けれど、お客さんはアカペラに癒されに来ているので、あまり盛り上がりはしなかった。それを込んでラブソングとかの甘い曲を入れていったんだけれど、それでも微妙と言うのが本音のところだ。お情け程度の拍手の後でワイルドヘヴンの番が回って来る。そう言えばお世辞にもワイルドと言えないのにどうしてそんな名前なのかと尋ねたら、リーダーの趣味の古いポップスの曲名らしかった。いや、テクノって言わないと怒られるかな? 正直音楽の事はよく解らないのが本音だ。だけど静かに盛り上がるお客さん達に、四人の声も重なっていく。

「それじゃ最後の曲は小百合のソロで――『アルジャータ』」

 え?

 思った瞬間、慣れたアルジャータの吟遊詩人達が歌っていた曲が響く。言葉は解らないだろうけれどお客さん達もうっとりしているのが分かった。でもそんな。まさか。まさかだけど、まさかだけど。

 打ち上げの席でそろりと隣に座る。麻央君達もこくりと頷いている。

 私はひそっと、小百合さんの耳元にその名を問う。

「……リリィ?」

 小百合さんは早くもお酒で赤くなっていた顔をこちらにぐるんッと向けて眼鏡越しの眼をギラリと輝かせる。

「……マリン?」

 こくんっと頷く。

「マリンっ本当にマリンなの!? 嘘、やだ、鼻水出て来た!」

「リリィ変わらないね、眼鏡なんか掛けてるから分かんなかったよ、本当」

「マリンが若すぎるのよ、何、もっと早く言ってよー!」

 わんわん泣き出しても私達が喋ってるのはアルジャータ語だ。他のみんなはなんだなんだとリリィ――小百合さんに抱きしめられている私を見ている。

「昔住んでたところで隣に住んでたお姉さんだったんです。歌声でやっとわかって、感動の再会って言うか」

 嘘は吐いてない。一番の歌い手だったリリィのテントの隣は私のテントだった。しかしなんだってリリィがこんなところに。

「マリンと離れてからも違う護衛付けて旅はしていたのよ。やがてある街に居つき始めて、最後はそこで。七十歳、向こうでは結構長生きした方だよ。そしたらこっちに何か分かんないけど転生されちゃって……あー鼻水止まんない。涙より鼻水が出る吟遊詩人ってどうよ、ねえ」

 相変わらずのアルジャータ語の会話は、誰にも理解されない。シルゼンやハルカーン、スーベンクの出身だという左袒君達にも解らないだろう。酔っ払い達は各々に酔っ払っている。朝には発たなきゃならないのに、二日酔いは大丈夫だろうか。と、相変わらずカルアミルク飲んでいる私は思う。コーヒー牛乳みたいなもんだ、こんなのは。瑠詩葉ちゃんと飲みに回った時に比べたら軽い軽い。

「時間がまばらになるとは聞いてたけどそこまで斑があるとは思わなかったなあ……五十年ぐらい?」

「だね、そのぐらいだと思う。マリン年下だし可愛くなってるし、ちょっと嫉妬ちゃうよー。マリンがいなくなってからは旅も続けてらんなくてさ。マリンぐらいの腕利きの用心棒なんてそうはいないでしょう? お金も掛かるし、だったら一所に定住しちゃおうって事になってて」

「なんかごめん……?」

「良いのよ、歳が行ったら終の棲家も必要になるとは思ってたし。ライブハウスみたいなのもあったからそこで稼げたしね。異国の歌は特に重宝されたわ。最後はシルゼンだったんだけど、随分人を感動させたものよ」

「シルゼン?」

 ぴくっと左袒君が赤い髪を揺らす。

「今シルゼンって言ったか?」

「あ、うん。小百合さん前は最後シルゼンだったんだって」

「ならシルゼン語も話せるか?」

 唐突に言語が切り替わって、私達はきょとんとする。だけどリリィは――小百合さんは簡単にそれに合わせていた。そっか、話せないと話にならないもんね、当然だけど。小百合さんの語りにふんふん頷いていた左袒君は。そうか、とちょっと影のある笑みを浮かべた。自分が転生した五十年後の話を聞くのは複雑なんだろう。戦争、と言う言葉も漏れ聞こえた。魔王軍とか、それとも他国とか。ありがとう、と日本語に戻った左袒君に、私は小百合さんをつつんと突いて目顔で問う。向こうもちょっと沈んだ様子の左袒君に何か聞いているようだった。私も聞いてみる。

「シルゼン、どうなったの?」

「私が死ぬ前には魔王軍との戦争の準備がされていた、って言ったら彼ちょっと不安になっちゃったみたいでね。そうか、勇者サタン、彼もこっちに転生してたのか」

「麻央君も瑠詩葉ちゃんも転生者だよ。私達は魔王を探してるんだ。多分――フェアリーテイルにいる、魔王を」

「フェアリーテイルに?」

 かくかくしかじかとアルジャータ語で話すと、小百合さんはため息をついて頭を抱えた。

「待ってよ……彼ら確かメジャーデビュー直前で、次のライブがインディーズ最後になるって社長言ってたわよ」

「じゃあその次のライブで決めなきゃならないわけか……」

「本気?」

「そのために転生してきたのよ。羊水がぶ飲みして」

「あああれは苦しかった……確かにまだマネージャーもついてない彼らなら狙いやすいだろうけれど、でも」

「でももへちまもかぼちゃもないんだよ。それが私達の存在理由なんだから」

 小百合さんはちょっと困った顔をして、だけど、ため息をついてジンジャーエールを喉に押し込んだ。下戸は相変わらずみたいだなとちょっと安心して、私もカルアミルクを飲み干した。

 昔の仲間の前では結構格好つけられるな、私。カルアミルクだけど。

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