第2話
左袒君は基本的にいい人だと思う。私みたいな新米バイトにも怒鳴らないで丁寧に仕事を教えてくれるし、一つ覚えたらよしっと頭を撫でてくれる。前髪が乱れるからちょっと困るんだけど、このコミュニケーションの取り方は嫌いじゃない。やっぱり魔王様ってこういう人徳も必要なんだろうなあ、と思うことしきりだ。敵ながらあっぱれ。でもサタンだよねあなた。こんな優しい魔王が何だって人間と拮抗しているのか、実のところ私には良く解らない。襲い掛かって来るものをただ追い払う事しかしてこなかったせいだろう。そしてそのままここに来た。悪の大魔王って何で人間と戦ってるんでしょーね、とゲームの話題に乗って聞いてみた事もあるけれど、答えは出なかった。腹が減ってとかそんなもんだろ。人間食べたらおいしいのかな。人間が持ってる金銭で肉を買うんだろ。当たり前のように言われたけれど、それはちょっと不思議な答えだった。私が知ってるRPGや絵本では、ぼかされていたけれど人肉を食っているような描写があったからだ。だから妙に断定的に『食べない』と言われたことはちょっと意外で――そして私はより確信を深めたのだ。
左袒君は、サタンである。と。
でもどっかで足りないんだよなあー確信的なものが。それに店長もおばさんも良い人だから、突然左袒君に失踪とかされたらすごい落ち込みそうだし、それで店閉められても困るし。コンビニ経営って結構大変なのだ、本社への上納金とが。それも出来なくなったら、あんな小さな店はつぶれてしまうだろう。それはバイト先、しかも最寄りのコンビニ、と言う好条件を持った私にはかなり困るのだ。勇者最大のピンチ、潰しが効かない。最後の最後に左袒君を殺してそっとIターンかなあ、なんて考えながら私はお風呂に浸かる。髪は長くも短くもない、いつの季節でも乾きやすい長さにしていた。それにしても左袒君、傍から見たらサタン一直線だけどほんとにサタンじゃなかったらどーしよ。ただの人間だって殺したことがないじゃないけど――吟遊詩人一座を襲ってきた野盗とか――、間違えて殺しちゃいましたー、は、こっちでは通じないだろう。段々ぬるくなっていくお湯、段々ぬるくなっていく世界。頭を潰して終わりなんてそんなに簡単じゃないのだ。世界って言うのはそういう風に回っている。だから戦争もする。それは一人の時も百人の時もある。たった一人を殺したから起こった戦争や、数百の犠牲が出てからやっと始まる戦争。正直違いが判らない、のは、秘密だ。適当に納得してていい事なんだろう。こんなのは。
はあーそれにしても今日は炊き立てご飯にねぶた漬けの夕飯だからそっちを楽しみにしよう。そういう楽しみ方をしていないとこっちが精神を病むよ、まったく。あとデザートはやっぱりリンゴでしょ? うふうふしていると何だか心の中も軽くなってくる。ご飯は大事だ。衣食住なんて順位の付けられるものじゃないけれど、やっぱり食は大事だよ食は。
だばっと湯船から上がり、トイレの蓋に置いていたバスタオルで身体を拭く(ユニットバスなのよ、安いもん)。それから頭を乾かして、炊飯器を――
「……嘘」
とびっきり絶望的な声が出たと思う。
炊飯器のスイッチが――入って、いない。
あーそっか今日はバイト直前で荷物受け取ったから、部屋の中まで入ってスイッチポンを忘れていたのかあ! あーもう萎える。はあっと溜息を吐きながら私は一人暮らし用の小さな冷蔵庫を見た。
でも今日は、もうお腹がねぶた漬けなのだ。
仕方なく服を着て、最寄りのコンビニに向かう。左袒君がいらっしゃいませーと営業スマイルをしている中で、私が手にとってのはサトウのご飯だ。これで我慢しよう、今日は。ちゃんとすればこれだって立派なご飯で美味しいもん。でも青森県産米の青天の霹靂も美味しいの。県民の舌にジャストフィット。はあー悲しいなーと思っていると、左袒君がおい、とレジで声を掛けて来た。
「おい由羽紗、なんだ、絶望的な顔して、飯でも焚き忘れたのか」
「そーです……先輩」
「じゃあこれは持ってけ」
「へ?」
「あと五分で賞味期限切れだ。良いな、こっそり秘密だからな」
へらっと笑って見せた顔に、
ドキッとさせられて、
早口でありがとうございますと言って私はコンビニを出る。
左袒君、笑うとあんな顔になるんだ。
だったら。
なのに。
どうして人間を、目の敵にしちゃうのかなあ……魔王って。
取り敢えずその日は無事にねぶた漬けを食べ、次の朝ごはんにはダイヤ漬けを食べた。漬物とご飯の相性は最強だと思う。いつも通り化粧のよれを治してからバイトモードに入ってみる。今日は十分早いんだからね、と思っていたら、左袒君はにやーっとサタン染みた笑みをを浮かべて私を見た。
「サトウは腹いっぱいになると約束を守るんだな」
「なんですかサトウって。私は由羽紗ですよ」
「サトウのごはん買ってったからに決まってるだろ。お前のニックネームは今日からサトウだ」
「いやですよそんなの!」
「はいホットスナック一点で百八十円でーす」
「ちょっと聞いてくださいよ左袒先輩!」
「うるせー接客に集中しろ」
言われると言葉もない。
「……ありがとうございました!」
めいっぱいの声で張り上げると、うるせえと言われた。
やっぱこの人絶対サタンだ。
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