第10話
神社の拝殿の裏。そこに居たのは、半身がどす黒く染まった明莉と、彼女の首を片方の腕で締め上げるようにして捕らえる青年。そして、その青年と対峙する神様だった。
「何、これ……」
「あなたが岩崎姫乃か?」
呆然と立ち尽くす私に、青年が問う。
「そう、ですけど……」
そう答えて、思い出す。この人は、一昨日この神社から帰る時にすれ違った人だ。見えないはずの、見えてもすり抜けるはずの明莉を、わざわざ避けて歩いた人。
「
「ええ、その通りです。そしてこの娘は、もう間もなく完全に悪霊化する。私の除霊対象です」
未練を果たす事に絶望してしまった幽霊は、悪霊となり成仏する道を絶たれる。あの時、神様はそう言った。まさか──
「私のせい?私が、昨日玲奈の家であんな事言ったから……?」
「なんだ、自覚があるんじゃないですか。彼女は危険です。このまま祓わせてもらいますよ」
死神が、明莉を捕らえた腕に、力を込める。明莉が、苦しそうに呻いた。
「……やめて」
「お断りします」
そして、懐から取り出した短刀を彼女の首筋に当てて──
「やめるのじゃ!」
──突き刺す事は、なかった。神様が刃を掴んで止めたからだ。
「なぜ邪魔をするのです。あなたとて悪霊が街に跋扈するのを見過ごしたい訳ではないでしょう」
「理由は一つじゃ。明莉は未だ完全には悪霊化しておらぬ。今なら彼女を成仏させる道はあるのじゃ」
「だからそこの娘を呼んだ、と?」
「その通りじゃよ。……姫乃!明莉を救えるのはお主しかおらぬ!急ぐのじゃ。このままでは本当に悪霊化してしまうぞ!」
神様が、叫ぶ。明莉を救えと、他でもない私にそう言う。ならば、それに応えなくては。
「明莉!」
幼馴染の、名を呼んだ。ありったけの力と、思いを込めて。
明莉が、そっと口を開いた。
「もう、いいの。私の思いは、届かない。姫乃ちゃんは、私の言葉なんて、きっと聞いてくれない」
弱々しい声と共に、彼女の身体を蝕む黒が、広がっていく。アレが全身を覆う時、彼女は完全に悪霊となるのだろう。
「だから言ったでしょう。もう手遅れです。弱っているうちに祓ってしまうべきですよ」
「そんなの、だめ!」
「何故あなたは邪魔をするのです?聞いていますよ。あなたにとって、この娘は友達でもなんでもないはずです」
彼は軽蔑するようにそう吐き捨てた。
「あなたは知らないかもしれませんが、この娘が完全に悪霊化したら、街中に祟りを振りまく。危険分子は排除すべきです」
神様を振り払い、彼はもう一度、短刀を振り上げた。
「幼馴染だから!ずっと隣で過ごしてきたから、こんな終わりは嫌だから!それが、私の理由!」
私は、必死で叫んだ。明莉を、失いたくなかったから。ちゃんと謝りたかったから。
「聞いて、明莉。私は、明莉の事、大切な幼馴染だと思ってる。だからお願い、戻ってきて」
「姫乃ちゃん……」
明莉の身体から、黒が薄れていく。
それを見た死神が手を離すと、明莉は力無くその場に崩れ落ちた。
「思い出したよ。私の未練。死ぬ直前に、姫乃ちゃんと仲直りしたいって、謝らなきゃって、そう思って、気付いたら幽霊になってた」
ぽろぽろと涙を零しながら、明莉は囁く。
「ごめんね。姫乃ちゃんは、独りなんかじゃないよ。もっと早く、ちゃんと仲直りすれば良かった」
俯いた明莉にそっと歩み寄り、私はしゃがみこんで彼女と視線を合わせた。
「ごめん、明莉。私……自分の事ばっかりで、明莉の事、全然考えてなくて、明莉を傷つけた。ほんと、ごめん」
明莉に向かって、手を伸ばす。触れられないとわかっていても。
「……ありがとう」
次の瞬間、私の手は発光する彼女の手に包み込まれていた。触れ合ったそこから感じる温もりは、きっと明莉の心の温度だ。だって、そうじゃなかったら、幽霊がこんなに温かいはずがない。
「姫乃ちゃん、大好きだよ」
透ける彼女の向こうで夕日が落ちて。それと共に、明莉の身体が淡い光に包まれ、闇に溶けていく。
これで終わりなのだ。本当に、全部。
「私も、明莉が大好きだよ」
私の声は、届いただろうか。
「うあああああっ」
ニュースで彼女の死を知ってから、一度も流れなかった涙が、今さら溢れて止まらない。
後に残ったのは、真っ黒な夜の闇だけだった。
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