第9話
次の日の午後になっても、明莉は帰って来なかった。まあ、当然だろう。元来、あの子に私の部屋へ帰る義務など最初からない。あんな事を言われて、ノコノコ帰ってくる方がおかしいというものだ。
何はともあれ、これで彼女に迷惑を掛けられる事はもうない。私にだけ幽霊が見えるなんて意味不明な状況からもようやく、解放される。
そもそも、私は明莉にいなくなって欲しかったのだ。一年前にあんな事を言っておきながら、親でも友達の玲奈でもなく、私を選んで目の前に現れた彼女が理解できなくて、気持ち悪くて。
それなのに。
「どこ行ったのよ」
零れた声は、震えていた。
遠くから聞こえてくる子供の笑い声に、妙に心がざわつく。
『はやくはやく、はじまっちゃうよ』
『わかってるってば、いまいくよ』
『ついたら、りんごあめがたべたいな』
『いいね、そのあとしゃてきもしよう』
ああ、今日は神社で縁日があったっけ。
幼い声は、それはそれは楽しそうに遊ぶ算段を立てている。
私も、かつて明莉とこんな会話を繰り広げたものだ。今となっては、遠い昔の事だけれど。
「……明莉」
それでも、そんな昔の事を思い出しては、胸が抉られるような感覚に襲われる。私は一体どうすればいいのだろう。
そんな事を考えてるいた時だった。
『姫乃!』
突然、頭の中に声が響いた。
「誰?」
『
そういえば、神様はテレパシーが使えるんだったか。
「何があったんですか」
『明莉が……悪霊になり掛けておるのじゃ!』
「……え」
『今、明莉は
神様の切羽詰まった声が、脳内でこだまする。行かなくてはならない、と思いつつも、それを躊躇う自分がいる事に気付いた。
「……でも、私は」
あの子の事を傷つけた。
『何をくずぐずしておるのじゃ!そうやって後で後悔するのはお主なのじゃぞ!』
……それは、嫌だ。
明莉の事は、まだ明莉の事は、まだもやもやとした気持ちを消せずにいる。でも、否、だからこそ、このまま失ってしまったら、永遠にこの憂いを晴らす事ができなくなってしまうと、そう思ったのだ。
「今、行きます」
そう言って私は、薄暗くなり始めた街へと足を踏み出した。
✿
普段なら静寂に包まれるはずの黄昏時の街が、今日はまだ大勢の人で賑わっていた。みんなが、年に一度の縁日に向かっている。
私も、その流れに逆らう事なく、神社へと向かう。
浴衣を着て、楽しそうに笑う大勢の人達。その中を、独り必死に駆けていく私は、一体どんな風に見られているのだろうか。
自分でも、何のために走っているのか、よくわからなくなっていた。辿り着いたところで、きっと私にできる事なんて無いのに。
どうして、神様は私を呼んだのだろう。
神社に着くと、人だかりはますます大きくなり、身動きが取れなくなる。それでも、精一杯人波を掻き分けて進んでいく。
「……あっ!」
その時、何かにつまづいたような感触があった。そのまま、地面に向かって身体が倒れていく。この人だかりの中では満足に受身も取れないだろう。
何で私がこんな目に、と自分の運命をのろった、その時だった。
「こんな所に、独りで何やってるのよ」
呆れたような声がして、一番会いたくなかった人──高坂玲奈が、私の身体を支えているのだった。
「何でもいいでしょ」
玲奈を前にすると、やっぱり私の声はこわばってしまう。
「……明莉の事でも、思い出しに来たの?」
投げやりに誤魔化した私を見て、彼女は少し的を外した推測をした。まあ、明莉に関連しているというのは、間違いではないのだが。
私は、彼女の問い掛けに対して無視を決め込んだ。
「一つ、言いたいことがあるの」
黙ったままの私に向かって、玲奈は勝手に話を続けた。
「明莉は、ちゃんとあなたの事を考えてたわよ、誰よりも」
遠くで茜色に燃え始めた空へ視線を向け、彼女は語る。
「一年前から、ずっと言ってたもの。『姫乃ちゃんに謝らなきゃ』とか『幼馴染なんだから、これからもそばにいたい』って」
「え……」
『幼馴染だから』。それが、明莉が私の元に現れる理由だったのだろうか。
そんな話は、今初めて聞いた。
「……違う。私が忘れてただけ……?」
そうだ。一年前の、どうしても思い出せなかった明莉の言葉、見せた表情。
その記憶が、唐突に蘇ってきた。
✿
「しつこいんだよ。私は、明莉の事を友達だと思った事なんてない」
私がそう言った時、明莉はひどく悲しそうな顔をして……そして、笑ったのだ。
ちょうど、幽霊になって、初めて私の前に現れた時のような、悲しい笑顔だった。
「そっか。『友達』じゃない、か」
何で、あの時私は明莉と向き合う事ができなかったんだろう。彼女はあんなに悲しそうにしていたのに。
「でも、『友達』じゃなくても、私が姫乃ちゃんを心配する理由ならあるよ」
私の事なんて拒絶してしまえばいいのに、あの子はどこまでもお人好しで、こちらに手を伸ばし続けたのだ。
「だって、私達は『幼馴染』だもん。たとえ『友達』じゃなくたって、一緒に過ごした時間はなくならないでしょ?」
✿
「明莉……」
「やっと気付いたの?明莉にどれだけ大切に思われていたか。遅すぎるのよ」
玲奈は終始呆れたような態度をとっていたが、その声からこちらを責める気配は消え失せていた。
「ごめん、ありがとう」
ちゃんと、玲奈の目を見て感謝を伝える。彼女は微笑み、「どういたしまして」と言った。
明莉を、助けなくては。あの子は、友達なんていなかった私を『幼馴染』と呼んで、いつも気に掛けてくれていた。その恩を返すなら、もう今しかない。
玲奈に別れを告げ、私は神様の声を頼りに神社の裏へと向かった。
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