第8話
「それで、岩崎さんは明莉の何を知りたいの?」
麦茶をグラスに注ぎながら、玲奈がそう切り出した。
「……死ぬ前の何日かの明莉の様子。一年前と、どう変わってたのか、知りたい」
家の中に通されてから、明莉は静かだ。おかげで、沈黙する彼女の代わりに、私が玲奈と話さなければならない。
明莉の未練に直接関わるヒントが得られるかはわからないが、ひとまず玲奈に不審がられないよう、無難な質問をする。
「一年前……ああ、そっか。あなた達、絶交したのよね」
私は黙って頷いた。返す言葉も無かった。
そうだ。一年前のあの日、私は明莉と仲違いしたのだ。いつもの言い合いとは違い、互いを本気で傷つけて。
私は、未だ自分の中に生々しく残るその記憶を、そっと呼び起こした。
✿
その日は、年に一度の縁日が開催される前日だった。私は塾に向かう道すがら、たまたま明莉に会ったのだ。
「おーい、姫乃ちゃん!」
「……明莉、どうしたの」
「ん?見かけたから、呼んだだけだよ」
「用がないなら、もう行くけど。これから塾だから」
「姫乃ちゃん、志望校高いもんねぇ……。あ、そうだ。明日のお祭り、浴衣着ていこうよ」
私達が二人で縁日に行くのは、幼い頃からの恒例行事のようなものになっていた。だから、明莉はその年も当然一緒に行くものと思っていたらしい。
「……行かないよ、縁日なんて。そんな暇は無い」
「でも……たまには息抜きしないと」
「そんなに行きたいなら、他の人と行けば?明莉は、私と違ってたくさん友達いるでしょ」
「……心配なんだよ。姫乃ちゃん、最近ずっとピリピリしてるよ」
「うるさいなぁ。明莉には関係ないでしょ?ほっといてよ」
「関係なくなんてないよ。姫乃ちゃんは友達だもん」
彼女は、笑顔で私の事を『友達』だと言った。その言葉に、何と答えるのが正しかったのだろう。
少なくとも、あの時の私が放った言葉は、間違いだったと、今なら分かる。
「しつこいんだよ。私は、明莉の事を友達だと思った事なんてない」
あの時、明莉はどんな顔をしていたんだっけ。私の吐いた酷い台詞に、何と返したんだっけ。その記憶は曖昧で、どうしても思い出せない。
ただ一つ、覚えているのは。私が無視を続けた事、そして、彼女が最後の最後に残した捨て台詞。
「もういいよ。姫乃ちゃんは、周りの人なんてどうだっていいんでしょ。それなら、ずっと独りで生きていけばいい」
ひどく重々しい声で呟かれたそれが、生きている彼女が私に向けた、最後の言葉だった。
✿
「その時の話なら、明莉から聞いたわよ」
玲奈はグラスをテーブルに起き、ため息混じりにそう言った。
「……そう」
私は、明莉に対して感じていたわだかまりを、未だ捨てられずにいる。だから、今日ここに来るのに乗り気ではなかったのだ。きっと、一年間目を逸らし続けた何かを、突きつけられる事になるから。
玲奈は顔を上げ、私をキッと睨んでみせた。
「どう考えたって、悪いのはあなたじゃない」
「……は」
彼女は尚も言い募る。こちらを責め立てるような口調で。
「明莉はあなたの事を心配してたのに、つっぱねて、傷つけたんでしょ。それからずっと、明莉の事避け続けたのは、自分が悪かったって、本当はわかってたからじゃないの?」
「……違う」
私だけが悪い訳じゃない。明莉だって、私を傷つける言葉を吐いた。
「それなのに、今さら何なのよ。明莉が死んじゃってから私のとこまで来て、償いのつもり?ふざけないでよ。もう遅いの!今さら何したってどうにもならないんだよ、この偽善者!!」
玲奈は、明莉の事を大切に思っているのだろう。そして、彼女を傷つけた私が許せないのだろう。
そんな事はわかっている。正しいのはおそらく彼女だ。
それでも、腹の底から湧き上がってきた不快感は、消せなかった。
私だって、こんな状況は望んでいない。
「わかってるよ。確かに私はあの子を傷つけた」
「なら……」
「でもさ、それは、本当に私だけが悪いの?うんざりしてたんだよ、ずっと。私がやめろって言ってるのに、何度も何度もしつこく絡んできて。どうせ、心配だって言いながら、私の事なんて考えちゃいなかったんだ。上っ面だけ取り繕ってさあ……どっちが偽善者よ!」
思わず口から飛び出した言葉は、私がずっと感じていた明莉への不満。
私だって、あの時明莉の言葉に傷ついたんだ。
だから、ついカッとなって、怒鳴ってしまった。──当の明莉が、この場でずっと話を聞いているのも忘れて。
しまった、と思った時にはもう遅く、彼女は消え入りそうな声で「ごめんなさい」と呟いて、部屋を出ていった。
それきり、部屋は沈黙に包まれた。
玲奈の手前、私は明莉を追うこともできず、手元に置かれた麦茶入りのグラスを、ただ見つめていた。グラスの表面では結露が起き、滴り落ちる水滴が、テーブルに小さな水溜まりを作っていた。
「……最ッ低」
玲奈は、低い声で言った。
「出てってよ。あんたは明莉の事、何もわかってない」
「そうだね」
本当に、その通りだ。
そして私は、独りで玲奈の家を後にした。
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